道徳について、私が国民性によって少し違和感を感じるのは、中絶や死刑といった道徳や政治上の大問題に関してです。しかし、道徳と言っても、多くは、身近な問題についてであり、日常の道徳的ジレンマを議論することが多いのです。それは、道徳というように構えないで、単に何が正しい行為かについて考えることも含まれるのです。すると、国民性によって違和感を感じるよりも、人類という大きな輪の中で共通なものが見えてきます。しかし、多くの心理学者は、これらの道徳をめぐる熟慮を見逃すことが多いとブルームは指摘します。一つには、みんなの受けがいいのは、直感に反する発見だからだと彼は言います。説明するのが難しい道徳的直感が人間に備わっているという発見は、刺激的なだけでなく、一流の科学雑誌にも掲載してもらえるというのです。飲酒運転は間違っているといった、簡単に説明のつく道徳的直感が人間に備わっていることを発見しても、あたりまえで、面白くないし、雑誌にも取り上げてもらえません。
犯罪者の刑罰を決める立場にある人の判断が、たとえば、部屋に国旗が飾ってあったというような、本人が意識していない要因や、たとえば、犯人の肌の色などのような、意識的に否定するであろう要因に影響されているという発見は人を惹きつけますが、刑罰の軽重が、犯罪の深刻さや犯罪者の前科などの合理的な判断材料に影響されるという発見は、退屈であるとブルームは言います。「焼きたてのパンの匂いがしたら、人助けの意欲が高まります」という研究は面白いですが、「過去に親切にしてくれた人には、助けようとする意欲が高まる」という研究結果は、あまり面白くないと彼は言います。
私たちはときおり、活字にされるものにこうした偏りがあることを忘れて、科学雑誌や大衆紙に掲載されたものを、心の働きの最良の知識を正確に反映していると考えてしまいがちであるとブルームは指摘しています。しかし、それは、夜のニュースを見て、レイプや強盗や殺人が、すべての人にとって日常的なできごとだと思い込むようなものだとブルームは言うのです。実は、夜のニュースでは、この手の事件がいっさい起きない圧倒的多数の事例は、報じないことを忘れているのです。
論理的思考力が芽生えるには時間がかかるとブルームは言います。そのため、赤ちゃんの道徳生活に限界があるのはしかたないと考えられます。赤ちゃんにも、私たちのような性向や感情はあります。赤ちゃんは、苦しんでいる他者をなだめようとします。そんな姿は、私たち現場ではよく見る光景です残酷な行為に怒りを感じる、悪さをする者を罰する者を好むということもわかっています。しかし、赤ちゃんには足りないものも多いのです。とりわけ公平という道徳原理、すなわち、共同体の全員に平等に適用される禁止と要求、そんなものは理解していないようです。
こうした原理が、方と正義のシステムの根幹にあるとブルームは考えています。ピーター・シンガーは、公平性の概念はどの宗教、どの道徳哲学でも明文化されていると指摘しているそうです。これは、さまざまな黄金律の形で表わされているそうです。たとえば、キリストは「人としてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい」と命じているとブルームは言いますが、私も小さい頃からこんなことを言われて育った気がします。