嫌悪感受性

近親相姦という行為に対する嫌悪は、決して理屈からではなく、本能的嫌悪だとブルームは考えています。そこには、進化論的にもっともな理由があるのではないかと言うのです。近親者との間に子をもうけるのがまずい考えであるのは明らかです。生まれてくる子どもが、単独では無害であっても、対になると有害になる対立遺伝子のコピーを両親から受け継ぐ可能性が高くなるということはわかっています。血縁者とセックスしたという人は、幼い頃に生き別れ、その後再会し、結婚した後で初めて血のつながりがあるとわかったきょうだいのように、過ちが原因である場合が多いのです。幼少時代の共同生活が、近親相姦を避ける心理的システムを作動させると思われるスイッチの一つだと言います。実際に血のつながりがない人たちもこの合図に反応するそうです。

継父が、ある一定の年齢を超えた娘と家族になった場合、赤ちゃんのときに家族になった場合に比べて、のちのち性的にひかれる傾向が高いのも、こうした理由によると言われています。義理の娘を殺害する傾向も高くなるようです。もちろん、ほとんどの継父は、たとえば子どもが大きくなってから家族になったとしても、性的であれ、何であれ、子どもを襲ったりはしないとブルームは付け加えています。それは、たいがいの人間は道徳的な生き物で、欲望と行為の間に大きな隔たりがあるということもわかっているのです。

しかし、これはいずれも、なぜ私たちが、他人の近親相姦にこれほど嫌悪を感じるのかを説明していることにはなりません。だからと言って、説明することは困難なようです。どんなに合意のもとであろうが、避妊の手段をこうじようが、間違っていると感じ、不道徳と考え、嫌悪を感じます。それは、「むかつく」と感じるものとぴったりと重なるのです。嫌悪は、性の道徳問題に対する一つの解決策なのだとブルームは言います。

嫌悪は、ある種の性行為に対する自然のデフォルトだと言うのです。そして、嫌悪は反感や拒絶のスイッチを押すのです。心理学者のニランジャナ・ダスグブタらは、嫌悪をもよおさせる画像を見ると、同性愛に対するネガティブな潜在的態度が高まることを発見しました。また、ブルームは、心理学者のヨエル・インバーやダヴィッド・ピザロと行なった研究では、嫌な臭いを嗅がせると、同性愛者の男性に対する温かい気持ちが減ることがわかったそうです。

この結果から、次のことを予想しています。個人の嫌悪感受性は、性的行動に関する態度と相関しているに違いないと。これを調べるために、彼らは、アメリカの成人の大規模なサンプルを対象に嫌悪感受性を測定し、その結果、嫌悪感受性が高いほどさまざまな政治問題に保守的であり、その相関性は、中絶や同性婚といった性に関する問題について特に強固であることがわかりました。性別、年齢、宗派といった要素を除外しても結果は変わらなかったそうです。

イエール大学の哲学者、ジョシュア・ノーブが加わり、第二段階の研究が始まりました。それは、カリフォルニア大学のアーバイン校とコーネル大学の学生を対象に行ないました。この母集団は、極めてリベラルで、口答で質問されると、自分には同性愛者に対する偏見はないと答える人が多かったと言います。それでも、学生たちの嫌悪感受性と、同性愛に対する潜在的態度には相関関係があったと言うのです。すなわち、嫌悪感受性が高い人ほど、同性愛に否定的だったのです。

嫌悪感受性” への13件のコメント

  1.  〝個人の嫌悪感受性は、性的行動に関する態度と相関しているに違いない〟〝嫌悪感受性が高い人ほど、同性愛に否定的〟ただただ圧倒されるばかりで、受け身に捉えてきたこの度の嫌悪についての連載だったのですが、少しずつですが、何か見えてきたように感じています。〝性〟というものが人間の根源を成すものであり、それなくしてはこれからの未来を託す子ども達、赤ちゃんの存在もありません。生まれてきた子ども達を理解し、保育をする上で、生まれる前の段階、遺伝子の引き渡し役である大人が、自分自身のことを理解できていなくては、これから先の発展は乏しいものになり兼ねません。それを説明し、解釈する上で避けては通れない問題を今、当ブログは正面から向き合っているのだと思いました。
     〝嫌悪は、性の道徳問題に対する一つの解決策〟人間にとって不必要な事柄は何もない、ということを思い出すような言葉だと思いました。

  2. 「嫌悪は、ある種の性行為に対する自然のデフォルト」「嫌悪は反感や拒絶のスイッチを押す」ということで、人は自然な形で嫌悪を感じたり、反感や拒絶を引き起こしやすくしてしまう傾向があることが感じられます。また、「嫌悪をもよおさせる画像を見ると、同性愛に対するネガティブな潜在的態度が高まる」ということもあって、特定の関係性に否定的になりやすく、第二の障害をも生むことになってしまい、あまり良いイメージは湧いてきません。ということは、嫌悪の対義語である「愛好」的な要素を感じれば、共感や受容というものが感じやすく、出しやすくなるということでもあるのかなとも思いました。両極端なものが存在しているということが、そう言った考えを生むのを手伝ってくれるという面もあるのかなとも感じました。

  3. “幼少時代の共同生活が、近親相姦を避ける心理的システムを作動させると思われるスイッチの一つ”確かに小さい頃から見てきた兄弟を見ていると、そのような対象にならないまた別のつながりとしと考えられますね。愛情を持てたとしても好きという感情はもつことはできないというような表現ができそうです。”嫌悪は、ある種の性行為に対する自然のデフォルトだ”というところから、本能的に子孫を残そうとする生存戦略に対して、子孫繁栄にもならない行為をしてしまうのかというところが嫌悪を生む、やはり、嫌悪と道徳のなかでどう生きるか、重要なものだと思いましたり

  4. 〝嫌悪感受性が高いほどさまざまな政治問題に保守的であり、その相関性は、中絶や同性婚といった性に関する問題について特に強固であることがわかりました〟とあり、さらに〝嫌悪感受性が高い人ほど、同性愛に否定的〟ということで、嫌悪を感じやすい、受けやすい人ほど何かが変わることを怖がったり、自分では理解しがたいものに対して否定的になりやすいということなんでしょうか。考えてみれば、嫌悪を感じやすいということは、そのことから少しでも、短い間でも離れたいと思うのは当然で、そのことが上記のように保守的であったり、否定的な態度を生んでしまうのでしょう。このように考えると、以前このブログであった「オプティミスト」や「楽観性」などの話しが絡んでくるように思います。
    嫌悪感受性が高い人は、それが根元である様々な問題、課題を抱えていそうですね。

  5. 「幼少時代の共同生活が、近親相姦を避ける心理的システムを作動させると思われるスイッチの一つだと言います」とあり、とても納得させられました。遺伝的なものというよりも共に過ごした時間というのが関わってくるのですね。思い起こせば、幼い頃か一緒の幼なじみとよばれる異性にはなんだかそれに似たような感情を持つのではないかと想像しました。また「嫌悪は反感や拒絶のスイッチを押すのです」という言葉も印象的でした。まず嫌悪という感情があり、それが行動を引き起こすということを感じます。「嫌悪感受性が高い人ほど、同性愛に否定的だったのです」という結果もとても不思議です。どう繋がっているのでしょうか。また、政治的にも保守的であるというのも気になりました。嫌悪感受性が高いというのは許容範囲が狭くなるということにも繋がるのでしょうか。許容範囲という言い方が正しいのかは分からないのですが、嫌悪という感情が強いことはいいことなのでしょうか、あまりよくないことなのでしょうか。

  6. 「幼少時代の共同生活が、近親相姦を避ける心理的システムを作動させると思われるスイッチの一つだ」とあり、私には異性のきょうだいはいませんが、何だかわかる気がします。長らく友達として確立された異性の存在を恋愛対象に切り替えることは難しいと聞いたことがありますが、そんな感覚を近親相姦を避ける心理的システムを作動するスイッチから感じました。また、嫌悪感受性が高いほどさまざまな政治問題に保守的であり、その相関性は、中絶や同性婚といった性に関する問題について特に強固であること、嫌悪感受性が高い人ほど、同性愛に否定的なことがわかったことは興味深いですね。私も同性愛者に偏見はないと自分では思っていますが、嫌悪感受性においては自分のことながら未知なので、自分の嫌悪感受性を測る術があるのであれば、測ってみたいなと思えました。

  7. 「 幼少時代の共同生活が、近親相姦を避ける心理的システムを作動させると思われるスイッチの一つ」というのは納得がいきますね。幼少時代に共に時間を過ごすことで自ずと対象に入らない感覚がなんとなくではありますがわかります。そして、「 嫌悪は反感や拒絶のスイッチを押すのです。」というのも興味深いですね。様々な嫌悪を感じるものと出会うことでその嫌悪と共に性的問題に対しては否定的になってしまうのですね。果たしてその調査の仕方というのは一体どんな調査の仕方なのでしょうか。脳波かなにかを図るのでしょうか。気になるところですが、こうした人間の子孫繁栄のための遺伝子を知る機会というのは滅多にありません。非常に新鮮な気持ちになります。

  8. あぁ~いやだなぁ~と思う「嫌悪」感。私は、その発された言葉からいろいろと想像してしまい、赤面したり、額に汗したり、してしまいます。「感受性」の強さの表れだと自己分析しています。「嫌悪をもよおさせる画像」や「嫌な臭い」を想像しただけで気持ちが悪くなるのですが、これらが「同性愛者」の文脈で語られていることについては、とりわけ同性愛者でなくても、異性愛者、近親相姦、その他の性的関係のどれにおいても、嫌悪を感じることだろうと思います。近親相姦、ということについては、よく理解できない領域です。自分の兄弟や親、あるいは娘、息子との性的関係・・・同性愛はまぁあり得ることだろうと思いながらも、近親相姦???これは考えただけでも???道徳というレベルの問題というより、考えられないことなのですが、想定外を想定する力を身に着けることを志向するなら、近親相姦の世界を受け入れる準備をする必要があるのか、と思ってしまいます。性的問題をまともに考えることはあまり得意ではありませんね。

  9. 近親相姦を避けるには共同生活が重要になってくるのですね。そうなると、集団とは違った家族という集団の共同生活をすることが人間の本能的に兄弟や義娘に対して感情を持たなくなるのでしょうか。例えば娘がいる父親は心から愛しすぎて、結婚もさせないくらい、好きでもそれ以上の感情は持ちにくいのは、やはり長い間共同生活をし、血の繋がりを感じているからなのかもしれません。近親相姦に対する嫌悪感情は説明は難しいと書いてあります。確かにそうかもしれませんが、前半のブログを読んでいて何となくですが理解できたように思います。しかしもう一つの同性愛者に対する嫌悪感情ですが、本能的というよりも、個人によってどうやら差があるようですね。少し前のブログでも嫌悪感が強い人は他人に強くあたるとあったように、いくら口では同性愛者に対する偏見はないと言っても、嫌悪感受性が高いと否定的になるのですね。

  10. 性行為に関する嫌悪は実に不安定なものであり、そこには嫌悪感受性というものが関わってくるのですね。どうも見ていると嫌悪感受性と道徳性というものが密接に関わっているということが分かります。しかし、それも「幼少時代の共同生活が近親相姦を避ける心理的システム」というように環境による影響が嫌悪感受性をつくることに大きな影響を与えているのは明白であるように思います。以前の差別でも「共に過ごす」か「そうではないか」で差別に差が出てくるということが言われていました。同性愛者も含め、多様性が求められる今後の社会ではこの嫌悪感受性というものはよりシビアでバランスのとれたものでなければいけなくなりそうです。

  11. 幼少時代の共同生活がスイッチになっているのですね。それとは少し違う話になりそうですが、幼馴染といわれる女友達に恋愛感情が芽生えるかどうかと考えると、確率は低いですね。また、娘とそういう関係になりたいかと言われると、そんな気持ちは全くないですし、考えるだけでも嫌悪感を感じますね。近親相姦に対して嫌悪感を抱くことは人として当たり前と思っていましたが、深く考えると不思議な話ですね。
    私は嫌悪感受性については、普通であり、同性愛者を否定しようとは思いませんが、実際に知り合いにいたら、頭ではなく、心から理解ができるのかはわかりません。せめて、同性愛者の方を否定したり傷つけるのだけはしたくないと考えます。これからもLGBTの方が生きやすい環境を作るためには、「相手を認める」という教育がなおさら必要になるかなと思います。

  12. 近親相姦をテーマにこれほど考えたことはなかったので、少し新鮮な感じとともに、いろいろ考えこんでしまうと所がありますね。近親相姦が「有害になる対立遺伝子のコピーを両親から受け継ぐ可能性が高くなる」というのは、よく知られている事実であり、そこからも嫌悪を感じる一つの要因となっているとのことですが、「なぜ人類は近親相姦によって有害になる遺伝子を引き継ぐようにしたのか」などと考え出すと面白いですね。あくまで過程ですが、近親相姦による害がなかったら、人と人のかかわりがどんどん薄れる可能性があったからではないかと思います。そう考えると何に嫌悪を感じるかなどもしっかりと進化の中で考えられて獲得した能力なのだと感じますね。

  13. 嫌悪感受性は、性的行動に関する態度と相関しているに違いないということから、人にとって性がいかに重要であり、大切な要因を占めているかということを感じます。性は人の根源をなすものであり、それがなければ人という種の存在自体がなくなってしまいます。だからこそ、それほどまでに人は性に対して敏感であり、スタンダードではない性行動や認識に対して本能的に嫌悪を感じるのでしょうね。嫌悪という感情はあまり良いものではないと思ってしまいますが、それを備えているからこそ、私たちは人として成り立っている部分は当然あると思いますし、それを抱いた時、利己的な感情からだけでなく、本能的に危険だと感じている場合もあるのかもしれないと感じました。

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