嫌悪という感情

 私たちは、あるバイアスが間違っていると思ったら、慣習や法律を利用して、そのバイアスを根絶する状況を作り出すことが出来るようです。そのようにして、道徳的進歩は広がっていきます。しかし、一般に、善意や意志の力だけで、よりよくなることなどできませんが、人間は賢明な生き物であるので、知性を使って、情報を管理したり、選択肢を制限したりします。こうして、つまずきの原因になると思われる直感や欲望を乗り越えながら、少しずつ、よりよい自己に近づいていけるというのです。このように、私たちは、自分たちの集団を他者の集団よりひいきする人間の天性に対処していると言います。しかし、そう簡単ではありません。人間の本性には、乗り越えなくてはならない、さらに醜い面が存在するとブルームは言います。

それは、「嫌悪」という感情です。嫌悪は、悪を生み出す強力なエネルギーです。ある集団を根絶やしにしたいとか、爪弾きにしたいと思ったら、「嫌悪」という情動を引き出せばいいとブルームは言います。それを上手に使ったのが、ドイツのナチスがユダヤ人に行なった行為であると科学者で作家のプリーモ・レーヴィが指摘しています。それは、囚人であるユダヤ人にトイレを使わせないようにした時の効果です。「SSの護衛は、男や女が、プラットホームや線路の真ん中で、所構わずしゃがみ込むのを見て、喜びを隠さなかった。そして、ドイツ人の乗客は嫌悪をあらわにした。こんな連中が悲惨な末路をたどるのは当然だ。見ろよ、あのざまを。こいつらは人間じゃない。動物だ。火を見るよりも明らかだ。」

怖いですね。人の嫌悪を操作することによって、人に対する評価をコントロールしてしまうのですね。集団にたいしてのバイアスを構築してしまうのですね。ブルームは、こう言います。「こうした反応を引き出すためには、他者に実際に不快な思いをさせるまでもない。比較的よく用いられるのが、想像力に訴える方法だ。あなたは、その人たちがどんなに汚らわしく、嫌な臭いがするかを物語ることができる。」

その例として、ヴォルテールがユダヤ人について、語っているこんな言葉を引用しています。「この連中は、清潔な暮らしや礼儀作法にたいへん無頓着なので、律法者が、法律を作って、手を洗うことさえ強制しなくてはならなかったほどである」また、比喩を使ったこんな例も挙げています。ナチスは、ユダヤ人を「気色の悪いスポンジのようなもの、液体や粘り気のあるものを吸収する。湿っぽく、つかみ所のない点で女に似ている。ドイツ人男性の清潔な体に巣食う邪悪な寄生生物」というようにです。憎悪の対象となる集団は、ドブネズミやゴキブリなどの不快な生き物によく喩えられます。

このようなことは、近代でも見受けられます。特に最近は、情報が非常に速く、また多くの人たちに伝わりやすい環境にあります。そこで、このような嫌悪を誘発するような大衆操作は、容易に出来てしまうような気がします。そして、このような嫌悪を誘発する集団は、当時の多く行なわれたような民族集団や人種などを対象に行なわれるとは限りません。ジョージ・オーウェルは、階級差別において嫌悪が果たす役割を、彼の子どもの頃の体験から雄弁に語っています。彼は、それを今、思い出すだけでも口にするだけでもはばかれると言います。それは、「下層階級は臭い」という言葉だそうです。