トイレトレーニング

 「トイレトレーニング」について、もっと説得力のあるのが、中核的嫌悪は、適応上の目的として機能しているという説だそうです。この説によると、嫌悪は学習されるのではなく、むしろ、赤ちゃんが発達のある段階に達すると自然に生じると言うのです。このタイミングはある意味理にかなっているとブルームは言います。というのも、嫌悪の芽生える時期が早すぎると、赤ちゃんは自分のうんちに絶えず嫌悪を感じながらも、自分ではどうすることもできないからです。自然選択も、そこまでむやみと残酷ではないだろうと言うのです。

 嫌悪が適応ならば、それは何のための適応なのか?もっとも人気のあるのは、嫌悪は、悪い食べ物を回避させるために進化したという説だそうです。事実、英語の「嫌悪」という言葉は、「悪い味」という意味のラテン語に由来しているそうです。

 この説にはたくさんの根拠があるようです。一つ目は、ダーウィンによれば、嫌悪に特徴的な顔の表情は、臭いを嗅ぐまい、口に入れるまい、すでに口に入れたものを、舌を使ってはき出そうとする行為に似ているそうです。嫌悪を感じたとき、人が口を大きく開けないのは偶然ではないと言うのです。実際、「オエッの顔」は、現実に人がものをはくときの表情であり、それが起源なのでしょう。二つ目の根拠は、嫌悪と結びつく吐き気の感覚は、食欲を失わせるということです。三つ目は、私たちの嫌悪の反応は、悪い食べ物を食べるところを想像しただけで引き起こされることがあります。ダーウィンは、これを次のように説明しているそうです。「普段食べられていない動物など、変わった食べ物を口にしたと考えただけで、たちどころに吐き気をもよおし、実際には吐いてしまう人がいることには驚かされる」

 四つ目の根拠には、次のようなものがあります。妊娠中の女性は、妊娠期間を通じて吐き気をもよおす回数が増えることを考慮しても、胎児が毒に敏感な時期に、とりわけ嫌悪を感じやすくなるそうです。五つ目には、人に嫌悪をもよおさせる絵を見せると、匂いや味に関連する脳の前頭前皮質が活発化するそうです。

 もちろん、何に嫌悪を感じるかは個人差が大きいのですから、嫌悪は完全に固定されているわけではないと言います。ラット、甲虫、イヌを食べるところを想像しただけで、ブルームは吐きそうになるようですが、こうした食べ物を頬が落ちるほどうまいと考える文化で育った人もいます。なんらかの学習が行なわれるに違いないと考えます。その結論は、嫌悪・悪い食べ物説と合致します。

人は、ロジンが「雑食動物のジレンマ」と名付けた行動をとります。それは、私たちは実にさまざまな種類の食べ物を口にしますが、その中には命に危険を及ぼす恐れのあるものもあります。そこで、ある特定の場所の環境で、何が食べられて、何が食べられないかを学習しなくてはなりません。この学習の過程では、食べ物、特に肉は、無害であることが証明されるまでクロだったのです。私たちは誰からもドブネズミの唐揚げは気持ち悪いと教わらなかったですが、ドブネズミの唐揚げが気持ち悪いと知っています。食べ物の好みが決定される幼少の臨界期に、周りにいた人が誰もドブネズミの唐揚げを食べていなかったからだと彼は言います。

トイレトレーニング” への14件のコメント

  1. 「嫌悪は学習されるのではなく、むしろ、赤ちゃんが発達のある段階に達すると自然に生じると言うのです」とありました。嫌悪は成長していくにつれて抱いてくるものであるのですね。また、嫌悪は悪い食べ物にもつながっていくのですね。変わった食べ物、普段食べないような物を食べるというのはリスクがあることですし、危険が及ぶこともありそうです。それに反応するために嫌悪という感情があるとするならばそれは生存戦略でもあるのでしょうか。「胎児が毒に敏感な時期に、とりわけ嫌悪を感じやすくなるそうです」ということも胎児を守ろうとする人間の本能のようですね。しかし、嫌悪は完全に固定されているわけではないということからも学習によって嫌悪の対象が決まってくるということを感じますね。「食べ物の好みが決定される幼少の臨界期…」ともありましたが、その時期までに出会う環境がやはり子どもには影響しているということを感じます。

  2. トイレトレーニングに対する新しい知識を知ることができました。つまり、子ども自らに排泄に関する「嫌悪」を抱いていない時期というのは、トイレトレーニング自体をすることは、実に効果的ではないということが伝わってきました。その自然的な現象でもある嫌悪に対する芽生えを待つことが重要であり、無理やりその芽生えを生み出すことは、逆に子どもたちを苦しめることにつながってしまうということのようですね。また、嫌悪と味覚の関連では、直接的に体感することができるように、始めて食べるものに対して慎重になっていた人類の祖先にとっては、「嫌悪」は隣り合わせであった気がします。その遺伝子が、私たちにも残っていると考えると、本当に面白いですね。

  3. 確かに、嫌悪を早い時期から感じれてしまっては、自身の体からでる排泄物に対して、嫌悪を感じてもどうすることもできませんね。”赤ちゃんが発達のある段階に達すると自然に生じる”とあることは、赤ちゃんが嫌悪に対して感じ、向き合うことに対応できる術など、自身で解決する方法ができるようになってきたからなのでしょうか。よく、テレビ番組などで、虫を食べるとなり口の中へ入れたあとに嗚咽し、吐き出そうとする姿が見られたり、また、見た目として、目の前に並べられただけで嫌悪を感じ、口をあけ、吐きそうな表情をしている姿がありました。”何に嫌悪を感じるかは個人差が大きいのですから、嫌悪は完全に固定されているわけではない”とあることから、この嫌悪を感じるようになるのには、多様な経験のなかで、生活し、相手の表情を見たりする場面、環境が嫌悪感をこの個人差というもともとは持っているものを表に出すのかという部分がつながりました。人は想像し、赤ちゃんの頃は相手と自分の区別がない、自分のことのように感じることから嫌悪感を感じる、そして、それは、環境が重要になることがわかりました。。

  4. 〝嫌悪の芽生える時期が早すぎると、赤ちゃんは自分のうんちに絶えず嫌悪を感じながらも、自分ではどうすることもできない〟ということで、ある時期から自分の便に嫌悪を抱くようになるということで、その発達段階に達していない時期に「トイレトレーニング」をするということは、意味がないものになってしまうということなんでしょうね。
    その発達段階に達するのを待っておけば、自然と自分から排泄に関して興味を持ちはじめ、トイレで排泄を行えるようになるということが言え、無理矢理それを行なってしまうと、その子に無駄な嫌悪感を抱かせてしまい、その嫌悪感に悩ませてしまうことになってしまうということなんでしょうか。
    食べ物に関しても〝何が食べられて、何が食べられないかを学習しなくてはなりません〟とあるように初めて食べるものには、いくら安全が保証されていても慎重になり、食べれると分かるとホッとするものですね。例えば、キノコは図鑑で見てみると食べられないものと食べられるものの違いが分かりづらいもので、初めはどっちなのか分からずに食べてみて、判断していたのかと思うと、危険を冒してきたからこそ今があるんだなと感じました。

  5. 嫌悪感の獲得は後天的かと思っていましたが、そうではないのですね。「赤ちゃんが発達のある段階に達すると自然に生じる」感覚ということがわかりました。そして、ラテン語で「悪い味」を意味しているという説、そしてその説に関する5つの根拠はどれもうなづけるものです。「四つ目の根拠」などは特に参考になりましたね。いわゆる「つわり」時期について、この時期は赤ちゃんが毒に敏感になる時期、という考え方を持つと、「つわり」に関してポジティブな見解を持てるような気もします。赤ちゃんが自らの生存を保持する力を身に着けている時期なのだと。人間は確かに「雑食動物」ですね。そして「雑食動物のジレンマ」、この言い方もおもしろい。「ある特定の場所の環境で、何が食べられて、何が食べられないかを学習」する。先日富山にお邪魔して「げんげ」という深海魚を頂きました。料理されるとその元の姿がわかりませんが、ネットでその写真を見るとちょっとグロテスクですね。最初に食べた人はすごいなと単純に感心したのでした。それから、キノコやふぐも種類や部位を食べると私たちが死んでしまう場合もあるようです。「雑食動物のジレンマ」、妙に頭に残ります。

  6. 今回のタイトルにある「トイレトレーニング」は保護者の方々からよく相談を受ける内容の1つです。トイレトレーニングは子どものやる気や意思が出てからと考えていましたが、大人の危機感からどうしても子どもの意思より早めに動いてしまう保護者の方々が多いようです。今回の内容に「嫌悪は学習されるのではなく、むしろ、赤ちゃんが発達のある段階に達すると自然に生じる」とあったように、自然に生じるときがやる気や意思の芽生えとしてあらわれるように感じました。この点も相談を受けた際にお伝えしていけたらと思いました。
    嫌悪と食べ物の関係性では「食べ物の好みが決定される幼少の臨界期」における周り、環境がとても影響を及ぼすことがわかりました。「三つ子の魂百まで」という言葉もこれに関係しているように思えました。

  7. 「 嫌悪は学習されるのではなく、むしろ、赤ちゃんが発達のある段階に達すると自然に生じる」というのはなんだかすっと頭に入ってくる印象です。このことから無理やりその発達段階ではないときにトイレトレーニングをすることは無意味であることがわかりますし、その段階を見極めなければいけないですね。そして、その嫌悪というのを表現するときの「 嫌悪に特徴的な顔の表情は、臭いを嗅ぐまい、口に入れるまい、すでに口に入れたものを、舌を使ってはき出そうとする行為に似ている」こととあり、悪い食べ物を回避させれることへと繋がるのは納得がいきますね。食べ物によって嫌悪を感じない社会の違いがありますが、嫌悪を感じるまでの環境がその子の嫌悪感に大きく影響することがわかりました。

  8.  〝嫌悪は学習されるのではなく、むしろ、赤ちゃんが発達のある段階に達すると自然に生じる〟〝嫌悪は、悪い食べ物を回避させるために進化したという説〟とても勉強になりました。人間に不必要な機能、本能的な行動の中に無意味なことなどはないのだということを感じます。所以があり、それが紐解かれていくことを読むのはとっても面白いです。藤森先生のブログを読んでいるととても肯定的な気持ちになれるのは、この度のブログを全て読んだ後に、〝嫌悪〟というものを理解し、〝嫌悪〟というものに抱いていた概念が変わるからだと思います。目標を達成した時、欲しかった物が手に入った時、自分の手元にそれが落とし込まれた時、夢が覚め、現実味を帯びてそれを見つめる瞬間がやってきます。〝嫌悪〟という言葉自体をよくわからずに嫌悪していた時と違い、今こうして肯定的に捉えられるようになりました。

  9. 嫌悪は、悪い食べ物を回避させるために進化したという説だそうです。この説はなんだか腑に落ちました。確かにこの説の根拠を一つ一つ読んでいくと様々な場面で経験があります。例えば人によって食べ物の好き嫌いがあるので、ブログに書いてあるように何に嫌悪を感じるかは個人差があります。おそらく環境にも影響されるように、その国の文化や日本の中でも地域によっても違ってきます。ただ面白いのは、藤森先生の講演でも味覚が変わってくると言われるように、子どもの頃は苦いものや臭いもの、それこそ嫌悪を感じる物は食べませんでしたが、大人になると好んで食べるようになります。目の前で美味しそうに食べている人を見ることで味覚が変わるという先生の説があります。ただ人類が今まで生き延びてきたという点からみると、おそらく苦いもの、臭いもの、刺激があるもの、人体に何らかの影響を与え、嫌悪感を感じる物は避けてきたのかもしれません。しかし人類の好奇心、探究心という点や国の違い、さらに火を使用する事から食べられる物の幅が広がり、色々物を食べるようになりましたが、やはり乳幼児期の環境というのは影響が大きいと思います。

  10. なるほど、嫌悪感がおこるのは悪い食べ物を回避させるために進化したという説が有力であるのですね。確かに「嫌悪」されるものとして挙げられるものは「汚いものや臭いもの」つまり「不潔なもの」ですね。また、「気持ちのわるいもの」もあります。すると胸がムカムカしてきたり、吐き気がしたりします。そこには想像上の「味やにおい」が発生しているように思います。本来そのものに実際ふれていなくても、対象物を見るだけで想像し、そのものの匂いや見た目を想像します。それから味などを想像した結果、吐き気などをもよおします。「嫌悪・悪い食べ物説」はとても有力な結果かもしれませんね。ただ、嫌悪というのはなにも食べるだけのものだけではない場合もあります。その場合はどうなのでしょうか。

  11. 排泄物に赤ちゃんの頃から嫌悪感を感じてしまっていたら、自分の排泄物が体内にあるだけでも嫌になってしまいますね。
    「おえっ!」という表現は必ず口からします。食べ物だけでなく、嫌なもの、嫌な体験を想像するだけでも吐き気を感じてしまうこともあります。食べ物を体内に取り込む、嫌な体験をからだで感じる、自分の中に何かを吸収しようとすると反応してしまうのでしょうか。それでも一人ひとり違ったレベルでの嫌悪感がありますが、育った環境の影響が大きいのか、それとも遺伝子レベルでの影響が大きいのでしょうか?

  12. 実際に「おえっ」という嫌悪の顔してみると本当に何かを吐き出す顔や、においをかがないようにしている顔になり、新しい発見をしたような気持になりました。「トイレトレーニング」についても、嫌悪とこのようにつながってくるとは驚きです。保育の中でうまく使っていこうと思うのですが、人に伝えていくときは、まずは少し難しい嫌悪の説明からですね。子どもたちの臨界期までにどんな環境を作っていけるのか。よく考えていきたいと思います。

  13. 「嫌悪は学習されるのではなく、むしろ、赤ちゃんが発達のある段階に達すると自然に生じると言うのです」とあり、嫌悪とは成長していくにつれ抱くようになることが分かりました。「嫌悪の芽生える時期が早すぎると、赤ちゃんは自分のうんちに絶えず嫌悪を感じながらも、自分ではどうすることもできないからです」という言葉を聞くと、トイレトレーニングを始めるタイミングは子どもが嫌悪を感じているということが前提になってくるように思いました。子どもに嫌悪を押し付けるのではなく、自然と嫌悪が芽生えるのを待ってあげるのが大切だと感じました。

  14. 「嫌悪の芽生える時期が早すぎると、赤ちゃんは自分のうんちに絶えず嫌悪を感じながらも、自分ではどうすることもできないからです」とありました。早すぎるトイレトレーニングによってはこのような弊害を引き起こしてしまう可能性もあるということですね。排泄に対する嫌悪が自然に生じる時期やタイミングを大切にし、無理強いをさせないことが必要ですね。
    嫌悪が排泄を始め、生きて行くために必要な食に対しても関係があり、その必要性を感じるのですが、それがに人対して抱く嫌悪と同質のものということに考えさせられてしまいます。人が様々な環境に適応して生き抜くためにはこの嫌悪という感情はなくてはならないものであると思いますが、それが人に向けられてしまう意味はどこにあるのか、正直、また分からなくなってきました。

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