公共財ゲーム

罰への衝動を調べることのできる「公共財ゲーム」と呼ばれるものがあります。このゲームでは、「より大きな善」のために人がどのくらい犠牲を払うかを調べられるそうです。ゲームに参加するのは4人で、互いの情報は何もありません。最初に参加者はそれぞれ20ドルを受け取ります。ゲームは何回か連続して行われます。各回のはじめに、参加者はお金を中央に起きます。このお金は2倍に増やされ、参加者に均等に分配されます。各回ごとに、参加者は自分の所持金が現在いくらで、他の参加者が何をしたかを報告されます。すると、次のような展開が考えられます。一つ目は、誰も中央にお金を置かない場合です。それは、全員が所持金の20ドルを取っておくというものです。二つ目は、全員が所持金を全額出す場合です。すると掛け金の80ドルは2倍に増やされ、それを4等分に分配されるので、一人当たり40ドルずつ手に入れることができます。

三つ目は、一人の人はお金を出さないでのですが、他の3人はお金を中央に起きます。すると、掛け金の60ドルは120ドルになります。それを4等分するので、一人当たり30ドルになりますが、最初に出さなかった人は、50ドルになります。四つ目の方法は、一人だけがお金を出しますが、他の3人は出しません。すると、掛け金の20ドルは40ドルになり、それを4等分するので、1人当たり10ドルずつ分配します。すると、最初に出した人だけが10ドルで、他の人の手元には30ドルになります。

こうして見てくると、全体として最善の策は、二つ目の方法である全員がお金を出すというものです。これを何回か繰り返すわけですから、全員が毎回2倍に増えていくことになります。しかし、3番目の方法である、お金を出さなければ、その人はもっと利益が得られることになります。例えば、他の3人がお金を出せば所持金は50ドルになりますし、もしほかの人がお金を出さなくても20ドルはあるわけですから損はしません。

この計算は、そっくりそのまま日常の状況にあてはめられると言います。つまり、不愉快で、時間のかかる活動に携われば、全員の利益につながりますが、利己的な人間は、ふんぞり返って、自分は代償を払わずにうまい汁を吸います。たとえば、私は、国民が税金を納めて、それによって、自分が、道路や消防署、警察などの恩恵に預かれる社会を望みます。しかし、利己的に考えれば、最も好ましいのは、自分以外の全員が税金を納める社会ということになります。同じ理屈が、リサイクル、選挙の投票、町内会のパーティの企画、兵役などにも当てはまるとブルームは言います。

彼は、大学時代のルームメイトが置かれた同じような状況を思い出しています。彼らは、家の掃除について、次のような選択を迫られていました。一つ目の選択は、誰も何もしないという選択です。アパートは汚れますが、誰も何もしなくてもいいです。彼らは、全員ちょっぴり不幸です。二つ目の選択は、みんなで掃除をするです。アパートは清潔です。彼らは、全員が少しずつ分担して作業します。全体としてみれば、これが最良の方法に見えます。三つ目の選択は、私は何もしません。そして、他の全員が掃除をします。私にとって最良の解決策です。私は清潔なアパートに住んで、何もしません。四つ目の選択は、私が掃除をしますが、他の人は何もしない場合です。清潔なアパートには住めますが、他の人たちよりずっとたくさん働かなくてはならないので、私はみじめです。

こんな状況は、人類の進化の中で何度も起きてきたことでしょう。その時に、どんな選択をしてきたのでしょうか?

公共財ゲーム” への15件のコメント

  1. 少々頭を使う「公共財ゲーム」ですが、実社会においてもその状況は存在するということで、集団への信頼感や自分や相手への忠誠心、または危険を察知する能力への働きかけなど、人としての多くの面が表出するゲームであるようにも感じました。それも、普段生活を共にしている集団と、そうでない集団とでは結果も変わってくるでしょうね。そのような状況下で、人類は「どんな選択をしてきたのでしょうか?」とありましたが、一人で甘い蜜を吸おうとする人と共生してきたとは想像できませんが、そのような人でさえ、時として社会に必要とさせる瞬間があるのかもとも思ってしまいます。最後のアパートの例では、自分は何もしていないという後ろめたさを感じるのか感じないのかにもよりますね。人類は、それをどのように感じてきたのでしょうね。

  2. 一番、高いお金を獲得できる人がいるのは三つ目のやり方ですが、多くの人が選択するのは全員がお金を出して、2倍にするという方法なのかなと思いました。私もきっとそうするだろうなと思ったのですが、しかし、そういった人ばかりではないのかなということも感じました。自分の考え方だけで見てしまうと他の方法を選択する人はいないだろうと思いがちですが、そんなことはないのかもしれませんね。きっと一番利益の出る方法を選ぶ人もいれば、他の選択肢の方法を選ぶ人も出てくるのかもしれません。そう考えた時に、人は不思議だなと思いました。だいたい自分も自分以外の人も得をするような選択をする人がほとんどなのかもしれませんが、そうではない人もいるということがなんだかこのゲームからも分かるというか、教えてもらえたような気がします。それを受け入れるということも大切なのでしょうか?

  3. 私だけが利益を得るという、利己的な考えにとって、最善とも呼べる形を選んだ人は、その後の他者との関係をどのように気づいていくのだろうという、疑問が浮かび上がりますし、やはり、2番目の選択である全員が持ち金を出し合い倍以上の報酬を得るという形が全員にとって最善の利益を得ることができますが、これには、初めてあった人、また、これからも会わないであろう関係の人では、利他的精神になれず、見ず知らずの相手を信じて、自身が全額だすというある意味でハイリスクなものは選択できないような気がしました。また、一人だけ、利益を得てしまうものは、その後につもり積もったものがのし掛かるといったかえって不幸になるといったアリとキリギリスのキリギリスのような状況下に陥ると思います。そのときは、目先の幸せを最優先に考えるような利己性を全面に出し、欲求や欲望が先を見通せなかったことで無惨な結果になってしまうと思いました。このような条件を人類は経験するなかで何を得てきたのか、考え深いですね。

  4. こもゲームは面白そうですが、なんだか勝ちに行くと、その人の性格の良し悪しが出そうなデームです。おそらく全員が知っている仲間で、お互いの情報を詳しく知っているのであれば、最善の方法、全員が利益を得られる方法を取りますが、お互いに全く知らない同士だと、どういう展開になるのか分かりませんね。個人的な考えでは、やはりそれまでの育ちによってゲームの展開が大きく変わるようにも思います。利己的な考えが強く、常に自分が勝たないと気が済まない性格の人がゲームに参加すると、確実に自分だけが多くもらえるような選択をすると思いますが、そうではなく他者と協力すること皆が勝つことを好む場合は全員が平等になる選択をすると思います。
    ただ人類の進化の中で見ると、どういう選択をしてきたのかとても気になります。

  5. その人間の本性と言いますか、本質と言いますか、マイナスな面もプラスな面も見えてきそうなゲームですね。
    全員が知らない人であるというのがこのゲームでは、肝の部分にあるのかな、という気がしています。自分が知っている人と、このゲームをする場合はアイコンタクトや何らかのサインによって全員に有益なようにゲームを操作するようにするでしょうけど、知らない相手だとなかなか難しいのではないのでしょうか。
    このゲームを掃除に当てはめてみた例は分かりやすいものですが、実社会でもあるということで、何もせずに利益や恩恵を受けることへの申し訳ない気持ちや、後ろめたい気持ちなどに耐えなければならないと考えると、どっちが最善などれが最善の選択なのか分からなくなりました。
    ですが、その申し訳ない気持ちに耐えられるような人間もまた、世の中に必要な人間なのかもしれないな、と思いました。

  6. 「公共財ゲーム」を日常に置き換えて考えるとより面白いですね。目先の欲など自分が最も利益を得る選択をするか、他者のために自分を省みない選択をするか、もしくはみんなで報酬も罰も同じになるような選択をするかでその人の人間関係の在り方が決まってくると思います。自分が最も利益を得る選択を常に考えている人は、属する集団数も少なく、人間関係の幅が狭くなってしまうのに対し、他の選択では集団にとって重宝される存在で、多くの集団に属し、人間関係の幅も広くなる印象を受けました。ここでも他者の気持ちを考えたり、第三者からどう評価されたいかなどの第三者の目を気にすることがより良い選択につながっていくのかなと感じました。最後の問いかけは、やはり人類の生存戦略としてある「協力」や共感を重視した協調性に特化した選択をしてきたのではないかと思いました。一個人としての喜びよりも一集団としての喜びの方が勝ると考えての選択をしてきたのかなと思いました。

  7. 今回のブログで紹介されている「公共財ゲーム」を知ると、いろいろと考えてしまいますね。理想はお金にしてもお掃除にしても2番目でしょう。現実世界を考えると、たぶん1番目はないような気がします。世界最貧国と言われる国でもパイは小さいかもしれませんが公共財的ことはあるようです。ある社会において人が生存し得るということはパブリックグッズ機能が作用していると考えれるからです。そして、3番目と4番目が割とこの世界の現実?と思われます。もっともこの世界はゲームのように単純にできていないので軽々に申し上げることはできませんが、富める者と貧しい者、持てる者と持たざる者、飢えと貧困に苦しむ地域がある一方、放漫飽食の地域もあるなどこの世の仕組みとは一体どうなっているのだろうと訝しく思われると同時に、だからこそこの世はワクワクドキドキ、スリルに満ち満ちている、とも言えるわけで、飛躍はしますが、今の日本に生まれ育ってきて良かったというのが正直な気持ちです。この恩に報いるのが私たちの務めでしょう。

  8. これまた複雑ですが、おもしろい実験を考えるのですね。普通に考えてやっていたらやはり、2番目の方法を最初は誰もが選びそうですが、そこから人の目を気にする人もいれば利己心が強く3番目の方法を選ぶ人も出てくるのでしょうね。それはそれぞれの置かれている状況にもよるとは思います。基本的には2番目のやり方だと私は思います。生活の中に落とし込むと確かに様々なところで同じ心理が働くのですね。 税金、リサイクル、選挙の投票、町内会のパーティの企画、兵役とあり、そういった状況で人類はどんな選択をとってきたのかというのは非常に気になるところではありますが、人間の深い部分が影響しているようにも思います。2番目の以外を選択する人の心理というのが世の中の仕組みを変え、発展させている可能性もあるのかもしれないと少し思ってしまいますが、どうでしょう。

  9.  〝つまり、不愉快で、時間のかかる活動に携われば、全員の利益につながりますが、利己的な人間は、ふんぞり返って、自分は代償を払わずにうまい汁を吸います。たとえば、私は、国民が税金を納めて、それによって、自分が、道路や消防署、警察などの恩恵に預かれる社会を望みます。しかし、利己的に考えれば、最も好ましいのは、自分以外の全員が税金を納める社会ということになります。〟利己的に考える、ということがこの一例から見てもとても幼く、自己中心的な考え方であることがわかります。自分だけがよければいい、という考え方が幸せに繋がらないのは、幸せは自分以外の他者との関係が大きく関わってくるからだと思います。そのうまい汁が本当にうまい汁なのか、本当の幸せ、幸福はどんな味わいがするものなのか、知らずしてその〝うまい汁〟を吸い続けようとするならば、不幸であるとしか思えません。
     自分も幸せで、みんなも幸せなことを考えた時に、〝不愉快で、時間のかかる活動〟を楽しくやれたら最高だと思ってしまいます。それを徳を積むことだと思い、そういう仕事を積極的にやっていきたいと思いました。

  10. なんとなく仕事に似ていますね。誰か一人だけが定時で帰り、他の職員は残っている・・・。もちろん与えられた仕事をこなす必要もあると思うのですが、全体としての利益を考えた際に、マイナスになっているように感じます。個人としてできることは限られており、私たちはチームとして協力することで個人以上の力を得ることができるのだと思います。しかし、利己的に考える人は今まで沢山いたと思いますが、人類は何を選択してきたのでしょうか?

  11. なるほど、まさに協力することが一番最良の方法ですが、それが利己的か利他的かそのバランスによって意味合いは大きく変わってきます。とても人間の心理が見えてきそうなゲームですね。確かにこういったことは人の歴史の中では数々行われてきたことでしょう。ことわざにもいくつかこういった内容のことを戒めるものがたくさんあります。人の進化や生存競争の中でこういった利己的なものは協力することに対して、非常にマイナスであるように思いますが、人のこういった不安定さや多様性があるからこそ、生存戦略がうまくいったのかもしれません。利己的な選択は人にとって必要な能力でもあるのでしょうか。

  12. 「公共財ゲーム」はその内容をよく知ると現実の社会を思い起こさせるものですね。全員が協力し合うというのがベストな選択肢ですが、そこに対して違った思いを持つ者がいたり、またはやむを得ない事情でそうなってしまったり。ゲームの中においてはお金を増やすというところに焦点があるので、その評価もそこに集中しそうですが、実際の社会においてはお金以外の部分がより複雑ですね。ただ、だれが得をして、誰が損をするかこうしたこともしっかりとわかったうえでの判断というのはとても大切なことだと思います。

  13. 公共財ゲームの選択は様々なケースに当てはめられそうですね。誰もが得をするのは明らかに二つ目の方法だと思うのですが、世の中ではそうでないことの方がが多いように思えます。公の利益を優先するか、それとも個の利益を優先するのか、その選択が社会に全体に与える影響は大きく、それが現在のような格差社会にも通じているようにも思われます。しかし、一概に全てが公平であればいいかと言われればそうではない面もあるように思われ、
    人の持つ利他的な面と利己的な面とがせめぎ合いながら、これまでの人の歴史というものが築かれてきたのではないかと思います。

  14. 今回の「公共財ゲーム」のようなことは私もこれまで経験したことがあります。アパートの掃除もほとんど同じ経験をしました。寮生活だったのですが、集団で生活するとなると、楽をしようというグループが生まれるのは仕方のないことかもしれませんね。そして、初めは真剣に頑張っていた人でも楽をしようと心変わりしてしまうこともあります。その時に、いい集団を築くことはとても難しいことだと実感しました。今回のブログを読んでそんなことを思いだしましたが、最後の文のように、人類はどんな選択をしてきたのか?と次回が気になります。

  15. 公共財ゲームでは、最善の選択肢はみんなお金を出すことだと思いますので、みんなその選択をしないのか不思議です。しかし、そのままその計算を日常の状況に当てはめることができるというのが、あまりいい状況ではない気がしますね。つまり、不愉快で、時間のかかる活動に携われば、全員の利益につながりますが、利己的な人間は、ふんぞり返って、自分は代償を払わずにうまい汁を吸うという状況が、今の日常にあるということですね。
    ブルームさんの、大学時代のルームメイトが置かれた状況とありましたが、掃除というのが、そもそも嫌な仕事と捉える人と、好きな仕事と捉える人で違う結果も出そうですが、そのあたりは考慮する必要なないのですね。

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