自分の外に出てみる

 ミシェルは、こんなことを言っています。「自制のための最善の計画を立てても、怒り、不安、拒絶される苦痛などのネガティブな情動は、人生にはつきものだ。」自分の人生を振り返ってみても、大なり小なり、そんなことは誰にでも思いあたります。ミシェルも、こんな例を出しています。長年信頼しあって生活を築いてきた挙げ句、パートナーや配偶者から拒絶された人たちの、胸の張り裂けそうな悲しみを考えてみようと提案しています。そのような心痛を味わった多くの人たちは、そのつらい経験の記憶を繰り返し蘇らせては、あらためて悲しみや怒りや恨みをあおり、さらなる深みへと落ち込み続けます。ストレスが増すにつれ、ホットシステムはなおさら優勢になり、クールシステムを不活性化し、悪循環を引き起こします。「ストレスの増大ホットシステムの優勢ネガティブな情動長期的な苦悩憂鬱の深まりコントロールの喪失慢性的なストレス心理的にも生物学的にもさらに有害な結果ストレスの増大」というサイクルに陥ってしまいます。

 この窮地を脱するには、自分や世の中に対していつもとっている自分の目を通してではなく、壁に止まったハエになったつもりで、まるで第三者に起こっていることを遠くから観察しているかのように眺めるといいと、ミシェルは提案しています。こうして視点を変えると、自分の経験の評価や理解の仕方も変わります。問題の出来事から心理的に遠ざかることによって、ストレスを減らし、ホットシステムを「冷却」します。さらに、前頭前皮質を働かせて出来事を再評価し、起こったことの意味を理解したり、心の整理をしたりすれば、先に進めるようになるというのです。

 この変化を可能にするメカニズムについてはまだ研究途上のようですが、自己没頭を脱して自分と距離を置くようになれば、心理的な苦痛と生物学的な苦痛が和らぎ、また、自分の思考や感情を再びうまくコントロールできるようになるとミシェルは言います。ですから、壁に止まったハエになったつもりで注意深く観察するという頭の体操は、やってみる価値があると提案します。そんなときに、一人でやるのは簡単ではないものの、認知行動療法では、ミシェルらの研究や、彼が紹介した研究による原理や研究成果の多くを使い、とりわけ厄介な問題を抱えている人にも手を差し伸べることができると言うのです。

 この種のセラピーは、ミシェルが消化した短編「橋の上の天使」に見られるように、自制の努力がうまくいかないときには、特に有益だというのです。自動的に活性化され、不安を掻き立てるような強力な結びつきが、ホットシステムによって形作られたとき、人はパニックに陥り、なすすべがなくなると言います。助けが得られなければ、こうしたネガティブな結びつきには、自制のための最善の努力でさえ、自分にとっての、橋の上の天使に運良く出会わないかぎりは、歯が立たないというのです。

 ミシェルは、学校などでの講演の最後には、必ず「自制はあらかじめ完全に組み込まれていることなど、断じてない。」と強調して締めくくるそうです。すると、必ずこんな質問が出たそうです。「子どものために何をしてやれるでしょうか?」そんなときには、十分に時間があれば彼は、「子どもがおなかにいるあいだと、生まれてからの数年間は、ストレスレベルを低くしておくことが、とくに重要だ。」と説明するそうです。