実行機能と想像力

未就学児は、マシュマロ実験や、母親が部屋を出て行ってしまうテストのようなホットシステムにかかわる課題に直面したとき、実行機能を必要とします。しかし、見たところクールな課題にも実行機能が必要な場合があるようです。たとえば、学校で算数を学ぶといった一見クールな課題も、失敗を恐れる気持ちや、うまく出来ないのではないかという不安が、ホットシステムを活性化させます。その一方で、クールシステムを弱めたときには、ホットなものにあっさり変わり、ストレスを増し、学習を妨げかねないと言います。

また、ある人にとっては、ホットな課題も、別の人にはクールな課題となることもあります。ある種の課題には、優れた実行機能を持っていながら、別の種類の課題はもっと難しく感じる人もいると言われています。たとえば、教室という場面では、優秀なのに、対人関係でホットな情動を引き起こされたときには、手の付けられないかんしゃく持ちに変わる子どももいるようです。それとは逆のパターンを示す人もいて、こういう人は対人関係ではクールなのですが、集中力や的を絞った努力が必要とされる学校という場面では、ストレスを覚え、認知的なコントロールが出来ないのです。

就学前に実行機能を十分発達させる子どもは、ホットな本能的誘惑が引き起こすストレスや葛藤に対処しやすいようです。それと同じスキルが、読み書き計算を習うときにも日頃から役に立つそうです。逆に、実行機能が十分発達していない未就学児は、学校時代を通して、ADHDをはじめ、さまざまな学習上の問題や情動的問題に直面する危険が高まると言われています。しかも、ミシェルによると、最近は、残念ながらこのような未就学児が多すぎるようです。

実行機能は、私たちに、自分の志向や感情を認知的にコントロールすることを求めますので、創造的なプロセスや想像力に富んだプロセスの正反対と思われやすいようです。しかし、実際には、幼い頃の「ごっこ遊び」を含め、想像力と創造活動の発達に不可欠なもののようです。実行機能のおかげで、私たちは目の前の状況や「今、ここ」という世界から抜け出して、現実の枠を超えて考えたり空想したり、不可能なことを想像できたりできます。そして、実行機能は、想像を容易にすることで、柔軟で適応性のある自制心の発達を促します。実行機能は、他者の心や感情を理解する能力とも強く結びついており、子どもが、触れ合う相手の意図を推測したり、反応を予測したりするための、いわゆる「心の理論」を発達させるのを助けるということが分っています。

私は、20101128日のブログで、はじめて「心の理論」について書きました。そこでは、「心の理論」とは、「洗練されたミラーニューロンによって、ある行動の予測をするという仮想現実のシュミュレーションを行うことができ、極めて社会的な生活を送れるようになります。ということは、人間が社会を構成することができる生き物であるということは、他人の心を推し量れる能力があるということであり、逆にそのような力が備わっていないと社会は構成しにくくなるということのようです。この能力は“心の理論”と呼ばれ、ヒトしか洗練されていないようです。」と説明しています。実行機能が、この「心の理論」を発達させるのを助けるということから、なんだか結びついた気がしました。

さらに、ミシェルは、「私たちの心の理論は、ジャコモ・リゾラッティがサルで発見したミラーニューロンに関係しているかもしれない。」と言っています。ミラーニューロンに言及しています。

冷却するスキル

さまざまな事例から、ミシェルはマショマロを食べるのを首尾よく待てた子は、それぞれ独自のやり方で自制しましたが、実行機能の三つの特徴を共有していたことがわかりました。第1に、自分が選んだ目的とそれに付随する条件、たとえば、もし一つ食べたら、後で二つもらえないといったようなことを記憶し、絶えず頭に浮かべておくこと。そして、第2に、目的に向かってどれだけ進んでいるかを確認し、目的志向の思考と、誘惑をやわらげるテクニックとのあいだで、注意と認知作用のスイッチを柔軟に入れ替えて、必要な修正を行なうことでした。第3に、目的を達するのを妨げるような、衝動的な反応、たとえば、誘惑のもとがどれほど魅力的かを考えたり、手を伸ばしてそれに触れようとしたりすることを抑え込むことです。

今や、認知科学者は、誘惑に逆らおうとしている人をfMRIスキャナーにかけ、人間のこうした驚くべき偉業を可能にする前頭前皮質の注意コントロール・ネットワークを可視化し、これらの三つのプロセスが脳の中で展開するのを目にすることができるようです。

計画立案、問題解決、柔軟な思考を可能にしてくれる実行機能は、言語を使った論理的思考や学業での成功に欠かせないのです。実行機能がよく発達している子どもは、目標を追求するときに、衝動的な反応を抑え込み、指示を念頭にとどめ、注意をコントロールできると考えられています。こういう子どもが、実行機能が未熟な同輩よりも、未就学段階で算数や言語、識字のテストで良い成績を収めるのは、驚くまでもないとミシェルは言います。

実行機能が発達するのに歩調を合わせるように、こうしたスキルを可能にする主に前頭前皮質にある脳の領域も発達することが分かっています。マイケル・ボズナーとメアリー・ロスバーは、2006年に、実行機能に関わる神経回路は、発育中の子どものホットシステムにおいて、ストレスや脅威への反応を調節し、より原始的な脳構造と密接に相互接続しているということを示しました。

これらの緊密な神経の相互接続があるため、脅威やストレスに長期的にさらされると、しっかりした実行機能が発達する妨げとなるようです。ホットシステムが主導権を握ると、クールシステムに支障が出て、子どももうまく機能できません。しかし、逆に、実行機能が順調に発達すると、ネガティブな情動を調整したり、ストレスを和らげたりしやすくなると言います。

実行機能がはなはだしく損なわれると、私たちの将来は限られてしまうと言います。実行機能がなければ、情動を適切にコントロールすることも、邪魔となる衝動的な反応を抑え込むことも不可能になってしまいます。子どもは、マシュマロ以外の誘惑にも抵抗します。たとえば、新しい服に、別の子が誤ってジュースをこぼしてしまったとき、その子を叩いたりしないようにしなければならないためには、実行機能を必要とするのです。実行機能が欠けている子どもは、指示に従うのに苦労し、大人とも同輩とも攻撃的な衝突を起こしがちなので、学校で問題に陥りやすいのです。

しかし、攻撃的に感情を爆発させる傾向のある子どもでさえ、自分の気をそらして自らを「冷却」することができれば、極端に攻撃的ではなくなるというのです。そのようなスキルがあれば、欲求充足を先延ばしにするだけでなく、怒りや、ホットでネガティブな衝動をコントロールする上でも役に立つというのです。

これらの検証は、もしかしたら、園などで多い「ひっかき・かみつき」への対処の仕方のヒントがあるかもしれません。子どもたちに、自分の気をそらして、自らを「冷却」するスキルを付けることができたら、いいのかもしれません。

実行機能

 ここ数十年間で、特に社会認知神経科学や遺伝学、発達科学の分野の新しい発見がありました。そのおかげで、心や脳がどう機能するかを解明する糸口がつかめたようです。そして、その過程で、「自制や認知的再評価や情動の調整は、私たちが何者かという物語の主役になった」という表現をミシェルはしています。そればかりか、若い哲学者たちは、実験主義者に変わり、人間の本質についての新鮮な考えを、実世界で試し始めたのです。哲学の中で、私たちは何者かという問いをしていたのですが、それだけでなく、何者たりうるかということも実世界で試し始めたのです。

 私たちが主体を持ち、物事をコントロールする力をふるい、情報に基づく選択をすることを可能にする状況やスキルは、およそ無限とは言えないということがわかりました。私たちは、運、不運や、それぞれの社会的・生物学的履歴、現在の環境や人間関係が絡んで選択肢を制限すると考えられています。おおむね、予測不能の世界に生きるため、その侮りがたい制約を、そうした状況やスキルは免れないのです。それでも、自制のスキルを発達させ、クールシステムを、分別を持って柔軟に使い、そのシステムが硬直するのを防ぎ、ホットシステムから快楽や生気を搾り取るのを許さなければ、大きな違いを生み出しうるのです。

 クールシステムを駆動しているのは、前のブログで紹介したように前頭前皮質です。前頭前皮質は、注意をコントロールしたり、想像力を働かせたり、計画を立てたり、考えたりすることを可能にし、そのおかげで問題を解決したり、自制を働かせながら長期的な目標の追求に、一生懸命取り組んだりすることができます。すなわち、人間を人間たらしめている大きな部分です。

 未就学児が、お菓子を手に入れるために待てるのも、それができるからです。それと同じ戦略が、人生を通して効果を発揮します。誘惑がさまざまに形に変えるだけの話だとミシェルは言います。そうした戦略が、なぜ、どのように功を奏し、人生にどんな違いをもたらしうるかが、ミシェルにとって次の課題としています。

 ミシェルによるマシュマロ実験は、その結果だけを見ると様々なことを考えます。そして、この実験の特徴は、その結果の差が、その後の人生にどのように展開していくかを考察したことです。幼い頃にホットな目標を追求する際、自発的に克己心を発揮する能力が、一生を通して成功し、潜在能力を最大限に活用するのを助けてくれる、強力な利点を、子どもたちにどうやって提供するかは、保育をする私たちには興味があることです。

 自制能力は、良い人生を築くためには不可欠の要素ですが、単独では、機能はしません。成功するには、さらなら後押しが必要となります。ストレスのネガティブな影響から人を守り、育み、伸ばすことの出来る基盤を提供してくれるものが、なんであり、そうした成功の原動力と、それがどう作用するかが課題となります。

 さまざまな事例から、ミシェルはマショマロを食べるのを首尾よく待てた子は、それぞれ独自のやり方で自制しましたが、実行機能の三つの特徴を共有していたことがわかりました。第1に、自分が選んだ目的とそれに付随する条件、たとえば、もし一つ食べたら、後で二つもらえないといったようなことを記憶し、絶えず頭に浮かべておくことだったそうです。

展開の仕方

誘惑に直面したときに、自制心を働かせられるようにする心のメカニズムは、悲嘆や対人関係で拒絶されたときの痛手など、不快な情動を調整したり、「冷却」したりする上でも不可欠の役割を果たします。それは、バラ色のめがねを通して、自分を眺めさせてくれ、鬱を寄せ付けないと言われています。このめがねを外すと、鬱になる危険性が高まってしまいますが、逆に、四六時中かけていると、錯覚に基づいた楽観に陥り、やたらに危険を冒す羽目になります。しかし、クールシステムを使い、バラ色のめがねが起こすゆがみを監視して正せば、傲慢にならずに済み、自信過剰がもたらす危難の一部を避けられるかもしれないと言います。

私たちは、心理的な免疫系の恩恵にあずかることが出来るというのです。この免疫系は、私たちが、ひどい気分になるのを防ぎ、自分の人生では自分が主体者であり、力をふるっているという感覚を育み、楽観的な見通しを持つことを可能にして、それによりストレスを減らし、心身の健康を維持するのだとミシェルは言います。このことは、保育をやる上でも、とても参考になります。保育の中でも、このクールシステムが効果的に機能するような環境を考えていかなければなりません。以前のブログでも書きましたが、どうもホットシステムに対してばかり気を使ってきたような気がします。ミシェルは、そのために次の課題の一つとして、これらのプロセスが、どう展開するのかや、クールシステムによって、どのようにそれを利用し、人生をいっそう良いものに出来るかを考察しています。

ミシェルによると、西洋では、人の特質や本質を考えるとき、自制や、欲求充足を先延ばしにする能力は、個人の一貫した特徴であり、さまざまな場面や状況で行動に反映されるというのが、昔から前提になっていたそうです。ですから、有名な指導者や芸能人、社会の柱石の人生の隠れた一面が暴かれ、判断と自制のとんでもない誤りと思える行状が明らかになるたびに、マスメディアは大きな衝撃と驚きを示していると言います。確かに、最近日本でもマスメディアではおおいに賑わせています。そのニュースを聞くたびに、自制心が弱いのだなあと思います。それは、EQ力でもあると言われています。その力の説明に、「衝動をコントロールし、快楽を我慢できる能力」とあります。このEQ力に優れていることが、社会で成功すると言われているわけですから、逆に社会で成功している人たちは、これらの力に優れているのではないかと思えます。多くの状況で、マシュマロを手に入れるのを待ち、欲求充足を先延ばしにできてしかるべきで、そうでなければ、そもそもそこまで成功を収められたはずはないと考えます。

しかし、それなのになぜ、菓子恋うはずの人々に足下にすくわれるのかとミシェルは考えます。それを理解するために、様々なときに、さまざまな状況で、彼らの言葉だけでなく、行動を注意深く眺めようとしました。誠実さや正直さ、攻撃性、社交性といった特性はそれぞれ、一貫した表れ方をするようです。しかし、それは特定の種類の状況下にだけ当てはまる一貫性だそうです。たとえば、Aさんは、職場ではいつも誠実ですが、家庭ではそうではない。Bさんは、親しい友人といるときには温かく愛想が良いのですが、大きなパーティーではそうではない。ある知事は、州の予算を扱っているときには、信頼できますが、魅力的なアシスタントに囲まれているときには、そうではない、といった具合だと言います。

したがって、私たちは、人が将来しそうなことを理解したり、予想したりしたければ、その人がどういう状況で誠実だったり、愛想が良かったりするか、あるいはそうではないかを見てみる必要があるとミシェルは言います。

 

ホットシステムからクールシステムへ

 ミシェルは、マシュマロ実験を踏まえ、次の課題に向かいます。そのためにまず、ホットシステムにもっと注目すべきであると指摘します。もっと、評価すべきであると言うのです。私たちは、ホットシステムに耳を傾け、それから学ばなければいけないと提案します。ホットシステムは、人生を送り甲斐のあるものにする情動や熱意を与えてくれますし、いつでもではないものの、役に立つ自動的な判断や意志決定を可能にしてくれます。

 しかし、このシステムにも難点があるとミシェルは言います。ホットシステムは、直感的には正しく思える判断を苦もなく、たちまち下しますが、その判断は、完全に間違っていることが多いと言います。衝突を避けるのに間に合うように、ブレーキを踏んだり、近くで銃声がしたときに、身を守るために屈み込んだりさせて、命を救うこともありうるとはいえ、やっかいな状況に陥れる場合もあります。暗い路地で、本当は無実でありながら、怪しげに見える人物に向かって、警察官に早まって銃の引き金を引かせたり、愛し合っているカップルを、嫉妬と不信で引き裂いたり、自信過剰の成功者を、衝動的な強欲や、恐れにおあり立てられた意志決定で破滅させたりする危険性があると指摘します。

 ホットシステムは、抗い難い誘惑を、本人の目の前にぶら下げたり、あまりに生々しい恐れを生み出したり、ほんのわずかな情報から固定観念を抱かせたり、あわてて結論や判断を下させたりといった、度を過ごす働きによって、健康や富や幸せの敵となりかねないと言います。そこで、次の課題として、こうした危険性の一部を吟味し、それをコントロールしたり、ことによると、それから何かを学んだりする方法がないかを探ろうというものです。

 自然選択は、ダーウィン説の厳しい世界での生存とヒトのDNAの拡散を可能にするように、ホットシステムを形作ったのですが、進化の過程のずっと後の方で、クールシステムも生み出します。クールシステムは、想像力や共感、先見の明を、ときいは知恵さえももって理性的に振る舞う能力を、人間に与えてくれます。そのおかげで、私たちは、さまざまな出来事や状況、ほかの人々、自分の人生の意味を再評価したり解釈し直したり出来るのです。

 それは、今までの実験、考察から未就学児が立証したように、建設的な選択肢を考えられれば、自分の感じ方や考え、行動が刺激や人生の出来事から受ける影響を変えられるということがわかりました。そこに、目的を持って、主体的に行動し、主導権を握り、物事をコントロールする力をふるい、人生がどう展開するかに影響を与える可能性が潜んでいるとミシェルは言うのです。

 誘惑に直面したときに、自制心を働かせられるようにする心のメカニズムは、悲嘆や対人関係で拒絶されたときの痛手など、不快な情動を調整したり、「冷却」したりする上でも不可欠の役割を果たすのです。これらのメカニズムは、心理的な免疫系に支えられています。この免疫系は、巧妙に機能し、ほとんどの時間、自尊心を守り、ストレスを和らげ、たいていの人の気分を良くします。あるいは、少なくとも、悪い気分にはさせません。普通、バラ色のめがねを通して、自分を眺めさせてくれ、鬱を寄せ付けないと言われています。このめがねを外すと、鬱になる危険性が高まってしまいます。

 逆に、四六時中かけていると、錯覚に基づいた楽観に陥り、やたらに危険を冒す羽目になると言います。そんなときには、どうすればよいか、どんなシステムを使うとよいのでしょうか?

実現へ

 ミシェルは、何度も生まれつきか、その後の環境の影響かという点について説明しています。「性格や人格、態度、さらには政治信条をも含め、人間の気質と行動パターンは、遺伝子の複雑な影響を反映しており、人の生涯を通して、遺伝子の発現は環境の多数の決定要因によって決まる。気質は遺伝子の影響と環境の影響が途方もなく複雑なかたちで相互作用して生み出されるということであれば、今はもう、生まれか育ちかという疑問を乗り越えてしかるべき時なのだ。」とまとめています。

 さらに、カリフォルニア大学のダニエラ・コーファーとダーリーン・フランシスが、2011年に、こう結論しました。生まれと育ちの関係に関する最先端の研究成果は、「遺伝子と環境の関係についての暗黙の仮定を覆しつつある。……環境は、以前私たちが遺伝子にしか可能と思っていなかったほどの影響力を揮いうるし……ゲノムは、以前私たちが環境にしか可能と思っていなかったほどの順応性を持ちうる。」

 これらの最近の研究を踏まえると、ミシェルはブラウン氏が息子のジョーについて「馬鹿」か「怠け者」かという問いに対して、半世紀後に答えるとすれば、こう答えるであろうと言います。「ほとんどの傾向は、ある程度まであらかじめ組み込まれているが、柔軟性も持っているので、可塑性があり、変化する潜在能力も備えている。」と言うべきであろうとしています。しかし、その変化を可能にする条件とメカニズムを突き止めるのは容易ではないのです。ですから、ブラウン氏は、この答えには満足しないであろうと言っています。彼のホットシステムは、「馬鹿」か「怠け者」という、一語の答えをただちに聞きたがっているからだとミシェルは言います。生まれと育ちについて知れば知るほど、両者が分け隔てようもなく、互いを形作りあっていることが、なおさらはっきりとしてくると言うのです。

 ウォルター・ミシェルは、昨年の5月に日本で「マシュマロ・テスト  成功する子・しない子」という本を出しました。その第1部では、「先延ばしにする能力自制を可能にする」ということで、未就学児が、どうやって欲求充足を先延ばしにしてのけるかや、自制を可能にするスキルはどうすれば高めたり、延ばしたり出来るかを考察してきました。

 考察の中で、自制の苦労を減らすものの多くはあらかじめ私たちに組み込まれているとはいえ、学習で身につけられることも多いということがわかりました。大きな報酬を得るために、未就学児が待つことを可能にする認知的スキルや情動的スキルは、本人が望む充実した順調な人生を築く可能性を増やせるような、心理的資源を開発したり、態度や対人関係を育んだりする道をつけてあげることが必要なのです。

 ミシェルは、次の課題として、では、それがどんな風に実現するのか、欲求充足を先延ばしにする能力があれば、人は個人的な弱点をより効果的にコントロールしたり、調整したり、ホットな衝動的反応を「冷却」したり、成り行きを予想して考慮に入れたりしやすくなり、その結果、自己を守れることを説明しようとしています。さらに、就学前から残りの人生へという旅路も検討し、その根底にあるもの、すなわち、保育園時代にマシュマロ2個を手に入れるために、子どもたちが待った秒数と、中年期にどんな生活を送っているかとのつながりを分析してみたのです。もし、そのようなつながりが理解できれば、それに基づいて、わが子や自分自身をどうすればもっとうまく助けられるかを学べるのではないかと考えたのです。

遺伝子の発現

 マウスを使って、生まれと育ちの役割について、こんな実験があります。ラットの母親が、ごく幼い子どもに与える刺激が、子どもの成長ぶりを変えるかどうかを調べたものです。ラットのメスは、子どもを産むと、なめたり毛づくろいをしたりしてやりますが、どれだけそれをしてあげるかは、個体ごとに定まっているそうです。他とは大きく異なる傾向があります。ほかの母ラットよりもはるかに頻繁になめたり毛づくろいをするメスがいます。ほかの母親よりもはるかに多くの刺激や愛情を赤ん坊に与える人間の母親がいるのと、ちょうど同じです。この実験からは、運良くこのような母親を持った子ラットは、大きな恩恵を受けることがわかったのです。彼らは、そうでない母親を持った子ラットよりも、認知的課題の成績が良く、強烈なストレスに対する生理的興奮反応が、少なかったのです。

 ニュージーランドの心理学者にジェームズ・R・フリンという人がいます。彼は、アメリカやイギリスなどの先進国全体で、齧歯類ではなく、私たちの種のIQが全般的に上がる傾向にあることを発見しました。世代が進むごとに、IQが大幅に上がっていたのです。問題解決を必要とし、言葉の知識やシンボルに頼らない知能の測定値は、各世代間で平均15ポイントほど上がっているのがわかったのです。その中で、確かなことは、これらの研究が対象としている60年間の変化は、間違っても進化のせいではなく、人々の遺伝的変化に帰することは出来ないと言います。これは、知能のような特徴に対する環境の影響力を裏付けているので、希望がわいてくるとミシェルは言います。たとえ、知能のような特性は遺伝で決まる部分が多いにしても、相当の順応性を持っているということになるのです。ジェームズ・ワトソンは、持って生まれた傾向で、すべてがあらかじめ決まっているわけではない」と結論づけています。

 人間の遺伝子と環境が相互作用するという揺るがし難い証拠は、ニュージーランドで1972年に生まれた1000人あまりの子どもを30年以上にわたって追跡した研究から得られたのです。この研究では、20年を超える年月を経験した、ストレスに満ちた人生の出来事の数が、鬱になる長期的な危険性に影響を与えたかどうかを検証したのです。同時に、脳内のセロトニンの量を変える遺伝子の変異について、実験参加を調べたそうです。すると、やはり遺伝と環境の相互作用が重要で、危険な結果あるいは回復力につながる遺伝子の潜在的な力が発動されるかどうかは、その相互作用で決まることがわかったそうです。遺伝的な脆弱性を持ち、なおかつストレスに満ちた経験により多くさらされた場合に、より頻繁に鬱の症状が見られたのです。

 遺伝子は、私たちがどう環境に対処するかに影響を及ぼします。影響は、どの遺伝形質が発現し、どれが無視されるかを左右します。私たちが自分の目標のために何をするかや、どれだけうまく注意をコントロールするかは、私たちが生み出すのに一役買っている環境の一部となり、それが今度は、私たちに影響を与えます。このような相互の影響によって、私たちがどんな人間になるかが決まり、心身の健康から人生の質と長さまでが定まると言われています。

 これは、私は、集団の作用に似たものを感じます。個が集団の一部であり、そして、その集団がまた個に影響を及ぼすのです。それは、個は、生まれつきであるものが基本であり、それが、集団という環境の中で影響を受け、その影響からまた形作られた個が、集団を作っていくのです。

マウスの実験

 家庭では長年、避けられ、駆除されてきた齧歯類は、生まれと育ちの役割に関する実験の対象として人気があるそうです。なぜなら、マウスのゲノムは、驚くほど私たちのゲノムに近いからだそうです。ゲノムとは、遺伝子(gene)と染色体(chromosome)から合成された言葉で、DNAのすべての遺伝情報のことです。ですから、ゲノムと言えば、DNAすべての遺伝情報で、遺伝子とは、DNAの特定の部分です。そのゲノムが、マウスと人間が驚くほど近いというのは不思議な気がします。それは、マウスに限らず、他の齧歯類にも言えることのようです。

 そこで、マウスや他の齧歯類の行動を調べれば、人間を使って試せない、人間の行動についての疑問に答えることが出来るというのです。トーマス・インセルとダーリーン・フランシスの率いるエモリー大学の研究チームが、新しい物が好きで、好奇心を持ちすぐに探索しようとするマウス(BALB)と、臆病なマウス(B6)の二つの系統を使ってそれぞれの行動を観察しました。BALBマウスは、遺伝的に内気になるように交配されており、臆病な行動をとり、ケージの隅に隠れます。それとは大違いなのが、新奇なものを探し求め、比較的大胆になるように遺伝的に交配されているB6マウスです。

 この研究チームは、遺伝的に大胆で、新奇なものを探し求めるマウスが、内気で臆病な母親のいる環境に置かれたときに、どう行動するかをテストしました。すると、臆病な母親のもとで育った遺伝的に大胆なマウスは、遺伝的に内気なマウスに似てきたそうです。ここから、二つの明確な結論が浮かび上がってきました。まず、遺伝的な資質は、行動の重要な決定要素であることだとうことです。しかし、それに劣らず重要なのが、幼い頃の、母親に関連した環境でした。その環境は、遺伝子がどう機能するかに強力な影響を持っているのです。

 また、1958年には、カナディアン・ジャーナル・オブ・サイコロジーという雑誌に発表された実験では、研究者たちは、「迷路が苦手」か「迷路が得意」のどちらかになるように選択的に交配したラットを使って実験をしました。複数世代にわたってこの選択的交配を行なった結果、誕生したラットは迷路を抜けることに関して、得意か苦手のどちらかの性質を見せるようになりました。研究者たちは、このラットを多くの感覚刺激に満ちた、とても活気のある環境か、感覚刺激が事実上まったくない、刺激に乏しく、無味乾燥な環境のどちらかに置いてみました。

 刺激の多い環境に置かれた、迷路の苦手なラットは、大幅に能力が上がったのに対して、感覚刺激に乏しい環境に置かれた、迷路の得意なラットは、成績が大幅に落ちたのです。遺伝的に可能な限り迷路が得意、あるいは、苦手なラットを創り出すために、選択的な交配をすることで生み出された認知的能力の発現を、環境が劇的に変えたのです。これは、遺伝子の振る舞いは、遺伝子が機能している環境に依存していることを立証した最初の実験の一つだと言われているそうです。

 このことが、実際に人間にも言えるかどうかは、微妙なところですが、母親その他の保育者がどれだけ子どもを養育するかには、大きな違いがありますが、人間を対象に実験を行なって、こうした影響を操作したり、対照条件を設定したりするわけにはいかないのです。これは、以前、ブログでも紹介しましたが、こんな実験も、ミシェルは紹介しています。

自己調整

誕生後の1年間に、前頭前皮質は、自制と自発的変化に不可欠なかたちで発達を始めます。そして、おおむね3歳から7歳のあいだに、この発達のおかげで、子どもたちは、目標をより効果的に追求するために、注意を移したり、集中したり、情動を適応性のあるかたちで調整したり、望ましくない反応を抑制したりする能力を次第に高めていきます。幼少期における脳機能の発達を示したこんなグラフがあります。出展 : Graph developed by Council for Early Child Development (ref : Nosh,1997;Early Years Study,1999;Shonkoff,2000)出展 : Graph developed by Council for Early Child Development (ref : Nosh,1997;Early Years Study,1999;Shonkoff,2000)

 その中で一番早く発達のピークを迎えるものが、emotional controlとあります。まさに、感情をコントロールする力である自己抑制力の発達を表わしているのです。

こうした変化によって、子どもは年齢が上がるにつれ、自分の感情や反応を調整したり、あらかじめ組み込まれているもののなすがままにならずに、その現われ方を修正したりし始められるというのです。持って生まれた傾向の発現の仕方を変えるように自己調整するこの能力は、内気さの研究の第1人者で、ハーバード大学の発達心理学者であるジェローム・ケーガンは、こんな逸話を紹介しています。

 彼の孫娘が保育園児で、内気さを克服しようと奮闘していたときに、彼女は内気にならない練習が出来るように、自分のことを知らないふりをしてくれとケーガンに頼んだそうです。そして、やがてそれが功を奏しました。ケーガンが以前に行なった研究から明らかになっていたとおり、内気さのような傾向は遺伝的ルーツを持っているものの、変えることが出来るというものです。就学前に良い経験を重ね、保護者が自分を律して過保護にならないようにできれば、内気な子どもがあまり引っ込み思案でなくなるのを助けられるというのです。ケーガンの孫娘は、内気さの研究の権威に、子ども自身が自らの発育における積極的な主体者となって、さまざまな戦略を使い、人生で自分の気質がどう発現するかを、変えうることを示したのです。

 この研究からも大切なことが見えてきます。子どもは、生まれながら持っている気質を、年齢が上がるにつれ、自分の感情や反応を調整したり、あらかじめ組み込まれているもののなすがままにならずに、その現われ方を修正したりしていきます。この持って生まれた傾向の発現の仕方を変えるように自己調整するこの能力は、大人が自分を律し、過保護にならないようにする必要があり、子ども自身が、自らの発育における積極的な主体となることが必要なようです。それによって、生まれつきだとあきらめずに、望ましい気質が発現するようにできるのです。

 いろいろな研究に、人間を実験に使うことはできませんので、さまざまな動物を使います。その多くは、人類に近いと言われている霊長類です。しかし、人間に近い分だけ、体を酷使するような実験はできません。そこで、そのときにはマウスを使います。マウスというと、なんだか実験を思い出しますが、先日、職員のあいだで、ちょうど「ネズミ」について話をしました。私が子どもだった頃は、住んでいたのは下町でしたが、身の回りにネズミがたくさんいました。朝起きると、前の日に掛けたネズミ取りにかかったネズミを始末することろから始まりました。このように、ねずみは、家庭では長い間、避けられ、駆除されてきました。しかし、なんと、このマウスは、生まれと育ちの役割に関する実験の対象として人気があるそうです。

環境の影響

 本当に、シャンペーンが言うように、何かその子に特質や気質が見えたときに、それは生まれつきなのか、その後の環境のせいなのかということだけにとらわれて、現在のその姿にどのように向き合っていけばいいのかを後回しにするのは、やめた方がいいかもしれません。どちらの影響にしても、だからといって、どうにもなるものではないからです。また、現在もなんらかの影響を受けていることも、考えないといけないからです。

ミシェルも、最終的には、あらゆる生物学的プロセスが、社会的・心理的環境を含む、その時々の状況の影響を受けていると言っています。さらに、母乳や、食べたブロッコリーあるいはベーコン、服用した薬、吸収した毒素から、一生のうちに経験した社会的な相互作用やストレス、勝利、敗北、気分の高揚や落ち込みまで、環境はありとあらゆるものを含んでいると言います。

 しかし、その中で最も大切なことをミシェルは言っています。それは、環境が最も大きな影響力をふるうのは、人生の初期であるということです。たとえば、子どもは子宮の中にいるときすでに、親しいパートナーからの暴力にさらされた母親が経験するストレスを、伝え受けることがあり、人生のずっと後になってからでさえ、行動上の深刻な問題を起こしやすくなることがわかっているのです。子ども時代に受けたストレスは、多くの子どもで、遺伝子の発現に影響を与え、免疫反応や、ストレス反応の高まりを特徴とする防御反応を引き起こす傾向があることもわかっています。これらの研究成果は、赤ん坊の脳細胞の環境が、母胎環境におおいに影響を受けていることを示しているのです。

 さらに、最近の研究では、驚くことに、環境の影響は、受胎に先行することすらありうるということです。その考え方は、遺伝に関する従来の考え方とは相容れない者だそうですが、最近の証拠からは、細胞の非ゲノム的な特徴の一部が、遺伝することが窺われるようです。これは、分子のレベルでは、社会的・物理的環境が引き起こしたこれらの特徴が、最終的に本人の子どもを創り出す細胞の特徴を変えうることを意味するとシャンペーンは指摘しているのです。

 それがどのように起こるのかに関する詳細は、ようやく解明され始めたところだそうです。しかし、対人関係における触れ合いに対処するときの危険と回復力の両方が、世代間で遺伝するというのですから驚きます。これは、青少年や成人の生き方や、食べるもの、飲むもの、吸収するもの、対人関係での触れ合いや経験がもたらす喜びや、ストレスが、彼らの子どものゲノムのうち、何が発現し、何が読まれずじまいになるのかを、部分的に決めるということのようです。

 誕生後の1年間に、前頭前皮質は、自制と自発的変化に不可欠なかたちで発達を始めます。ミシェルは、ホットシステムとクールシステムというたとえを用いるとしたら、「これはやがて自制を徐々に可能にするクールシステムの始まりを告げるものだ。」と言い表させると言います。おおむね3歳から7歳のあいだに、この発達のおかげで、子どもたちは、目標をより効果的に追求するために、注意を移したり、集中したり、情動を適応性のあるかたちで調整したり、望ましくない反応を抑制したりする能力を次第に高めていくというのです。