気質

 1950年代まで、アメリカの心理学で幅をきかせていた行動主義での考え方である「新生児は白紙状態で誕生するので、環境がそれに刻印を押して、彼らがどうなるかを決め、おもに報酬や強化を通して彼らを形作る」という考えである極端な環境決定論は、勢いを失い始めます。そうでないことは、さまざまな分野で、さまざまな事実から証明されていきます。その一つが、1970年代、ノーム・チョムスキーをはじめ、多くの言語学者と認知科学者が、私たちを人間たらしめているものの多くが、あらかじめ組み込まれていることを証明して、このテーマについての考え方を、一変させます、当初の闘いは、赤ん坊がどうやって言語を習得するかをめぐっておこなわれました。

 そして、赤ん坊が最終的に高地ドイツ語を話すようになるか、あるいは、北京語を話すようになるかは、もちろん学習と社会環境次第であるものの、言語を可能にする、根底にある文法がおおむね生得的であることを、その争いの勝者は証明したのです。新生児が、持って生まれた紙は、白紙にはほど遠く、情報がたっぷり書き込まれているのだということがわかったのです。

 子宮から出てくるときに、赤ん坊に備わっているもののリストは、年ごとに長く驚くべきものになっていると言います。私がいつも言う、赤ちゃんが持っているダークセンスという能力は、その存在は明らかであるにもかかわらず、まだ、なんであるかが解明されていませんが、年々解明されているようです。しかも、「驚くべきほどだというのです。

 ハーバード大学のエリザベス・スペルキのことは、以前のブログで紹介しましたが、ミシェルも彼女の研究を評価しています。彼女は、赤ん坊が理解しているものと、していないものを、視線を利用して調べて、赤ん坊の心と脳を研究する分野の先導者であると評しています。たとえば、赤ん坊は、生まれながらの会計士で、数を理解するための準備が目覚ましいほど整っており、少なくとも、3次元の空間をうまく選んで、隠された宝を発見する方法に関する限り、いつでも幾何学に取り組めるようになっていると彼女は言っているのです。赤ん坊が備えている潜在的な理解力に限界があるように見えるとすれば、それはおもに、それを見つけ出す私たち大人の能力の限界のせいであることがほとんどなのだと言うのです。

 親は、自分の赤ん坊たちの気質が、それぞれ大きく違うことに、ずっと昔から気づいていたし、情動的な反応におけるそうした生まれつきの違いを、我が子の誕生後まもなくから目にします。この違いは、生得の情動的気質を生命の維持に必要な、いわば、DNAの初期バージョンである四つの体液と結びつけ、古代ギリシア・ローマの分類学に取り込まれていると言います。

 この理論によると、血液が多い人は、「多血症」で、気立てが良く快活、黒胆汁が多い人は、「黒胆汁質」で、心配性で、ふさぎ込みがち、貴胆汁が多すぎる人は、「貴胆汁質」で、腹を立てたり、いらだったりしやすく、粘液が多い人は、「粘液質」で、おおらかで簡単には興奮しないと言われています。

 赤ん坊は、情動的な反応性や活動レベル、注意をコントロールしたり調整したりする能力などに生理的な違いを持って誕生するのです。