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「イフ・ゼン」プランが確立されていれば、驚くほど多様な場面で、さまざまな人々や年齢層でうまく機能し、以前ならとうてい達成不可能と考えていたような難しい目標を効果的に達成する助けになります。その中で、特に目覚ましい成功例として挙げられるのが、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の子どもたちだとミシェルは言います。アメリカでも、近年、ますます一般的な問題になりつつあるADHDという障害を抱えた子どもたちは、学習面や対人関係で多くの困難を経験します。彼らは、とても気が散りやすく、自分の注意をうまくコンロトールできないため、一つの課題に取り組み続けるのが難しいのです。

このような認知的な制約のせいで、アメリカでは、ADHDの子どもは、学習や対人関係の多くの状況でうまく振る舞えず、汚名を着せられたり、薬剤を過剰投与される危険にさらされたりしているそうです。日本でも、同じようなことが見られます。しかし、「イフ・ゼン」実行プランに助けられると、彼らは算数の問題を前より早く解いたり、作動記憶の力を問う課題を解くのは大幅に上達したり、実験室でのとても難しい条件下で、気をそらすものに抵抗して、課題に取り組み続けたり出来るようになるというのです。このような応用可能性は、実行プランの威力と価値観を明確に物語るものであり、自発的に変われるという人間の潜在能力について、楽観的な展望を開いてくれると言うのです。ミシェルは、今後も取り組み続けるべき課題は、こうした手順を短期的な実験から長期的な介入プログラムへと仕立て、日常生活で継続的な変化を生み出すことだと彼は考えています。

彼が挙げた次の課題は、何でしょうか?まず、マシュマロ実験のおかげで、子どもたちがどう誘惑を先延ばしにしたり、誘惑に抵抗したりするかや、この能力の違いが、その後の人生でどう表れてくるかが分かりました。しかし、その選択そのものについては、どうなのかということです。この疑問を、彼はかなり前から持っていたようです。

最近、テレビなどで流れる若者事情についてのいろいろな話を聞くたびに、妻と話すことがあります。それは、なんだか、そこに取り上げられる若者たちは、将来のことをあまり考えないで、今を楽しく生きることに力を注いでいる気がするのです。そして、イソップ寓話の一つである「ありとキリギリス」を思い出すのです。この話の真意はさまざまあることは別として、単純に、「キリギリスのように将来の危機への備えを怠ると、その将来が訪れた時に非常に困ることになるので、アリのように将来の危機の事を常に考え、行動し、準備をしておくのがよい」という意味としてとらえ、こんなに、ただ毎日を楽しく過ごしていて、将来どうするのだろうと思うのです。このように危惧するのは、私たちが年を取った証拠でもあり、また、一般論的な言い方であるとは承知しつつ、もう少し、先を見通した生き方をすべきだと思ってしまうのです。

しかし、それは、最近の若者の傾向なのでしょうか?それとも、日本人の特徴なのでしょうか?環境からそうなったのか、育てられていく過程でそうなったのか、民族的な問題なのか、どうなのでしょう。ミシェルが、面白い体験を話しています。それは、アジア系とアフリカ系のどちらかが住民である島の人の話しで、お互いに相手をどう見ているかという内容です。