知能観

 当時、コロンビア大学にいたキャロル・ドゥエックは、自律感と自己効力感というトピックに関して、現代の心理学の分野でも、指折りの、強力で効果的な発言者でした。2006年の著書「やればできる!の研究  能力を開花させるマインドセットの力」の中で、彼女は、自分はどれだけ自他をコントロールし、変え、学べるかについて、そして、自分の振る舞いや経験、未来の姿をどれだけ改善できるかについて、人々の考え方が、彼らが現に達成したり、なったりできるものに影響を与えることが書かれてあります。ドゥエックとその共同研究者たちは、人間の特徴の順応性、あるいは、不変性についてのこうした考え方は、自制や意志の力、知能、精神状態、人格のどれに関してであろうと、重要であることを立証しました。そうした考え方のありよう次第では、自分の業績をどう評価するかや、自分自身や他人についてどんな判断を下すか、そして、今度は社会の方が私たちにどう反応するかが変わってくるのです。

 自分の知能が、まわりの世界をコントロールする能力、社交性、その他の特徴は、生まれたときから逃れようのないもの、あるいは、恵まれているものではなく、鍛えたり、発達させたりできる筋肉や、認知的スキルのように、柔軟性を持っていると、幼い頃から考える子どももいます。ドゥエックは、そういう子どもを「拡張的知能観」の持ち主と呼んでいます。一方、自分の能力、賢いか愚かか、良いか悪いか、協力は無力か、を自分には変えられない、生まれてこのかた固定された水準に凍り付いているものと見なすのが、「固定的知能観」の持ち主と呼びます。

 幸い、ドゥエックの研究は、こうしたマインドセットの重要性を示すだけにとどまらず、これらのマインドセットには、変化の余地があることを明らかにし、マインドセットを考え直したり、修正したりするための多くの方法を説明しています。

 ドゥエックによれば、固定的知能観から脱せない子どもは、学業が次第に難しくなったときには、とりわけ苦労することになると言います。このつまずきは、アメリカでは小学校からジュニアハイスクールへの進級時に目立つそうです。この進級に伴い、成績が突然、子どもを安心させるのではなく、優劣をはっきりさせるかたちで付けられるようになる場合が多いようです。学校での経験は、楽しくて楽なものから、きつくて負担の大きいものに変わります。難しい宿題がたくさん出され、周りも競争的になります。大きなプレッシャーがかかり、落ちこぼれるかもしれないという不安を生む、新しい学校環境では、自分の能力は変えようがないと思っている生徒、固定的知能観の持ち主は、まもなく成績が落ち始め、ジュニアハイスクールでの2年間、悪化の一途をたどることが、ドゥエックの研究で明らかになったのです。

 一方、拡張的知能観を持った生徒は、同じ2年間に成績がどんどん上がり続けたそうです。両者がジュニアハイスクールに入学したときには、過去の学校成績は区別がつきませんでした。しかし、卒業時には、明確な格差ができていたのです。成績ではなく、どんなところに差が出たのでしょうか?

知能観” への15件のコメント

  1. 「拡張的知能観」「固定的知能観」とありました。自分次第で見える世界を変えることができると思える拡張的知能観を持つことは、「自制や意志の力、知能、精神状態、人格」といった力をつけるために重要になってくるのですね。なんとかできるということを感じながら行動できる人は物事にとらわれることもなく、精神状態も安定しながら興味関心を広げていくことができそうですし、周囲の人の気持ちを考える余裕もうまれてきそうですね。拡張的知能観、固定的知能観という言葉は初めて知りましたが、おもしろい言葉ですね。そんな固定的知能観を持った子どもたちが次第に成績が落ちていくというのはなんだか分かるような気がします。拡張的か固定的かということはその先への意欲や希望にもつながっていくようにも思えてきました。となると卒業後に明確な差が出たとありましたが、それはやはり進路であったり、様々な道への進み方に差があったりしたのでしょうか。自分はどうにもならない、世の中はどうにもならないという固定した考えになってしまうのとそうでないのとではその先の進み方にも違いが出てくるように感じました。

  2. 知識と才能というのは、誰でも憧れる物だと思います。知能は「物事を的確に理解し、判断する頭のはたらき」という意味があるそうですが、それが、小学校から中学校へ変わるタイミングで、目に見える形で現れる・目立つということでしたが、その時点で表出するだけであって、その原因や環境はそれよりも以前のことであるということですね。そうなるのは「拡張的知能観」と「固定的知能観」との差であるということで、マインドセットの方法の違いによって、知能というものの働きが変わってくるということがうかがえます。順応性や不変性の中にあったとされる「自分の業績をどう評価するかや、自分自身や他人についてどんな判断を下すか、そして、今度は社会の方が私たちにどう反応するかが変わってくる」ともあり、それらの差が現すものは、自分の成績に対する価値観や捉え方といったイメージがあります。同じ60点にしても、以前より少しあがったと捉えるか、まだ平均値を達していないと捉えるか、その違いによって「自分はやればできる!」という信念のもと、様々なことに興味関心、向上心ということにつながるのかなと予想しました。

  3.  〝拡張的知能観〟また、面白い言葉に出会うことが出来ました。探求心や好奇心を含んでいると思いますし、また、高い自己肯定感に裏付けされたもののようにも感じられます。「もっと知りたい!」「勉強したい!」と何かの分野、何かの遊びに夢中になっている時の心の中というのは、藤森先生が仰る〝ゾーン体験〟そのもので、そこには親への不満や心配もなければ、自分が経済的に優れているか、社会に適応しているかどうかというような思いもなく、ただ身も心も楽しい最高の時間です。それを保育者は用意してあげることができる。〝拡張的知能観〟は先天的なものだけではないはずです。〝固定的知能観〟を持った子も、環境の中で拡張的な部分を育むことができるはず。それには例えば見守る保育の延長線上のような小学校、中学校の存在というものも、その子の年齢に応じて必要になってくるかもわかりません。見守る保育を通して、日本の教育の水準を今こそあげるべき、というような気持ちになります。

  4.  自分の能力についての自己イメージには拡張的か固定的かの違いがあることを学びました。確かに失敗して自信を失くした時は「どうせ自分なんて…」を卑下します。まさに固定的知能観に囚われているセリフですね。興味深いのはそういう固定的なマインドでも考え直したり、修正したりする方法があるという点です。固定的知能観を持っている子どもを拡張的能力観に導く方法があるとしたら、保育でも活かせるからです。子ども達から自分の能力や可能性を信じる力を少しでも引き出せたらと思います。

  5. 考え方次第で、目標を達成できたり、なりたいと思い続けたものになれたりできる、そんな影響を与えることができることは、自分の人生観における希望であると思えます。「拡張的知能観」と「固定的知能観」というマインドセットがあるのですね。最後にジュニアハイスクール卒業時には、明確な格差ができていて、それは成績ではなく、どんなところに差が出たのかとありました。まず、拡張的知能観を有している子は、思考に柔軟性があり、「自分次第で変わることができる」と思っているところで、自分で考え、自分で選択した行動を取り、それに伴って成績が上がったことで、自信が付き、「自分ならできる」という思考に変化した経緯が想像できます。そして、固定的知能観の子はその逆で、自分への自信を損失していっていると考えると、行動力がこの2つの差を生み、「自己選択」「自己決定」の機会の数に大きな格差ができたのかなと考えました。そして、大切なのはやはり乳幼児期で、固定的知能観が固まる前に、柔軟な思考、実行機能を豊かに育める環境が将来的な拡張的知能観の獲得へと子どもたちを誘導していくことができると思えました。

  6. 『固定的知能観』と『拡張的知能観』というマインドセットなるものがあるんですね。
    固定的であるか、拡張的であるかということで学校の成績にも影響が出てくるということばかりか、その後の人生にまで影響を与えそうなことも書かれてありました。
    〝変化の余地があることを明らかにし、マインドセットを考え直したり、修正したりするための多くの方法を説明しています〟とあり、ほっと胸をなでおろしたのですが、ふと、固定的でない方がよい、ということはこれまでのことからも何となくわかっていることであるように感じました。
    人間はなぜ、固定的知能観になってしまうのか、ということを考えると、やはり、自分とってマイナスなことが続いたり、どうしていいのかわからなくなったり、孤独を感じたりすることで、自分を卑下してしまうことから始まるような気がしました。
    そのような感情にならないような環境を、全体を通して作っていけるような配慮ができれば、よりよい社会になるように思いました。

  7. まずは「知能観」という術語に初めて出会いました。なぜ「観」を知能の後につけるのか。本文を読むと、「・・・と、幼い頃から考える」とか「・・・ものと見なす」という部分に気が付きます。あぁ、これで「観」なのですね。子ども自身が自分についてどのように考えているのか、「まわりの世界をコントロールする能力、・・・柔軟性を持っている」と考えるのか、あるいは「自分には変えられない、・・・凍り付いているものと見なす」かということで、これは子どもの考え方を捉えた表現で、この「知能観」の前者が「拡張的知能観」そして後者が「固定的知能観」ということのようです。そしてこれらの「マインドセット」はやがて「考え直したり、修正したり」できるようです。わが子も含めて子どもたちは前者のマインドセットを持ってほしいと思いますし、そのマインドセットの修正可能性を信じて子どもたちの育ちを見守っていきたいものだと思います。このように考えながら子どもの変態後の姿をしている大人たちにも拡張的知能観や固定的であるならマインドセットの修正を期待したいところです。子どもや若もたちに問題があるとするなら、その問題の根本原因を拵えたのは大人たちだと私は考えています。

  8. 「拡張的知能観」「固定的知能観」という言葉を初めて聞きました。これはまた構造をしているのですね。次の通り自らを拡張させられるか、固定させてしまうかといったように自分の可能性を伸ばせるか、止めてしまうかというのが小学校の時点で自らの幅を決めてしまうことがあるのですね。オプティミストとペシミストのような関係にも似ているのでしょうか。2歳児クラスで積み木で遊び、重ねて遊んでいたところ崩れてしまい泣きそうになっていた子に先輩保育士が「全然大丈夫、積み木っていうのはすぐ直せるからいいんだよ」というように可能性を広げるような声かけをしていたのを思い出します。細かい部分ですが、「大丈夫、できる!」というように、考え方を変えるような声かけをしていくことでこの拡張的知能観に繋がっていくのかなと感じます。そうすると自分を卑下することなく、様々なことに興味を持ち好奇心が増すのではないかと感じます。

  9. 拡張的知能観と固定的知能観のどちらかをこどもはもつことこのように思うことに対して、子どもたちを取り巻く環境の要素が多く影響していることを考えることができます。一つ前にあった内容に、できると思うということが自己信念をもつこととの関連性をもち、楽観主義者として生活することが重要なことだという内容があり、私たちが前を向き歩き続けるなかには、悲観的な考え方になり、自分は何をやってもダメなんだと考えてしまうことがあると思います。そうならないためにも楽観的に考えることができるような力をもつ環境を通した育ちというものが大切だということがわかりました。こういったことを考えると、他者と生活するなかで多様な生き方というものを見る経験が必要だと思いますし、この社会で自分はどんな存在なのか、また、他者と比べて自己評価するのではなく、他者という存在から、多くの新たな道を見つけ出す手段といて、他者の存在を感じていくことが必要なのではと思います。

  10. 「固定的知能感」は言い換えると刷り込みのような気がします。子どもで言うならば保育園や幼稚園の担任の先生の基準に従い、ルールも全て担任が決め、子どもが自分で問題を解決しようとしたり、考えたりする経験を自然と奪っていることと同じではないのかな?とブログを読みながら思いました。それに対する「拡張的知能感」は自分で考え、行動し、柔軟性を持っているということは大切なことです。そういう意味では異年齢のクラス編成はこれに大きく貢献していると思います。チームで保育をすることで担任自身も自分の刷り込みも無くなりますし、子ども達も一人の大人の基準ではなく、色々な大人のタイプを知ることもでき、柔軟性が培われるのではないでしょうか。そして「固定的知能感」から「拡張的知能感」へと導くことができるよう、やはり保育者は考える必要がありますね。

  11. 自分をどれだけコントロールできるかによって将来的な姿や立場、そして他者や社会においての反応というものが大きく違ってくるという印象を受けます。自分次第でいくらでも可能性や選択肢は拡げられる、そういった考え方をできる人が「拡張的知能観」の持ち主であり、柔軟性のある思考をもっているからこそ、困難に直面してもそれをプラスにとらえ乗り越えていくことができるのでしょうね。自分にはこれ以上は無理だ、変わることはできないというような固定観念や思い込みは自ら道を狭めているようなものですから、限界を感じるような時にこそ、柔軟性のある思考が必要だと思います。拡張的知能観と固定的知能観を持ったこの差というのはそういった部分に現れたのではないでしょうか。

  12. 拡張的知能観と固定的知能観というものがあるのですね。固定的知能観を持った女の子がいたのですが、この子は自分の意思があるのだろうか?といつも感じていました。その子の保護者は心配なあまり、先回りをして危険や失敗を回避させているようでしたが、そのような環境が影響してか、自分に自信が持てず、友だちとも積極的に関わろうとしませんでした。
    その時点でその子の将来を考えた時に、可能性は狭いように思えます。拡張的知能観を持つためには、やはり自分で選択し、経験を積むことで自分に自信が持てるようになると思います。親以外の大人と接することができる保育園で、親が決めた生き方をするのではなく、自分の考えを持っていいということを、様々な大人や子どもとの関わりから学んでほしいなと思います。

  13. 「拡張的知能観」「固定的知能観」という言葉は初めて聞きました。ただ拡張的、固定的といった名前から、少しイメージがしやすい感じもします。ドゥエック氏によると学業の面において、固定的よりも、拡張的のほうが良いとの結果が出たということですが、それ以外の面においても拡張的のほうが良いのはなんとなくわかる気がします。そして、人と関わることを大切にしていると自然と「拡張的知能観」に近づいていくものの、ような気もします。様々な可能性を考えることは大切ですね。

  14. 拡張的知能観と固定的知能観と、どちらの知能を持つかで、その後の成績に大きく影響してくるでしょうね。この知能観を見ていると、一般的に「自信のある子ども」と「自信のない子」の見方と同じような見え方に見えてきます。「自信のある子ども」ほど、自分から様々なものに興味を持ち、挑戦していきます。その様子は拡張的知能観の在り方と似ていますし、「自信のない子ども」は自分から動こうとする子どもは少なく、その根底には固定的知能観のような「賢いか愚かか、良いか悪いか、協力は無力か」という人と比べる思考があるように思います。今の社会ではどちらかというと固定的知能観を持ってしまうことが多くあるのかもしれません。「明確な格差」というものがどういったものかはまだわかりませんが、今の社会でも当てはまってしまうのではないかとドキドキしてしまいます。

  15. 「拡張的知能観」「固定的知能観」という言葉を初めて聞きましたが、字を見ればイメージが出来ますね。「固定的知能観」は視野が狭そうで融通がきかなそうですね。対して「拡張的知能観」の方は視野が広く柔軟に対応していけそうですね。「両者がジュニアハイスクールに入学したときには、過去の学校成績は区別がつきませんでした。」とあったようにこういった考え方で成績などの差が生まれ、おそらく社会人になってからも良し悪しの差が広がっていくのでしょうね。

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