楽観と悲観

楽観とは、最良の結果を予想する傾向を言います。心理学者は、人が自分の将来に対して好都合な見通しを持つ程度というふうに定義しますが、それは、本人が本当に起こると信じている見通しで、「できると思う!」というマインドセットと密接に結びついていると言うのです。この見通しは、ただの希望というよりも、確信に近いものです。楽観のもたらす婦児ティブナ結果は、目もくらむほど素晴らしく、研究による十分な裏付けがなめれば、とうてい信じられないほどだとミシェルは言います。

 たとえば、シェリー・テイラーとその共同研究者たちは、楽観主義者のほうがストレスに効果的に対処し、その不都合な影響を受けにくいことを示しています。楽観主義者たちは、楽観の度合いが小さい人と比べると、自分の健康と将来の幸せを守るために多くの手を打ち、全般に、より健康な状態を保ち、鬱になりにくい、心理学者のチャールズ・カーヴァーとその共同研究者たちは、楽観主義者が冠状動脈バオパス手術を受けると、悲観主義者よりも早く回復することを突き止めています。

これは、以前紹介したマーティン・セリグマン著の「オプティミストはなぜ成功するか」という本の中でもこのような研究が示されています。人生は、楽観主義者であるオプティミストにも悲観主義者であるペシミストにも等しく挫折や試練が訪れますが、その時にオプティミストの方が上手に切り抜けて生きていくことができ、また、オプティミストは、職場でも学校でも、スポーツでもよい成績を上げることもわかりました。また、オプティミストの方が、健康状態もよく、長生きするという説の有力になってきたことが書かれてあります。

これと同じですね。ミシェルも、楽観主義の恩恵については、例を挙げればきりがないほどであり、ようするに、楽観は、適度に現実に即しているかぎり、望んでしかるべき恵であると言っているのです。そして、楽観の真価を認め、楽観がなぜ、どのようにその持ち主を助けるかを理解するには、その対極になる悲観について考えればいいとミシェルは言います。

悲観とは、ネガティブな面に焦点を当てたり、最悪の事態を予期したり、このうえなく陰鬱な解釈をしたりする傾向をいいます。意気消沈した悲観主義者に、「私は□□□が大嫌いだ。」という文を示して、まず、頭に浮かんだ言葉で空白を埋めるように言うと、「自分」「自分の外見」「自分の話し方」などを入れる可能性が高かったのです。極端な悲観主義者は、無力感を覚え、意気消沈し、自分の人生をコントロールできないと言います。自分の身に悪いことが起こると、何が悪かったのかについて、状況に即した説明や、あまり自分を責めないような説明は受け入れられず、自分が一貫して持っているネガティブな特性のせいにするそうです。試験に落ちれば、「私は無能だ」と考え、たとえその試験が、重要な事柄を何一つまともに測ってはいない場合でさえ、悲観主義者は、指示がまぎらわしかったり、選択肢の違いが不明瞭であったり、時間のプレッシャーが過剰であるような、試験自体についてのものであろうと、たとえば、おなかの調子が良くなかったりする個人的な問題であろうと、もっと自分に優しい説明は、たとえそれがたまたま真実だったときでさえ、思いつかないと言います。

楽観と悲観” への15件のコメント

  1. 「ただの希望というよりも、確信に近いものです」という言葉が印象的でした。本人はそうなると思っているという部分が重要ですね。だからこそ、結果も思ったようになりますね。以前、ある本で読んだのですが、人は余命宣告通りにきっちり亡くなろうとするということを言っている人がいました。そうだと思い込んだら、そうなるように向かってしまうのかもしれませんね。オプティミストの話が出ました。このブログで取り上げていただいてからそのことを意識することが増えました。オプティミストになるためには目の前に起きていることをどう捉えることがいいのだろうと考えたり、オプティミストだなと思う人の言動に刺激を受けることも多いです。また「楽観主義者であるオプティミストにも悲観主義者であるペシミストにも等しく挫折や試練が訪れますが…」という部分には注目したいですね。「自分だけが」がそんなことになっているのではなく、自分でそんな状況にしてしまっているということに気がつくことができると見せる世界がガラッと変わってきそうです。また悲観についても「ネガティブな面に焦点を当てたり、最悪の事態を予期したり、このうえなく陰鬱な解釈をしたりする傾向をいいます」とあったように、そうではない対応を意識したいなと思いました。

  2. 日本が自殺大国であるという事実と、悲観主義との関連はあるのかもしれませんね。また、日本の“謙遜”が、悲観主義の方へシフトしてしまっている、勘違いが流れを作ってしまっているような印象もあります。日本の伝統を見直す上では、自信と傲慢の境界線はどこにあるかなど、正しい自信や謙遜を理解しなくてはいけないのかなとも感じました。また、「人生は、楽観主義者であるオプティミストにも悲観主義者であるペシミストにも等しく挫折や試練が訪れる」というのが印象に残っています。その出来事を「どうして私ばかり…」と思うか「原因は自分ではない別のところにある」「この試練を自分なら乗り越えられる!」などと捉えるかというところに、人生の重要な選択肢があるのですね。よく、ドラマなどで「乗り越えられると分かっているから、神様は君にこの試練を与えたんだと思う」というような言葉を耳にします。このように、「自分ならできる!」「自分は素敵!」といった自信が自然とあがってくるような思考、自分に優しいとか、自分を許すとか、日本人はもっと自分に対して広い心で見てあげてもいいのかもしれませんね。

  3.  〝楽観とは、最良の結果を予想する傾向を言います。〟楽観的で生きることが難しい人は、きっと何かの刷り込みがあるのだと思います。自分の親や、幼い頃の指導者、親戚の人、など、自分に何か劣等感を植え付けた誰かがいて、その考え方が根底になり、例えばいいことが続いても何か悪いことが起きるのではないか、と思ってしまう。物事をネガティブに捉えることを善とするような教育をどこかで受けてしまったように思うのです。
     僕は、極端な言い方かもしれないのですが、自分の考えというものは殆どと言っていい程ない、と最近思うようになりました。それは、勉強すること、学ぶことによってどんどん変わっていくからです。なので逆を言えば、最初に植え付けられてしまったその楽観になれないという考え方も、それは自分の考え方というよりも、その考え方で生きてきただけで、例えば本を読んだり、藤森先生のブログを読んだりすることで変えられることができる、と思っています。
     人間は成長する生き物で、どう成長していくかを選ぶ意思が人間にはあるように思います。

  4. 私は、根本的に、楽観主義者だろう、と自己判断しています。この先の事はわかりませんが、まぁ、なんとかなるだろう、と自分に言い聞かせて、背伸びをしながら今日まで生きてきたと思います。そして、自分の死ということを意識すると、なおさら、そう思うのです。それでも20代30代の頃は、シェークスピアのハムレット然としたところがあり、仏教について勉強している頃は、一切皆苦とか四苦八苦、これが人生だと諦めよ、と自分に言い聞かせていたことがありました。お釈迦様は、本当は、そんなことを言いていないのですね。悲観主義になる人は、基本、こだわりが強い人です。また、白黒つけたくなる人です。「悲観」の「観」は「知能観」の「観」です。思い込みのことをいいます。全ての事柄にはポジティブ面とネガティブ面があります。「思い込み」にもその両面があります。「刷り込み」にもその両面があります。ならば、楽観のまま人生を送るに越したことがないと思っています。そんないい加減な態度でいいのですか?老後は大丈夫ですか?と問われても、答えは「知らん!」で終わりです。あるいは、まぁ大丈夫でしょう、が答えです。人間の進化とは真善美へと向かうことだと考えています。それ以外の事柄は、退化または人類の滅亡です。滅亡にもポジティブな面はありますが・・・。

  5. 「楽観主義者が冠状動脈バオパス手術を受けると、悲観主義者よりも早く回復することを突き止めている」とあったことには驚きました。オプティミストの「自分はできる!」という自己信念と楽観的な思考がもたらす恩恵を報酬と捉え、自分で意識していこうと思います。
    自分は楽観的なのか、悲観的なのかと考えると、どちらかと言うと楽観的かなと思えていますが、悲観の説明を読むと少なからず当てはまる部分があります。人には得意・不得意、長所・短所があるように、自分が認識している範囲での不得意、短所の部分に関してはどうしても悲観的になりがちであるように自分自身感じています。真のオプティミストとは、不得意であったり、短所である部分を「自尊心」の一部としてしっかり受け入れているからこそ、得意なこと、長所の部分を活かして、トータル的に楽観的でいられるのかなと思えました。自分自身そうなれるように、まず第一に、「自分はできる!」と信じて何事にもチャレンジし、もっと自分を知っていこうと思います。

  6.  挫折や試練が訪れた時に楽観主義者か悲観主義者かがはっきりと分かります。まず第一に楽観主義者は挫折や試練が訪れた時に自分が受けるダメージをコントロールすることができます。彼らは再起できない程に落ち込むことはありません。ダメージを極力小さくする様な考え方をすることで挫折や試練の解釈を変えるのです。例えば、この状況は自分に何を教えようとしているか、この状況は自分の何を試そうとしているのか、この状況を克服すれば自分はもっと成長できるのではないかと考えるのです。

  7. 〝人生は、楽観主義者であるオプティミストにも悲観主義者であるペシミストにも等しく挫折や試練が訪れます〟とありますが、そのように思っている人は、もうすでにオプティミストなのではないのでしょうか。
    ペシミストの考え方として、等しく挫折が訪れるということは考えずに『自分ばかり』とか、『自分だけ』何か悪いことが起こっているという風に考えてしまうと思います。
    そのように思うのか『みんなにも起こっていて、どうにかして乗り越えているから自分も大丈夫』『できると思う!』と思うことができるというのは雲泥の差がでるということなんですね。
    日本人は自分のことを他人よりも低くみていることが多く、それが日本人の良さや文化にもつながっていると思いますが、その良さを残しつつ、前向きな考えを持つことが求められるのかもしれませんね。

  8. 「楽観は、適度に現実に即しているかぎり、望んでしかるべき恵」とあります。適度にとあるように楽観というのはある程度「適当」が必要なのでしょうね。しっかり考えなければいけない時とそうでないときのメリハリが楽観には必要なのではないかと考えます。そして悲観では基本的に自分に対してのネガティブな思考が大きいようですね。その思考が強すぎるために周りが見えなくなり、ベクトルが自分に向きっぱなしになるのでしょうか。「人生は、楽観主義者であるオプティミストにも悲観主義者であるペシミストにも等しく挫折や試練が訪れます」とあるようにその時にいかに視野を広くしたり、自分なら乗り越えられる!なんとかなる!やってみるか!やるしかない!というような思考を持つことが大切なのですね。私は割と目の前に起きていることに対してこれが今自分に適している出来事で成長するための1つであると考えながら生きています。

  9. 楽観主義者と悲観主義者を比べて、手術の回復スピードにも影響が出ているとは驚きました。やはり考え方一つで人生を大きく変えてしまうとなると、無理にでも楽観主義者になろうと努力した方がいいのかもしれません。しかし冷静に考えてみても一度しかない人生を常にネガティブに考え「自分はダメだ・・・」と悲観的になってしまうのは勿体ないですね。例えば人生で成功している人たちの話を聞くと、多くの挫折を味わい、人生のどん底に落ちても、常に前向きに物事を考え、それが結果的に成功への道が開けています。おそらくそこで悲観的になっていたら、そのまま何も変わらず、落ちたままの人生だったかもしれません。そうならない為にも、乳幼児期というのは重要な気がします。大人になってからこういう能力を身につけるのは本当に至難な技だと思います。それこそ乳幼児の時に「拡張的知能感」を身に付ける必要があると思いました。

  10. 楽観的、オプティミストであることがどれ程、生活をするなかで意識の道標をしっかりと印しているのかがわかります。できると思う。こと、”見通しは、ただの希望というよりも、確信に近いもの”とあり、この言葉の意味は、とても大きな意味を表していると思います。ただの希望であるならば、そうであればいいな、そうあってほしいといった、そこにたどり着くための手段を知らないといった方向性がわからない状態であると思います。この結果として、やってみるなかで、”悲観とは、ネガティブな面に焦点を当てたり、最悪の事態を予期したり、このうえなく陰鬱な解釈をしたりする傾向”といった悲観的思考になり、ペシミストになるきっかけにもなってしまうように考えられました。

  11. 悲観主義者の自分の人生をコントロールできないというのは、自制スキルでいうところの自分の感情や情動をコントロールできないという点と同じことなおではないかと感じました。楽観と悲観は対局にありますが、結局は人の考え方次第とも言えるように思えます。ポジティブな方に考えをコントロールできれば楽観であり、それができなければ悲観となってしまうというように、いかに自分をコントロールできるかどうかがポイントであり、それが人生においても関係してくるのではないでしょうか。ブログでオプティミストについて取り上げられていた時も感じたことですが、楽観的に考えられるかどうかで人の人生は大きく変わってきますね。悲観に感じたり、諦めてしまいそうな時ほど、自分を楽観的にコントロールしていくことを意識してみようと思います。

  12. 「楽観は、適度に現実に即しているかぎり、望んでしかるべき恵」とあり、楽観主義者が冠状動脈バオパス手術を受けると、悲観主義者よりも早く回復することにもうなずけます。以前、私はどちらかというと悲観的でしたが、経験を積むことによって、「これは大丈夫かな」「なんとかなるかな」と楽観的に観ることができるようになってきました。それは直観にも似ていると思うのですが、やはり成功経験が増えてこそでもあり、そして、失敗しても大丈夫という周りの環境も影響が大きいのではないでしょうか。

  13. 「楽観主義と悲観主義」ふと自分はどちらなのだろうと考えてしまいました。最近感じるのは、悲観主義のイメージで見られているのかなと思いつつも、難しい表現ですが、楽観主義をしたいがための悲観主義でもあるような気がします。ただ、ポジション的に、悲観主義とみられることはあまりメリットがないので、なるべく楽観主義のように見られるよう、また自分自身も思い切りよくいけるように気を付けていこうと思います。

  14. 他のコメントを書かれている方にもあるように、今の日本は悲観主義的な考えの人が多いのかもしれません。自殺大国、引きこもり、うつ、などは結局のところ、挫折を楽観的にとらえられず、悲観的にとらえてしまった結果だからなのではないでしょうか。そう考えると今の日本を見て、教育や環境の中でこの「悲観」というものを持ちやすい環境であるのならば、よく考えていかなければいけない内容ですね。人生の中で悩むことや挫折というものは必ず訪れますが、そのときに楽観的に受けるか悲観的に受け止めるかは大きな違いですね。そして、受け止め方によって健康にも影響が出てくるということは驚きです。拡張的知能観や楽観主義、オプティミスト、どの研究において出てくる結果はどの研究もリンクしますし、乳幼児期に必要になってくる能力はとてもはっきりとしているように思います。今度は現場として、どう取り入れるのか、どうとらえるか、保育としてどう持っていくのかということが出てくると思います。しっかりと自分の中で考えていかなければいけない内容です。

  15. 「人生は、楽観主義者であるオプティミストにも悲観主義者であるペシミストにも等しく挫折や試練が訪れます」とありましたが、昔の私は悲観主義で試練などなれない事が起きると「自分は不幸だ」とか「何で自分ばかり」とすぐに感じていましたが、現在藤森先生をはじめ、色々な人と出会い、話をしたり教えてもらう事で今では楽観主義者になっていると思っています。藤森先生かの奥様のエピソードでも茶碗が割れてしまったときに「よかった、自分ので」や藤森先生が出張先でお財布を無くしたことを奥様に連絡したときに「良かったじゃない、犯人と遭遇しなくて」などととっさに思える気持ちが本当に感心し普段真似をさせてもらっています。やはり起きてしまった状況は変わらないのであれば、少しでも楽観的に考えることで自分にとってのストレスは軽減されるどころか、時としてやる気に満ち溢れる事もあります。自分としては楽観も悲観も体験したつもりで言わせてもらうのであれば、やはり楽観的に考えられる方が人生は楽しく過ごせそうな気がしました。

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