拡張的か固定的か

自分の知能が、まわりの世界をコントロールする能力、社交性、その他の特徴は、生まれたときから逃れようのないもの、あるいは、恵まれているものではなく、鍛えたり、発達させたりできる筋肉や、認知的スキルのように、柔軟性を持っていると、幼い頃から考える子どもを、「拡張的知能観」の持ち主と呼び、一方、自分の能力、賢いか愚かか、良いか悪いか、協力は無力か、を自分には変えられない、生まれてこのかた固定された水準に凍り付いているものと見なすのが、「固定的知能観」の持ち主と呼びます。この二つの知能観にどんな差が出るのでしょうか?

まず、固定的知能観から脱せない子どもは、学業が次第に難しくなったとき、特にアメリカでは小学校からジュニアハイスクールへの進級時に、学校での経験は、楽しくて楽なものから、きつくて負担の大きいものに変わり、大きなプレッシャーがかかり、落ちこぼれるかもしれないという不安を生みます。そして、まもなく成績が落ち始め、ジュニアハイスクールでの2年間、悪化の一途をたどることが、多いということが研究で明らかになりました。

 一方、拡張的知能観を持った生徒は、同じ2年間に成績がどんどん上がり続けたそうです。ジュニアハイスクールに入学したときには、過去の学校成績は区別がつきませんでしたが、卒業時には、明確な格差ができていたのです。

 能力は変えられないというマインドセットの生徒は、新しい学校の厳しい負担に手を焼いているのは、自分に能力がないから、たとえば、「数学は全然だめだ」とか「自分はいちばん馬鹿だ」と思い、あるいは、教師が悪いから、たとえば、「あの先生はコカインをやっている」というように言い訳をします。拡張的知能観を持った生徒は、やはり新しい負担に圧倒されるように感じることはあるものの、せっせと勉強し、新たな状況に対応するのに何が必要かを突き止め、それを実行することで対応しようとします。

 ミシェルは、それを未就学児に理解できるレバルで言えば、「できると思う!」という信念は、幼児向けの名作「ちびっこきかんしゃだいじょうぶ」という本に書かれていると言います。その内容は、子どもたちのためのおもちゃとご馳走を満載した列車が、最後の急な山を登ろうとしているときに、動けなくなってしまいます。客車を引っ張る真新しいぴかぴかの機関車と、貨物列車を引っ張る強力な機関車と、古いくたびれた機関車が、みな手をさしのべるのを拒んで通り過ぎてしまいます。そこへようやく、心優しい小さな古い機関車が、通りかかります。その機関車は、「僕にはできると思う  できると思う  できると思う」という拡張的知能観のスローガンを唱えながら、苦闘に苦闘を重ねた末、とうとう首尾よく列車を引っ張り上げ、山の向こう側で待ち受け手いる子どもたちに贈り物を届けるといったストーリーです。

 1974年に、ミシェルは学生たちとスタンフォード大学で、未就学児が自分の行動の原因を、どう認識しているのかを評価する基準を開発しました。彼らは、良い出来事が起こったとき、自分自身がそれをもたらしたと見なすか、それとも、外部の要因のおかげと考えるか?そして、原因の帰属のさせ方のこうした違いは、彼らの自制心や発育状況と結びついているか?「行動の内部コントロールvs外部コントロール」の認識についてのこの基準では、彼らがどこに位置するかを測定することをしたのです。

 

拡張的か固定的か” への14件のコメント

  1. 「大きなプレッシャーがかかり、落ちこぼれるかもしれないという不安を生みます」という固定的価値観の子どもたちが陥ってしまう状況は不安に取り込まれてしまっているという状態ですね。反対に拡張的価値観の子どもたちは不安を感じながらもその状況を改善しようとしたり、それに対応するような行動を見せていくのですね。不安に取り込まれたままどんどん沈んでしまうことと、その不安かな抜け出そうとすることでは明らかに後者の方がいいに決まっているのに、なかなかその状況から抜け出せないというのは厄介なことですね。両者の違いとして感じるのは「まず、やってみる」ということがないことでもあるのかもしれません。「できると思う」という言葉にもやってみるという動きを感じます。この動きが大切なのかもしれませんね。頭で考えていても答えなんてでませんね。「できると思う!」で思い出すのはやはり、アントニオ猪木氏の「元気があればなんでもできる!」という言葉です。これも自分を鼓舞するおまじないのような言葉でもあるのかもしれません。そう思い込んで、行動することがいかに大切であるかを感じます。

  2. さっそく「ちびっこきかんしゃだいじょうぶ」の絵本を購入しようと思いましたが、どこを検索してみても“売り切れ”や“在庫なし”の表示でした…。子どもたちのため、なんとか手に入れたいですね。「できると思う」という言葉は、まさに魔法のような言葉なのですね。自分でそう思うことで、できるためには何が必要かといった思考になると思いますし、何事にも積極的に取り組もうとする姿勢が生まれそうです。また、そういった持ち主のところには、周囲の助けが他よりも多く舞い込んできそうな予感がします。実際のところ多くはないのかもしれませんが、自分は助けてもらえて幸せだと感じる心があって、そう感じる機会も他より多いということかもしれません。また、拡張的知能観を持っていれば「新たな状況に対応するのに何が必要かを突き止め、それを実行することで対応しようとします」とあり、気づき・考え・実行するといったように、それらがセットになった物事に取り組む姿勢となっている印象を受けました。次に何をすればいいのか…。この問いに自分から向き合える力は大切なのですね。

  3.  〝能力は変えられないというマインドセットの生徒は、新しい学校の厳しい負担に手を焼いているのは、自分に能力がないから、たとえば、「数学は全然だめだ」とか「自分はいちばん馬鹿だ」と思い、あるいは、教師が悪いから、たとえば、「あの先生はコカインをやっている」というように言い訳をします。〟固定的知能観を持った生徒は、一言で言うとものすごい劣等感を持っているように感じます。その子がそうなるまでに多大な環境の影響があったわけで、何をしても怒られたり、いつも親がイライラしていたり、自分を信じられない原因の中に身を置き続けて生きてきたのだと思うと、自殺をしないでここまで生きてこれただけで、本当にえらいなと思ったりしてしまいます。
     子どもの存在をまるごと信じただろうか。見守る保育に従事する身として、表面的に見られる子どもの日々の些細な出来事に目くじらを立てることなく、その子の境遇に目を向けてあげたい、というような気持ちになります。皆、一生懸命生きています。

  4.  インサイドアウトの原則を思い出します。自分の周りに原因があると考え、それを責める事は簡単なことです。そして自分は傷つかずに済みます。周囲の事情をそれと認め、自らが変化することで克服しようと思えば、時に自分の未熟さ、力不足を認めざるを得ないことになりますが、愚痴や不平不満に囚われず自らが変化するという柔軟性は周囲の協力を得やすくなり、諦めず実直に努力することで克服する可能性が高くなります。一人ではなくチームで取り組むこともより成功率を高めることに繋がるのです。

  5. 個人尊重の延長線上に「自己有能観」が近年大いにもてはやされています。「やればできる」とか「君ならできる!」などなど。かつて私が学習塾を経営していた時も生徒集めのキャッチフレーズか何かに使ったことがあります。大人にとってはこの「やればできる」が子どもにおける「拡張的知能観」への期待の表れということでしょう。もっとも、我が国の場合、「やればできる」を多用しすぎているといいうか、環境も整えず変な期待ばかりを子どもに寄せるものだから、寄せられた子どもたちはいい迷惑といった感じで折角拡張的できるはずの知能観もできずじまいで大人になっている現状をあちこちでみることがあります。「自己有能観」は環境を通して子ども自らが獲得していくものでしょう。やはり「環境を通して」ということがキーになってきます。もっとも同じ「環境」でも大人主導の環境では逆効果なことは先に触れたとおりです。あくまでも「応答的」姿勢が環境の一部である私たち大人に求められるところです。

  6. 〝新たな状況に対応するのに何が必要かを突き止め、それを実行することで対応しようとします〟という拡張的知能観の考え方が紹介されていましたが、クールシステムとつながってくる部分であるように感じました。
    そして、このタイミングでの拡張的知能観の話しに〝できると思う〟という魔法の言葉の紹介が、藤森先生からの熊本地震で被災者となった方々、または自分たちに向けてのメッセージであるように感じたのは自分だけでしょうか。
    今回登場した『ちびっこきかんしゃだいじょうぶ』を手にとって読んでみたいと思いました。

  7. 能力は変えられないという固定的知能観のマインドセットは、やはり原動力に欠けてしまうようですね。この固定的知能観を脱し、拡張的知能観を獲得するには、固定的知能観か固まりきっていない乳幼児期の環境が大切であることは前回の内容からも感じましたが、乳幼児期を過ぎた時期でも環境次第で、何か1つだけでも自信となる科目やスポーツ等を見つけ出せると違ってくるのかなと思います。
    「未就学児が自分の行動の原因を、どう認識しているのかを評価する基準を開発した」とありました。これはまた面白い視点ですね。「行動の内部コントロールvs外部コントロール」ともあり、内部と外部のどちらに重きを置いた評価をしていると、どのような差が出るのか。どちらを高く評価している方が良いのかと考えてしまいますが、考えれば考えるほどこんがらがってしまいます。結局のところ、どちらかではなく、どちらも必要な評価でもあると思えます。要はバランスでしょうか。

  8. 「やればできる!」という言葉は自分の可能性を広げてくれる大事な言葉だと感じますね。1つのおまじないのような言葉ではありますが、そこには拡張的な要素が含まれていることがよくわかります。そこで大切になってくるのは「君ならできる!」と子どもに言って励ますのは簡単だと思うのですが、「自分はできる!」と自分を信じることができるようになる子を育てなければいけないのだと思います。その自分を信じることを育てるためには環境を通してよりよく大人が応答的に対応し、自分に自信を持てるようにサポートしていくことではないかと感じます。やはりそれはそれぞれが得意分野を活かすだとか発達に合った保育をしていくという所に繋がっていくのだと感じました。

  9. ブログを読んでいて高校生の自分を思い出しました。初めての数学の授業で全く理解できなかったのを先生の指導方法が悪いと言って、それ以来「数学は無理」と決め付けてしまい、授業も真面目に聞いていませんでした。明らかに固定的知能感ですね。その意識は大学まで引きずっていました。大学の場合は部活でしょうか。どんなに練習してもセンスがある人には勝てない・・・心の隅のどこかにそう思いながら部活をしていました。しかし、就職して藤森先生と出会うことで知らない自分を知ることができ、それが自身に変わり、「自分でもやればできるんだ」と思うようになりました。とはいえ、子どもたちにやたら「やればできるんだよ!」と言っても得意不得意があると思います。不得意な物を励まし頑張らせたところで、人並みレベルならば得意な部分を伸ばしたほうが子どもにとって自信に変わります。やはり子ども一人一人の個性を引き出し、伸ばすことが「拡張的知能感」へと繋がると思います。

  10. 固定的知能観に見られるようなある種の諦めのような境地は、目の前の課題から逃げ道を作るための言い訳のように感じます。自分にはできない、無理だと決めつけることで楽になろうとしているのではないでしょうか。ここまでの内容を読んできて、拡張的知能観を持っている人は私にはチャレンジャーのように思えます。ただ単に前向きであったり楽観的なのではなく、課題に対して恐れずに、方法をあれやこれやと変えながら挑戦していく姿をイメージしてしまいます。その姿が柔軟性を表しており、諦めないことが前向きなことだといえるのではないでしょうか。「自分にはできる」と思って進んでいくことは、実は勇気のある一歩を踏み出すことなのではないかと感じます。

  11. 「あの先生はコカインをしている」と他人のせいにする。それは子どもだけでなく、大人にもあてはまりますね。自分を変えようとしないで、他人が変わることばかりを待ち、悪口や陰口を言う大人はたくさんいます。それは自分には解決できない、この環境は変えられないという固定的知能観が優先しているのでしょうが、それでは結局職場は良くなっていきません。そういう人の根底には劣等感や自信のなさが見え隠れしています。
    しかし、人には必ず得意なことがあります。見守る保育では、得意分野を活かすとあります。一つでも見つかることで、自分の役割が見え、自分の立ち位置ができ、自信につながりますね。環境を変えるためには、やはりプラスな言動が必要で、悲観的では何も生まれないと改めて考えることができました。

  12. 自分自身を振り返るときに、どうしてもその時の気分によって左右されるというのは、人としてあることだと思います。そうした中、固定的知能観だとその影響を大きく受けやすく、拡張的知能観だとそれが修復できる。「ちびっこきかんしゃ」の例が出ていますが、まさにその通りで、どんな状況でも、「できると思う」を持つこと、拡張的知能観を持つことは大切なことですね。

  13. 「やればできる」こういった感覚を自信をもって手に入れている人は今の日本にどれほどいるのでしょうか。自分自身もやはりどこかで「自分には限界がある」とどこかで思っているところがあります。しかし、その反面、「どうにかできる」と思えるように奮い立たせているようにしています。そういった意味で拡張的知能と固定的知能とを自分に置き換えてみると、自分自身は「固定的知能」によっている部分はあるように感じます。しかしその度合いは見守る保育や藤森先生など人との出会いによってずいぶんと良い思考に変わってきているようにも思います。実体験でこういった「自分はできる」という思考を持てるようになってくると、行動は変わりますし、悩むということも前向きにとらえることができるようになってきました。子どもたちを見ていても「拡張的知能」の型の思考「自分はできる」という思考をもって何事にも挑戦してほしいですし、指針にも書かれているような「関心・意欲・態度」というものは拡張的知能のことを言っているのではないかと思ってしまいます。

  14. 「できると思う!」という言葉はとても素晴らしですね。固定的知能観のように何でも固定的に考えてしまうと伸びしろがないというか、発展的に物事が考えられなくなってしまいます。「できると思う」という自己暗示や前向きに考えられることで自分自身のスキルが上がったり成長できるきっかけや苦手克服なんかも期待できそうですね。私自身も昔は固定的知能観だったような気がしますが藤森先生から様々な事を教えてもらう事で拡張的知能観になっていけていると思います。子どもたちにもちょっとした声掛けによって拡張的認知観になれるのであれば見守りながら、いつかそういった言葉がかけられればと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です