成功の見通し

セリグマンが、「説明のスタイルからは、粘り強くことに当たる人物かそうでないかがわかります。成功へと導いてくれるのは、適度の才能と、失敗に直面したときに進み続ける能力の組み合わせです。」と話していますが、それは、マシュマロ実験の時に待ち続けられる未就学児にも同じくらいよく当てはまる説明だとミシェルは言います。待てる秒数は、先延ばしにできる能力を測定しているだけではなく、何秒待てたかから、その子がどれだけ粘り強いかがわかりますし、先延ばしにすることのいらだたしさと、がんばり通すのに必要な努力が刻々と増していく中で、どれほど我慢できるかも予想できると言います。

楽天主義者は、成功への全般的な期待が強いので、たとえ欲求充足を先延ばしにするのが難しいときにも、進んでそうするそうです。首尾よく待って、後で実験者が戻ってきたときにマシュマロを二個もらえるという見込みがない限り、子どもたちには、マシュマロのために待ったり、努力したりしようとする理由はないと言います。自分が望ましいと思った報酬を得るためなら必要なことは何でもできるという見通しを持った子どもは、それを手に入れるためには、待ったり、努力したりすることを選ぶようです。そういう見通しのない子ども、あるいは、実験者を信頼していない子どもは、ベルを鳴らして、ただちに得られる少ない報酬を選んだそうです。

さらにミシェルは、スタンフォード大学で、彼が担当した大学院生であったアーヴィン・ストウプと一緒に、成功の見通しが、先延ばしにされた報酬を得るために努力して待つのに必要な自制や意欲に、どのような影響を与えるかを調べました。すると、自分がやらなければならない具体的な課題を目にする前でさえ、たいてい自分は成功するだろうと見込んでいる14歳の男の子たちは、ただ待つだけではなく、うまくやり遂げないと、多いものの先延ばしにされた報酬が手に入らない、そんな認知的課題に進んで取り組むことが分かったそうです。これは、少ないものの、ただちに手に入る報酬では手を打たないということであり、彼らは成功をあまり見込んでいない子どもと比べて、この選択肢を選ぶ割合が2倍近かったそうです。

成功に対してより大きな期待を抱く子どもは、新しい課題を与えられても、すでにそれで成功したことがあるかのように、自信を持って取り組んだのです。彼らはしくじると思っていないので、それに「立ち向かう」ことを望み、進んで失敗の危険を冒したのです。彼らの見通しは、ただの夢想以上のものだったのです。過去に積み重ねた成功体験に基づいているからです。それまでの成功が、彼らのポジティブな期待を膨らませ、それが今度は、さらなる成功の可能性を高める行動や態度を奨励したのです。それがすべて合わさって、楽観主義者をなおいっそうほほえませる結果を生むというのです。

この結果からは、成功の見通しを物事全般で持ちづらい子どもたちは、課題にすでに失敗したかのように取り組み始めることもわかったそうです。しかし、そういう子どもも、現に首尾よく課題を成し遂げたときには、ポジティブな反応を見せ、この新たな成功体験のおかげで、将来の成功への期待がおおいに高まったそうです。成功するだろう、あるいは、失敗するだろうという一般的な見通しは、私たちが新しい課題にどう取り組むかに、重大な影響を与えることがわかりました。

成功の見通し” への15件のコメント

  1. 成功体験の積み重ねによって、目の前にある課題への意気込みとして「しくじると思っていない」といった感情が生まれてくることにつながるのですね。何にでも「イメージ」というのは重要であるといった印象があります。それは、イメージが持てるか持てないかで、その課題に対するモチベーションや取り組み方というものが違ってくるからであると思います。そのイメージを、いかに成功の見通しが立てられるか、そして「自分ならやれる!」と確信に近い思いを持つことができるかが、成功を納める要因になるわけですね。よく、「根拠のない自信」という言葉を耳にします。その人が、どこから来るかはわかならいが、自然に成功すると信じてやまない、そういった気持ちでいる状態のことであると思うのですが、その状態というのは、もしかするとこれまでに積み重ねてきた成功体験や、それに伴って得てきた「立ち向かうこと」「成功への見通しや期待」といったものが集合的に現れた瞬間でもあるのかなとも感じました。逆に、成功の見通しや成功するイメージを何にでも持つことができるようになれば、それはすでに成功を納めたと言っても過言ではないのかもしれませんね。

  2. 「それまでの成功が、彼らのポジティブな期待を膨らませ、それが今度は、さらなる成功の可能性を高める行動や態度を奨励したのです」とありました。成功体験から生まれるポジティブな期待というのは先にもありましたが、それは失敗を恐れないことから生まれてくるものなのですね。だとすると保育園の生活、体験で大切なのは、子どもがやってみたいと思ったことがきるという主体的な活動が保証されることだと思います。主体的な活動をする子どもたちは失敗を恐れない態度にも繋がってきますね。そして、それはそのことを受け入れる、認めてくれる大人、保育者の存在がとても大切になってくるということを感じました。失敗を恐れない姿勢は「失敗したとしてもそれに対処できるぞ」という姿にも思えてきました。それは困難をや課題を乗り越える力ですし、楽観主義者ということにもなるのかもしれません。幼児教育の可能性を感じます。

  3.  前回のコメントでは完全に脱線してしまいました。脱線ついでに思うことですが、もし楽観主義者の心の動きを覗くことが出来れば、そこにはたくさんの思考パターンがあると思います。一口に成功するだろうと言っても、誰かが助けてくれるだろう(他人だけでなく神も含めて)、時間が解決するだろう、そもそも問題にはならないであろう、失敗してもまたチャンスがあるだろう等々、いろいろな楽観の仕方がある様に思います。『甘え』と『楽観』も紙一重。そんな楽観主義の心の作法も学びたいと思いました。

  4. 「新しい課題を与えられても、すでにそれで成功したことがあるかのように、自信を持って取り組むことができる」こと、そして「それまでの成功が、彼らのポジティブな期待を膨らませ、それが今度は、さらなる成功の可能性を高める行動や態度を奨励した」とあり、過去に積み重ねた成功体験の重要さ、自分を高く評価できる成功へとつながる体験の機会を増やす、可能にする環境が重要だと感じました。また、失敗を恐れない姿勢は「失敗しても大丈夫」と失敗してしまった先の見通しまでできているからなのかなとも感じました
    マシュマロ実験の結果を見ると、楽天主義者は実行機能を有しているとも言えますね。楽観的な思考は、クールシステムを助長する効果もあると感じ、なお一層オプティミストの良いイメージが固まります。成功においても、失敗においても「先を見通す力」が必要で、その力が多くの経験を通して、「将来を見通す力」、そして「成功者」へと導いてくれるように感じました。

  5.  少し前まで、〝勝ち組〟〝負け組〟というような言葉があったように思います。主に経済的な部分での区分けのような、生活水準の高さによっての言葉だったように思うのですが、これからの時代、そんな区分があるのだとすれば、〝楽観〟と〝悲観〟、〝ポジティブ〟と〝ネガティブ〟、〝オプティミスト〟と〝ペシミスト〟といったように(どれも同様の意味なのですが)、
    それを持つ者と持たざる者との区分がはっきりしてくるのかもしれません。そんな風に思いながら藤森先生のこの度のブログを読んでいると、楽観は習得すべき必要性があるものであることがわかってきます。人としてのより良い生き方を選んでいく必要があることを感じます。
     極端な話になってしまうのですが、常日頃から、極度なストレスの中にいながら、死を選ばない人がたくさんいます。僕は、その人たちが「自分は悲観主義者なのだ」と告白したとしても、それはスポットの当て方が違うだけで、本当は死を選ばない方法、生きていく強さのようなものを多く携えているのではないかと思うのです。そういう人の話は本当に聞きたい。もしかしたら特別な人の話より、そういう人の話を聞いて救われる人がたくさんいるのではないか、と思っています。
     人生の楽しさ、喜び。考え方一つであることを改めて感じます。

  6. 成功体験を積み重ねてきた子どもたちは〝彼らはしくじると思っていないので、それに「立ち向かう」ことを望み、進んで失敗の危険を冒した〟とあり、困難なことにも立ち向かっていくというゲームで言えば主人公のような、勇敢さを持つことができるようになるんですね。
    その力の源は『見通しをもてる』ということが関係してくるということで『イメージ』できるかできないかが大きく関わってくるということが理解できました。
    サッカーなどでもよく『イメージを共有する』といいますが、チーム全員が同じことを思い、仲間を信じ、自分を信じてプレーができれば、そのチームに勝る強豪はいないのではないのでしょうか。
    そのようなチームが大番狂わせを起こし、見ていて楽しめる、スポーツの醍醐味の一つでもあると思います。そして、そのようなチームは見ている人を感動させたりと心を動かすものです。
    成功の見通しが立てれた時は、ほぼそのことが成功した時だと言ってもいいのかもしれませんね。

  7. ブログを読んでいて、ふと思い浮かんだのは給食の配膳風景です。先を見通すということでセミバイキングによる配膳で様々なことを見通す必要があります。まず好きなこと座りたいなら早く配膳をしたら座れる。美味しそうなメニューだったら人気だから最初にたくさんもらっておく必要がある・・・などなど色々とあの配膳の数分間で子ども達は先を見通し、行っていると思うと本当に凄いですね。また遊びの選択だって同じではないでしょうか。子ども達は保育園で一日生活する中で自分で選択し、満足がいくまで遊んでいますが、私は一種の成功体験と同じでなないのかな?と思います。また成功の見通しを持ちづらい苦手な子どもでも、そうした成功体験を繰り返すことで、やがて自信につながり、楽観主義的な考えになっていくのですね。それを大人が決めたことを、ただやるのでは成功しても、私はそこまで気持ちの変化はないように思います。自分で選ぶということに重要性を感じます。

  8. 我慢するということを以前のブログのなかで、躾など、大人主体となったものではない。というような内容があったことを改めて、セリグマンのいう、”粘り強くことに当たる”といったこと、自身が考え、こうすることで、できると思う。といった核心的であり、自己のなかで先を見通すことができるために、我慢と自己信念の繋がりを感じます。
    “成功の見通しを物事全般で持ちづらい子どもたちにも、現に首尾よく課題を成し遂げたときには、ポジティブな反応を見せ~”とあり、楽観主義であるのならば、成功の見通しがもてるため、成し遂げる自信をもつことができることは、わかっていましたが、成功に対して、失敗するなどというように悲観的な思考になっている状態でも、そのなかで、課題を成し遂げることができたとき、ポジティブな反応を見せるといった成功体験に対する周りの反応であり、関わりがその人がどう変わっていくのかが裏付けされるような気がしました。その成功体験がのちの自信と繋がるのでしょうね。

  9. 「過去に積み重ねた成功体験に基づいて」いるからこそ「しくじるとは思っていない」という考えになるのですね。確かに絶対の自信があることに挑戦したときは大抵成功したことを思い出します。そう考えた時、そのときは少なくとも自分が楽観主義者であったのでしょうね。気になるのがその自信を持って取り組んだ時にもしも失敗してしまったときにどうなってしまうかです。楽観主義者は、その失敗も具体的にどんなところがいけなかったのかをしっかり把握して次に活かしていくのでしょうか。その場面のリジリエンシーも楽観主義者は強く持っている印象があるため良い経験と見なし先へ進むのでしょうね。何事も先の見通し、イメージを持って行動しますがそのイメージがどれだけ明確で自信を持てるかで行動は変わってくることが伺えます。またあまり自信がなくても「できる!」と信じることが大切なのですね。

  10. 私は「人事を尽くして天命を待つ」という諺が好きです。考えてみれば、私は小学生のころから「待つ」ことを苦にしていなかったようです。その「待つ」は将来を待つということで、私にとって「将来」は常に希望に満ち満ちたものでした。まぁ、そういった意味では、現状に満足してはいなかった若い自分がそこにいたのでしょうね。最近の私はもっと欲深くなっていて、「今が一番」という思いと、「将来はもっとよくなる」という期待で充満していますから、日常、面倒なことが出来しても、まぁ、なんとかなるさ、でその状況を切り抜けてきているようです。「楽観主義者」になるには、やりたいことを他者と折り合いをつけながらやり続けることが肝要かと思います。「手に入れるためには、待ったり、努力したりすることを選ぶ」生き方をわが子にも、園の子どもたちにも遂げてほしいものですね。そして、なんとかうまくやり遂げるためには、やはり「人事を尽くす」ことが必要だと思うのです。

  11. 成功の見通しと失敗の見通しを持って課題に取り組むのでは、結果だけでなくその過程においても大きな影響を与えそうですね。取り組み方や心持ちというのも違ってくるでしょうし、しいてはそれが結果にも繋がってくるのでしょうね。筋力トレーニングなど、自分の理想とする体をイメージして取り組むのとそうでないのとでは、同じトレーニングをしたとしても大きな差がでるという話を思い出しました。イメージすることは力になり、そのイメージをプラスのものにするかマイナスのものにするかで結果が異なるのは当然のことなのかもしれません。また、たとえ失敗したとしてもそれを悲観的に捉えるか、次の成功のための糧と捉えるかでも、経験として得たものの持つ意味が違ったものになってしまいます。単純に思えることですが、楽観的に考える姿勢がどれだけ人生をいきいきしたものにするかということを強く感じます。

  12. 楽観的主義者と悲観的主義者の違いには、成功体験が関係していることがわかりました。成功体験を積むことにより、その体験をもとに、成功イメージを描き、目標に着実と進んでいけるのですね。マシュマロ実験の結果が大人になった時と関係することが理解できました。乳幼児期に成功体験をたくさん積むことは、重要であり、さらに保育の質を高めていく努力をしていかなくてはいけないなと思いました。

  13. 「彼らはしくじると思っていないので、それに「立ち向かう」ことを望み、進んで失敗の危険を冒したのです。」「過去に積み重ねた成功体験に基づいているからです。」この文を読んでいるといかに子どもたちにとって「成功体験」がのちの結果に大きな影響を及ぼすのかということが分かります。そして、この成功体験に必要なのは子どもたちの「見通し」によるものもとても大きいのですね。この「見通し」を子どもたちができるようにするためにはやはり「一斉」でやることよりも、「選択性」で行うことのほうがより子ども自身の「見通し」をもつことにつながるのではないかと思います。人に示されたものではなく、自分で選ぶことは見通しがなければできません。そこでの経験は自分にとっては納得のいくものであると思います。現在は子どもたちのポジティブな期待よりも大人の期待のほうが強いように思います。成功体験を積み重ねるというのは自信をつけるということと同じ意味のように感じます。自分たちの取り組みが子どもたちにとってどう影響するのかよく考えなければいけないですね。

  14. 「成功の見通し」を持つことの大切さは、子どものみではなく、大人も同じですね。「彼らはしくじると思っていないので、それに「立ち向かう」ことを望み、進んで失敗の危険を冒したのです。」この一文は、自分にとってはよくイメージできるものですが、こうしたイメージをいかに持ってもらうか。そこには過去の成功が関係しているとのことなので、少しづつ、積み上げていくことが大切なのでしょうね。

  15. 「成功に対してより大きな期待を抱く子どもは、新しい課題を与えられても、すでにそれで成功したことがあるかのように、自信を持って取り組んだのです。」とありましたが、読んでいてエジソンの発明を思い出しました。エジソンは電球を作るために2000回以上の失敗を繰り返したと聞いたことがありますが、「それは全て失敗ではなく2000回以上のステップを踏んだだけ」という言葉もあるように、成功した時の期待が大きくてエジソン自身も自信を持って繰り返し実験を行っていたのかなと感じました。成功に対する期待やドキドキ、ワクワク感はまさに成功に結び付く要素なのかもしれませんね。また、成功の見通しが持ちづらい子でも少しの成功体験や、自信を持たすことで成功の見通しが立てられるのですね。

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