将来の自分

私たちはぞっとするような出来事が差し迫っていれば、すぐに心配になるのに、将来については、バラ色のめがねと、気分を良くさせる心理的な免疫系のおかげで、ホットなかたちで鮮明に思い浮かべることはめったにありません。ですから、癌や貧窮、孤独な老年期、不健康といった恐ろしい見通しのことばかり考えるのが避けられ、もし、そうした不安が生々しいものになることがあっても、たいていの人はすぐに自ら気をそらすことができるのです。

こうして、私たちはフロイトが患者に見出し、ムンクが「叫び」で描いた不安をやり過ごしたとミシェルは言います。私たちの防衛機構は、そのような光景にいつまでもとらわれるのを、防いでくれるのですが、私たちが放埒なキリギリスではなく、先見の明のあるありのように振る舞う可能性を低めてしまうと言います。その結果、私たちは食べ過ぎや、度を超えた喫煙や、飲酒など、ありとあらゆる種類の危険を冒し続け、それらがもたらす長期的な結果は、先のことで、不確実で、簡単に頭から追い払えるため、無視してしまうと言います。アメリカ人の大多数は、自分が慣れ親しんだ生活様式を、とうてい維持できない資金しかない状態で、退職年齢を迎えるとミシェルは言います。この問題のおおもとは、将来の自分について私たちがどう考えがちであるか、そして、その将来の自分が脳の中でどう表象されるかにあると言うのです。

このミシェルの分析は、アメリカ人に対してのものですが、日本人はどうでしょうか?一概に言えないかもしれませんが、私は、日本人の方が、おおむねアメリカ人よりも先を見て、将来を思い描いて現在を生活する気がしています。それは、今の裕福さや、豊かさはいつまでも続くかわからないという経験をしているからです。しかし、こういう言い方はあまり好きではありませんが、どうも最近の若者たちを見ていると、アメリカ人の考え方に似てきている気がしています。それは、先延ばしする力と関係している気がしますが、将来どうなるかわからないから、今を楽しく過ごすという考え方です。

ミシェルは、現在の自分と、将来の自分をどのように考えるかということを問うています。「歳をとるにつれ、私たちの肉体は完全に変わるが、私たちが経験する自分も変わるのだろうか?」「想像の中で、時間を旅し、将来の自分について考えるとき、何が起こるのか?」

まず、現在の自分と将来の自分が、まったく重なっていないと思うか?ほぼ重なり合う状態だと思うか?10年後の自分と想定しているものに、今の自分がどれだけ類似し、結びついていると感じているか?という度合いに応じて、自分の最もふさわしいのはどれかを考えてみます。

今度は、fMRI装置に入って、脳の活動をスキャンしてもらうことに同意したところを想像してみます。頭が装置の奥深くに収まり、狭苦しい空間に慣れてきたときに、スピーカーから指示が聞こえてきます。「自分について考えてください。」言われたとおりにすると、あなたの前頭皮質の中部で、脳活動の明確なパターンが見えてきます。これを、「自己パターン」と呼ぶことにします。見ず知らずの人について考えるように指示されると、同じ大脳皮質の領域が、はっきり異なるパターンで活性化し始めます。これを「他者パターン」と呼ぶことにします。最後に、「今から10年後の自分について考えてください。」と言われたとします。この実験の結果は、どうなったでしょう。

 

将来の自分” への15件のコメント

  1. 「ありとあらゆる種類の危険を冒し続け、それらがもたらす長期的な結果は、先のことで、不確実で、簡単に頭から追い払えるため、無視してしまうと言います」とありました。確かに将来についてのことを必要以上に不安に思わない能力というのは生きていくうえで必要な力だと思います。しかし、それは先のことを頭から取っ払ってしまい、今という時間に危険を冒し続けることをしてしまうことにも繋がってしまうのですね。その感覚というのはよく分かります。ダメだと思ってもついついやってしまうというのはきっと先のことを頭から追い払っているのかもしれませんね。「将来どうなるかわからないから、今を楽しく過ごすという考え方です」という考えはどこかにあるのかもしれません。未来は今の積み重ねという感覚を持ちにくいのかもしれませんね。それは私にも注意したいところです。最近、様々なニュースに触れるとこのような自制に関する力の欠如を感じることが多いです。それはやはり少子化による集団での育児の場がないということにもつながっていくのかもしれません。様々な問題を辿ればやはり幼児教育の質になっていくのかなとも思えてきます。

  2.  自分の成長を目的とすれば、多少の逆境は良い環境と言えます。逆に自分が傷つくことを恐れれば、易きに流れるしかありません。自分の将来の豊かさはそれに見合う自分の成長によってもたらされると思えば、享楽的に過ごすことは恐ろしいことです。大人であればそれくらいの見通しはつきますが、将来の不安から気をそらす心理的な免疫系によって人は努力を先延ばしにします。私自身もそうですから良く分かります。しかし、それは楽観というより逃避であり、ホットシステムに支配されているのです。

  3. 将来の見通しが付きにくいものとして、年金問題が出てくるでしょうか。人口の比率を見ると、私たちが年金をもらうような年になった時、それを支える税金を払える人口がいなければ不可能という不安によって、“それなら払わずにその分楽しく過ごしとかないと損だ”と考えてしまい、「将来どうなるかわからないから、今を楽しく過ごすという考え方」になるのかもしれません。しかし、もしそうであれば、年金をもらわずに生活できる経済力やその取り組み、生活水準の構築の仕方という視点で将来への見通しをしておく必要があるということでしょうか。遠い先の予想というのは不確かさに覆われてしまっていることで「簡単に頭から追い払える」という事態に陥りやすいということでしたが、不確かな部分を確実なもの確信的なものと捉えることができれば、行動は変わってきます。確信的な想像のもと日常を過ごすことで、現代、そして将来的な充実さが高まっていくように感じました。

  4.  〝自己パターン〟〝他者パターン〟とあるように、自分と他者は違うということが示されています。当然のことですね(笑)以前何かの本で、〝自分が成長したければ、人に教えるように自分に教えなさい〟という内容の文章を読んだことを思い出し、なるほど、使われる脳の働きが違うからなのだ、ということがわかりました。この実験の結果、もし自分の将来を楽観的に考え、他人の将来を厳しいものと評価した時、人間って案外自分が可愛い生き物なのかもしれない(笑)そう思えるのではないか、と思いました。
     でもそれくらいの心の余裕が大事だと思います。自分に厳しい人は、おおよそ他人にも厳しい。自分に程々に甘く、他人に甘く優しくできた時、人の人生というものが豊かな膨らみを持つような、そんな気もします。自分の人生に責任を持ち、社会に貢献する為に体を使い、自分の体を壊すために食事をするのではなく、食べられることに感謝をする。共生と貢献の生き方は、人間が素晴らしい人生を歩んでいくことができる、人間の理念のように感じました。

  5. 最近の若者の考え方の特徴として〝将来どうなるかわからないから、今を楽しく過ごすという考え方〟ということがあり、アメリカの考え方に似てきたということでしたが、自分も学生の頃は同じように考えていました。
    自分が思っていたのは『明日命があるか分からないから今を楽しもう』というものでしたが、今思えば、〝フロイトが患者に見出し、ムンクが「叫び」で描いた不安〟に覆い尽くされていたんだなと思います。
    将来という不確定なものが確定的なものになるような先の見通しを持てれば、自ずと行動が変わってくるものだと思います。
    そのようにすることで、普段の生活も充実していくのではないのでしょうか。

  6. バラ色のめがねと、気分を良くさせる心理的な免疫系のおかげで、ホットなかたちで鮮明に思い浮かべることはめったにないことが気をそらすことにつながり、不安をやり過ごしてこれたのですね。しかし、これが今の若者に多く見られる将来を軽視した行動につながってしまっているのですね。クールシステムの作用を知ったことで、如何にホットからクールへと自分の思考を移していくかが重要であると思っていましたが、以前の内容にもあった通り、ホットシステムについても上手く活用していく必要性があることが今回の内容からも感じることができます。私も含めてですが、今の多くの若者に見られる将来を軽視した行動が、日本人よりアメリカ人の方が多いであろうということは、現代のグローバル化の進行が1つの要因として挙げられるのかなと思いました。アメリカという国のキャッチフレーズが「自由の国」であることもそうですが、アメリカに限らず、海外の国々は日本と比べて様々なところに「自由」がある印象があります。しかし、この自由をはき違えてはいけませんね。自由には責任が伴うこと、それを将来病気を患ったときに自覚するような人生を送らないためにも、先を見通すことを怠らないようにしていきたいです。

  7. 「将来の自分」というテーマはとても難しい反面、面白い気がします。少し前までブログに書いてあるように「今を楽しく過ごす」という考え方があったように思います。しかし就職し、藤森先生と出会い少しづつ考え方が変わってきたのは確かです。おこがましいですが、私の将来は藤森先生のように生きてみたいと思います。具体的にこうするというのは、正直分かりませんが、生きている間はずっと社会に貢献していきたいと思っています。明らかに分かるのは、もし私が違う環境にいたら将来のことは考えたとしても、少し先のことで、10年、20年と考えていなかったでしょうね。少し前まで年を取るのがマイナスなイメージでしたが、今は逆に年を取るのが楽しみになっている自分がいます。
    なんだかブログのコメントと言うより、個人的な意見になってしまいました・・・。

  8. 現在お世話になっている法人であと10年勤めると定年を迎えます。ここ数年で考えてきたことは、まず、今お世話頂いている法人さんで10年勤めさせて頂き、もし仕事に耐えられる思考と体力があったら以後嘱託としてさらにお世話になりたいということです。次に考えていることは、できれば、年金のことを気にするどころか、税金をしっかりと納め続けられる人生を送りたいということです。「将来の自分」について考えると、以上のことが基本にあることに気づきます。最近、年齢を重ねることは悪くないな、と思ってきました。私たちの国日本は比較的良い国です。この良さをもっと良くするためにも考え方と生き方を見直していきたいと思うのです。私が勤務する園の理念の「共生と貢献」とは人として生きていくためのキーワードです。そして、「子どもといえども立派な人格者」ですから、私たち大人はそのモデルになるように努めなければならないのだと思います。「子どもは育てられたように育つ」との名言があります。子どもは自ら育ちますが、「育てられたように」とは「環境」のことです。私たち自身が良い環境になりましょう。

  9. 「今を楽しく生きる」という考えは10年前に考えていたことかもしれません。恥ずかしながら今も少なからず持っている気がしています。しかし、藤森先生と出会ってから自分の考え方というのが大きく変わってきていることがわかります。将来のことをより考えるようにはなり、自分に対する見通しというものを意識するようになっています。ただ10年後の自分がどうなっているか明確ではありません。その10年後に備える生きた方を今はしていきたいものです。「自己パターン」「他者パターン」とまた興味深い実験が出てきましたね。それだけでも脳の違う部分を使っているというのも驚きです。どんな脳の動きとなるか気になります。

  10. “将来の自分について私たちがどう考えがちであるか、そして、その将来の自分が脳の中でどう表象されるか”という内容から私たちが、今という時間をどれだけ今から将来を見通しているのかを考えます。例にあるように煙草や酒などはあまり度を越えてしまうと体に害をもたらすことは、ほとんどの人が熟知していると思いますが、そのリスクをかえりみず、自己欲求を満たすためにとめることができず、自分が60歳.70歳になったときに自分の体はどうなっているかを考えることができていない、ホットシステムが働き、衝動的で、欲求を満たしている、それが環境によってなのでしょうか、クールシステムの機能を低下させていることが考えられます。自分のことを考えてみる、自己を見つめなおす、というような言い方もありますが、座禅をくみ、落ちいた空間のなかで、雑念をすて、無になることでおのずと、自分のことを考えるような気がします。

  11. 将来を見据えた上で今の自分がどうするべきかを考えるというのはなかなか難しいことだと感じてしまいます。遠い将来よりも今を重視してしまうのはまさにクールよりもホットな思考が勝っていることの表れですね。これは人の受け売りなのですが、昭和の大横綱である千代の富士は、明日勝つための稽古だけでなく、3年先も勝つための稽古をしていると言われていたそうです。まさに先のことを見通した上で自分が今すべきことを考えており、千代の富士のその姿勢はクールな思考の体現ではないかと思います。それを思うと、やはり世の中で大成している人たちというのは自制心に優れており、先を見通すということがしっかりと出来ている人なのでしょうね。今さえよければいいというのは、当然訪れるであろう結果から逃げているということなのかもしれません。そうではなく、将来という現実を直視し、そのために何が必要なのかを考えられる人になりたいと感じています。

  12. 私も実際に今が楽しければいいやと思って生きてきました。しかし、それは自分の人生に責任を持たず現実からの逃避だったのかもしれません。幼い頃から、大きくなったら何になりたいという夢もなく、ただただ学校を卒業して仕事するのだろうなという漠然としたものしかなったのかもしれません。私が幼い頃は、「選択をする機会」が少なかったためか、主体性というより、他人との協調性ばかりを求められてしまっていたからかもしれません。しかし、今では、見守る保育をもっと学び、そして、伝えたいという大まかですが、そのような目標があります。まだまだ具体的に数年後先の姿は見えてはきませんが、一歩ずつ自分の人生を主体的に生きていきたいなと思います。

  13. 最後の文章がとても気になります。自分について考える脳のパターンと他者について考える脳のパターンが違うというのも面白いのですが、10年後の自分を予測するパターンがどう違うのかというのはとても気になります。違う領域なのでしょうか。それとも同じなのでしょうか。違うのであれば、見方や脳の使い方がどう違うのでしょうか。次のブログを見るのが楽しみです。
    今回のブログでは将来をどう見通しているかということが出てきましたが、確かに日本人はよくこのブログでも出てくるように「情けは人のためならず」というように最終的に自分に返ってくるというような見通しを持つことが昔から習慣としてあり、先をみて将来を思い描いて現在を生活するという能力はもともと高かったように思います。おもてなしなど、相手のためにおこなう「おもいやり」ということも、自分ではなく他者のために行うのは結果自分のためになると考えるからでしょう。そして、その「自分のため」というのは今の自分ではなく、先の自分であり、文化の中にこういった見通しを大切にするということがあるように感じます。しかし、今の社会ではこれもどこまであるのかと疑問を持つことも多いですね。最近でも「不謹慎狩り」というものをテレビで見ましたが、どうもお互いの足を引っ張るような社会になっているのはさみしいように感じます。こういった問題や引きこもりなど問題から見ても、「将来どうなるかわからないから、今を楽しく過ごすという考え方」は深まっているように思います。「将来に夢を持てる国造り」と政治家も言っていますが、それは経済だけでなく、教育の内容を見直すことや社会の子ども観を見直すというアプローチも必要になっているように感じます。

  14. 日本人とアメリカ人の将来の見方は面白いですね。アメリカのイメージというと勝手なものかもしれませんが、「アメリカンドリーム」というように、皆が夢を持っている気がします。それゆえに、ミシェル氏の話の様に、将来についてのイメージをうまく持てず、「アメリカ人の大多数は、自分が慣れ親しんだ生活様式を、とうてい維持できない資金しかない状態で、退職年齢を迎える」ということになるのかもしれませんね。そうすると日本人は比較的悲観主義のポジションなのかなと思いましたが、いわゆるわびさびの様に小さな喜びをうまく感じることで、よいバランスが取れているようにも感じます。

  15. 最近の若者の姿として「将来どうなるかわからないから、今を楽しく過ごすという考え方」とありましたが、確かにそういった考え方は学生時代の同級生だったりテレビを観ていた時の若者のコメントなどでよく耳にします。私も一時期そういった考え方になっていましたが、藤森先生と過ごしていく中で「今を楽しみながら、将来のために何をしておくべきか」といったことを考えるようになりました。まだまだ修行不足ですが、自分の将来のため、そして子どもたちの将来のためにどのように生きていけば良いか普段の生活の優先順位を考えていかなければなりませんね。

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