できると思う!

カリフォルニア大学ロサンジェルス校の教授であるシェリー・テイラーが率いるチームは、自己効力感や楽観的な期待があれば、ストレスの有毒な影響を和らげ、健康に関連した、望ましい神経生理学的・心理的な結果を多く招くのが見込まれることを証明しました。彼女らは、2011年に、こうした信念はそれぞれ、相当の遺伝的要素を持っているものの、環境条件によって修正されたり、影響を受けたりする余地もあることを、アメリカ科学アカデミー紀要誌で発表したのです。人生の質と長さを、こうした信念が左右することを踏まえ、これから一つ一つについてミシェルは検討していくのです。

これらの研究は、確かに保育に当たる私たちには参考になります。というのも、遺伝的な要素を修正するためにどのような環境条件を整える必要があるのかと言うことが、保育の一つの役割でもあるからです。それが、乳幼児期における教育と呼ばれることかもしれません。

 「自己効力感」や「楽観的な期待」があることが必要であるとしましたが、これも、必要であるという他の研究をブログでも紹介しました。ミシェルは、この「自己効力感」をこう説明しています。「自分の行動を決定するにあたり、能動的な行為者となれるという信念や、自分は変わったり、成長したり、学んだり、新たな難題を克服したり出来るという信念だ。」以前のブログでは、この「自己効力感」を持つことで、病気を克服し、健康になったり、寿命を延ばすことにもなるという研究を紹介しました。また、「楽観的な期待」は、オプティミストはなぜ成功するかということから、楽観的な期待が、いかにストレスを退け、物事を成功に導くかという研究を紹介しました。

 ミシェルは、こんな体験からその重要性に気づいたと語っています。それは、彼が、オハイオ州立大学の臨床心理学の博士課程に在籍して、指導教官のジョージ・A・ケリーが、苦悩に満ちた「テレサ」という若い女性を治療するのを見守っていたときのことでした。テレサは、次第に動揺し、不安になり、もう自分の人生が手に余ると感じていました。3回目のセラピーセッションの時、どうやら興奮が頂点に達したようで、自分は正気を失いかけているのではないかと涙ながらに声を張り上げて訴え、ケリー医師に、どうか答えて欲しいと懇願し、こう尋ねました。「私は気が変になりかけているのでしょうか?」

 ケリーは、ゆっくりとめがねを外し、彼女の顔に自分の顔を近づけ、まっすぐ目をのぞき込んで訊きました。「そうなりたいですか?」

 テレサは、ハッとしました。肩から大きな重荷を降ろしたかのように、途方もなく気が楽になった様子でした。どう感じるかを変える力が自分にあるかもしれないなどということは、思ったためしがなかったのです。突如として、「気が変になる」というのは、避けられようのない運命ではなくなり、一つの選択肢に変わったのです。自分はこれまでの経歴の受動的な犠牲者として、人生が崩れていくのを、指をくわえて眺めている必要などありません。彼女にしてみれば、これが、「わかった!」の瞬間だったのです。これをきっかけに、彼女は自分について別の、もっと建設的な考え方を探し始め、それまでは不可能だと思って考えもしなかった行動の道筋が開けたのでした。

 「できると思う!」という信念が、人生をがらりと変えたのです。

できると思う!” への15件のコメント

  1. 「自己効力感」というものは、自分自身に強く問い正すことのできる力であると感じていました。「自分の行動を決定するにあたり、能動的な行為者となれるという信念」という意味には、自己選択する機会を与えられた環境でしか育まれないと思います。保育の一つの役割でもあるそのような環境があることというのが、質の高さにもつながってくるのですね。幼い頃から、自分の中に課題を見つけて、その課題に向けて取り組むということは得意であった気がします。それが、どんな壁でも乗り越えることができるといった信念であったのでしょうか。そのため、幼い頃から体を壊すことが少なく、病気に対しても臆することなく、健康を保ち続けています。今後、今の食生活でそれを維持できるのかといった多少の不安はありますが、そんな状況下でも大丈夫といった信念を持ち合わせていきたいと思いました。そして、「テレサ」に対する医師の言葉は、心に響きました。最近、棚を掃除していたら自分の字で「どうなりたいか?」と書かれたメモ書きを見つけました。私も、テレサのように不安に押しつぶされていたようです。

  2. 「遺伝的な要素を修正するためにどのような環境条件を整える必要があるのかと言うことが、保育の一つの役割でもあるからです」ということは保育の可能性、その重要性をすごく感じる言葉です。この意識を私たち保育者が持つことで、保育はもっと深く、やりがいのあるものだという認識が広がっていくように思いました。「自分の行動を決定するにあたり、能動的な行為者となれるという信念や、自分は変わったり、成長したり、学んだり、新たな難題を克服したり出来るという信念だ」ということはまさに見守る保育における子どもたちの姿であると感じました。同時に、自分の行動を自分で決め、自分の人生は自分でどうにかできるという意識を持ちながら生活していくことがその先の人生においていかに大切であるかということも感じました。自分の行動を自分で決めることは決して自分勝手な行動ではありませんね。テレサの話も思わず「おお!」と声をあげてしまいそうになりました。「そうなりたいですか」という言葉はぐっときますね。「できると思う信念」私もそれを持って、どんなことにも望めるようになりたいです。

  3. テレサと同様の経験をした人も少なくないはずです。「不安になり、もう自分の人生が手に余ると感じ」る経験。そうした状況下に置かれた時、ケリー医師のように「そうなりたいですか?」と問いかけられ、そしてハッと気づいた時。その時の後は「まぁ、なんとかなるさ」「なるようになる」と思い、「楽観的な期待」が何とはなしに頭を擡げてきます。いったんこうした経験を積んでいると、その後、大変だったり面倒だったりしても、一時的に落ち込むことはあるにせよ、やがて時間と共に回復していき、再び生活が送れる、ということになります。レジリエンス力だろうかと思うのですが、私はあまり「できると思う!」という思いを抱くことはなく、やはり「まぁ、なんとかなるでしょう」ですね。ファジィーな人生を送りたいと思っています。私の中では、ファジィーな人生の送り手は基本オプティミスト、という信念があります。適材適所、良い加減、適切適当が「ファジィー」ということですが、ね。

  4. 『自信』とは何でしょうか。簡単にいうなら、直感的にできそう、できるかも、やってみたいと思うことです。逆に直感的にできない、ダメだ、怖いと思うのであれば、それは自信がないということになります。ではどうすればポジティブな直感を持てるのでしょうか。それに必要なのは経験です。過去に取り組んだ経験、成功した経験、似たような経験があれば同じ様にできると思えるのです。私たちは保育の中で様々な経験を積んで欲しいと願います。一つひとつの経験が将来への自信に繋がると知っているからです。

  5.  〝遺伝的な要素を修正するためにどのような環境条件を整える必要があるのかと言うことが、保育の一つの役割でもあるからです。それが、乳幼児期における教育と呼ばれることかもしれません。〟とても重要な文章だと思います。思わず抜き出してしまいます。〝保育者の大きな仕事の一つは環境をデザインすること〟また、乳幼児教育の大切さをこのような奥深いところから藤森先生は説かれていたのだと思うと、改めて見守る保育の奥深さに気付くような思いがします。〝遺伝的な要素を修正する〟というのはある意味では〝見守れる子に育てる〟ということに近いと思います。子どもを叱って矯正する、ということではなく、その子にとって伸ばすべき素質を見出し、逆に、例えばルールを守れるよう促すことや他人を傷つけてしまう暴力性のような社会に適応しにくいものに対して、修正できる機会を与えていってあげる。まさしく日々の保育の中で行っていることでありますし、もっと人間性を高めて、おおらかで、寛容な枠組みへと、日々広げていくことであると思います。
     子どもの人生、人の人生の質を保育園にいるこの時期に高められるという希望は、保育者の新たなやりがいとなっていくように感じます。
     

  6. ケリー医師の「そうなりたいですか?」という問いかけは深いですね。人は自信がなく、追い込まれたとき、どうしても視野が狭くなり、多数ある選択肢が見えなくなるほど思考の柔軟性に欠けてしまう印象です。この問いかけは、視野を広げてくれる効果があるように感じました。「自分にはこれしか残されていない」と思っていたこと以外の選択肢が見え始める、そんな経験を私もしたことがあります。私のその経験も、他人にかけてもらった言葉がきっかけでした。また、テラサのこのような経験は、増加傾向にある「自殺」にも関係してくることのように思えました。それを未然に防ぐには何が必要なのかの答えは、幼いころから「自己効力感」や「楽観的な期待」を豊かに養っていくこと、そのためには能動的に自分の行動を選択し、自己決定していける環境が必要であり、そのような経験が「自信」につながっていくように思えました。

  7. 〝自分の行動を決定するにあたり、能動的な行為者となれるという信念や、自分は変わったり、成長したり、学んだり、新たな難題を克服したり出来るという信念〟というのが、自己効力感であるという所を読んでいて、このような環境を目指しているのが見守る保育であるように感じました。
    子どもたちは、自ら選び、学び、新たな課題を見つけ、その課題をクリアするのにどのような方法があるのかを考え、伝え、話したりするなど、あらゆる手段を用いて解決へと向かっていきます。その過程で『能動的な行為者』になれるという自信がつき、『難題を克服できるという信念』が培われていくように思います。
    それは、自分たち大人も一緒であり、そのような子どもたちからの刺激もありながら、大人も子どもも一緒に環境を作っていっているように感じます。
    〝遺伝的な要素を修正するためにどのような環境条件を整える必要があるのかと言うことが、保育の一つの役割〟ということで、自分たちが、いかに未来の社会に向けての重要な役割を担っているのかということを考え、気持ちが新たになりました。

  8. 少し話は違いますが、自分の中で完全にいっぱいいっぱいになり、もうどうしようもない、他に手立てがない!といった状況に陥ったとき、先輩の先生に「こんなことでもいいんだよ」と具体的に簡単な方法を教えてもらい、いきなり自分の中の世界が広がったことを思い出します。「そうなりたいですか?」という言葉は自分が考えているところよりぐんと引いたところから自分を見させてくれる言葉であるように感じます。もう少し世界を広く見られるようなり、オプティミストのような考えになれるのでしょうね。アドバイスを受けたりハッとなると「自分の行動を決定するにあたり、能動的な行為者となれるという信念や、自分は変わったり、成長したり、学んだり、新たな難題を克服したり出来るという信念」というのを実感することができ、より人生を前向きに考えられるようになるのではと思えました。

  9. 「できると思う!」という信念が、人生をがらりと変えたのです。こういう風に思えることは確かに大切かもしれません。ケリーがかけた「そうなりたいの?」という言葉はシンプルでありながら、人の気持ちを大きく変えた深い一言です。私の周りにももっと自信を持てばいいのに・・・と思う仲間がいますが、正確なのか謙虚に、いつも「自分は・・・」と言っています。今度、ケリーのように「そうなりたいの?」と声をかけてみようと思います。そして更に「自己効力感」「楽観的な期待」の二つが人を変えてくれるスキルということですが、特に「楽観的な期待」はとても分かります。仕事をしていてもやはり失敗をしますし、凹む時もありますが、その時にいかに立ち直り、問題をスマートに解決していくかが重要で、ずっと引きずっていては前に進めません。どんな状況でも「なんとかなる!」「できるはずだ!」という考えを持つだけでも人生は大きく変わるのですね。

  10. できると思うという言葉から連想できるものとして、自信であったり、自分自身の気持ちを高めるような気持ちをもったり、できると思うような日々の努力、他者からの声というものが考えることができます。自己信念という言葉が最近のブログでもありましたが、信念をもつためには、自身が自信をもつような思考にならなければならないと思うという楽観主義者、オプティミストであると、自分はできるであろうという、想像は浮かび、失敗を考えるようなひ悲観的な考え方はしないと思います。こういった点からも自分はどういう人間なのか、と自己分析する力というものは重要だと考えることができます。

  11. 「できる」と思うことは選択肢を広げることにも繋がるのですね。テレサの話にもあるように、自分の置かれた状況を避けられない運命として受動的に捉えるのと、それを変えること力が自分にあると信じて能動的に捉えるのとでは進むべき道がまったく違ってきますね。オプティミストの話の時にも感じたことですが、自分の考え方、捉え方次第で物事の見方や見える景色も違ったものになり、前向きに考えることがいかに大切かということを改めて感じています。困難に陥ったこそ、自分にはできるという強い想いと信念を持ち、新たな可能性や選択肢が見出せるように意識していけたらと思います。

  12. ケリーの「そうなりたいですか?」という言葉に私もハッとしてしまいます。どのような場面でもすべては自分が選択し、悪いことですら自分が望んで選んでしまっているように思えました。
    私自身も結構不安になってしまうタイプで、自信があまりない方かもしれませんが、子ども達が恐れずに何にでもチャレンジする様子を見ていると、やりたいかやりたくないかなのかなと思います。自分の思いに正直で主体的に行動できる子は経験もあり、「できる」「やりたい」と自信に満ち溢れています。保育園という環境は、失敗してはいけない場所ではなく、失敗から学び次の意欲へとつなげていく場所であるべきで、育つ人的物的環境の大切さがわかります。

  13. 「自己効力感や楽観的な期待があれば、ストレスの有毒な影響を和らげ、健康に関連した、望ましい神経生理学的・心理的な結果を多く招くのが見込まれる」という研究は、保育に参考になるということですがまさにその通りですね。それと同時にこの「自己効力感や楽観的な期待」は子どもたちが本来持っているもののように感じます。そして「できると思う!」という信念。これも子供たちが希望に満ちた瞳で夢を語る姿が思い浮かんでしまいました。こうしたことも生きる力として人の遺伝子には初めから組み込まれているものでもあるのでしょうね。

  14. テレサさんのが感じた「「気が変になる」というのは、避けられようのない運命ではなくなり、一つの選択肢に変わった」という悩みに近いことは意外と多いのかもしれません。「自分だけがなぜこの状況なのだろうか?」と悩むに陥ることがありますが、その時実は「自分だけ悩んでいるわけではない」と気づくと楽になります。これまでの内容を見ていて、自己効力感や楽観的な期待というのは乳幼児期のときにしか、得ることが困難と考えるところがありましたが、「わかった!」と気づく瞬間や考えるコツみたいなものを知ることはどの時代でもできるのかもしれません。自分の自己効力感や楽観的な期待を得ることはそこに気づくかどうかで変わるのかもしれませんね。以前、子どもの非行などの話で高校の時にいい大人と出会うかそうではないかでその後の生き方が変わってくるというような内容があったのを思い出しました。そこで自分というものの肯定感が得られるから構成できるという話だったと思いますが、その非行を起こした生徒からしたら、「このままでいいのか?」という選択肢の幅をいい大人と出会ったことで広げたのかもしれませんね。そして、出会いで起きた肯定感が安心基地となり、楽観的な期待につながっているという結果なのかもしれません。

  15. 「病は気から」ということわざがありますが、これは本当にそのようになってしまいますね。ちょっと調子が悪いと「自分は体調が悪いんだ」「病気なんだ」と思い込んでしまう事でやる気がなくなり、気分が悪くなりといった具合になっていきます。私は「病は気から」の逆もまたあると思っているのですが、ケリー医師の「そうなりたいですか?」という問いかけがあったように、「自分はそうなりたくない」や「病気になんかならない」と自分に言い聞かせてみると、元気が出てくるというかやる気が出てきます。何よりマイナスに思い込んでしまうと目の前が暗くなっていきますが、「できると思う」というプラスの考え方が自分の未来を変える事ができますね。

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