日本の美

 日本の住居において、非対称的であることは「自然」であり、景観の中に開かれていて、限りなく変化していく形態、つまり、表面的に未完成の形態を刻み込んでいくことになるとマサビュオーは考えています。さらに彼は、禅の美学は、素材そのまま用いることを好み、簡素な感覚の探求に基礎をおいていますが、のちになって、孤立した茶室のために考え出されたスタイルが、住居建築全体に広げられるようになったときに、この禅の美学が日本の住居の「自然のまま」を大切にする側面をいっそう強化することになると言います。木材は白木のままで用いられ、漆喰の粗塗りの土と砂のざらざらした表面が好まれ、骨組は単純かつ簡素で、中仕切りは外部から私的な空間を真に遮断せず壊れやすいのです。これらはどれも、はかなさを表現しています。そして、このはかなさは、好んで受容され、探求の対象となり、美的理想の地位にまで高められているのだとマサビュオーは言うのです。

 最近、彼の言う日本の「美」を実感する作品が登場しました。それは、今年のNHK大河ドラマ「真田丸」の題字です。sanadamarudaijiこの字は、飛騨高山に拠点を置きながら、左官の技術を活かして国内外で活躍されている挾土秀平氏によるものです。挾土氏の暮らす飛騨高山の赤土に、左官で使用する「こて」で文字を書いたものです。素材そのものを生かし、そこに一気に書いた文字、その目指すところは、「やり過ぎず、やり足りないことがない」という、微妙な線だと彼は言っています。そして、その字の脇にある泥の飛沫は、土という素材の力を感じてくれればと、このデジタル合成でいろいろとできてしまう時代に、あえて、一発勝負で泥を投げつけます。そして、しばらくすると、時の経過に、その土にひびが入り、砕け散ってしまいます。まさに、このドラマの登場人物を暗示するかのようでもあり、日本文化の美を表現してもいるのです。

 私は、SWITCHインタビュー達人達 Vol.87「土を生かす 命を踊る」というばっb組の再放送を見ました。その番組は、「連続テレビ小説 まれ」では塩田職人を演じたダンサーの田中泯との対談でした。その番組内で、挾土秀平氏は、土だけで作った様々なデザインを紹介しました。腐る直前の雑草を土に敷いて溝を彫ったもの、土を2層に重ねてミミズに土を食わせ模様にしたものなどですが、これは、土はもちろん、自然のことをよく観察し、熟知していなければ、そのような作品は生まれないだろうという感想を持ちました。マサビュオーは、こう言っています。「自然で生のままの姿は、形式的な感覚をどこまでも研究し、巧みに分析した末に得られるものである。こうした自然で生のままの姿の追求は、墨絵のような造形的空間の製作においても支配的である。」

 さらに彼は、この挾土秀平氏の作品を見たかのようなことを述べています。「創造的な辛苦が打ち砕かれる瞬間と道具の痕跡を、作品そのものを超えて、作品の理想的な完成のうちに示そうとする意志もまた支配的である。この場合、作品は、素描に辛抱強く肉付けをし、ニュアンスを加えて、綿密に仕上げていくことからでき上がるのではない。筆が一気に作品を作り上げ、それで作品はすべての魅力を備えてしまう。ときとして数え切れないほどの量になる習作が、作品制作の前に作られる。」

 「筆」を「鏝」に置き換えると、まさに挾土秀平の作品です。