江戸時代の改革

 学校のテストでよく出されるのが、江戸の三大改革と言われるものです。享保の改革は、徳川吉宗、寛政の改革は、松平定信、天保の改革は、水野忠邦です。そのほかにも、長期政権であった江戸時代には、さまざまな改革が行なわれています。改革の理由は様々ですが、昨夜、NHKBSでザ・プレミアム「歴史エンターテインメント“大江戸炎上”」という番組が放映されていました。そこで、日本史上、空前の大火災であった「明暦の大火」を取り上げていました。この火事によって、江戸の6割が焼失し、死者は10万とも言われているそうです。この番組では、この緊急事態に、幕府のリーダーたちはどう動いていったのか?ということを探っていきます。この大火によって、繰り広げられる対立、浮かび上がる放火の疑惑、そして巨大都市復興への逆転劇とストーリーは進みます。その中で、将軍補佐役であった保科正之を主人公に、彼が下した江戸再生への決断、そして、その時の再生が、現代の東京につながっている物語として描かれていました。

 この番組で面白かったのは、「保科正之」の人物像です。彼の考え方が、日本の新しい歴史を作り、日本流の民主主義が芽生えることになるのです。印象的な取り組みが、最後に流れるのですが、「江戸城天守閣の不再建」です。最近、東京オリンピックを契機に、明暦の大火で焼失した江戸城天守閣を再建しようという動きがあります。それは、歴史的意味があるのですが、当時、江戸城再建は、幕府の権威の象徴であり、全国ににらみをきかせる巨大モニュメントの再建でもあったのです。ですから、江戸城再建は、江戸再生の取り組みで真っ先に考えるはずで、当然そのような意見が幕府の中で出てきます。それを、保科正之はこともなげにこんなことを言います。「戦国の世でこそ必要であるが、太平の世には必要がない」「そんなハコモノに金を使うなら、庶民の生活を豊かにするような投資をすべきである」と言ったのです。番組の中で、歴史学者の磯田氏は、「この考え方は、江戸時代型の民主主義である」と言っています。今は石垣による天守台のみが残っていますが、その台の上に立つと、当時の取り組みが誇らしい気になります。tensyudai

 ということで、江戸時代になると、武士に対して贅沢を禁止する様な規則が出されます。しかし、徳川吉宗の時代、享保の改革としてこの贅沢取締令が、すべての国民に適用されるようになります。当時、武士の力が弱まり、商人の力が強くなっていきました。すると、裕福な町民は、主君とともに町を去る上級武士たちの邸宅を買ったり、大きな町の一定の街区でそれを真似た家を建てたりしました。そして、家の作りが変わっていきます。マサビュオーは、その変化をこう見ています。それは、富裕な町民は、仕事と快楽のために毎日を暮らしていたために優先順位が変わってきたというのです。客の接待のために当てられていた部分は、武士たちの住居だった場合に比べて、重要性が少なくなり、最も大きな場所を占めるのは、経済的機能のために必要な場所であった作業場、倉庫、店、中庭、荷下ろしのための出入り口になっていったのです。

 ここで、マサビュオーは面白い考察をしています。富裕な町民たちは、どこかにお金を使いたいのですが、贅沢禁止令によって、衣服や乗り物、子どもの玩具まで贅沢な見かけのものは禁止されています。そこで、住居にも見かけは質素なものを造ります。