古びる

 マサビュオーは、日本の手染めの布とか陶器とか、自然木の細工物とか、古びた漆器といった品物を外国で見ると、その神秘的な輝きは放たなくなってしまうと言います。その奥深い色合いは消えてしまい、いわば「死んで」しまうと言います。しかし、日本の工芸作品の中でも生命を保ち続けるものもあると言います。それは、もっとも自然味の乏しいもの、つまり、人間の意思の力で自然の影響力を最大限に消し去ったようなものだけだと言います。

たとえば、古金色を背景にして、浅く浮き出た色とりどりの花が束になって、あちこちに広がっているような桃山時代の大きな屏風とか、蒔絵で飾られた漆塗りの箱とか、豪華な刺繍がほどこされて、色の調和の感覚が極めて西洋的な能の衣装などだと言います。このような品ならば、どこへ持って行かれようと、変わらずに美しく輝き続けていますが、他のものは、故国の島から出た途端、たちまち生命を失ってしまうと言うのです。前者は、元の素材が虐待され、手直しされ、装飾が施されているから、故国を出ても、生き延びていく権利を獲得しており、その他のものは、日本の国、日本の家、日本特有の知的、感覚的な雰囲気の中にしか、安住の地を見出せないのだと認めざるを得ないというのです。

ですから、日本の偉大な芸術作品の中で、すべての国の人々にその魅力を訴えかけることができているのは、ごく限られたものだけであって、それらは、この上なく鮮やかで、きらびやかなものですが、輝きに深みの乏しい品であるとマサビュオーは言います。古い屏風、刺繍のある豪華な衣装、ごたごたと装飾が施された漆器や彫刻など、美しさが理解しやすく、まったく外面的で、誰もが感心できるようなものが、外国の美術館や美術品愛好家の金持ちから引っ張りだこにされてきているそうです。

しかし、日本人は、もっぱら自分たちだけのために、そして、わざわざこの遠い島国へやってくる外国人のためだけに、自分たちにとって、もっとも魅惑的な作品を確保していると言います。こうした作品の美しさは、日本という島国で生まれたものであり、この島国でしか生まれ得ないもので、そして、この島国でしか輝かないのだというのです。

マサビュオーは、ここでフランス人の二人の詩人の言葉を引用しています。一人は、シャルル・ドルレアンの「この世はむなしいばかりである」という言葉と、ルネ・シャールの「人の想いの多くは、はかないものを追ってとどめもない」という言葉です。この醒めた言葉は、4世紀もの隔たりのある王政とブルジョワ支配の二つの別々の不安な時代にあって、似たような考えを抱いていると言います。

当然、日本にも同じような言葉がありますね。みんながよくしている言葉としては、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕わす」があります。それは、多くの民族が、それぞれの歴史を生きていくうちに、こうした考えを抱くに至っているのです。それは、彼らは、すべてが本質的にはうつろっていくということを尊重しつつ、時間と空間とに独自な工夫をして、自分たちが作り上げたもののうちもっとも果断で、長く存続しそうなものに自分たちの刻印を残してきたとマサビュオーは考えています。

こう思って、日本の家屋を眺めてみると、どうでしょうか?日本のさまざまな作品はどうでしょうか?ある意味で、日本では、弱々しいもの、移ろいゆくもののはかなさへのあこがれがあるかもしれません。

古びる” への16件のコメント

  1. 西洋絵画及び日本画鑑賞を趣味にするようになってから10年が経ちました。この10年間、実にさまざまな本物絵画を鑑賞してきました。これも藤森先生と10年前に訪れたミュンヘンノイエピナコテーク訪問がきっかけです。近代のヨーロッパ絵画を収蔵している当館で絵画の世界に魅了されたのでした。さて、欧米の美術蒐集家のコレクションがあります。〇〇コレクションとして有名なものが多いのですが、時々、日本の美術館で〇〇コレクション展という展覧会を開催しています。出品される絵画、特に日本画等は「美しさが理解しやすく、まったく外面的で、誰もが感心できるようなもの」ですね。私などは逆に、日本人画家もこれほど豪華絢爛きらびやかな作品を製作するのだと感心します。ワビサビを表現した作品はもしかすると西洋人にとってはシュールなのかもしれません。自然の事象が時にシュールに見える時があります。日本のモノはわかりやすさからシュールまでありとあらゆる要素を含んでいるのでしょうね。

  2. 日本の工芸作品の中でも生命を保ち続けるものの特徴として、「自然味の乏しいもの、つまり、人間の意思の力で自然の影響力を最大限に消し去ったようなものだけだと言います」とありました。きらびやかな屏風や蒔絵のもの、能の衣装という絢爛豪華なものを見ると、そのインパクトや美しさを感じますし、また、そこからどこか日本的なものを感じるようでもあったのですが、その美しさはどの世界でも通じる美しさであり、日本の中での美しさとはまた違うものでもあったのですね。そのような豪華なものではなく、はかないものというまさに諸行無常なものに「美」を感じる感性が日本人にはあるのですね。「こうした作品の美しさは、日本という島国で生まれたものであり、この島国でしか生まれ得ないもので、そして、この島国でしか輝かないのだというのです」ともありましたが、日本という自然に囲まれた環境だからこそ、移りゆく自然や日々刻々と変化していくものに、その姿に生き方のようなものを感じていたのかもしれませんね。日本人が好きな「桜」もまたそのような代表でもあるのかもしれません。変わるもの、変化するものを美しいと思う生き方は素敵ですね。

  3. 島国ブランド、又は島国プライドによって、私たちは「この島国でしか輝かない」物、「自分たちにとって、もっとも魅惑的な作品を確保している」とあり、なんて贅沢な国なんだという思いが浮かんできました。島国の中において、価値を分かる人々だけでその物との触れ合いを楽しもうというのは、まさに国民性とでも言うべき姿なのでしょうかね。島国という環境がそのような姿を作り上げてきたのかは分かりませんが、「この島国でしか生まれ得ないもの」という価値を、存分に活かすための方法として、このような使われ方が根付いてきたのかなとも感じました。そして、日本人が古来から残してきた言葉には、「時間と空間とに独自な工夫をして」きたことが書かれているとのことで、流れ行くものや変わらないものの中に日本特有な意志を盛り込み、その中から次世代へのバトンとして活用できるものに力を注いできた様子が伝わってきました。私の中にも「弱々しいもの、移ろいゆくもののはかなさへのあこがれ」があると思っていると、様々な物が頭に浮かんできたりもしました。

  4.  マサビュオー氏が言う、日本の古びた芸術を海外に持ち出すと途端に〝奥深い色合いは消えてしまい、いわば「死んで」しまう〟ということは、裏を返せば、僕たちが目にしている海外の作品も、日本では放ち切れない光を持っているということなのでしょうか。
     小学校でアルバイトをしていた時に、とてもお世話になった図工の先生がいます。音楽が大好きで、芸術が大好きで、図工の教材室は先生の秘密部屋のようになっていて、PCで音楽をつくる上で最新の機材が置かれ、また、素晴らしい芸術家の写真集などがたくさんありました。そこに、毎日のようにお邪魔させていただき(笑)楽しい時間を過ごさせていただいたものでした。
     その部屋で、たくさんの画家の描いた絵を見たのですが、どれもとても衝撃を受けました。その衝撃以上に、その画家の描かれた地、その絵の題材となった場所でもし見ることができたら、と思うととても昂奮します。その地でしか輝かない光。新宿せいが保育園の放つ光も、ぜひ、新宿せいが保育園に実際に足を運んでいただいて、感じていただきたいです。

  5. 日本の芸術などを海外に持っていくとたちまち『死んでしまう』とありますが、逆に海外のものを日本に持ってきた場合はどうなのでしょう。
    同じように『死んでしまう』のでしょうか。
    海外の文化として思いつくのは音楽がありますが、洋楽が好きな日本人も当然います。
    日本人の感覚とあっている歌声であったり、曲調であったりというのが日本では好まれているのでしょうか。
    ですが、日本に入ってきた途端『死んでしまう』ということは、洋楽を海外で聞くとまた違った感覚が味わえるということでしょうか。
    そのように考えると、2つの良さを味わえるという贅沢なことも考えられますね。

  6. 海外で高く評価される屏風とか蒔絵は、実は日本らしさがあるものとは言えないのですね。日本らしいものは逆にマサビュオーが「死んで」しまうと言うことの対象になるものなのですね。これらが「日本の国、日本の家、日本特有の知的、感覚的な雰囲気の中にしか、安住の地を見出せない」とあり、私は逆にそこに魅力と価値を感じます。土偶が高く評価され、高額な金額で落札されたことは、この日本的価値に世界が気付き出したようにも思えます。
    「日本では、弱々しいもの、移ろいゆくもののはかなさへのあこがれがあるかもしれません」とありました。諸行無常、「形あるものは必ず壊れる」のように、このことこそがはかなさを受け入れる、最も生命を尊重したものなのかもしれませんね。武士が最期は戦で散りたいなどと言うことも、諸行無常の理に繋がっているように感じましたし、その理が日本人のものづくりや住居などの根幹にあるようにも感じました。また質と量ではありませんが、どれだけ長く生きたかではなく、生きている間に何が出来たか等の質に向き合うことが人生やものづくり等においても日本人らしいようにも感じました。

  7. 作品として生命を持ち続けるものとして、”もっとも自然味の乏しいもの、つまり、人間の意思の力で自然の影響力を最大限に消し去ったようなものだけ”とあり、人が手をかけることにより、自然からの影響を遮断する、加工されることによって、様々な環境下でもそのものの、美しさなどを感じることができる、考えてみると、日本という島国のなかでできたものが、その場を離れると輝きを失うといったことを思うと、その場所、つまり、日本という島国にとって必要とされ、認められて来たからではないかと思えました。日本の伝統的家屋を外国に建てたとして、日本で社会の序列を学べることや日本の客間や木の材質を使っていることが、果たしてどのように表面上に現れてくるのか、想像が難しいものだと考えられます。”島国でしか生まれ得ないもの”と考えると、そこで生まれ得たものとして、その場所でしか、効果が強く現れてくるものではないと考えられました。

  8. 自然を生かした作品は日本以外では輝けなくなり、「奥深い色合いは消えてしまい、いわば「死んで」しまう」と表現が印象的です。対照的に「人間の意思の力で自然の影響力を最大限に消し去ったようなものだけ」という部分は考えさせられます。豪華な装飾を使った作品はどこの国へ行っても評価され美しいとされているものは日本独特のものではないのですね。もともとその物の素材を生かした作品こそが日本だからできる作品、日本人だから作れた作品というこを考えると、少し陶器に興味がでてきました。

  9. さまざまな民族が「すべてが本質的にはうつろっていくということを尊重」してきたようなことがあるのですね。人というものは本質的に変わっていくということを受け入れるようになっているのでしょうね。そして、「時間と空間とに独自な工夫をして、自分たちが作り上げたもののうちもっとも果断で、長く存続しそうなものに自分たちの刻印を残してきた」とありますが、その究極が「遺伝子を残す」ということなのでしょうか。文章を読み進んでいるうちにそんなことを感じました。「歴史」という学問においても、人の生きていく営みの中でのうつろいを感じるものであると思います。ただ、日本人はそのうつろいゆくものをただ「受け入れる」というだけではなく、そこにある情感を楽しむような民族なのかもしれませんね。それは美術品においてもそれは見えますし、文学作品においても、古くからこういった思想はあります。それも「自然」というものを受け入れる。調和をとる。という考えと本質的に同じなのかもしれません。ある意味ですべてのものや理においても日本人は本質をいかに洞察し、受け入れるかということを文化として強く持っているのかもしれませんね。

  10. 一つだけ個人的に理解できなことがあります。それは「はかなさ」です。「はかない」と聞くとどうも寂しい、悲しいと言ったマイナスの印象があるので「移ろいゆくもののはかなさへのあこがれ」とブログに書いてありますが、なぜ「はかない」ことに憧れを持つのかブログを読みながらずっと考えています。少し話がずれてしまうのかもしれませんが、前回の大河ドラマ「花燃ゆ」で、武士は自分が死ぬということに一種の美学というか、こだわりを持っていることを知りました。今回のブログで言う「はかなさ」の美学に共通つしているのかな?と思います。ずっと使い続けても輝きを放ち続ける物よりも、だんだんと輝きこそは衰えていくけど、そのぶん人工的には作り出すことが不可能な奥が深い輝きを放つことができるには、それこそ「移ろいゆくもののはかなさへの憧れ」ではないでしょうか。しかしコメントを書きながら思ったのは、こういった感覚を文章に表すのは難しいですね。

  11. 人にしても物にしても時間とともに朽ちていくからこそ感じることの出来る味わいがあるように思えます。それが年季であったり古くなっていくとともに出てくる味わいというものなのではないでしょうか。時と共に変化を見せるからこそ、そこに魅力を感じるのであり、それをより感じることが出来るものに、自然の持つ素材を活かした日本の工芸品のように思えます。いつまでも形の変わらないものほど人間の意思の力で自然の影響力を最大限に消し去ったようなものであり、そういう物にも魅力はありますが、それ以上にうつろっていき、変化を見せるものに対して、私たち人は惹かれているのですね。今流行りのアンチエイジングなど、時間の流れに逆らうようなことが持て囃されてもいますが、どことなく偽物や作り物のように感じてしまうのは時の流れという自然の摂理というものを受け入れていないことを本質的に感じ取っているからなのでしょうね。

  12. 「作品の美しさは、日本という島国で生まれたものであり、この島国でしか生まれ得ないもので、そして、この島国でしか輝かないのだというのです。」という部分にはなにか奥深さを感じさせてくれますね。勝手ながらですが、この良さは外の国にはわからないことなんだと誇らしげに思わせてくれる内容でもありました。そして島国だからできる日本の良さでもあるのかなと感じました。弱々しいものや、はかないものへの憧れというのもまた面白いですね。コメンテーターであるもりぐちさんと同様に私も「さくら」が頭に浮かびました。あの儚さを大事にし、その時を大切にして見る感覚というのが「日本人らしさ」ということなのかもしれないと思えます。

  13. 「古金色を背景にして、浅く浮き出た色とりどりの花が束になって、あちこちに広がっているような桃山時代の大きな屏風とか、蒔絵で飾られた漆塗りの箱とか、豪華な刺繍がほどこされて、色の調和の感覚が極めて西洋的な能の衣装などだと言います。このような品ならば、どこへ持って行かれようと、変わらずに美しく輝き続けていますが、他のものは、故国の島から出た途端、たちまち生命を失ってしまうと言うのです。」とありました。今回のブログと関係あるのかわかりませんが、修学旅行で金閣寺と銀閣寺を訪ねた際に私は銀閣寺の方が印象に残りました。金閣寺は金箔が使われていて存在感がありますが、銀閣寺は派手さはないものの、凛とした佇まいに惹かれます。弱々しく儚さを感じますが、それが銀閣寺の魅力とも言えますね。永遠に残るものはなく、いずれは死というものが訪れます。日本人は死に抗うものではなく、自然と共に生きるように「死」「儚さ」というものを受け入れてきていたのでしょうか。

  14. 「日本の手染めの布とか陶器とか、自然木の細工物とか、古びた漆器といった品物を外国で見ると、その神秘的な輝きは放たなくなってしまうと言います。」この感じはよくわかる気がします。日本の美しさとは違いますが、東南アジアなど木のお面や置物、その他のお土産など、現地ではいいなと思うものの。実際に日本に持って帰ると、想いではありますが、少し違った感覚のものになってしまいます。そうした意味では、まさに自然の感じが少ないものの方が生活の中にはうまく溶け込んでくれる気がします。日本における「弱々しいもの、移ろいゆくもののはかなさへのあこがれ」は人間の本質をとらえている良い感覚でもあると思うので、忘れないようにしていきたいものですね。

  15. 「古金色を背景にして、浅く浮き出た色とりどりの花が束になって、あちこちに広がっているような桃山時代の大きな屏風とか、蒔絵で飾られた漆塗りの箱とか、豪華な刺繍がほどこされて、色の調和の感覚が極めて西洋的な能の衣装などだと言います。」とありましたが、この表現は分かりやすいですね。確かに西洋的な方が見た目の豪華さインパクトなどは強く、何処にあったとしてもその存在感はあると思います。日本の場合はやはり質感やそのものの温かみみたいな、やはり素材自体が活かされ調和のとれたものが素晴らしいとされていると思います。なので日本という島国から、その環境や雰囲気から外に出てしまったときに「死んでしまう」というのはよくわかります。

  16. 日本の手染めの布とか陶器とか、自然木の細工物とか、古びた漆器といった品物を外国で見ると、その神秘的な輝きは放たなくなってしまうというのは、やはり日本の風土にしか合っていないものなのですね。
    「日本では、弱々しいもの、移ろいゆくもののはかなさへのあこがれがある」とありますが、確かにそう思います。桜などはまさしくそれに合うものだと思います。

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