アレゴリー

 マサビュオーは、日本家屋には教育的機能があると考えています。しかし、それは、家屋だけでなく、人間社会のすべてがシンボルであり、特に日本では、そのシンボルはどれも教育的機能を担っていると考えています。このために、芸術や詩や実用品のいろいろな因襲的形態が混じり合った中から、はかなさが象徴されたものが選び出され、それが固定化したと考えているのです。

彼は、この象徴されたものをアレゴリーという言葉を使っています。それは、ある意味を、直接には表さず、別の物事に託して表す寓意のことで、まさに、日本文化を表わす言葉のようです。そのように表わすことで、シンボルやイメージを用いて表面的意味より深い意味を伝えることができます。このようなアレゴリーの動機には五つあると言います。その一つが、日本の文化は、何よりもまず、「瞬間の文化」であるというのです。一瞬に伝わるメッセージの文化だというのです。表象文字と音声記号が交互にあらわれる文章を読むときに、表象文字が最初に目に飛び込んできて、その内容が直ちに頭の中に伝わってくると言います。朗読したときのような音声上の読みが頭に浮かんでくるのは、それを全体的にとらえて、その象徴的な意味を理解するのだと言います。

この指摘は、よく言われます。日本人が優れている理由の一つに挙げられることもあります。もし、漢字仮名交じり文で書きあらわした文章を読むときと、すべてをひらがなで書いた文章を読むときでは、いくら漢字が難しいと言っても、漢字が入っている方が、瞬時に文章の意味を読み取ることができます。これが、幼児教育の一つに、「石井式漢字教育法」が提案されている理由です。この教育法の説明に、「漢字は一見複雑そうですが、それ故に識別しやすいのです。そして具体的な意味や内容を表わしていますから、幼児には絵を見るのと同じように理解されるわけです。つまり“目”で理解する言葉(視覚言語)が漢字なのです。」とあります。マサビュオーは、対象を模様化した姿を文字の中に習慣的に含み混むことができるからである。」と説明しています。

しかし、一致を旨とする倫理があって、みなが同一のことを把握すべく各人の理解の仕方が規制されているのでなくては、一瞬のうちに象徴的メッセージの全体を容易に把握できたとしてもあまり意味がないと言います。朝露、初雪、桜の花、動物、木目、花瓶の形といった事物に、それぞれ同じ意味を、そしてなによりもまず、それらのはかなさを認めようとすることは、それらの事物に記号としての絶対的な価値を与えようとすることだと言います。

個人は社会に仕えるべきであり、共同体の調和のために個人的な傾向は控えるべきだとされている社会にあっては、このように各人の同意を得ることは、社会集団の結束を固めることに他ならないと言います。個々人の無意識の衝動を抑えて、何が何でも全員一致を求めることは、道徳的に価値あることとされています。そして、あらゆる不一致は、結束を弱める可能性があるので、最初から疑惑の目で見られるのであると考えています。

彼は、日本人は、さまざまな身の回りのことにはかなさを認める合意がされていると見ているのでしょう。それは、良い面と悪い面があるのでしょうが、日本では、共同体の調和を図ることを優先していると見ているのでしょうか?

アレゴリー” への16件のコメント

  1. 「ある意味を、直接には表さず、別の物事に託して表す寓意のこと」というアレゴリーといった言葉があるのですね。日本文化を表す言葉のようですとあったので思い浮かべてみますと、本当はこう思っているのだけど、敢えて反対のことを言いながらも、本当に思っていることが伝わってほしいうというような思いを持って相手と関わるということがあります。それは、相手の方も自分のそういった気持ちを理解しているとどこか信じているからこそできるような方法ですね。日本の文化が「瞬間の文化」であるとあり、そんなことを思ったこともなかったので印象に残りました。確かに漢字が入っている文章の方がすぐに意味を理解できますね。漢字を読み取るのと、漫画を読むことができるのは同じ処理だという話を聞いたことがあります。漫画は絵と吹き出しという字の両方があるからということだったと思いますが、日本の漫画文化は日本文化の発展でもあったりするのでしょうか。話が少しそれてしまいました。「日本では、共同体の調和を図ることを優先していると見ているのでしょうか?」という最後の言葉はとても気になります。そうであるとも思えますが、じゃあ完全に個人はないのかというと、そうでもないと思いますし、どうなのでしょうか!

  2. 「アレゴリー」というカタカナ語は日本人にはさほど馴染みがないのでは?と思います。西洋絵画鑑賞を趣味としていますが、この「アレゴリー」は「○○のアレゴリー」という形で画題に登場してきます。「はかなさのアレゴリー」としての「日本家屋」という捉え方は私たち日本人にできる捉え方だろうかと疑問に思っています。西洋美術の伝統である「アレゴリー」を日本文化に当て嵌めようとしているのかなとも思います。さて、私たち夫婦の知り合いに甲骨文字の先生がいます。書道の一ジャンルとして「甲骨文字」を書いています。この甲骨文字はまさに見た瞬間意味がわかるようにできています。漢字は甲骨文字の発展形です。字そのものが意味を伝えることに重点を置いています。「木目」と漢字で書かれてあるとすぐにそのものをイメージしやすいですが、「もくめ」とひらがなで書かれると、一端脳内で漢字に変換する作業を伴うような気がします。それどころか「モクメ」とカタカナ表記されると???が先行して「木目」に到達するにはもっと時間がかかります。それにしても、言語表記に3種の文字形態を有する私たちって、単純に凄いと思うのです。まぁ、そのことはともかく、「日本では、共同体の調和を図ることを優先していると見ているのか」という問いかけの答えには興味がとてもあります。明日のブログを楽しみにしましょう。

  3. 日本において、物だけでなく「人間社会のすべてがシンボル」というところがすごいですね。それらのシンボル一つ一つが、教育的機能を担っているということで、“日本といえば…?”という答えの中には、何かしらの先人の知恵のようなものが含まれているとか、教育的要素が入っているものという位置づけであることが感じられました。また、日本文化を「ある意味を、直接には表さず、別の物事に託して表す寓意のこと」と表現していました。これは、一種の“遠回り文化”でもあるように感じました。“急がば回れ”ということわざもあるように、【急いで物事をなしとげようとするときは、危険を含む近道を行くよりも、安全確実な遠回りを行くほうがかえって得策だ】という意味があるものの、直接的な表現よりも、間接的な表現の方が真理に近づいていることもあるといった教訓が隠れているようにも感じました。そして、「一瞬のうちに象徴的メッセージの全体を容易に把握できたとしてもあまり意味がない」という言葉のように、物事を容易に理解するだけが全てではないこと、また、“遠回りの把握”というものでもあるようにも思いましたし、それは“後伸びする力”とか、“見守る保育”にも似ているような感じがしました。

  4. 「あらゆる不一致は、結束を弱める可能性があるので、最初から疑惑の目で見られるのである」とあります。そして、「このように各人の同意を得ることは、社会集団の結束を固めることに他ならないとこのように各人の同意を得ることは、社会集団の結束を固めることに他ならない」とあります。共同体を作ることためにこういった内容はとても大きな影響があります。そのために、どうみんなが理解し、進もうと思える理念を大きな道筋を作るかが大切になるのかなと思います。そして、変化の中にある時には「あらゆる不一致」といった部分に陥らないように同意を得ていかなければいけません。日本の場合は共同体という傾向が強いからか、なかなか変化できない部分があるのはこういったところに逆に問題があるのかもしれません。しかし、それは裏を返せばしっかりと共同体の調和をとるためのプロセスがあれば、一致団結するといったメリットもあります。「共同体の調和を図ることを優先していると見ているのでしょうか?」とありますが、「調和」という言葉を調べると「全体がほどよくつりあって、矛盾や衝突などがなく、まとまっていること」とあります。そういった面が日本は強いように思っているのですがそうではないのでしょうか。

  5.  〝日本の文化は、何よりもまず、「瞬間の文化」であるというのです。一瞬に伝わるメッセージの文化だというのです。表象文字と音声記号が交互にあらわれる文章を読むときに、表象文字が最初に目に飛び込んできて、その内容が直ちに頭の中に伝わってくると言います。朗読したときのような音声上の読みが頭に浮かんでくるのは、それを全体的にとらえて、その象徴的な意味を理解するのだと言います。〟この一文には感動します。本を読んでいる時の楽しいあの感覚を言葉にして説明すると、まさにこのような言葉になると思います。マサビュオー氏は、本当に素晴らしい感性と文章力をお持ちだなぁと、本当に感動します。
     しかし、漢字は本当にすごい文化なのだということを改めて感じますし、藤森先生が〝子どもは漢字の方が理解しやすい〟ということを改めて納得するこの度のブログです。漢字は、絵であり、目で理解する言葉なのですね。
     

  6. 日本の文化の中にある、漢字、そして、瞬間の文化とありました。これは、普段の生活のなかで、子どもたちが書いた手紙や文章などを読んだときに、平仮名で書いていること、また、絵本などにも、子どもたちが読めるようにすべてが平仮名で書いてあるので、少し読みにくさを感じたことがあります。また、漢字には、現在の形になるまでに、経緯があり、それは、漢字からそのもの、表したいものがなんとなく、イメージできるようになっているので、私自身も、分からない漢字や忘れてしまった漢字を見たときに、字のイメージしているもの、形を見て判断したことが日常生活の中であります。゛漢字は一見複雑そうですが、それ故に識別しやすいのです。そして具体的な意味や内容を表わしていますから、幼児には絵を見るのと同じように理解されるわけです。゛とあり、私たちが見る漢字に対する捉え方と子どもたちとの捉え方には共通点が見られます。それは、゛“目”で理解する言葉(視覚言語)が漢字なのです。゛という、視覚的にとらえるといった点でつながっているからだと考えられました。園に、ゾーン表があるのですが、表示は、゛開゛゛閉゛で、さらに赤と青で文字の色を分けているのですが、以前もお話のなかで、どことなく、漢字から開けるが○で、閉めるが×という雰囲気的に見える部分があるという内容があり、通ずる部分を感じました。また、アレゴリーとありました。゛ある意味を、直接には表さず、別の物事に託して表す寓意のこと゛とあり、寓意を使った表現方法というものは、絵画などにも多く使われているようですね。絵の一部、中に、例えば、リンゴがあれば、そのリンゴのもつ意味を考えると、そんな背景があったんだと知ることができます。考えてみると、真実とは、目に見えているものだけではない、そのものの細部にそのものの意味を持っていると思う内容となりました。

  7. ある意味を、直接には表さず、別の物事に託して表す寓意のことをアレゴリーと言い、それは日本文化を表す言葉とも言えるのですね。少しネットで調べると「別の言葉で表現しても、意味が通じる」が「日の丸と言えば日本」しかし、「日本と言えば日の丸」となると、逆もまた完全に成り立つわけではない場合はアレゴリーとは言えないと書いてありました。ここから、一方通行ではなく、互いに引き立て合う関係性があるように思え、より日本らしいなと感じました。
    日本の文化は、何よりもまず、「瞬間の文化」であるとありました。確かにひらがなだけの文だと読み取り辛いものがありますが、漢字が含まれると漢字が要約してくれるかのように読みやすくなります。しかし、漢字だけでも読み辛いなとも思います。ひらがなは漢字同士を接続させる役割も担っていることにも気付けました。また、読めない漢字があっても周りの漢字などから何となく意味を把握でき、イメージが湧くところからも一瞬に伝わるメッセージの文化を感じます。

  8. 「瞬間の文化」という言葉が印象的でした。小学生のときに覚えるのが嫌いで漢字のテストは嫌いでしたが、カナをふるテストは勉強しなくても不思議と出来ていた記憶があります。また、文字が多いひらがなの絵本を読むときに、上手く読めないことがよくあります。無意識に漢字を見て、その文章の大まかな部分を読み取っていたのですね。アレゴリーという言葉を初めて知りましたが、直接表のではなく、別のものに例えることで文字よりも深い意味を繋げることができる漢字とひらがらの文化は、私が思っている以上に深そうです。

  9. この〝アレゴリー〟という言葉を初めて知りましたが、読んでいて『ピクトグラム』のことが頭に浮かんできました。
    日本で最初のオリンピックである、東京オリンピックを契機に導入されたものですが、今でも使われていて、トイレのマークや非常口、食堂、インフォメーション記号など海外から応援にきた外国人にも一目で分かる記号を考えて用いたもので、そのピクトグラムを作る苦労を以前テレビで見て、見入ってしまったものでした。
    今度の東京オリンピックを機に、地図記号を同じように海外の人が見ても分かりやすく変更するということも合わせて紹介してありましたが、その部分にも日本人の特徴が表れており〝瞬間の文化〟が、その開発に多大な影響を与えているんだな、と思いました。

  10. 「アレゴリー」という言葉は初めて聞きました。「ある意味を、直接には表さず、別の物事に託して表す寓意のこと」とあり、日本文化を表しているのですね。確かに、少し遠回りして相手に伝えようとする様は日本人ならではの伝え方のように思います。そうすることでよりその意味に対して考えることができ、重みも感じられるのではないかと思います。一見、「瞬間の文化」である漢字を読み取ることで意味を理解することに良さを感じましたが、「一瞬のうちに象徴的メッセージの全体を容易に把握できたとしてもあまり意味がない」ということからすぐに理解するのも良いが、少し様々な意味を考えてみることも大切であるようなメッセージが込められているような気がします。その余白のようなところが日本文化の一つでもあるように思えてきますし、さらなる奥深さを感じます。

  11. 日本の文化が「瞬間の文化」というのは正直意外なことでした。それは日本人がどことなく遠回しな言い方や表し方をするといったイメージを私がもっているからかもしれません。漢字は意味や表しているものが形になったものであり、形として頭に入ってくるので確かに覚えやすく、識別もしやすいと思います。しかし、アレゴリーの意味を知り、表面的な意味ではなくそこには深い意味を伝えようとする意図も働いていると思うと、漢字の持つ意味ぶかさを感じます。瞬間的ではありながら、そこから何を伝え感じ取るが大切であるならば、そういった部分ではやはり遠回しの文化のような気がします。

  12. アレゴリーという言葉は初めて知りましたが、以前、シンボルやマーク表記を生み出したのは日本が初ということをテレビでやっていたことを思い出しました。それは、空気を読む、相手の気持ちを察する文化につながっているのでしょうか。そう考えると主張する文化の欧米には日本人を理解することは難しそうですね。
    平仮名しかない絵本や紙芝居を読む際に、読めなくて止まってしまうことがあり、逆に頭に入ってことない場合があります。漢字があると一瞬で文章を理解することができ、また読めなくとも雰囲気でわかるときがあります。以前、藤森先生が子どもは字を形で覚えるとおっしゃっていた意味やせいが保育園のゾーン表の開、閉が漢字を使用していることがなんとなくわかってきました。

  13. 一瞬で伝わる「瞬間の文化」実際に漢字なんかは、瞬時に理解できますね。保育園にあるゾーン表も「製作」「文字・数・科学」「伝承」など漢字表記にしてありますが、子どもは普通に理解しています。文字だけでなく、日本家屋もそんな雰囲気を持っているように感じます。子ども達が茶室で食事をする時に、部屋の中に入った瞬間に感じる空気はまさに「瞬間の文化」だと思います。おそらく多くの人が茶室に入ると「心が落ち着く」という印象を持つと思いますが、ブログに「何が何でも全員一致を求めることは、道徳的に価値あることとされています」と書かれてある文章を読んで、本当にそうなのか?と瞬間に感じました。もちろん社会にはルールが付き物でお互いにそれを守ることで集団が成り立っていると思います。とはいえ社会を乱すという意味ではありませんが、価値観や考え方が違うもの同士が集まることで色々な視点が生まれ、新しい物が生まれる場合もあると私は思います。

  14. 普段使っている漢字やひらがなにそんな意味があったとは驚きです。たしかに外国の方が日本語を学ぼうとした時に、ひらがなまではわかっても、漢字を使うのは難しいということを聞きます。その理由の一つに、今回挙げられているように、漢字のそれぞれ一文字に意味があるからだそうです。もちろんその意味をそれぞれ理解すれば、うまく使えるのですが、それを覚えるのも膨大な量があり、またその意味の組み合わせ方も日本の文化を知らないとうまくつながってこないといった意味もあるそうです。こうして「一瞬に伝わるメッセージの文化」にすることで、得られるものもあるが、その後に、「一瞬のうちに象徴的メッセージの全体を容易に把握できたとしてもあまり意味がない」とあるのはなんとなくわかる気がします。一瞬で伝わったことをどうするか。それが次回の内容につながるような気がします。

  15. 日本の文かは「瞬間の文化」とありましたが、言われてみれば思い当たるものが何個かありますね。漢字の文化も例えば「富士越龍図」と5個の漢字だけで瞬時にその意味と光景がなんとなくイメージができます。またその文化に慣れたせいか、たまに子どもに絵本を読んでと絵本を渡されるのですが、ひらがなの羅列が読みづらく感じてしまう事が多々あります。そう思うと漢字というのは覚えきれないのもありますが、とても伝わりやすく良い文化ですね。また、「ある意味を、直接には表さず、別の物事に託して表す寓意のこと」とありましたが、隠語や略語、全てを言い表さなくても伝わる文化などがありますがこういったものも、日本の独特なものかもしれませんね。

  16. 日本家屋に教育的機能があるのは、マサビュオーさんは今までも言ってましたが、それは、家屋だけではなく、人間社会のすべてがシンボルで、特に日本では、そのシンボルはどれも教育的機能を担っているというのはとても納得できます。
    漢字が、日本の「瞬間の文化」に繋がるとは思いませんでした。確かに、ひらがなとは違って漢字は意味まで伝わりますね。

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