東京

 私は、東京生まれで、東京育ちです。そして、出身中学、高校は千代田区にありました。この6年間でよく歌った歌が校歌の他に千代田区歌があります。1番の歌詞は、「並ぶ官庁 広場 濠 帝の宮居とりめぐり わが千代田区に誉あり 大東京の中心地 江戸の名残も風情にて ここを都の都ぞと 澄めり千代田の城の月」です。東京は、都区に千代田区は城下町です。丸の内、大手町があり、鍛冶町があり、そもそも、「千代田」という名前は、江戸城の別名「千代田城」にちなんだものです。歌詞の「帝の宮居」とは、かつての江戸城で現在の皇居のことで、それが中心になっています。

 マサビュオーは、東京は、広島、大阪、名古屋同様、封建時代の城を鉄筋コンクリートで再建して、その周りに現代的な姿の町を建設した成功例だと言います。しかし、大都市ベルト地帯の他の大都市福岡、広島、岡山、姫路、大阪、静岡などの場合と同様に、真に斬新な計画のないまま再建されてきたと言います。過去の遺産が、どれほど激しく痛めつけられたかを記しておく必要があると言います。1960年頃から73年頃までのいわゆる高度成長期において、都市化と産業発展の躍進が集中的に実現したのです。海岸沿いに巨大な産業「コンビナート」が建設され、旧封建諸都市に人口が途方もなく集中し、都市の中心部には高層ビルが建ち並び、これらのビルは貪欲な不動産投資のために常にいっそう高くなるよう求められている。高層ビル群のまわりには、団地か個人住宅用の分譲地で占められている。こうした都市化は、無秩序で、調和についてのあらゆる考慮を無視したものだと指摘します。

 このような状況を見る限り、千代田区歌にあるような「江戸の名残も風情にて」というような景観がどこにあるのかを疑いたくなります。私は、それを象徴しているのが、日本橋のような気がします。江戸時代の日本のすべての道の始まりであった日本橋が、高度成長期に入ってその象徴である東京オリンピックのために、橋の欄干を覆い尽くすように作られた高速道路にその歴史を見るようです。日本橋川を塞ぐように首都高速道路が建設されたのは1964年の東京オリンピックの前年です。戦災復興による道路整備が計画どおりに進まず、五輪へ向けて都心部の交通混雑を回避するため川や沿岸部などの空間を利用して首都高が整備され、その後、日本の高度経済成長を支える重要インフラとして活躍しました。しかし、世界の主要都市を見ても、中央環状線の内側に高速道路が走っているところはありません。

 オリンピックを契機に作られた現代が、オリンピックを契機に見直されようとしています。「日本橋再生 首都高撤去が鍵に 東京五輪チャンス」ということが議論され始めているのです。しかし、マサビュオーは、現代的に再建されたこれらの都市であっても、「過去から伝わる魅力のすべてをこれらの大都市から奪い去ることはできなかった。」と言っています。歴史的都市に昔からあるもので何が消え去り、何が残っているかを検討すると、いろいろと疑問がわいてくると言います。町が現代化すると、過去がどの程度消え去るのか、消え去ったものは、文化的価値をもっともよく表現していたものだったのか、それとも逆に、残存しているものが文化的価値のもっとも奥深い表現なのではないか、というような疑問です。

 そこに、歴史的都市の将来があると彼は言うのです。そして、それは都市だけでなく、家にも、物にも、もしかしたら人との関係にも言えるのではないかと私は思っています。