窮屈な共同生活

人生の中で、「隠居」する事になって初めて、一人になり私生活らしきものを持つことが許されるとマサビュオーは日本家屋の作りから見ています。このとき、隠居した人の経済的、家的、社会的役割は終わり、必要な指示を相続者に伝えてしまえば、共同体の仕組み全体から身を引くことができたからです。しかし、日本の家には、引退した親たちのための部屋の他に、各人を結びつける絆が美的な楽しみの名において表面的に緩むか、少なくとも忘れることのできる場所があると言います。それは、日本建築の理論家の多くの意見によれば、茶の湯は、共同体的な拘束によって閉ざされた空間の中に一時的に開かれる一種の「窓」であるとされています。しかし、マサビュオーは、これは、家において認められる文化的価値についての一般的な問題の一つの要素にすぎないと考えているようです。

家のあり方によって余儀なくされる窮屈な同居のこうした形態のために、基本的な価値のうちで破壊されかねないものがありうるということがよく言われたそうです。例えば、近親相姦が助長されるというのです。具体的な数字を見積もるのは問題の性質上なかなか困難ですが、実際のところ近親相姦は多かったようです。若者用の寝室が存在するのは、多くの社会において、年頃になった兄弟姉妹を遠ざける必要が感じられたことにおそらく対応しているのではないかと言われています。若者たちは、伝統的に隣り合って寝る習慣のあった日本の社会においては、とくに困った状況に置かれてしまうはずです。

しかし、明治以前の農村共同体では、共同の家組織のおかげでかなりの性的自由が放任されていて、これが近親相姦に対するこの上なく有効な防御となったことは疑いないとマサビュオーは言います。儒教の堅固な道徳的教えがあったことももちろんあります。また、日本の家では視覚的、聴覚的な管理が行なわれていて、そのために非合理的な性的関係が妨げられたのは、他の禁じられた行為の場合と変わらないと言います。これらが統一を形成する家の役割のひとつです。

二つ目は、日本人は自分が生活している家を介して、家族という限られた集団に溶け込んでいるだけでなく、自分の属する農村共同体あるいは、都市共同体にもまた溶け込んでいるとマサビュオーは見ています。実の親族関係や名目だけの親族関係から、どのように別の絆が作り出され、それが親族的関係を部落や町の地域の内部全体に広がるかというマサビュオーの考え方は、以前のブログで紹介しました。しかし、他者との関係は主に家の中で展開します。また「客の接待」の機能が、どのように重要なものと考えられているかが示すように、家は、他者との関係にとって拘束となる枠組みでもあるのです。具体的な行動については、これほどまでに決定的な意味を持つ空間は他にはないだろうと考えています。

日本の家の中で強制されるこのような窮屈な共同生活は、内部において、「開放的」なものですが、そのために時として家の当然の機能である集団に対する各人の絶え間ない管理によって保証される家族の統一と、その統一ゆえに家族が一丸となって仲良くいくつかの具体的な義務に当たることができるようになることと矛盾することになりかねません。家の中に私生活がまったく存在しない、このことがあまりに窮屈だと感じる者もいるのです。しかし、個人が集団から逃げたいと考えたとしても、少なくとも徳川時代までは、結局のところは、それほどたたないうちに別の共同体に組み入れられることになるのだからと言うのです。

窮屈な共同生活” への16件のコメント

  1. 現代に至るまでの「窮屈な共同生活」における一長一短のうちの“一短”に着目してしまった結果が、現代のような家屋の形となっていったのでしょうか。「共同の家組織」が一体どのようなものであるのか、なかなか想像がつきませんが、いわゆる“寮”のような存在が生まれた事によって、「非合理的な性的関係が妨げられた」ということでしょうか。また、「家は、他者との関係にとって拘束となる枠組みでもある」という言葉もあり、そのような適度な拘束によって、保障される部分とされない部分とが入り交じっていたような印象を受けました。逆に、家とは、内部において「開放的」なものという表現もあり、家族には強くあたれるというのはこの現象のひとつなのかもしれないとも思いましたし、家族の統一が、役割としてある大きな義務を果たすことに効果的に働くといった側面があることも知る事ができました。そして、個人が「集団から逃げたい」と思ったとしても、別の集団によって知らずに集団の中に存在している感覚は、現代も同じような気がしました。

  2. 日本家屋において一人になるような時間や空間はないとばかりに思っていましたが、茶の湯がそのような役割を担っていたのですね。「窓」という表現は空気を入れ替えることで、気持ちを切り替えるような意味合いでもあるのでしょうか。窮屈な同居は近親相姦にもつながっていたのですね。想像もしていなかったことで驚いてしまいました。プライベートがないというのはそのようなことにもつながる可能性があるのですね。しかし、それを防ぐ役割として農村共同体という人とのつながりがあったからとありましたが、当たり前に人と人とが関わることが自然とあった時代だからこそのリスク回避のあり方だなと感じました。「日本の家では視覚的、聴覚的な管理が行なわれていて…」とありましたが、このあたりは陰ということにもつながっていくのでしょうか。共同生活における個人と集団との住居のあり方もまたどのような形がいいのでしょうか。現代では全く離れているのも問題ですし、全く離れていないというのもストレスがたまりそうですね。保育園でいうところのちょっと隠れた場所であったり、薄暗いところ、ソファのような柔らかいものがあるところなどが茶の湯のような、集団での生活で一息つく場にもなっているのかもしれませんね。そのような場所の大切さを感じます。

  3. 共同生活のゆえの「窮屈さ」というものは確かにあるかもしれません。朝起きてから寝るまで、家のスケジュールのようなものが暗に存在し、それに縛られているということも感じないわけではありませんでしたが、「1人暮らし」願望もさほどなく、それよりも家族のことを優先させつつ、振り返ってみると、自分一人だけで生活した年数はほとんどなく、いつでも誰かと一緒に共同生活をしていた自分の過去があります。結婚してからは無論家内と、そして息子が生まれて今は3人。多い時には11人の大家族の時もありましたね。大正時代以前はわかりませんが、昭和時代になってからの家は、襖等で仕切られています。「近親相姦」など考えたことも無論想像したこともなかったのですが「実際のところ近親相姦は多かったようです」とあり驚いています。しかも「明治以前の農村共同体では、共同の家組織のおかげでかなりの性的自由が放任されていて、これが近親相姦に対するこの上なく有効な防御」ということですから、「性的自由放任」と「近親相姦」があたかも相殺関係にあるような話で、何ともオドロオドロシイかぎりです。それから市町村合併が戦後加速度的に進行しましたが、わたしの田舎では山や川、海で集落が隔てられていますから、今でも集落意識は強く、集落の利益がまずは尊重されるところがあります。私にとっては田舎の集落づきあいのほうが「窮屈」かなと感じられるところが多々ありますね。現在の東京暮らしはそれに比べると解放感たっぷりです。田舎出身者が、東京では隣の人が何をしているのかわからないほど関係が疎遠、などと言いますが、田舎の共同体意識の煩わしさから敢えて隣人と関わりを持とうとしない意識からでた発言なのだろうと思います。「窮屈」「放任」どちらも度が過ぎると碌でもないことになりますね。

  4. 「近親相姦」が助長されていたかもしれないのですね。やはり良い点悪い点がありますね。私は自分の家が窮屈でしかたがなく、一人暮らしを始めた時には嬉しく、ホームシックになる人の気持ちが全く理解できませんでした。窮屈と解放、どちらがいいのかではなく、どちらも生きていくためには必要で、それは保育にも当てはまりますね。集団で過ごす時間、一人で過ごせる時間、偏るのではなく、感覚で生きる子ども自身、実際にそのバランスを取る能力は持っており、保育者としてそのバランスを取れる、選び取れる環境を用意したいです。

  5. 〝茶の湯は、共同体的な拘束によって閉ざされた空間の中に一時的に開かれる一種の「窓」である〟とありましたが、この茶の湯というのが家族という集団で暮らしている中での『一人になれる場所』ということになるのでしょうか。
    確かに、家族の中には暗黙のルールのようなものが存在していて、それが窮屈に感じていた時も自分自身にもありました。
    ですが、神奈川で一人暮らしをしていた頃は確かに開放的な気分に最初はなりましたが、ピンチの時に誰にも言えないとか、いつも真っ暗の部屋に帰ってくることとか、家族といると味わうことのない窮屈を味わいました。
    集団でいる時と一人になりたい時のバランスはその子自身が選べるような環境を用意してあげることが求められることでしょう。どっちかに偏ってしまっていると、結局どちらも窮屈に感じてしまうように思われます。

  6. 近親相姦を助長してしまう面があるということには考えが及びませんでした。やはり集団と個のバランスも必要ということなのでしょうか。私の場合、家にしても職場にしても、ある程度のプライベートな時間が過ごせる場所や空間がある方が安心します。篭ってばかりということはありませんが、家にも自分の部屋はありますし、職場ではトイレの中がそれにあたります。家族や職場の仲間と過ごすのは当然、楽しいわけですが、それでもふと無性に一人になりたい時はあります。程度の差はあると思いますが、子どもたちもきっとそんな時はあるはずです。それを満たせるような、集団と個がバランス良く保たれるような環境作りというものが必要だと思うのですが、それを実現することはなかなか難しいということを最近、痛感したばかりです。

  7. 「家の中に私生活がまったく存在しない、このことがあまりに窮屈だと感じる者もいるのです」とありました。正に私もこれに当てはまっていました。しかし、むしろ今では感謝さえしています。家の中に私生活がほとんど存在しなかったことが、「家を出たい」「1人暮らしをしたい」という欲求を生んでくれ、大学から上京することができて今私はここにいれているからです。家を出て1人暮らしを始めたことで親や兄弟の有り難みもひしひしと感じることができましたし、何より世界が広がりました。窮屈さのような不満な感情は時折良からぬ方向に爆発してしまうこともあるので、やはり何事も適度が良いのかなと改めて感じています。
    窮屈な共同生活には、近親相姦を助長してしまう恐れがあること、そして実際に多かった事実を知り驚いています。若者用の寝室の存在があることは、今の家の構造上スタンダードですが、年頃の兄弟姉妹を遠ざける役割もあったと考えられているのですね。また、性的自由が近親相姦に対するこの上なく有効な防御とあり、やはり無理に抑えつけるようなことはかえって良くない方向にその感情のベクトルが向いてしまう恐れがあるのですね。

  8. 窮屈な生活空間による、近親相姦が徳川時代までには、見られなかったが、時代が進むにつれて、それの行為となるものを阻止するかのように、部屋という区切りができはじめていき、そのようなものへの防御策となっていった、こう考えていくと、人が1人の時間がほしいと思ったり、1人で過ごせるパーソナルスペースを求めるのにも一つ要因になったのでしょうか。しかし、時代にさかのぼれば、客間を作り、客人専用の玄関があり、客間と茶の間にあたる家族の生活スペースは、縁側があることにより、区切りを持っているが、個々のスペースはなかった、そのなかで
    ゛実際のところ近親相姦は多かった゛という事実かあったからこそ、改善策として部屋の個別化もすすんだものが要因の一つだと考えると、納得いく部分だと思いました。
    1人の時間というものは、自ら一人になっているようで、周りにある集団が個人的な時間の大切さを理解しているからこそ、成り立つものだと考えられました。

  9.  性に対する感覚が現代と少し違うのではないか、ということを時代小説を読んでいると感じます。遊郭に行くことがとても自然なことのように描かれていて、もちろん時代の背景と共に描かれているので、なるほど今と違うのだなぁということを感じるのですが、そういう本能に対してとても正直に体が動いてしまう感じ、それを統制する心を儒教が育てている感じ、そういう雰囲気を想像すると、今の日本人の心というのは、とても育ち上げられてきたものなのだなぁということを感じます。
     先日、「結婚すると自分の時間がなくなりませんか?」と質問をされました。僕は、昔から自分の時間というものに困った、という経験があまりありません。毎日楽しいことと、朝に弱くないことがそう感じさせるのだと思うのですが、家族が寝静まっている時間にろうそくに火をつけて書物を読んだり、勉学に励んだりしていた時代の人たちのことを思うと、部屋がなければないで、案外自分の時間も空間も確保できるものなのだなぁと、要はやはり〝時間はつくるもの〟なのだなぁと、改めて思ったりしました。

  10. 生活を共にしていると「窮屈」というのもわからなくはありません。それぞれ人間が生活をしていれば感じることなのかもしれません。実際に姉は家が窮屈で早々に家を出て寮に入って行きました。それは「個人が集団から逃げたいと考えたとしても、少なくとも徳川時代までは、結局のところは、それほどたたないうちに別の共同体に組み入れられることになるのだから」というような部分にあたりそうです。徳川時代以降はいったいどうなっていったのかも気になるところではあります。そして、窮屈から生まれた「近親相姦」というのは驚きでした。実際のところ多かったというのも想像がつきません。デメリットのような部分も少なからず出てくることがわかります。その窮屈な部分と放任される部分というのがうまくバランスが取れることで人間の調和が取れるということでしょうか。

  11. 日本家屋が開かれた空間として持っている長所と短所を知りました。開かれていることで家族の団結が生まれる反面、近親相姦が助長されてしまうといった問題あったのですね。私が小さいときには家の扉が殆どない家に住んでいました。その為、テレビも勉強も遊びも、寝るときにも個の空間はありませんでした。その時期は私は幼かった為に、窮屈という感覚はなかったのですが、新しい家が建ち自分の部屋ができ、成長するにつれて自分の部屋で過ごす時間が長くなったことを記憶しています。

  12. 家の中が窮屈になることが「近親相姦」が起きてしまうとは思ってもいませんでした。確かに住居が狭すぎるとストレスを感じたり、特に思春期だと色々と抱え込むのかもしれません。しかし、ブログに明治以前の農村共同体では共同の家組織のお陰で自由が逆に近親相姦の防御となったのは、日本の道徳的な教えはもちろん、日本の家では視覚的、聴覚的な管理が行われていたというのは、個人的に保育室を連想します。オープンな保育室で、大人が子ども達の様子を見渡すことが出来たり、もしくは子ども同士でお互いを見合うこともあり得ます。子どもにとって家の中での共同体は今の時代でも作ることが可能かもしれませんが、社会の中での共同体と考えると保育園は大切な空間だと思いました。

  13. 確かに今の時代、いろんな人が周りにいることで集中できなかったり、自分の好きなことができなかったりと窮屈に感じることは多いかもしれませんね。最近では「結婚しなくてもいい」という人や「恋人がいなくてもいい」という人も多いようです。そして、そこに共通するのが「束縛されるのがいや」といったことや「相手に気を使ったりするのが面倒くさい」ということをいう人が多いです。どちらがいいのかはわかりませんが、コミュニケーション能力という部分に焦点を当てるとやはり子どもと共同に生活し、お互いがお互いを管理しあうような環境のほうがコミュニケーション能力はつくように思います。
    また、「集団に対する各人の絶え間ない管理によって保証される家族の統一」とありますが、これに関しては保育においても言えますね。よく子どもたちを見ていると「多くの子どもをみるのは大変ではないですか?」と言われることがありますが、逆に「多いほうが楽」と思うことが多いです。それはまさにここにある「集団に対する各人の絶え間ない管理」があるからなのかなと思いました。しかし、その反面、子どもたちがそうではない、例えば「保育者と子ども」の関係で保育をしていたならば大変だと思います。子ども同士をつなげるとお互いが注意しあいますが、大人が子どもに伝えるばかりではなかなかそうはなりません。しかし、そうであっても、今回のブログにもあるようにそのお互いの管理が窮屈になる子どももいるかもしれません。だから保育において、「選択」をする必要があり、一人になれる時間を作ることができるようにするのかと改めて空間の作る意図や方法を理解しました。

  14. 隠居というと大河ドラマなどでしか見たことはありませんでしたが、確かに隠居になると別の離れに暮らしているイメージがあります。または、いわゆる世捨て人がこうしたイメージがあります。個室があるというのは当時はこれほどまでに考えられないことだったのですね。そして家の作り方において、いわゆる人の3大欲の食欲、睡眠欲、性欲。これらがしっかりと考慮させているというのはよく理解ができます。知っている範囲では、夜這いの風習などがありますが、こうしたことも近親相姦を避けさせ、今の日本の家の在り方を確立させていたのですね。

  15. 窮屈な共同生活によって近親相姦が助長されかねないとは、そしてそれが多かったというのも驚きました。昨日のブログでは窮屈な方がある意味で「引きこもりを生まなくていい」なんていう感想をもちましたが、そういった事に繋がってしまいかねないのですね。保育に関しても集団も大切ですが一人になれる、ゆっくりできるような場所も保証してあげることも大切なように、やはりバランスが大切なようですね。

  16. 隠居とは日本の独特の文化であり、人生で初めて私生活的なものを持つ元が許されていたのですね。経済的、家的、社会的役割は終わり、必要な指示を相続者に伝えてしまえば、共同体の仕組み全体から身を引くことができたら、孤独になるのかと思いきや、茶室によって各人が結びつけられるのですね。しかし、茶の湯のような文化は、逆に近すぎて問題がいくつかあるのは驚きました。何事も程よい距離感があるのでしょうか。

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