標準化

 日本では、どの家にも、それは贅沢な家の部屋でも団地の部屋でも、多少の違いはあるとしても畳がありました。ですから、畳何枚分というと、日本全国その広さが共通になります。広さだけでなく、長さも、畳をタテに何枚分並べた長さというとおおよそ共通になります。そして、家の大きさも、畳を部屋に敷くために、柱と柱の間の距離はほぼ決まります。しかし、その元になる畳の大きさは、その環境によって若干違ってきます。

 このあたりの経緯を、マサビュオーはこう説明しています。日本の家族生活や共同体生活を支配する日本社会の基本的諸価値のほとんどが、当初は貴族の邸宅からですが、日本の家の中で、長い時間をかけ、ほとんど永久不変のものとして少しずつ形成されていったと言います。日本の社会的関係は、序列に基礎をおいており、その社会的関係が準拠している宗教的諸価値や、美的諸価値、技術的諸価値もまた序列に基礎をおいていると言います。もしかしたら、人間の遺伝子として持っている「協力」という力は、日本においてより強く伝承されているのは、日本の社会が、この序列に基礎をおいているからかもしれません。そして、この序列の考え方が、家のあり方の中に刻み込まれ、こうして家は、社会的関係にとっての優先的な枠組みとなったのではないかとマサビュオーは考えています。

 このような役割が直接保育室に適応できるかはもっと検討が必要かもしれませんが、保育室という空間のあり方が、子ども集団と大人集団が生活する社会において、さまざまな価値観を子どもたちに教育していることは間違いないでしょう。赤ちゃんから、母子だけという2者関係の中だけで生活し、育つということが、将来のさまざまな価値観を構築する上で、偏ってしまうことは考えられます。それは、さまざまな価値観とは、社会的関係が準拠しているからです。

 そのように家が影響してくるということは、日本の平均的な形態が、伝統的な民衆の建物と上層階級によって作り上げられた壮麗な建築との出会いから生じているからだとマサビュオーは考えています。西洋における以上に、日本の建築上の伝統は、序列的なあり方において守られているのです。宮殿や寺院で生まれた形式的な理想に、文明を促進するためのほとんどの価値が、集中しているのですが、この理想は7世紀から18世紀にかけて、町や農村の民衆の住居に完全に浸透し、このために伝統的な民衆の建物で、その形がある程度純粋なものは、奥深い地域のいくつかにしか残っていないほどであると彼は言います。こうして一定のタイプの住居に体現された真善美の理想が日本の共同体の全体に次第に広まっていったとマサビュオーは考えています。

 このように、日本の家は、標準化されていきます。しかし、日本で建築素材として選択したものは、「木」という耐久期間の短いものであり、国が南北に非常に長く、たいへん多様な自然環境下におかれていることは。社会的不平等や財産不平等とともに、こうした展開に対して否定的に作用したとマサビュオーは言います。彼は、「家のすべての要素の標準化への動きが、こうした障害のいくつかを取り除き、また別のいくつかを存続したことによって、この展開が可能になり、また必要になったのである。」と言っています。

 この標準化によって、日本人独特の特徴や文化が守られてきたのでしょう。私は、是非、日本の保育の標準化が作ることができたなら、日本の文化は、子どもたちに伝承されていく気がしています。

標準化” への16件のコメント

  1. 日本社会の基本的価値観が貴族の邸宅から生まれ、長い年月をかけ日本の家の中で永久不変なものへと変化していったということ、人間の持っている協力という遺伝子が日本においてより強く伝承されているのが日本の社会が序列に基礎をおいているからかもしれないということはなんだかすごいことですね。日本、日本人というのはそのような共通に価値のあるものを多くの人と共有し、それを次の世代へ次の世代へとつないでいくことに長けているのかもしれませんね。よく「何代目〇〇」という肩書きを持った老舗の方がおられますが、いいものを繋いでいくという意識の表れでもあるのかもしれませんね。 「私は、是非、日本の保育の標準化が作ることができたなら、日本の文化は、子どもたちに伝承されていく気がしています」藤森先生もこのように仰っておられますが、私もまた見守る保育を深め、多くの方たちと共有し、次の世代へつないでいける力になれるようになりたいと思います。2015年も終わります。今年はたくさんのことがありました。その中で、来年に向けて、今後に向けて自分がどのような気持ちで望むべきなのか教えられた年末でもあります。自分と向き合って、来年、これからへの力をもらえたようにも思います。まだまだ来年も、それからもよろしくお願いいたします!そして、コメンテーターのみなさんのコメントからも多くの刺激を受けました。みなさんをはじめ、多くの方々と保育を深め、共有し、誰かのために事を成せる自分になりたいと思います。2015年もありがとうございました!!

  2. 日本の生活を支える社会の基本的価値が、「長い時間をかけ、ほとんど永久不変のものとして少しずつ形成されていった」ということから、じわじわと体験を通してどんなものに価値を置くかどうかといった判断が構築されてきたのかということが理解できます。そのことは、ちょっとした抵抗や時代の流れ出は覆す事ができないものになっていったということでもあるのでしょうか。「協力」の基礎に「序列」という存在がある日本という国は、本当に素敵な国なのですね。また「保育室という空間のあり方が、子ども集団と大人集団が生活する社会において、さまざまな価値観を子どもたちに教育していることは間違いない」という言葉には、大きな責任という重圧がかかってきますが、きっとそれこそ、先に生まれた者の使命なのかもしれないとも感じました。そして、日本人が「木」というものを選択した時から、「序列」は始まっていたのですかね。どこでもあった身近な「木」という平等な物から日本家屋の標準化がされていき、それを大切にする精神が自然と作られ「日本人独特の特徴や文化が守られてきた」ということであれば、先祖たちの並並ならぬ努力があったことを感じました。藤森先生がやられている「日本の保育の標準化を作ること」は、時代が流れた時に“日本文化”として認めれていくかもしれないと思うと楽しくなってきますね。文化を守るということであれば、数十年後には、『無形文化遺産』として「見守る保育」が存在しているかもしれませんね。
    今年も最後になりました。このブログにコメントを入れていて最近思うことは、こんなにも毎日欠かさず何かを続けたことはこれまでにないということです。藤森先生からは、自分への自信を頂いています。来年も、たくさん学ばせて頂きたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

  3. 人間のもつ゛協力゛という遺伝子が持っている力が、日本の社会的関係、゛日本の社会が、この序列に基礎をおいているからかもしれません゛とあり、私たちは、生まれながらにおいて、家庭内での序列を感じ、社会へ順応する術を
    ゛協力゛という遺伝子から感じ取って身に付けようとしていたことが考えられました。協力と序列の結びつきが日本の伝統として、関係性が深いことが考えられました。
    そして、゛日本の建築上の伝統は、序列的なあり方において守られている゛とあるように日本という国の中で、伝統的日本らしさを感じることのできる環境下により、育ちのなかで、序列を学ぶというとへとつながるような気がしますし、本来ならば、そのような環境が社会において、なくてはならない日本の伝承文化になっていかなければならないと考えることが出来ました。これが、藤森先生のお話にある、日本の保育の標準化をしっかりと作っていきたい、保育のスタンダード化とつながるように感じ、そして、日本らしさから伝統や伝承を学べる場が保育の中へと、存在できるのだと思いました。
    今年も、ブログのなかで、私自身の学びとなり、保育者としての学びともなりました。また、私自身の考えかただけではなく、やはり、コメントをされている方々の内容を読むことで、新たな見解をみることができ、共に学び合うことへ喜びを感じてます。
    今年も、大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

  4. 「宮殿や寺院で生まれた形式的な理想に、文明を促進するためのほとんどの価値が、集中しているのですが、この理想は7世紀から18世紀にかけて、町や農村の民衆の住居に完全に浸透」し、それが日本の津々浦々において実現されるに至ったのは、やはり戦後に成し遂げられた高度経済成長による一億層中流社会と言われた社会の実現だっただろうと思います。大都市はこの期間、米国生活の模倣が家電や家具等々から推し進められいきましたが、地方では貴族階級や武士階級がかつて実現した家屋のあり様にお金をつぎ込むことになったと思っています。本日は、新年を迎える準備をしていました。床の間には立派な床柱があり、その横には書院造を模倣した違い棚の一角があります。6畳、8畳、10畳の部屋部屋には、神棚や仏壇が設えてあります。我が家のような一般庶民の家でもこうです。マサビュオー氏が見出した、長い歴史をかけて日本全国に浸透してきた日本家屋の真善美は、意識すると私たちの身近なところに実は存在しています。まさに「標準化」がなされてきた結果です。この標準化は、支配ー被支配、弱肉強食関係から生まれた標準化ではありません。「協力」によって成し遂げられた標準化だと思っています。互いに協力し合いながら、互いに補うことによって実現されてきました。この標準化の実現の根底にある価値はもちろん日本人がこれまで培ってきた価値です。藤森先生ご指摘の通り、我が国の保育界にも日本保育の標準化が必要だと私も思っております。この標準化が達成される時、協力・互恵・相互扶助そして共生と貢献による人類の生存が可能になっていくのだと私は信じています。来年もぶれることなく、信じた道を歩み続けたいと願っております。今年一年まことにありがとうございました。来年も宜しくお願い申し上げます。

  5. 日本の社会的関係は、序列に基礎をおいていたりと、序列を重んじて形成されてきた形が、現代にある様々なものの基盤を成していて、ましてや「人間の遺伝子として持っている”協力”という力は、日本においてより強く伝承されているのは、日本の社会がこの序列に基礎をおいているからかもしれない」ということに非常に驚きました。ここで人間の本質にある協力的な部分に繋がっていくのですね。ジャンルが違ってもどこかで繋がる度に感動させていただいています。
    日本の家が標準化されてきたことで日本の統一性が生まれ、日本人独特の特徴や文化が守られてきたと考えると、日本の保育でも標準化を作ることが必要であることを裏付けていると思えましたし、それが見守る保育で行われるべきだと思えます。そして見守る保育が標準化していくために、微力ながらも力となれるよう当ブログ等を通して、学びを深めていけたらと思います。
    2015年も多くの学びを提供していただきありがとうございました。当ブログから興味関心を引き出していただき、考えること自体「人生初」ということも何度かありました。来年もそのような興味関心や多くの学びを当ブログを通して出会えることが今から楽しみです。来年もよろしくお願い致します。

  6. 人間の遺伝子である「協力」しかし、遺伝子とは言え、環境がそうさせなければ「協力」という遺伝子は失われてしまう可能性があります。だからこそ日本は家屋から、それこそ環境が人間の遺伝子を引き出していると思います。昔は家屋はもちろん、共同体としても機能していたため多様な人との関わりがあったと思いますが、今は少なくなっています。たわからこそ、保育園という空間はそれを補う役割なのかもしれません。マサビュオーの日本家屋の考え方を学びましたが、最初はどうも保育に繋がるのか楽しみでしたが、後半になるにつれて、核心に迫ってくると保育に通じる部分が多く、頭の中に素直に入ってきました。保育の標準化によって、子ども達に日本の文化が伝承されていくという藤森先生の最後の言葉は「気がする」ではなく、きっとそうだと私は信じています。

    今年も最後のコメントとなりました。間に合って一安心しています(笑)本当は一個ずつコメント書けばいいものを、ついまとめてアップしてしまい先生には一度に大量に読む羽目になってしまい申し訳ないと思っています…。今来年はなるだけ、コツコツとコメントを入れていければと思います。今年も一年間、一日も欠かさずブログを書かれてお疲れさまでした!来年も宜しくお願いします。

  7.  明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします。朝起きてからPCに向かうまでの動作の全てに「◯◯初めだなぁ」と思いながら、今新しい気持ちでPCと向き合い、臥竜塾ブログと向き合っています。今年も本当にいい年になる、とそんな良い予感がします。今年最初の仕事として、藤森先生のブログにコメントを入れられる喜びを、今改めて噛み締めています。
     見守る保育は環境をデザインする保育であることを改めて感じます。その環境の中には、〝園舎〟という大きな枠組みも入ることでしょう。日本の家屋、日本人の精神の宿った家のつくりは、子ども達に序列の基礎を浸透させ、それが大人になって確固たるものへとなり、継承され、伝承され、今に至っています。封建制度における序列は直接的な身分差別であり、それは今の時代において繰り返すことではありませんが、その長所となる部分を現代的に抽出すれば、〝理性〟や〝道徳〟といった、人間の基準となるものを育てる環境に早変わりする資質を持っているようにも思えます。日本の家に見られる〝日本人的精神の育み方〟とも言えるような、標準的な在り方を保育に照らし合わせて、見守る保育という保育が標準化され、それがこれからの時代の〝日本人的精神の育み方〟となることを、願ってやみません。

  8. 「人間の遺伝子として持っている「協力」という力は、日本においてより強く伝承されているのは、日本の社会が、この序列に基礎をおいているからかもしれません」とあります。序列により、上流階級から下級層に向かって、文化が下りてくるというのはよくわかる構図ですね。また、それにあたり標準化されていくということはとても合理的なまねの仕方でもあるように思います。よく藤森先生のブログにも「日本人はまねが上手」という言葉が出てきますが、このように真似しやすいように標準化され、それが何代にも受け継がれていくということもあります。しかし、その「標準化」をただ、合理的なものとしてとらえていくことは危険なことですね。保育においても標準化が大切であるということは私もよくわかりますが、それがなにを意味しているのか、どうあるべきかなどといった理念や考えはしっかりとあるべきなのかもしれません。そして、それにおいて文化となるものを標準化することで形に意図があるように思います。それも日本家屋の作りに多くの意図があったのを知ったからであり、今後の保育においても非常によく考えていかなければいけないことだと思っています。そして、自分自身「日本の保育の標準化」というものをとらえるためにもっと学ぶべきことが多いと改めて思います。

  9. 〝人間の遺伝子として持っている「協力」という力は、日本においてより強く伝承されているのは、日本の社会が、この序列に基礎をおいているからかもしれません〟とあり、協力と序列はそのような関係性にあるんですね。
    また、保育室では大人も子どもも同じ空間の中で生活し、ともに学んでいける空間であるということが、様々な価値観を構築していく上で必要なことですよね。
    もう明けていますが、昨年は大変お世話になりました。このコメントをこんなにも長く続けていることに自分自身も驚いていますが、毎日のようにコメントすることで、『自分もやればできるじゃん』という自信につながっています。今年もたくさんのことをこのブログから学ばせて頂きます。よろしくお願いします。

  10. 日本の家の標準化によって、日本独特の文化が伝承されてきたのですね。そのなかでも「協力」という人間の遺伝子は、日本の家屋の中で受け継がれ、それが社会を作る基礎になっていると考えると、もともと、日本人は協力という部分に関しては得意分野になるのではと思いました。最後に書かれている「日本の保育の標準化が作ることができたなら、日本の文化は、子どもたちに伝承されていく気がしています。」という藤森先生の言葉で改めて保育という仕事が好きになりました。

  11. 家の作り方であったり畳の大きさであったりというのは「日本の家の中で、長い時間をかけ、ほとんど永久不変のものとして少しずつ形成されていったと言います。」とあるようにはい、これが共通の畳の大きさですで決まったわけではないことがわかります。様々な試行錯誤のようなことを繰り返し出来上がっていった形態というのが先祖である方々の努力の結晶であるように感じました。その中に欠かせないのが「協力」でありますが、強く伝承されてきた理由として「序列」があげられています。日本家屋が生み出す「序列」から日本人のルーツをいくつも作り出している家屋というのに脱帽ですね。「私は、是非、日本の保育の標準化が作ることができたなら、日本の文化は、子どもたちに伝承されていく気がしています。」と最後にあります。標準化されることは近い将来子どもたちとってそうあるべきでないといけないと感じます。保育の標準化も長い年月をかけることで出来上がっていくことを信じています。

  12. 「標準化」とだけ聞くと平均的であり、特に際立ったものも面白みもないようなイメージを持ってしまうのですが、家や建築においてはそうではなく、文化や伝統を守ることに繋がっているということはとても興味深いことです。高度経済成長の時代、欧米への憧れもあって日本人はそれまでの日本家屋ではなく、欧米式の家をこぞって建てたという話を思い出しました。うる覚えですが、その様子を見た外国の有名な建築家か社会学者だかの人が、「日本人はダイヤを捨てて、砂利を拾っている」と言ったというのが印象的だったのですが、そのダイヤに当てはまるのが日本の文化であり、伝統なのだということを今になって強く感じます。それだけ日本の文化、伝統は家によって守られ、受け継がれてきたものであり、その家を否定することは日本人としての生き方も否定することにつながるのかもしれないと思いました。
    家と文化、伝統の繋がりは私が思っていた以上に深いということを感じます。

  13. 日本において「序列」というものが大切にされている。現代では「序列」というと「年功序列」などあまり、世界的に見て良いとは言えない風習のようにも感じます。ですが「家」については、貴族からゆっくりと時間をかけ皆の家へと形作られているという順序において「標準化」されることにより、世界に誇れる日本の形ができていったのですね。また「宗教的諸価値」や、「美的諸価値」、「技術的諸価値」においても同じことが言えるとあるように、様々な面においてこうした順序において「標準化」がなされているという所は日本の強みであり、しっかりと見直していきたいポイントでもありますね。子どもたちの環境においても、良い意味での「標準化」を大切にしていきたいと思います。

  14. 1歳児クラスの子が大きい子に憧れてトレーを持ち配膳にチャレンジしていました。子どもたちの行動を見ていて感じることは、重要なのは「教える」ことではなく、「伝承」されていくことではないかと最近考えるようになりました。「伝承」というと特別な感じに聞こえますが、自然な行為だと思います。異年齢は特別なことではなく、社会では様々な人がおり異年齢が当たり前で自然なことです。「協力」も特別なことではなく、自然な行為で遺伝子レベルで刷り込まれていることだと思います。しかし、その遺伝子がいかに花が咲くのか、そういう環境をデザインできるようになりたいです。また、「見守る保育」が日本の標準化になるように、私なりにできることをしていきたいと思います。

  15. 「母子だけという2者関係の中だけで生活し、育つということが、将来のさまざまな価値観を構築する上で、偏ってしまうことは考えられます。それは、さまざまな価値観とは、社会的関係が準拠しているからです。」とありましたが、昔の家では一家庭に子どもから両親、祖父母といった多くの家族関係の中で、協働で生活をすることで様々な思いからそれぞれが折り合いをつけて生活していたと思います。しかし、現代の家では核家族化が進み、それこそ母子だけの2者関係の中で長いこと生活してしまえば偏りが出てしまうのも無理がないと思います。こうした中で感受性が育つ乳児のころから子ども集団のある施設に入ることは、必然なような気がします。そのためにも「日本の保育の標準化」が急務となってきますね。

  16. 「保育室という空間のあり方が、子ども集団と大人集団が生活する社会において、さまざまな価値観を子どもたちに教育していることは間違いない」とありますが、つくづく保育園において子供に対する大人の影響力はあるなと感じます。責任感のある仕事ですね。
    標準化によって、日本人独特の特徴や文化が守られたならば、保育の標準化により、日本の文化は保育園の子供達から守られていくのでしょうか。そういう意味でも、伝統というテーマで、伝統を見直し、引き継いでいけるのは、いいタイミングだと思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です