国全体のレベル

 イメージとして、農村部は共同体の枠組みの中で生活し、都会では、個人が保証されていると思います。ですから、農村における共同体の窮屈さから逃れたいために、都会に出てくるということがあります。しかし、徳川時代までは、ただ別の共同体に組み入れられるだけで、自由は夢のようなもので、すぐにかき消されてしまったとマサビュオーは見ています。しかし、江戸時代も長く続いてくると、次第に農村の人口が過剰になり、都会に住む者の数が飛躍的に増大して、「孤立」する者たちの数がはっきりと増えてきます。浪人という主君がなく正常な社会的背景を失った侍や、農村の極貧の家の次男三男たちは、町の社会の中に入り込もうとするし、数知れない浮浪者たちが路上をうろついていました。しかし、これは全体から見れば少数だったのです。また、昔ながらの人間関係を失っても、新しい関係、たとえば新しい職業関係や養子縁組など野関係が、すみやかに成立するのは例外的なことだったのです。昔ながらの人間関係が、生きるための条件そのものだったのだと考えているのです。

 では、三つ目のレベルはどうかというと、家族や土地の共同体ばかりでなく、日本の家はさらに国全体にも働きかけるということです。あらゆる集団の形態にとって、家族モデルが普遍的に適応されていて、家がこのモデルを基礎的に維持していたことが、こうしたことが可能になった理由の一つであるとマサビュオーは考えています。このことに関しての日本独自の寄与が、どのようなものであるにしても、中国の影響がここでは決定的であると見ています。これは特に儒教を通しての影響であって、儒教の考え方によれば、各人が孝行の義務を果たしている安定した家が、国も繁栄のための基本的単位なのです。このときの孝行とは、私的な義務であると同時に、公民としての義務だったのです。したがって、市民権所有の単位は個人ではなく、不可分の組織体と見なされた家だったのです。家の長が規律を徹底させ、外部に対しては家長が家を代表したというのです。

 日本はこうした考え方を取り入れ、組織や集団や組合などすべてのものが家族的形態をとるにまで至ったと言います。言い換えるならば、人間関係は常に父子の序列に従って構成されるのだというのです。そして、同じ「恩」という言葉が、父から受ける恩義をさすのにも、主人や先生からの恩義をさすのにも用いられているのです。この原則は新儒教の理論家たちによって皇室についても拡大されて、主君は最高の「父」となったと言います。こうした考え方は明治時代において大きな飛躍を遂げました。なぜなら、それまで日本はかなりはっきりした封建的地方独立主義によって分裂していたのですが、この考え方が日本の統一のための力強い原理となったからだとマサビュオーは考えています。

 軍人たちはこれを英雄主義や犠牲精神を喚起するために用い、各人は神を祖先に持つこの父のために戦い、そして死を受け入れていくのです。超国家主義の理論家たちのうちには、この家族への同化を極度に推し進めて、日本人全体が一つの家系から出ていて皇室はその直系であり、他の日本人は傍系の子孫であるとまで主張する者まであったそうです。今日でもなお、日本の愛国主義の基底には、日本人は同じ一つの「家族」に属しているのだという、たいへん強烈な感情があって、この「家族」からは、非日本人は生まれながらにして決定的に排除されているのだと言います。

国全体のレベル” への16件のコメント

  1. 長年、日本という国が移民に対して積極的でなかった背景には、愛国主義という名の下にある『日本人は同じ一つの「家族」に属しているのだという、たいへん強烈な感情』が存在していることが大きかったのかなと感じましたし、「非日本人は生まれながらにして決定的に排除されている」といったように、他国の人は捉えてしまうのだろうなと思いました。今では、少子高齢化社会という問題に対する対策として移民を積極的に迎えようといった政策
    があるようですが、マサビュオー氏が言う「日本の統一のための力強い原理となった」封建的地方独立主義の良い部分を残しながらの、異文化共生をはかることが重要なのだと思います。また、そのような時代の人間関係が「生きるための条件そのものだった」とまで言われているように、根底から反れた生き方というのは、当時は難しい道であったことが想像できます。

  2. 儒教という中国からの影響で「各人が孝行の義務を果たしている安定した家が、国も繁栄のための基本的単位」という考え方になっていったのですね。大きな集団である国が維持するためにそれを支える最小の単位が家であったということは家の集まりが国であり、国は家の集まりであるという、国と家が同じような存在であるような印象を受けました。「人間関係は常に父子の序列に従って構成されるのだというのです」というのもとても気になりました。こうした考えが明治になり大きな飛躍を遂げたとありました。軍人たちがこの考えを用いたともありましたが、政治的な理由によってそれまであった家族の考え方が意図的に変えられてしまったということでもあるのでしょうか。日本人の自然な営み、集団としての考え方が急展開していった時代でもあるのかもしれませんね。

  3. 幕末維新頃の我が国における識字率の高さを考えると、寺子屋等を通じて相当多くの日本人が国のために貢献すべきであることが教え込まれていたことでしょう。文字というレベルの高い文化の習得と儒教より流れ出る倫理規範の学習は日本の教育史を紐解くと首肯できることなのでしょう。そして、明治維新政府による天皇中心の中央集権国家体制の確立は、庶民階級まで浸透していた学習熱を学制という仕組みに転写し、一挙に国家という集団に奉仕する国民一人ひとりということになってきたようです。文明の進歩と共に様々な生業が登場し、それらは「会社」のような組織に変化していき、やはり集団で国を支えるというふうになってきたのでしょう。家、村、町、会社、自治体や国という集団の枠組みの中に否応なく組み込まれていく。今回のブログを読みながら思い出したのは、ある極端な家族主義思想家たちが大東亜戦争の際に「八紘一宇」という概念を持ち出してきて、全世界は一つのお家、と唱えるに至った経緯です。一方、ドイツの詩人シラーは「全ての人間は兄弟である」と唱えました。「兄弟」である「人間たち」が住む「全世界」は確かに「お家」ですね。じゃあ、誰がお父さんで誰がお母さん?・・・大戦争の始まり始まり・・・。

  4. 「江戸時代も長く続いてくると、次第に農村の人口が過剰になり、都会に住む者の数が飛躍的に増大して、「孤立」する者たちの数がはっきりと増えてきます」とあり、私も実際に田舎から東京に似たような理由で出てきたので、今とあまり変わらないのかなと思いました。
    「軍人たちはこれを英雄主義や犠牲精神を喚起するために用い、各人は神を祖先に持つこの父のために戦い、そして死を受け入れていくのです」とあり、家族という形が劇的に変わったことがわかりました。ドイツではヒトラーのような存在を二度と出さないように個で考える力を大切にしているというような話を聞いたことがありますが、今の日本はどうでしょうか。「主君は最高の父」と政治的に利用している政治家はまだ日本にいそうですが。

  5. 江戸時代が長期なるにつれて、次第に人口が過剰になり、家から出ざる得ないもの、例えば、次男、三男だったりが出てき、孤立していく、その人々が、様々な生き方を見つけ生きようとするといった生きるための条件を探さなければいけない難しい時代だったのですね。しかし、家をでて新しい人生を見つけることが、また、新たな繋がりを生んだ可能性も考えられました。゛儒教の考え方によれば、各人が孝行の義務を果たしている安定した家が、国も繁栄のための基本的単位゛とあり、儒教の精神が大きな影響を与えたことで、各個人がそれぞれのために尽くすといった自己中心ではなく、他者中心の精神が組織体を生み出し、゛家の長が規律を徹底させ、外部に対しては家長が家を代表した゛というようになったのですね。家庭における家長が父ならば、それに対する孝行をするものがいるからこそ、安定とした家となる、序列があることで、人間関係が形成されていることが考えられました。

  6. 明治になり、日本はいくつもの戦争をしていくことになるのですが、その根底の考え方が〝日本の愛国主義の基底には、日本人は同じ一つの「家族」に属しているのだ〟ということなのでしょうか。
    戦争で他国の軍隊が日本軍の怖さを尋ねられると『死を恐れずに向かってくるところ』と答えていたそうですが、〝各人は神を祖先に持つこの父のために戦い、そして死を受け入れていく〟というところとつながります。
    よく言えば一枚岩の統制がとれた集団になるのでしょうが、一度間違った方向へ行ってしまうと修正してくれる人がいなくなる怖さもあるように感じられます。
    江戸時代から明治維新後の戦争を繰り返していた時代とのつながりがこのような形であるということは初めて知り、驚きました。

  7. 日本の愛国主義の基底には、日本人は同じ一つの「家族」に属しているのだという、たいへん強烈な感情が今でもなおあるとありました。これも日本人の集団意識の高さ、団結力の強さの根底にある部分であると思えましたし、特に強く感じるのは、各種スポーツの世界大会、オリンピックです。あのときの一体感はどこの国でも同じだと思っていましたが、日本ほど国全体が一体化しているのは珍しいのかもしれないと思いました。また、主君は最高の「父」という考え方が日本の統一のための力強い原理となったとありました。これが日本人の家族という概念に大きな影響を与えたようにも感じます。昔は亭主関白な家庭が多く、父の言うことは絶対だったと聞きます。そこから主君を最高の父と例えることが戦争のような無益な争いを生んだとも思えてしまいます。しかし、現代では亭主関白のような家庭は少数派だと聞きますし、時代が変わるにつれて家族の概念も変化し、父が絶対ではなくなったことが日本を良い方向に向かせてくれたのかなと感じました。

  8. 私は特に地域の繋がりが強い所に住んでいますので、意味合いは異なるかもしれませんが、「農村における共同体の窮屈さ」というのがわかる気がします。今では年を重ね、窮屈さや煩わしさというものを感じることなく、受け入れられるようになりましたが、若い頃はなかなかそうはいかなかったことを思い出します。国自体が一つ家と捉える考え方はスケールが大きいと感じてしまいますが、納得できる部分があります。戦争の時などには特にこの考えが浸透していたということも伺い知れます。家において父の存在が絶対であったように、国においては皇室がそれにあたるものであり、その命令にたいしては逆らう余地もなく力を尽くしていたのでしょうね。人や国を一つにまとめ、統制するには適しているとは思いますが、そこに個人というものが感じられなくなるのは怖いことです。

  9.  〝昔ながらの人間関係を失っても、新しい関係、たとえば新しい職業関係や養子縁組など野関係が、すみやかに成立するのは例外的なことだったのです。昔ながらの人間関係が、生きるための条件そのものだったのだと考えているのです。〟という文章を読むと、司馬遼太郎さんの作品の中に出てくるような〝この時代にとっては異例の出世だった〟〝異例の抜擢だった〟というような内容の言葉が、とてもしっくりくるような思いがします。建物としての〝家〟でなく、家系としての〝家〟というものが時代を占めていた時代があります。それは、今廃れつつある学歴社会にも似たもののような気もします。藤森先生が以前「これからは魅力の時代だ」ということを仰っていたことを思い出し、改めて感動を覚えるのですが、現代は家柄や、学歴でないく、その人。その人の魅力というもので勝負できる時代だということです。こんなにいい時代、未だかつてなかったのではないでしょうか。いい時代に生まれることができ、感謝の気持ちが湧いてきます。

  10. 日本という国が「家族」という形態に対して強く思っていたことが伺えます。組織、集団、組合の関係が全て父子関係になったことで「恩」という物が強く大切にされてきているのですね。確かに、今でも親から貰う「恩」、または友人、職場の上司、そして先生などからの「恩」は大切にするべきだと思います。この精神が日本を統一した原理になったのですね。
    ただ、後半の内容を読むと、戦争で軍人たちが国のために体を張り、死ぬことも名誉だと言っていたことの背景が何となく理解できました。日本の愛国主義は確かに素敵だと思います。しかし愛しすぎて周りが見えなくなってしまうと…少し不安になります。

  11. 江戸時代も長く続くことで、農村の人口が過剰になり都会に住む者の数が増え、「孤立」する者たちの数がはっきりと増える。また、農村の極貧の家の次男三男たちは町の社会の中に入り込もうとする。という時代の変化は凄い時代だったことを想像します。日本人はみんな共同体という「家族」という考えは、私個人としては好きな言葉ですが、このことで日本は様々な間違えを犯したこともあるので、考え方、捉え方は色々と考えてしまいます。

  12. 日本は国全体が「家族的形態」をとっていたのですね。確かに、日本書紀や古事記などの記述を見ていても、日本の長は神の子孫であり、日本人はその眷属といったような考え方でしたね。そして、戦争時代にはまさにその考え方が強く出た時代であり、それにより日本という国を一つにまとめ上げていました。ある意味、他の国に比べて、かなり強固な愛国心を持つ国だったでしょうね。当時アメリカ人も日本人の「自決」という行動にかなり驚きと恐れを持ったと聞きます。その根底には日本国民全体を「家族」というつながりであるとし、日本の長を父とする考えにおいて起こったからなのですね。人々の営みのなかである共同体とその窮屈さから脱却する考え、そして、家族という共同体が国レベルになるプロセス。日本で「個」を持つということはとても難しい時代があったというのは理解しています。そして、そうなるにあたり歴史的なものもあったのだと思います。今の日本ではその時代に比べれば「個」というものはかなり保障されているのでしょう。しかし、その中で今の問題は共同体になるような能力が問題になっています。結局のところ、やはり人間において「中庸」というものが必要になってくるのだと思います。どちらかが強すぎてもいけないのかもしれません。

  13. 「封建的地方独立主義によって分裂していた」日本ですが、「人間関係は常に父子の序列に従って構成される」という考えから日本の統一の力が強くなっていったというのですね。あまり知ることのない世界ですので勉強になります。この愛国心の強さが日本が戦争をした際に「お国のために…」と飛行機で相手国に犠牲を払ってまで飛び込んでいく前に笑顔で出発できるほど日本に対する敬意があったのでしょうか。「日本の愛国主義の基底には、日本人は同じ一つの「家族」に属しているのだという、たいへん強烈な感情があって、この「家族」からは、非日本人は生まれながらにして決定的に排除されているのだと言います。」とあり、少し極端な考えでもあるように感じますが、納得いく部分でもあります。それぞれの家族があって国が成り立っているのはわかりますが、非日本人を排除する必要がどこにあるのかがよくわからなくなりますね。

  14. 江戸時代後期においては「孤立するもの」の数がはっきりと増えてくるというのはなんとなく複雑ですね。江戸というと、天下が統一され、落ち着いてきている中で、「孤立するもの」が増えるというのは、まるで今の時代と同じような気もします。そして、何より、歴史として、こうしたことをもっと伝えていくということがなされていないことにも不安を感じます。歴史の勉強というと、大きな戦争や、幕府がいつできたなど、大きな出来事ばかりで、そこから日本が何を学んだかといった所までは踏み込んでいない気がします。もちろん主観的なことも入ってくるので難しいこともあると思うのですが、歴史をちゃんと理解する上では大切なことだと思います。

  15. 「人間関係は常に父子の序列に従って構成されるのだというのです。そして、同じ「恩」という言葉が、父から受ける恩義をさすのにも、主人や先生からの恩義をさすのにも用いられているのです。」とありますが、こうった考え方が浸透することで日本の愛国心に繋がっていき、「義理人情」や「恩」といった日本人としての関わりの大切さが今でもなお根付いているように思います。最後の方の「軍人たちはこれを英雄主義や犠牲精神を喚起するために用い・・・」というのは、その愛国心から戦争をする軍人さんを統制するにはいいのかもしれませんが、一歩間違えてしまうと強すぎる愛国心が故に周りが見えなくなってしまい、間違った方向に行きかねないところもあり怖くも感じます。

  16. 各人が孝行の義務を果たしている安定した家が、国も繁栄のための基本的単位とありますが、家と国は同じようなものであるということでしょうか。規模は違いますが、成り立ちは似ている気がします。また、人間関係は父子の序列に従って構成されるというのも、やはり国全体に当てはまるところがあるなと思いました。

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