子どもの罪悪感

赤ちゃんが他人に対してその人がどのような人であるかという研究は何とかで来ても、自分自身をどう評価しているかという研究は、難しいようです。そうはいっても、幼児期の自己評価のサインを観察することならできるようです。赤ちゃんや幼い子どもたちは、しばしば他人によいことをしたときに、誇らしげな様子をしますし、逆に罪悪感もあります。生後1年に満たない赤ちゃんでも、他者を傷つけると、心を痛める様子を見せますし、その頻度は成長するにつれ増えていくようです。

1935年に、心理学者のシャルロッテ・ピューラーは、子どもの罪悪感を引き出す、うまく考えられた調査を行ないました。それは、一人の大人と一人の子どもが一緒に同じ部屋にいます。大人は子どもに、子どもの手の届くところに置いてあるおもちゃに触ってはいけないと命じます。次に大人は、部屋をしばらく留守にします。研究者たちは、1歳児も全員例外なく「大人との接触が断たれた瞬間、禁止は取り消されたと解釈して、おもちゃで遊ぶ」ことを発見しました。しかし、大人が突然戻ってくると、14ヶ月児の60%、1歳児半児の100%が、「極めてばつの悪い様子で、顔を赤らめ、ぎくりとした顔で大人の方を見た。」のです。ある19ヶ月児は、おもちゃを素早く元の場所に戻して、何事もなかったかのように取り繕おうとしたのです。

子どもたちが示したおそれに、道徳的な異様ななかったかもしれないが、ばつの悪い様子で、顔を赤らめたということは、とても驚く結果でした。それ以外にも、驚くことが子どもに起きていたのです。年齢が上がると、子どもたちは罪悪感を反射的に示す代わりに、言葉で自分を正当化するようになるのです。この調査では、2歳児は、「例えば、おもちゃは自分のものだと主張することによって、言いつけに従わなかったことを正当化しようとまでしたのです。

赤ちゃんは、自分で良い行いや悪い行いができるようになるずっと前から、他者の良い行いや悪い行いに敏感であるということが判っています。そこで、「道徳感」は、まず他者に向かって伸びていき、その後、成長のどこかの段階で、内側に向かうと言えそうであるとブルームは考えています。このとき、子どもたちは自分を道徳的行為者として捉えるようになります。そして、こうした認識が、罪悪感、羞恥心、誇りという形で現れると言います。

子どもたちの共感や思いやりには、ある程度限界があるとは言え、こんな幼い生き物にも、こうした道徳的な行為や感情を見出せることが感動的であることに変わりはないはずだとブルームは言います。サミュエル・ジョンソンは、違う言い方でこんなことを言っているようです。「それは、犬が後ろ脚で歩くのに似ている。うまくはない。しかし、歩いていること自体が驚きなのだ」

本当に、この事実を知って、驚くと同時になんだかホットもしますし、将来の展望も明るく感じます。しかし、孟子が「惻隠の情」と表わしたように、ダーウィンや、それ以前の時代の科学者、哲学者、神学者の多くには、意外なことではなかったようです。それは、アダム・スミスの「国富論」の中で、繁栄は、利己的な行為者のやり取りによってもたらされるとしながらも、スミス自身は、人間が徹頭徹尾利己的な生き物であるとはつゆほども信じておらず、思いやりという心の牽引力に非常に敏感だったようです。

子どもの罪悪感” への15件のコメント

  1. 1歳半の100%がという数字には驚きました。園での子どもたちの様子を想像してみると確かに小さな子でもバツの悪そうな顔をすることがあります。年齢が上がると「だって…」に続く言葉で、なぜそのような状況になったのかをなんとか説明しようとする子どもたちの姿があります。また、まずは他者のいい行い悪い行いに敏感ということから、道徳観はまず他者に向かって伸びていき、やがて内側に向くと考えられるのですね。他者の中での自分という認識でもあるのでしょうか。だとすると自分を取り巻く他者というより、他者の中にいる自分という認識の方がいいのかなと感覚的に思ってしまいます。他者がベースにあるそんな印象です。藤森先生も言われているように、確かにホッとしますね。そう思うと私たちの周りにいる大人もそんなに悪い人ばかりではないですね。自分の捉え方が悪かったりするために、そのような存在だと思い込んでいることがあるのかもしれません。相手を信じることでまた相手の見方も変わってくるのかもしれませんね。

  2. 先日、面白がって唇をブルブルと振るわせて唾を吐き散らしている1歳児を見ました。私が、怪訝そうに見ている様子に気づくと、その子はバツが悪そうな表情を浮かべていました。しかし、夕方になってその子の母親が迎えにきた際、その子は即座に母親に対してわざと唇をブルブルと振るわせて唾を吐き散らしたのです。そこから、子どもは相手によって罪悪感の感じ方が違うのかなとも思いましたが、よく考えてみると、その子は他者がいけないことをしている様子を職員に「◯◯くん、◯◯している」と教えてきますし、ある行為は良くないことであると知っていながら、母親の前で唾を吐くような行為に及んでいたのだろうと思いました。つまり、善悪をすでに判断していたということになり、「赤ちゃんは、自分で良い行いや悪い行いができるようになるずっと前から、他者の良い行いや悪い行いに敏感であるということが判っています」ということなのだなと感じました。

  3.  〝極めてばつの悪い様子で、顔を赤らめ、ぎくりとした顔〟、とても想像がつきます(笑)子どもってこちらから見て、あ、何かあったな、と思わせるような表情をする時があります。そういう時は大抵何かあります(笑)ちょっとしたいたずら心が湧いてのことだったり、大人から注意されていたことをまたやってしまったりした時にそんな表情になることが多いようです。
     〝「道徳感」は、まず他者に向かって伸びていき、その後、成長のどこかの段階で、内側に向かう〟という、道徳感の芽生えの工程のような、順序だった道筋があることを知って、大変勉強になりました。正しきが上にも正しきだった時代を経て、現代に生きる人は、何が正しいことなのかがわかっています。これはいいことなのだ、これは悪いことなのだ、という善悪の判断はまずは目の前にいる親、目の前にいる人から学んでいくということなのかもしれません。一人一人が子どもの為に、また、自分の為に、道徳や良心、自分の内側の本当の声というものについて、考えたりする時間をもつべきものなのかもしれません。

  4. 「ばつの悪い様子で、顔を赤らめた」り、「罪悪感を反射的に示す代わりに、言葉で自分を正当化する」ことは、私たち大人にもあることです。だからこそ、乳児たちに同様の仕草や行動を確認すると驚きに繋がると同時に、そもそも私たち人間とはそうした存在なのだということを確認することもできます。顔色一つ変えずに平気で人道に反する行為に及んだり、他者攻撃に嬉々としてエネルギーを費やしたりすることは、やはり人の道に沿っていないのです。ブルーム氏らの赤ちゃんの道徳感情研究は、ただ単に赤ちゃん研究に留まらず、私たち大人一人ひとりの生き様についても知らせてもらっているような気がします。「「道徳感」は、まず他者に向かって伸びていき、その後、成長のどこかの段階で、内側に向かう」というブルーム氏らの見解を紹介されていますが、その通りだと思いますし、道徳感の醸成には他者の存在が必要なのだ、しかも乳児から他者との関わりによってこの道徳感は培われていくのだとわかってきます。道徳とは、私たちが長じてから学ぶことではなく、生まれて以来私たちが経験してきたことを人との関係性という観点に照らして反省することなのではないか、と思った次第です。長じた私たち大人は、まさに我が身を省みて、愛情豊かで思慮深い大人として、子どもたちが過ごす環境を構成していかなければならないと改めて思うのです。

  5. ばつの悪い顔は保育園でもよく見られます。それを感じるだけでもすごいことだと思っていました。そして、2歳くらいになると達者に正当化しようとしますね。本当に面白く、これも成長の証なのですよね。
    『「道徳感」は、まず他者に向かって伸びていき、その後、成長のどこかの段階で、内側に向かうと言えそうであるとブルームは考えている』とあり、大人になるにつれ、内側、外側に向かう道徳感のバランスが大事だと思います。私がここに存在しているのは、自分の人生自分のためでもあり、または友人、家族、社会のためでもあるとも思えます。サイコパスは常に内側に向かっており、自己中心的なのでしょう。内側の自分、外側の自分、どちらも大切にし、バランスを取れる人間でありたいです。

  6. 確かに、赤ちゃんの表情を通して、゛他人によいことをしたときに、誇らしげな様子をしますし、逆に罪悪感もあります。゛ということは、日々の生活の中で、見る姿ですね。子どもは、どちらの場合でも、周りにいる特に大人の表情を見ます、そのなかで、満足げな表情やばつが悪そうな表情など、大人の表情から社会性を学んでいるかのようにも感じてます。年齢が上がるにつれた子どもの罪悪感に対しての反射的な主張方法は、様々であり、成長過程にそっていると思うと面白いですね。゛赤ちゃんは、自分で良い行いや悪い行いができるようになるずっと前から、他者の良い行いや悪い行いに敏感である゛とあるように、他者を通して、それが敏感になる、他者の行いを見て学んでいると言うことなんですね。道徳感は、他者を通してと考えると、文化のように受け継がれてきたもののようにも思えました。人から人へ感情的要素が伝えられていくと思うと、私たちの道徳感が影響していることがわかります。そして、この認識から、羞恥心や罪悪感、誇りという形で現れることは、その認識ができる前の時期にどのような体験をしているかが関係していますね。

  7. シャルロッテ・ピューラーによる、子どもの罪悪感を引き出す調査は面白いなと感じたと同時に、結果に驚きました。以前、既に2歳を超えている子ですが、食べ終わって席から離れた子の残り物に手を伸ばしている子がいました。その子は途中で私が見ていることに気がつくと両手で顔を隠し、その後話に行くととてもバツが悪い顔をしていました。私自身その子のこの行為は初めて見ましたし、他の職員に注意されている姿を見たことがなかったことから、他のお友達が注意されている様子などから、してはいけないことと判断できていたのでしょうね。規範は、自身の経験から学んでいくものが多いと思いますが、他人の注意されている様子などからも学んでいることを以前にあったその子の事例を思い出し、感じています。そして、自身の経験以外からの規範の学びは、自身の経験よりは濃くないものの、多くの規範に気付いていけるようにも感じ、また1つ同時に乳幼児期に子ども集団を形成する意義を感じています。

  8. 〝極めてばつの悪い様子で、顔を赤らめ、ぎくりとした顔で大人の方を見た〟ような姿や〝罪悪感を反射的に示す代わりに、言葉で自分を正当化するようになる〟というような姿は普段の生活によく見られるものですね。
    このような反応は、大人でも多かれ少なかれ、いけないことをしたことが他の人にばれてしまった時などに出てしまうものですよね。
    このような『しまった』というような態度が出ていることは普通のことですが、最近のニュースではそのような態度がみられないような犯罪者もいるみたいで、やはり、そのようなことはおかしいことなんだなという確認ができました。
    〝「道徳感」は、まず他者に向かって伸びていき、その後、成長のどこかの段階で、内側に向かうと言えそうである〟というブルーム氏の見解が書かれてあり、道徳感は他者の存在が必要であるということがわかりますね。
    そして、ある程度して内側に、自分のことを見つめることができるようになるということで、他者との関わりが道徳においても大切であり、自分たちはそのような環境の構成を考えていかなければならないと思いました。

  9. もう1歳を超えてくると実験のようなことをすると罰の悪そうな顔をするのですね。非常に想像がつきます。「「道徳感」は、まず他者に向かって伸びていき、その後、成長のどこかの段階で、内側に向かう」とあります。先日幼児クラスでブロックの仲間に入れてくれなかったというケンカがありました。ピーステーブルで話しているのを聞いていると「どうしていれてあげないかわかる?〇〇くんがこういうことするからだよ!」少し正当化するような言い方をしていたことを思い出します。ただ、入れてあげなかった罪悪感というのも少し感じているせいか最後は謝る姿が見られました。なぜ嫌だったかの説明をした後にしっかりと謝るというのがピーステーブルで繰り広げられ、そこには大きな道徳の力が育まれる場所であるとことを感じます。少し話はズレてしまいましたがそんなことを思います。

  10. 「極めてばつの悪い様子で、顔を赤らめ、ぎくりとした顔で大人の方を見た」このような顔は、見ていてとても可愛らしく感じます。2歳になると正当化するということですが、これもよく見られます。このような姿をみると成長してることを実感します。このような実験結果をしることで、1歳4ヶ月のころから行動はこういう意味があったのかと理解することができます。どうしても大人の物差しで子どもを見てしまいがちですが、今回のような考察を知ることで、赤ちゃんのばつの悪い様子を見た時にも接し方が変わりそうです。

  11. 子どもの罪悪感を引き出す実験ですが、すぐにでも我が子に実験できそうです。ただ私の息子は先月2歳になったので実験の子どもと差が大きいので、意味がないのかもしれませんが、最近は「これはダメだよ」と言うと自分にとって執着のないの物だと簡単に諦めますが、自分にとて重要な物、例えばお菓子や果物、基本的に食べ物や大好きな電車のDVDなどは怒ったり、泣いたりして反論してきます。それこそ「これは僕のだ!」言うように。しかし、ふと思ったのは他者の良い行為、そして悪い行為を敏感に反応するするということは、そこには他者がいるわけで、一人っきり、それこそ親と二人の関係では生まれません。やはり保育園のような他の赤ちゃんや少し年齢が上の子どもたちを見ることで、良い行い、悪い行いを見る体験でき、反応し、そして内側に向かっていくのだと思いました。そもそも、最近のブログは子ども集団が前提としてある気がします。

  12. 自分自身を知ることというのは大人でも難しく感じる時がありますよね。赤ちゃん、ましてやその能力も飛躍的スピードで発達していく中では自分を知るということは難しいことでもあるのでしょうね。
    子どもたちがどんなことに対して罪悪感を感じ、それがまたどう自分の中につながっていくか。そうした意味では、「道徳感」というものが、まずは他者に対して育っていき、その後、成長のどこかの段階で自分の中にも育ってくるということを知っているのは、とても大きなことですね。

  13. シャルロッテ・ピューラー氏の研究結果は面白さと驚きですね。バツの悪い様子がすでに1歳4ヶ月で半数以上がいて、1歳半では100%とは驚きです。その様子を実際見たら面白かったでしょうね。”顔を赤らめ、ぎくりとした顔で”こう表面化しているのは、やってしまったや、バレた、こわい、とすでに感じているからでしょうね。こう思うというのは、悪いという思いがあるからでしょうか。
    道徳的感情がハッキリと出ているように思います。

  14. 「大人との接触がたたれた瞬間、禁止は取り消されたと解釈して」とありましたが、そういった様子はよくありますね。そして、実験にもあったように「バツの悪い顔」をしたり、「ニヤッ」とわらう子どもも多いですね。自分が大人との約束を破ったという罪悪感を受けている様子というのはよくあります。それが1歳4か月くらいから起きて、他者が悪い行いをしていたり、善い行いをしているかを判断することはもっと小さい時期の子どもたちが判断しているということが分かりました。確かに他者に向かって伸びたあとに、内側に向かっていくのかもしれません。とても面白い結果ですね。しかし、他者から内側に向かうということであれば、はじめのうちにいろんな関係を見ることは重要になってくるのでしょか。そこで学んだことが内側に向くことになるのでしょうか。そう考えていくとやはりいろんな人や社会の中で生きていくことの大切さを改めて感じます。

  15. シャルロッテ・ピューラー氏の調査はとても面白いですね。実際保育現場で働いていてもそういった状況に出くわします。数人の0,1歳児クラスの子が部屋から抜け出し片付けてあったボールプールの中で遊んでいました。そこにたまたま通りかかった私と目が合い「今そこで遊んじゃいけないんだぁ」という感じでジーっと見ているとその空気が伝わった子は「あっ」という表情をして早々に逃げていきました。「子どもたちは自分を道徳的行為者として捉えるようになります。そして、こうした認識が、罪悪感、羞恥心、誇りという形で現れると言います。」とありましたが、道徳観は他者に向かって伸びていく事から、遊んではいけない空気感や大人の他児への声かけなどによって学んでいくのですね。

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