研究方法

 そろそろ夏休みが終わります。小学生たちは、宿題は終えたでしょうか?日曜日に国立科学博物館に、妻と二人で「生命大躍進」という特別展に行ってきました。自由研究をしようとする小学生で会場はあふれていました。多くは小学生よりも親の方が熱心な印象を受けました。自由研究は、保護者にとっても悩みでしょうね。もう一つ、1年生の夏休みの宿題と言えば、「朝顔の観察」がありました。いまでもそんな宿題があるのでしょうか?朝顔の成長を、日々観察し、それをスケッチして種から花が咲くまでどのように葉ができ、つるが伸び、つぼみができ、花が咲くかを観察することで草木(双子葉)の特徴を見つけることです。それが理科です。それに対して、かつて、アメリカの理科の取り組み方を聞いたことがありました。それは、朝顔の成長のなかで、ある仮説を立てます。例えば、朝顔のつるは左まきと教わった人も多いことでしょう。しかし、アメリカでは、それを教わるのではなく、もし南半球で朝顔を育てたら、自転の向きが逆になるので、右巻きになるかもしれない、と考えることをさせます。

 これは、国による考え方の差と聞いたことがあります。日本では、日々の観察を積み上げて、ある法則を見つけ出していくやり方を取ります。それは、「帰納法」と言います。帰納法は、多くの観察事項(事実)から類似点をまとめ上げることで、結論を引き出すという論法です。ただし、帰納法の欠点は、全事例を網羅するか、それと同等の論理証明をしない限り、帰納した結論(帰結)は必ずしも確実な真理ではなく、ある程度の確率を持ったものに過ぎないものになってしまいます。

もう一方の論法は、「演繹法」と言います。これは、一般論やルールに観察事項を加えて、必然的な結論を導く思考方法のことです。三段論法とも言われます。ただし、演繹法の欠点は、正しくない、あるいは使用するのが適切ではない前提を用いてしまうことがあることと言われています。先日のコメントで小嶋さんが指さしについての研究の方法を二通り挙げて、私たちがどのように研究に取組めばいいのかを投げかけていました。私たちが、現場で研究するのは、どちらの方がいいのでしょうね。私たちは、研究者たちと違って、さまざまな知識があるわけではありませんので、必然的な結論を導くことはできないような気がします。それよりも、日本中のに現場を持っている仲間が多くいるわけですので、事例を多く集められる気がします。そのような強みからすると、帰納法で指さしについてのある法則を見つけ出していく方法がいいのではないかと思っています。事例を多く持てない、現場を持っていない研究者たちは、逆に演繹法をとらざるを得ないのかもしれません。

トマセロは、人間とチンパンジーを比較しているデータによる検証をしましたが、もう一つ、この考え方を支持する証拠として、自閉症児の研究があります。自閉症児は他者に対して命令的な指さしはしますが、陳述的な指さしはしないと言われています。指さしを感情表出的にすることはまずありませんし、情報伝達のためにすることもないかもしれないと言われています。ただし、これはまだ証明はされていないそうです。その真偽よりも重要なことは、自閉症児は志向的行為の基本である、他者は目標を持ち、物が見えているということを理解するスキルをある程度持っており、これらのスキルは、命令的な指さしを補助としてくれることだと言います。少なくとも、より個体中心的な命令に関してはそうであると考えられます。ところが、自閉症児は共同注意や協調活動になると違ってくるのです。