私が、人類の進化に興味を持つのは、よく、その進化の過程は、人間の一人の発達過程と似ていると言われるように、赤ちゃんの行動を理解する上で、参考になるからです。とくに、人間におけるさまざまな能力の起源、獲得していく経緯は、あかちゃんがその行為をどのように獲得していくか参考になるからです。それは、そのときにどのような環境を用意すればいいのか、どのような関わりを持てばいいのかのヒントが見つかることが多いからです。
トマセロも同様なことを考えているようです。複雑なスキルがどのような部分から成り立っており、それらの部分がどのようにしてともに機能しているのかを知るためには、子どもの初期の発達で、それらがどのように創発するのかを調べるのが一番やりやすいと言っています。そのために、コミュニケーション行為として用いられる身振りは、大人よりも乳幼児や子どもに関してずっと詳しく研究されています。その実験の中には、乳幼児を対象としたものもありますし、また難しい理論的な問題に決着をつける助けとなってくれるものさえあるといいます。
まず、トマセロは、「乳幼児の指さし」について考察しています。ブログの中でも、この指さしは何回もテーマに挙げていますが、この行為は、多文化にわたって広範囲に見られます。しかし、コメントに中に書かれているように、現場での乳児の指さしは、大人の使う指さしと同じような社会・認知的な複雑さをどの程度まで備えているのか、またどのように備えているのかということが疑問に感じることがあります。同時に、乳幼児の使うアイコン的身振りにトマセロは興味を持っています。
古典的な理論では、乳幼児が指さしをしてコミュニケーションを行なうには、二つの動機があると言われています。「何かを要求するため(命令)」「他者と経験や感情を共有するため(陳述)」で、この二つのタイプは同時期に生じると言われています。しかし、指さしが、乳幼児が他の何らかの行為から儀式化させたのか、それとも他者からの模倣によって学んでいるのか、というような個体発生的にどのように生じてくるのかは分かっていないようです。
しかし、多くの類人猿は、「指さし」によって人間から何かを要求するようになることが分かっていますし、ある種の指さしはどの人間社会にも普遍的に見られるらしいことからすれば、どうも乳児は他者の模倣によって指さしの身振りを身につけているのではないということになります。指さしは、もっと自然に生じると考えられていますが、はっきりとは分かってはいないようです。
もしかしたら、はじめは社会的志向性を持たない行為であったのが、他者とのやり取りの中で社会的性質を帯びるのかもしれないとトマセロは考えます。しかし、このことに直接的に関連する研究はなにもないし、また完全に社会的な指さしであっても学習の必要が無いかもしれないのです。あるいは、当初は学習の必要が無くても、子どもが自分の指さし身振りと他者の指さし身振りが対応するのに気づくと模倣が加わってくるのかもしれません。とにかく、現時点では、私たちには分からないのです。
研究者たちが、「分からないのです。」というのを聞くと、現場で多くの子どもによる指さしを見ている私たちからすると、研究したくなりますね。全国に仲間の皆さんと、乳幼児が指さしする場面を、その背景と、動画を撮って、検討してみたくなりました。