自然数・幾何学

 スペルキ氏は、道具使用の発達だけでなく、他の、ヒトに特異的なさまざまな能力も、よく似た発達のパターンを示すと考えています。たとえば、ヒトの乳児もヒト以外の動物も、数を表象するコア・システムを備えているものの、特有の限界を抱えていると言います。具体的には、おおざっぱで、再帰性を持たない点で、自然数の十全な表象にはほど遠いと言います。自然数概念が出現するのは、4、5歳頃、子どもたちが、数に関する語、自然言語による数量化、そして言葉に出して数を数えるようになります。それを、言語的なカウンティングと言い、数に関するさまざまなコア表象と少数の物体に関するコア表象とを組み合わせる前提となる学習と定義しています。

 さらに、例を挙げれば、ヒトの乳児にもヒト以外の動物にも、2次元図形のさまざまな形状を表象するコア・システムや、周囲の表面レイアウトの広域的な形状を表象するコア・システムが備わっていますが、これらの間の関係性を考えられず、別個で互いにほぼ無関係です。ヒトの子どもたちは、生後3年目に入って、言語の使用を通してこれらのシステムを関連づけ始め、その結果、幾何学的な地図を用いて道を辿ることができるようになるのだと考えられています。

 ヒトの認知に特異的な三つの属性である、「道具使用」「自然数」「幾何学」は、自然言語に関わる、ヒト特異的な「組み合わせ能力」から生じるものだと考えられているのです。そして、その組み合わせるためのキーワードが、言語の使用であるということになるのでしょう。私は、言語は、ヒトとのコミュニケーションツールであるとしか思っていませんでしたが、どうも、ヒト特異的な認知に関係しているようですね。

 では、自然言語を可能にするヒトの能力、そしてそれが支える「組み合わせる」力は、マイケル氏の言う志向性を共有する能力とどのような関係にあるのかをスペルキ氏は考えています。マイケル氏の見解では、言語獲得は、遺伝的に規定された言語能力の産物ではないと考えています。他の人々とのインタラクション過程の中で、子どもたち自身と社会的なパートナーたちが、さまざまなものに対して、そしてお互いに対して一緒に注目を向けることで、子どもたちによって築き上げられるものだと考えているのです。この見解に立てば、自然言語は、私たちヒトだけに見られる能力によって可能になっているかもしれないのです。

 幼いヒト乳児は、多くの点で社会的であることは、現在では確かなことのようです。生まれた時点から人物と人物を見分け、他者の視線方向に注意を向けます。新生児はまた、自分自身の行為と他の人々の行為とのなにがしかの対応に敏感であり、この感受性を利用して、初期段階の模倣を行ないます。観察した動きに関わる動きを生成するのです。

 しかし、重要なことは、これらの社会的能力の中に、ヒトだけに備わったものは一つもないことだとスペルキ氏は言います。ヒト以外の霊長類も、先行する視覚経験を欠いてでさえも顔への感受性を示したり、物体に向けられた視線を追うことも分かっています。自身の行為と他者の行為との対応によって、ヒトの新生児と驚くほど同様に、さまざまな模倣を行なうことも分かっています。私たちの社会性と言われる、他者への関心や、彼らを理解し、彼らと関わり合う能力は、私たちヒトだけに備わったものではないものだということも、研究から分かっています。では、どこがヒトだけが持っている能力なのでしょうか。

自然数・幾何学” への16件のコメント

  1. 先日、1歳児の保護者からのお便り帳で、「最近、家の周りの道を覚えて、一人でスタスタと歩いていくこともある」といった内容が書かれていました。保育園という限られた空間の中で、自由に歩き回ることはしても、社会という外の環境であっても、道という空間を把握し、ある目的地に1歳児であっても行くことが可能であるといったことに驚きました。それと同じように、「ヒトの子どもたちは、生後3年目に入って、言語の使用を通してこれらのシステムを関連づけ始め、その結果、幾何学的な地図を用いて道を辿ることができるようになるのだと考えられています。」というところからも、3歳にもなれば、地図という平面的な図形を読み取り、道をたどれる能力が備わっているというのにも驚きです。それらは、「言語の使用を通して」行われるということで、言語というのが、決してコミュニケーションツールとして存在しているのではないということを、深く感じることができる内容であると感じました。

  2. 言語獲得が遺伝的に規定された言語能力の産物ではなく、他者との相互作用の中で、お互いに一緒に何かに注意を向けることで築き上げられるというのは園での子ども集団で起こっていることですね。ただ言葉を教えられて覚えるのではなく、何か伝えたいことがある、一緒に共有することで楽しみたいことがあるという他者と関わるために言葉が必要だから言葉がどんどん獲得されていくのかもしれません。そのようなことを言っているのでしょうか。先ほどNHKで留学生の多い大学で働く人の特集をしていました。私は英語は全くダメなのですが、それを見て思ったのは英語を学ぶとするなら、外国の人がどんな考えを持っているのか、外国はどんな文化があるのかを自分の耳で様々な人に聞いてみたい、また、自分の思いを外国の人に伝えたいという思いが芽生えることで言語を学びたいと思うのかなと思いました。異文化の人がどんな考えを持っているのかとても興味があるので、自分でそんなことが聞けたらいいだろうなとテレビを見ていて思いました。知りたいという思いでもあるのかもしれませんね。

  3.  何だかとても自然に読み過ごしてしまいそうになりますが、改めて〝幼いヒト乳児は、多くの点で社会的であることは、現在では確かなことのようです。〟という一文は、例えば今日から藤森先生のブログを読む人や、保育園に勤めていて、目の前の子ども達に自分がしていることに疑問を感じているような人がこのブログに辿り着いて、など、そんな人たちが見たら、きっと驚くような内容ですね。子どもは、白紙のような存在ではなく、大人が絵の具で色を塗り足してあげなければ何もできないような存在でもないということを、改めて声高に主張したい気持ちになります。
     そして、〝生まれた時点から人物と人物を見分け、他者の視線方向に注意を向けます。新生児はまた、自分自身の行為と他の人々の行為とのなにがしかの対応に敏感であり、この感受性を利用して、初期段階の模倣を行ないます。観察した動きに関わる動きを生成するのです。〟とあり、やはり、生まれた環境、どんな親で、どんな兄弟で、どんな親戚で、どんな人間関係のある場所に生まれるのかが、その子にしっかりと関わってくるものであること感じます。愛された環境で育つことができれば、人を愛すという模倣が自然と行えるような毎日を過ごすことができるということでしょうか。子どもに温かな気持ちで、温かな笑顔で接することの大切さを感じます。

  4. ヒト以外の霊長類も、先行する視覚経験を欠いてでさえも顔への感受性を示したり、物体に向けられた視線を追うことも分かっているとありました。しかし、進化するに至り、ヒトとヒト以外の霊長類で大きく何が変わったのでしょうか。気になるところです。
    赤ちゃんが生まれ持つ能力は、未熟かもしれませんが大人と大して変わらなく思えます。玩具の貸し借りの際に、玩具を貸せない子の保護者が、「なぜ貸せないの?貸しなさい!」と怒っている場面が多く見られます。大人でさえ物やお金を貸せない時もあるのに、子どもの事情を知ろうともせず「子どもだから」という理由だけで大人の考えを押しつけてしまいます。赤ちゃん、子どもが持って生まれた能力の素晴らしさを大人が知り、子どもの人権をもっと尊重できる社会になればと思います。

  5. 今回のブログを読みながら、自分自身に思い当たるところがありました。まず、「言語的なカウンティング」。これは、もの心つかない頃からおそらくやっていたことだろうと思うのです。たとえば、お風呂の中で「いーち、にー、さーん、・・・」と。この言語的なカウンティングは、九九を唱えのようにして覚えることに発展したのだと思います。もう一つ、「言語獲得」。同じ日本語でも地域によって当該言語は若干異なります。一般に方言と言われるものです。私は後天的に「東京語」や「英語」を獲得しました。リスニングやグラマーは前提条件です。そして実際、こうした言語を獲得できるようになったのは「他の人々とのインタラクション過程の中で」です。それは口頭であったり、筆記文字を介して、であったりします。以上の両者に関わることは言うまでもなく「言語能力」ですね。言語は一定の規則を内在させていることにより数的であり、また単語や文節、文章と展開していく過程が幾何学的です。「自然言語を可能にするヒトの能力」、これは殊の外、注意を留めておくべきことでしょう。そして「組み合わせる力」、これは構成力として環境づくりに欠かせませんね。そしてこの「組み合わせる力」こそは社会形成力に繋がる力でしょうね。

  6. 「組み合わせ能力」のキーワードが言語の使用であるという部分はなんとなく理解できるというか、想像できる部分です。言葉を使うことで他者とのコミュニケーションを図るだけでなく、自分の中にある力であったり感覚であったりを、言葉を使うことで整理したり意味を発見したりすることは私自身は今でもやっていることです。上手く理解ができないときなんかに言葉を発していると、それまでなんとなく頭の中にあったAとBが結びついてがそれぞれのことが理解できるようになり、新たにCも理解できるといった感じです。もちろん書かれていることはそのようなこととは少し違っていると思いますが、言葉のもつ役目についてはあらためて考えさせられました。

  7. 言語は、人とのコミュニケーションツールであることに限らず、人の特異的な認知に関係しているのは確かなようですね。そう考えていると、赤ちゃんに対する語りかけの大切さを改めて感じているところです。わからないだろうからと省くのではなく、こちらの伝えようとする姿勢や言葉のリズムを見たり、聞いたりすることが大切ですね。それを忘れずに、子どもたちと向き合っていこうと思います。
    最後にある「では、どこがヒトだけが持っている能力なのでしょうか。」という問いかけの答えは、それこそ言語獲得、言語使用ではないかと思いました。「道具使用」「自然数」「幾何学」は、自然言語に関わる、人の特異的な「組み合わせ能力」から生じるとあり、この組み合わせのためのキーワードが、言語使用とあることからも言語獲得、使用の重要性がうかがえます。

  8. 「ヒトの子どもたちは、生後3年目に入って、言語の使用を通してこれらのシステムを関連づけ始め、その結果、幾何学的な地図を用いて道を辿ることができるようになる」というのは驚きます。それまでの過程を考えると、とてつもないスピードでヒトの乳幼児の発達が進んでいるということなの証なのでしょうか。そんなことをしると子ども達の環境設定は新しい考え、アイデアが必要な気がします。大人が思っているより、より高度な行動をできる力を、まだまだ秘めているのかもしれないと感じました。

  9. ここに書かれてある通り、言語はコミュニケーションツールの一つとしか、考えていませんでしたが、人としての〝認知〟についても関係が深いことを学びました。
    〝道具の使用〟〝自然数〟〝幾何学〟は普段の保育の中でみられる子どもの活動から保障をしていますね。〝組み合わせ能力〟についても、大人では考えられないようなものと物を一緒にしていたりして、自由な発想で遊ぶ環境を用意する必要があるなということを思いました。

  10. 子どもたちが、自然に数への興味を示し、不思議と口に出して行ってみたり、これはと数字を指さしして、聞いてくる姿は、考えてみれば不思議なものと感じました。
    ゛生後3年目に入って、言語の使用を通してこれらのシステムを関連づけ始め、その結果、幾何学的な地図を用いて道を辿ることができるようになる゛という点は、驚きました。単に言葉、言語を使用して相手とのコミュニケーションを図るだけではなく、関連のあるものとして、考えることができる、まだまだ子どもの能力を理解していない部分感じました。ヒトがなぜこの能力を持たなければという点からも相手との相互作用として、社会的関係をもつためというような気がしました。

  11. 社会的能力の中にヒトだけに備わったものは一つもないというのは納得できるのか驚きなのか定かではありませんが、ヒトだけが持っている能力というのは気になります。様々な文章を読む際にこの文章はよくわからないなぁと思った時によく声に出してみることをします。子どもはそれを自然と幼い頃から実践し、能力の定着へと繋げていっているのですね。そして、その機能は組み合わせ能力にもなることがとても納得がいきます。言語にすることでコミュニケーションをとるためだけではなく、自分の能力を確認し、構築している作業にも似たようなことが行われていることがわかりました。組み合わせる力というのも幼い頃から盛んに行われているということから様々な環境を用意することでその組み合わせを無数に子どもたちが繋げていけるのではないかと思えました。

  12. 最後の一文「どこがヒトだけが持っている能力なのでしょうか。」とても考えさせられる言葉です。何となくヒトしか持っていない能力を分かっているつもりでしたが、スペルキ氏の言葉を聞いて不安を感じました。いかに自分自身が知ったかぶりをしていたかです。ヒト以外の霊長類も顔の区別、物体に向けられた視線を追うことなど、さらに模倣も行うという事実、社会性というものはヒトだけでなく、ヒト以外の霊長類もそれなりの社会性を持っているのですね。少し、話がそれますが、最近、藤森先生の講演で人口知能の話しを聞きました。ロボットによってどんどんヒトの職業が奪われていくという衝撃な話しでしたが、まさに乳幼児期、そして小学校や中学校、高校と教える授業を本当に見直さないと、今までに異常に就職が困難になるように思います。特に私の息子が社会人になる頃は今から約20年後ですが、今以上に人工知能が進化しているでしょうね。そんあ現実的な事を踏まえて、日本だけでなく、世界中でヒトだけが持っている能力を磨く必要があると思います。

  13. 私も言語というのは人と人とのコミュニケーションツールという意識が強かったのですがそうではないのですね。言語が特にヒト特異的な認知に関係しているということは、なぜ人だけがこれほどの進化を遂げられたかというところに、ほかの動物にはない言語があったからとも考えたのですが、言語に限らずほかの動物たちも特別な能力を何らかの形で獲得しているのですね。他者への関心や、関わり合う能力は生きるものの共通の能力として、人だけが持つ特別な力というものはなんなのでしょうか。

  14. 私も言語はコミュニケーションをとるためのツールとういう認識しかありませんでしたが、認知の分野においても深く関係しているのですね。今でこそ当然のように言葉を用いていますが、それによって獲得してきた様々な能力があると思うと改めて言語の持つ重要性や奥深さを感じます。そして今回の記述にある「組み合わせる力」というのも重要なポイントのようですね。一見関係性のないように見えるものでも、それらを組み合わせて用いることでまた新たな能力を獲得していくというイメージを持ちました。それぞれが独立するのではなく、組み合わせることで新たな可能性や能力を見出していくということも発達していく上で必要なことですね。

  15.  『ヒトの認知に特異的な三つの属性である、「道具使用」「自然数」「幾何学」は、自然言語に関わる、ヒト特異的な「組み合わせ能力」から生じるものだと考えられているのです。そして、その組み合わせるためのキーワードが、言語の使用であるということになるのでしょう。私は、言語は、ヒトとのコミュニケーションツールであるとしか思っていませんでしたが、どうも、ヒト特異的な認知に関係しているようですね。』この部分を読んで、少し理解できたような気がします。なんでこれまで言語がでてきていたのだろうと?マークばかりでしたが、今何個か?マークが消えたような感覚です。

  16. 「言語獲得は遺伝的に規定された言語能力の産物ではない」というのは最近、幼稚園に来た子どもを見ているととても感じます。両親は日本人なのですが、海外で生まれたその子は両親が英語で話していたこともあり、日本語は理解できていません。もし、「日本人」の遺伝子や遺伝が関係あるのであればそうではないでしょうし、それは環境によるものであるというのは明らかです。そして、今回は「組み合わせる能力」ということが出てきましたが、「地図」を読むとくということを例に出すととてもわかりやすいですね。「道具使用」や「自然数」「幾何学」というのは「組み合わせる力」から出てくるというのも納得できます。そして、その関連ずける過程に言語というのがあるんですね。確かに地図と現状は全くの無関係ですが、それを学んでいく過程に言語というのはとても重要なツールであるのは確かですね。特に乳児に対しては声をかけながら、一緒に行動することが自然と起こるのはこういった無関係なことがらをつないだり、関連付けていることなのかもしれません。ヒトが普段何気なく赤ちゃんとかかわっていく中でも学びというものは多くあるんですね。とても興味深い内容です。

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