トマセロは、人間のコミュニケーションの特徴と、その系統発生的・個体発生的根源を突き止めるという目的に向かって、三つの具体的な仮説を評価しています。
その1は、人間の協力に基づくコミュニケーションは、まず自然で自発的な指さしと物まねの中で進化上、まずは個体発生的に発生したという仮説です。その2は、人間の協力に基づくコミュニケーションは、決定的に共有志向性の心理的基盤に基づいているという仮説です。そして、この心理基盤は、進化上、協調活動を支援するために始まり、最も重要なものとして次の二つを含むと考えます。まず、他者ととも共同志向や共同注意を作る社会認知的スキル、そして他者を助けたい、他者と共有したいという向社会的動機です。3つ目の仮説は、さまざまな人間言語で具現化されるコミュニケーションは、参加者がすでに次のものを備えている場合にのみ可能であるというものです。何を備えているかというと、自然に意味が理解できる身振りとその共有志向性の基盤構造、そして、共同で理解されるコミュニケーションの慣習や構文を作り、伝えるための文化的学習と模倣のスキルです。
これらの仮説を、トマセロは「コミュニケーション起源を探る」という本の中で順に評価しています。彼は、人間においては、協力的な動機から志向的になにかを知らせようということからコミュニケーションをとろうとするということは、当然のこととして受け入れますが、生物の世界では、コミュニケーションは志向的である必要も、協力的である必要もないと言います。
しかし、生物学者にとってコミュニケーションとは、他者の行動に影響を及ぼす物理的な特徴や行動的な特徴、それはたとえば、特徴ある色彩から優位性の誇示までを持つものならすべてを含んだものとして考えます。ですから、その発信者がシグナルに対して意図的なコントロールができるかどうかは問題ではないのです。また、生物学者にとって、伝達者の直接的な動機が協力的なものであるかどうかなどまったく問題にはならないのです。
それに引き換え、心理学的な視点からは、これらのことは問題になります。そのために、コミュニケーションの誇示行動と呼べるものと、コミュニケーションのシグナルとでも呼べるものとを区別しなければなりません。コミュニケーションの誇示行動とは、典型例としては他者の行動になんらかの影響を与える物理的な特徴のことです。たとえば、敵を威嚇する大きな角や緯線を引きつける鮮やかな色などです。機能的には、特定の刺激や感情により引き起こされる反射的な行動で、個体が自由にコントロールできないものも、誇示行動として分類することができるかもしれないとトマセロは考えています。しかし、これらの物理的行動的誇示は、柔軟性に欠けているために、進化の過程で作られ、コントロールされてきたものであり、生物界のほとんどのコミュニケーションの特徴であると言います。
それと対照的なものが、特定の社会的目的のために、その時々の特殊な状況に合わせて、ここの生命体が柔軟に、戦略的に選択し、使用するコミュニケーションのシグナルであるというのです。これらのシグナルは、個体が他者に影響を与えるという目的に向けて、柔軟に使い方をコントロールするという意味において、志向的なのです。志向的なシグナルは、生物の世界ではきわめて稀で、もしかしたら霊長類、それも大型類人猿のみに限られているかもしれないとトマセロは言います。