白目

 現代の幼い子どもたちに見いだされるような強固な協働行為は、ヒトの進化における最初期の協働活動とほぼ変わらないとマイケル氏は考えているようです。このことも、私が常々主張していることと同じですが、赤ちゃんを見ていると、人類の進化を見ているようであり、人類が受けつないできている遺伝子を見ることができるのです。そして、その行為、活動は、生存するために最も効果的であった行動なのです。大きな獲物を協力して狩ることや、ある個体が他の個体の木登りを援助して、後で分配すべき食物を手に入れるといった協働的な果実採集のそれと、幼い子どもたちがとる協働行為は、基本行動は同じなのです。

 それどころか、マイケル氏は、こういった技能やモティべーションを発達させた生態学的文脈こそが、ある種の協働採食だったのだと信じているようです。人間に近い霊長類がそうではなかったことを考えれば、ヒトは、協働で食物を収集しなくてはならないようななんらかの選択圧の下に置かれ、絶対的な協働者にならざるをえなかったのだと考えられるのです。

 私は、よく講演で、赤ちゃんは他人からどこを向いているか分からないように黒目がちだという話をします。ですが、大人になると、白目が多くなり、どこを向いているかわかりやすくなります。しかし、それは、獲物を捕る場合に非常に不利です。それなのに、200種類以上の霊長類の中でも、彼らと比べて人の白目は3倍ほど大きいのです。視線が分かるということは、生き物にとって不利でもかかわらず、人類はどうしてそうなっているのでしょうか?最近の実験では、チンパンジーは、他者の視線方向を追う際に、ほぼ例外なく頭の向きを手がかりにするそうです。実験者が目を閉じていても、実験者の頭の向きを追うそうです。それに引き換え、ヒトの赤ん坊は、おもに実験者の視線方向を手がかりにします。頭部が正面を向いたままでも、実験者の視線を追うのです。進化的に考えれば、私たちの視線をたやすく追うことができることは、どんなときに有利になるのでしょう。

 進化の過程で白目が大きくなるのは、多分、それによってなんらかの利益があるはずです。それについてある仮説があります。それは、「協力する目(cooperative eye)仮説」と呼ばれるものです。自らの視線方向をみんなに知らせることが進化しうるのは、そこに他者からつけこまれて自分が不利益を被ることがなさそうな、協力的な社会環境においてのみであるという考え方です。つまり、一つの可能性として、ある個体の視線を他者が追うことを促進するような目は、共有された課題において互いの注意の向け先をモニターし合うことが各個体の利益になるような、協力的な社会集団において進化した、と考えることもできると言っています。

 大人になったヒトに白目があるのは、赤ちゃんにとって、母親や、他の人の視線を知るためであることは分かっていました。しかし、大人同士にとって、どのような意味があるのかは、はっきりしませんでした。やはり社会を構成する中で、援助するとか、分かち合うとか、その基本となるべき共有のためであることは頷けますね。しかも、それが必要となる協力的な社会集団において進化していったというのもわかります。

 しかし、この協働行為は、ある意味での中間ステップであるとマイケル氏は言います。より初期の段階が存在すると言います。

白目” への17件のコメント

  1. ヒトが、黒目が大きい時期から次第に白目を大きくし、相手に何かを伝えようとすることから、ヒトの恊働行為を読み解いていこうとするアプローチの仕方が面白いく、生存戦略上必ずそこに理由があったと推測したりして、そこから乳幼児教育の在り方を考えていくというのは、まさにロマンに溢れています。先日、1歳児同士が玩具を取り合っている場面に直面し、危険がないような範囲で観察していました。しかし、どうにもこうにもらちがあかないと思い、一人の子どもにあっちに同じような玩具があるよとチラッチラッと目線を動かして訴えてみました。そると、一人の子どもはその行為に気がつき、目線の先を見て私が訴えていることを理解したような顔をしていました。離れた場所にある玩具の存在を確認していましたが、どうやら取り合っている玩具がそれ以上に魅力的であり、譲れない物があり、結果介入したのですが、視線のみで子どもは十分な情報として認識していることを感じさせる光景でした。それが、大人同士ではどのような意味があるのか…。非常に気になりますね。

  2.  〝目は口ほどにものを言う〟という諺は、黒目がちな赤ちゃんのこと、進化の過程で大きくなる白目のことも意味しているのではと感じ、昔の人の生んだ言葉というのはよく練られているなぁと改めて感心してしまいました。
     生まれてすぐの息子が保育器の中にいたことを思い出すと、目でキョロキョロと辺りを見回したり、じっとこっちを見つめたりとしていました。今思うと、お腹の中にいた赤ちゃんがへその緒を通してお母さんから栄養をもらうように、生まれたばかりの赤ちゃんは、目を通して、外の世界の情報という名の栄養を摂っているかのようです。喋ることのできない段階から、目で見る、目で合図する、といった、目を通して行われるコミニュケーション術を生まれた時から身につけていることが、神秘ではなく、進化の中で生まれたものであるということを知ると、藤森先生が〝人類が受けつないできている遺伝子を見ることができる〟と仰るように、改めて赤ちゃんを神々しく感じます。

  3. 白目と黒目の話は講演でお聞きして納得したことを覚えています。今まで近い存在と思っていたチンパンジーとヒトの赤ちゃんですが、読めば読むほど違いがでてきます。頭を手がかりにした方が簡単なはずなのに、判断が難しい目の動きを追う行動は考えれば考えるほど不思議です。しかし、生き物にとって不利な白目が大きくなるのは不思議です。白目が大きくなる理由に赤ちゃんだけに必要であれば、とても興味がある話です。また、大人同士の関係もあるのであればなおさら不思議です。気になる話題です。

  4. 視線が協働行為になるとは考えませんでした。たしかにどこを見ているかで相手が何を考えているのかを把握できますね。保育を振り返ると、赤ちゃんと接している時、よく無意識に赤ちゃんの視線を探っている自分がいます。2歳児で絵本の取り合いをしている時でした。取り合いをしている二人以外の周りの子達の目を見ていると、その二人を離れて見ていました。そして、一人の男児が違う絵本を持ってきてくれました。子どもは大人が思っている以上に目を使い情報を得ていることに気がつきました。この行為が中間ステップということでしたが、初期段階が気になります。

  5. 赤ちゃんを見ていると人類の進化を見ているようであるという考え方を教えていただき、ますます子どもを見るのがおもしろくなっています。子どもたちが持っている壮大さにはわくわくしてしまいます。霊長類の中でもヒトの白目は3倍も大きいのですね!生き物にとって視線の方向が分かってしまうのは不利であるというのは基本的に生き物の周りには敵が存在しているということでもありますね。それがヒトには備わっていないということからでも、ヒトは敵がいる中で生活するということを想定していないのかなと感じます。そしてはそれは同時に協力する生き物でもあるといえますね。協力する目の仮説もおもしろいです。協力することがお互いの利益になるということからはもっと理解され、大切にしていきたいことです。社会=敵という構図は何かを成し遂げる際に分かりやすい構図なのかもしれませんが、そうではないということをまずは保育園から示していかなければならないのかもしれませんね。

  6. 協力する目という言葉があるのには驚きました。でもここで書かれているように目の特徴にも協働の意味が含まれていることを考えると、ヒトについて想像が広がります。白目が大きくどこを向いているのかが他者に分かってしまうことが多くの動物の場合は自分にとって不利な状況を生んでしまうということですが、そのようなことを感じる体験をしたことがないので正直よく分かりません。他の動物は私たちには想像のつかない、かなり過酷な状況で生活をしているんですね。目の作りも協働することを目指したものであったのには驚かされましたが、であるならば体の他の部分も協働のために今の形になっていたり…ということもありそうです。

  7. 乳児期から大きくなるにつれ、白目の範囲が広がるところから人の協働行為を考察する視点は非常に興味深いですね。成長の過程での変化ということで、生存戦略上、間違いなく必要であることがうかがえましたし、その結果、赤ちゃんに大人の視線をわかりやすくし、視線の共有、視線を用いてのコミュニケーション手段が赤ちゃんの成長、豊かな発達には欠かせないことであったことも考えられました。そう考えていると、視線の共有や視線を用いてのコミュニケーションを図っていくべきなのではないかと思いましたが、思い返してみても意図的に図れたことは一度もありませんでした。そもそもに意図していなくても、赤ちゃんは日常の大人の視線から何らかを得ていることには間違いなさそうですが、視線を用いてのコミュニケーション手段もあるという認識を持って、必要なとき使えるような臨機応変さを持っていきたいと思います。視線を用いての協働行為より先の段階が存在するとのことで、その前が一体何なのか非常に気になります。

  8. 赤ちゃんや幼い子どもたちのおおきな黒目は本当にかわいいと思います。この黒目の存在によって表情自体が明るくなります。大声を出して赤ちゃんが泣くときは、目を閉じて泣く叫ぶことがありますが、幼い子どもたちがしくしく泣くときは黒目が何かを訴え、そして涙が零れ落ちます。これはなんとかしなければ、と大人の私は思います。さて、白目、改めて自分の白目を見ると、充血していたりします。その白目の部分がさらに赤くなっていると、眼科に行かなければなりません。結膜炎が疑われます。白目部分が大きくなることによって、黒目の位置がよくわかるようになります。目は口ほどにものを言う、これはこの白目部分の拡大によるのかなと思います。目だけでコミュニケーションを図ることも可能です。「協力する目」、私たち人類の生存に必要不可欠なのだと思います。協力的環境を私たちが作り上げようとする時、視線は殊の外重要な役割を果たします。冷たい視線を浴びせられると、雰囲気に冷え冷えとしたものを感じます。温かい視線を周囲に送れるように白目と黒目の位置については鏡を見ながらチェックしていきたいものです。

  9. 赤ちゃんの頃は黒目が多く、大人になると白目が多くなるというのは目からウロコの話しです。
    相手に視線が分かってしまうということが不利になるというのにもかかわらず、それよりも自分の視線の先をみんなに知らせ、共有することの方が利益になるというのも今までの話しから納得のいくものですね。
    赤ちゃんには人類の進化がみえるとありましたが、大人が文明の進歩により失ってしまった、大切なものを思い出させてくれるような気がします。
    今後も赤ちゃんを見つめていくことにより、いろんなことが分かってきそうですね。

  10. ゛大人になると、白目が多くなり、どこを向いているかわかりやすくなります゛という点から、赤ちゃんの黒目が多いということを考えると、赤ちゃんこそ、目からの情報を伝える手段として、白目が多いほうが・・・と思う面と、黒目が多いのは、人の中にある、ある種の防衛本能だったのではと思う面もあるような気がしました。
    白目が多い分、どこを見ているかなど、様々な情報を私たちは感じとれます。スポーツなどでも、アイコンタクトがあるからできる一流のプレイというものを聞いたことがあります。そして、なにより、視線を感じるのも相手へ視線を送るのも目という機能を日々の日常生活で実践し、なくてはならない情報源のように感じています。
    集団の中での目から得られる情報、改めて考えてみたいと思います。

  11. 白目といった視点から生存戦略について考えていくことが非常にワクワクしますね。そこからここまで推測できたり、実験結果が出たりしていると、え、ここからそんなことがわかるのかと男心をくすぐられるような思いでした。確かに白目が多いことで獲物を取ることに関しては不利ですね。しかし「協力する目仮説」からなんとなくわかるのはヒトは基本的に相手の目を見てそのヒトがどんな気分でなにを考えているのかを見ます。疲れている目や、元気な目、どこを見てなにを気にしているのかは目を見ればだいたいのことがわかります。その目があることで協力的な社会集団の中ではヒトの思いに気づいてあげることで生存できてきたのではないかとも思えますね。目というのは非言語コミュニケーションではなくてはならない一つです。その中での白目という存在の重要性を改めて感じます。

  12. 視線が相手に伝わること自体が、人が協力を前提とした社会で生きることを表しているのですね。生物の進化において必要のない部分や機能は削れ、失われていきます。それを踏まえると、他の生物と比べて人の黒目が小さく進化してきたこと自体に、人が協力をすることを基本とする生き物であることが表されているように感じます。他者と共有すること、協調することが人が生存していく上で重要なことであり、その機能の一つとして視線が含まれているように思います。人の体の特徴に人の生物としての行き方やあり方が表れているのはとても興味深いことですし、面白くも感じます。

  13. 赤ちゃんが白目部分が少なく、黒目部分が大きいのは、周りに見ているよということを伝えるためというのは理解していたのですが、そのことが協力的な社会集団が関係しているという所までは気付けませんでした。
    赤ちゃんを取り巻く環境の中で、「協力」ということが大切であること、そこに順応していった結果とも捉えられるのですね。
    今回の話とはずれているのかもしれませんが、若者のファッションの中で、おしゃれ用のコンタクトレンズのカラーコンタクトやリファインといった、黒目を大きく見せるものが流行っているのも、現在において「協力」ということが大切であり、それを確認しあわなければならない環境が多くなってきているという所も一つの理由になっているのかもしれませんね。

  14. まず藤森先生の「白目」についての話しを聞いた時に、初めて白目の重要性を知り感動した記憶があります。正直、白目のことなど深く考えたこともなかったですし、ましてや赤ちゃんの白目と黒目の比率の関しては目からウロコの話です。息子と向き合っている時に顔の向きはそのままで、指差しもせずに視線を逸らすと、息子も同じ方に向きます。ヒトの目がこうして進化してきた理由としてブログに書かれてある「協力的な社会環境」であるからこそ、白目の役割が出てきたのですね。確かに、動物たちのように、いつ狙われるか分からない環境に置かれた時に視線を相手に知らせるということは自殺行為になります。やはりヒトは協力する社会集団という認識から進化してきたのですね。

  15. 赤ちゃんのうちは白目部分が少なく、黒目部分が大きくて、徐々に白目が大きくなるということは以前の藤森先生からのお話で理解していましたが、さらに「協力的な社会集団において進化した」という意味もあったのですね。確かに獲物を捕まえるにはとても不利だなとブログを読みながら思いましたが、「協力をして捕まえる」と考えればとても効率がいいように思いました。また「目は口ほどにものを言う」ということわざがあるように目とは見ただけでわかることがたくさんあり、コミュニケーションをはかるには大切なツールになっています。「協力的な社会集団において進化した」といことがよくわかりますね。

  16. ヒトが協働で食物を収集しなくてはならないようななんらかの選択圧の下に置かれ、絶対的な協働者にならざるえなかったとあります。ヒトはなるべくして、協働者になったのですね。
    白目かわ大きくなる理由の背景には、協力的な社会環境がありました。たしかに、視線を追うことで協力がしやすいのでしょうね。
    視線を追われて、困ることはあまりなく、困るときは、大体恥ずかしいときのような気がします。(笑)視線を追われて、何見てんの?とツッこまれるときと言いましょうか。(笑)

  17. 目のことはたびたび藤森先生の講演の中で話題に出てくることが多いですが、そのあと、赤ちゃんの目をじっと見ると確かに黒目が多いというのを確認して驚いたのを覚えています。進化というものをこれほど身近に感じることがなかったのでおとても驚きました。目という人の体の一部を取り出しても、そのなかに「協働」という部分が見えてくるんですね。確かに自然界においては視線に気づかれてしまうと危険な部分は大きいのかもしれません。しかし、進化においてその視線に気づかれるという部分を違う方法に転化して協働行為につながったというのはますます、その協力や協働、そこに向けていく保育をしっかりと見通していかなければいけませんね。

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