協働活動

 大人から子どもに「いっしょに遊ぼう!」と誘って、子どもが「うん、いいよ!」と言って遊びだして、突然大人が理由もなしに遊ぶのをやめてしまう場合と、子どもが一人で遊んでいるところに、大人が黙ってその遊びに加わり、しばらくしてやはり理由なしにやめてしまう場合、3歳児の子どもは、異なる反応を見せたといいます。大人から声をかけて誘った場合には、遊ぶのをやめたとき、遊ぶことを続けるようにという子どもからの要求は強くなり、結局二人は合意していっしょに遊びをやることになったそうです。

 また、少しバリエーションを変えてみて反応を見てみたそうです。遊んでいる子どもに対して、別の大人が今野よりもっと楽しそうな遊びに誘った場合、大人が誘って、それに同意していっしょに遊んでいた子どもの方が、そうでない子どもよりもずっと頻繁に何かを言ったり、おもちゃを手渡したり、去り際に顔をのぞき込んだりしながら別の遊びの方に行ったそうです。子どもたちは自分から遊びに入ることを表明したことを破ろうとしていることを自覚して、最初にそれを認めることによって和らげようにしたのです。

 こんな研究もある研究チームによって行なわれました。生後18ヶ月前後のごく幼い子どもたちとの協働活動に携わった後に、順番でその子たちと役割を交換し、これまで担当したことにない役割につかせてみたそうです。こんな幼い子どもたちでさえ、新たな役割に直ちに適応し、彼らが最初の協働活動中に大人の視点や展望を理解していたことが示されたそうです。たぶん、自分の役割をしながら、相手の役割も理解していたということなのでしょう。私が以前、乳幼児でさえ、自己中心的でありながら、同時に自分を客観視しているのではないかと思うことがあると書いたことがありますが、この実験ではそれを少し証明していると思います。

しかし、人に育てられた幼いチンパンジー3頭については、同じような役割の転換は見られなかったそうです。このような役割転換を、研究者たちによって、「ヒト幼児が協働活動を、ゴールの共有や相互補完的役割とともに、すべて単一の表象フォーマットで俯瞰的視点から理解している」ことを示すものと解釈されているそうです。

 対照的にチンパンジーは、自分自身の行為を一人称的な視点から、パートナーの行為を三人称的な視点からそれぞれ理解しているものの、活動そのものやそれぞれの役割に関する俯瞰的な視点は備えてはいないそうです。ヒトの協働行為は、このようにどちらの参加者から見ても、潜在的には自分自身を含めた誰がその役割を果たしていても構わない、一般化された役割の組み合わせによって実現されると言います。哲学者の中には、これを「エージェント中立的役割」と呼ぶ人もいるそうです。エージェントとは、よくプロスポーツ界で聞かれる言葉ですが、選手本人に代わって契約の交渉を行う者のことを言います。

最近は、IT会で使われることが多くなりました。コンピュータ科学の研究としてソフトウェアエージェントという分野があります。これは、ユーザが何らかの目的を達するための代理として機能し、他のユーザやソフトウェアなどと通信しながら、自らがある程度の判断能力を持って自律的に振る舞い、永続的に活動するソフトウェアを意味します。この研究は、人類の知能の一部を人工的なものに代えていこうというものです。このようなロボットの行為が、幼い子どもの行為と同じような部分があるとは、なんだか不思議ですね。

協働活動” への17件のコメント

  1. 毎回思うことですが、本当に様々な実験が存在しているんですね。今回挙げられている実験なんかは、よくこんな方法を思いついたなあと感心してしまいました。もちろん証明したいことがあり、そのためにはどんな実験を行えばいいのかという考える道筋があるんでしょうが、それにしても驚かされます。そしてその実験よりも驚かされるのが、やはり子どもの姿です。ああ、そういう姿は見たことがあるなあと思うことではありますが、こうやってその意味についての説明がつくだけで、違った風に頭に入ってくるので不思議です。社会に対して広く子どもの力を伝えたい場合、このように話を展開してかなければいけないんですね。自己中心的ではあるけど、自分の立場を客観的に見ることができている子どものことなどを多くの人と共有できれば楽しいでしょうね。

  2. 子どもというと自己中心的であり、大人の思いも知らずに…と嘆く場面があるかもしれませんが、自分を客観視できているということは同時に自分をとりまく他者の思いにも気がついているということにもなるのかもしれないなと思いました。俯瞰で見れる、客観的に見れるということは全体の中での自分の立ち位置を理解できるということなのかなと考えると、自己中心的ばかりではありませんね。役割の適応というのも、自分とは違う役割を担っている他者を見ながら、自分だったらどうするかなと考えているということにもなるのでしょうか。そのようなイメージができていることは、自分の役割も担いながら、様々な役割を頭の中でいくつも切り替えながら、考えを巡らしているのかなと想像しました。なんだか、自分の中に様々な他者を入れ込んでいる憑依しているそんな技にも思えてしまいますね。このような話を聞くと、子どものことはもちろんなのですが、ついつい自分に当てはめてしまいます。自分はどうなのだろうかと考えます。

  3. 「大人から声をかけて誘った場合には、遊ぶのをやめたとき、遊ぶことを続けるようにという子どもからの要求は強く」なったという結果からは、3歳の子どもが、大人に対して「自分から誘ってきたんでしょ。ちゃんと責任とってよ。」などと言っているようでもありますね。社会的な規範を自ら守ろうとすると同時に、それを他者に対してもちっかりと強いる姿を見せてくれています。また、魅力的な玩具を持った別の大人の誘いに乗ろうとすると、相手に対して、社会的規範を破ろうとする自分を少しでも良く見せようとする姿も見られるということで、本当に、大人のような気遣いが出来るのだなと思うのですが、実は、子どもにもその力は備わっているのだといったことを証明してくれているのですね。そして、1歳半の子どもが「自分の役割をしながら、相手の役割も理解していた」という姿があったということからは、まさに、ミラーニューロンの働きによる影響が大きいということでしょうか。恊働行為が「潜在的には自分自身を含めた誰がその役割を果たしていても構わない、一般化された役割の組み合わせによって実現される」ことから、ヒトは目標があったら自分以外のヒトであってもそれを達成されることを願う生き物であるということでしょうか。そう考えると、親が達成できなかった夢を、その子どもにたくそうとする意味が、なんとなく理解できますね。

  4.  〝こんな幼い子どもたちでさえ、新たな役割に直ちに適応し、彼らが最初の協働活動中に大人の視点や展望を理解していたことが示されたそうです。たぶん、自分の役割をしながら、相手の役割も理解していた〟などの研究結果は、乳幼児のもつ力の偉大さを改めて感じさせます。〝自己中心的でありながら、同時に自分を客観視している〟というその性質自体のことは言葉として理解することはできていても、忙しい毎日の中にいれば、自分本位になってしまうことの方が多いというのが大人社会の現状ではないでしょうか。
     日本は経済的にも発達し、成熟した国かのように見えて、もしかしたらまったくもって未熟なのかもしれません。人間とはそもそもどういった生き物なのか、という問いへの回答を、子どもを研究することによって得ながら、自分の普段の振る舞いや生き方を見直していくことが、成熟した社会へと足を踏み出すことになるように感じます。

  5. 大人から遊びに誘い、大人から抜けてしまった方が遊び続ける要求が強いのは面白いですね。言われてみると当たり前なのでしょうが、最後まで責任を取れと言われているようです。そして、乳幼児期は、自己中心的であり、また客観的に全体を見ているのですね。自己中心的な行動を取る価値ある理由が子どもなりにあるのでしょうか。何も考えていないように見えて、大人が思っている以上に物事を考えているのですよね。前回の臥龍塾の生徒さんの話でも、意味のない行動は取らないという話がありましたが、この話にも繋がると思います。子どもを信じ、一人の人として接する大切を感じます。

  6. 私の今年の課題は「役割」ということです。自分の役割を上手に熟すということです。ここでその役割を具体的に述べる余裕はありません。ですから、そのことは後のお楽しみにしておきますが、私に「役割」意識があるのであれば、当然赤ちゃんにも「役割」意識が存在してよいとこのところ強く思うようになりました。赤ちゃんたちの行為は、私たち成人ヒトサピエンスからすると、冷静に見て、やはり理解をはるかに超える行為であることをしばしば確認します。よって、私は自分に今現在起こっていることはそもそも私自身がオギャア、とこの世に生れ落ちて以来繰り返し繰り返し実践されてきたことの脳及び身体機能の結果なのだろうと思います。「役割の組み合わせ」、これこそは私たち人間ならではの「協働活動」でしょう。それぞれがそれぞれの役割を果たし、その組み合わせによって私たちの世界が成立すると考えるならば、順位や優劣、貴賤等々の問題は解消されるのだろうと単純に思うのです。

  7. またまた面白い研究ですね。「大人から声をかけて誘った場合には、突然理由もなしに遊ぶのをやめたとき、遊ぶことを続けるようにという子どもからの要求は強くなる」とありました。これが子どもたちのする規範の強制の1つなのですね。3歳というまだ幼い時期から人付き合いの基本的なルール、当たり前のことをしっかりと捉えられているのことを考えていると、改めてすごいことだなと思いました。私自身もそうでしたが、これら子どもの持っている、備えている能力を大人が把握して、関係作りを行っているか、いないかでは大きな違いが生まれてしまうように思えました。長所・短所の話で、短所を改善するより、長所を伸ばす方法を取ることが、その子の個性をより豊かにすることができるのと同じように、子どもたちが生まれながらに備えている援助性や協力性、そして規範を守り、他者にも強いることなどをベースにして、個々の能力や個性を把握しつつ、持っているもの、備えているものを豊かに伸ばしていけるよう見守りながら保育していこうと思います。

  8. 研究の結果をこのように見ると、やはり、不思議というのでしょうか。行為一つで、子どもの思考を刺激するように感じました。そして、子どもにも役割がある、このことは、やはり、私たち大人が子どもの存在を大人と子どもというより、ヒトという形で見ることで、できる、できないの判断だけではない、考え方も出てくるように感じました。゛自分の役割をしながら、相手の役割も理解していたということ゛という文章は、私たちが日々の中でも見られる、異年齢の子どもが遊びをするときに、お互いに役割分担をし、進んでいくときにそれが難しい子どもへは、協力する姿を思いだし、この成長の段階、生後18ヶ月前後の子どもに見られることは、十分に、理解しておかなければならないと思いました。

  9. 本当に様々な研究方法があるのだと読んでいて面白く思います。子ども達や我が子と遊んでいて、ちょっと抜けようと思い静かに抜けたと思っていると、すぐさま「どうしたの?」と聞かれる経験がよくありますが、まさしく今回の実験の結果と同じです。しかし、子ども達の行動は不思議に感じますし感心します。18ヶ月の子どもで自分を客観視することが出来ると聞くと本当に驚きます。以前聞いたことのある「子どもの真っ白のキャンパスに描いていくのではない」という言葉を思い出します。このようなことを知って子ども達と接するのは大切ですだと感じました。

  10. 大人から遊びに誘い、やめてしまう場合には子どもの要求は強くなるというのは、自分の息子もそうだな…と思いながら読みました。
    最近はいわゆる〝対決ごっこ〟をしたい盛りなので寝る前に付き合い寝ているのですが、『疲れたからもうやめよう』と言っても泣いてしまい、より面倒なことになってしまいましたが、嫁が食器洗いの手伝いに誘うとすんなりとそっちの遊びに行ってしまい、少し寂しい気持ちになってしまう…ということがあります。
    書かれてある通り、食器洗いの手伝いをしながらこっちが気になるのか頻繁にこっちを向いて、目が合うとにこーっとしています。
    今回のブログを読み、息子のさりげないことでも考察してみると深い気づきがあることが分かり、見逃せないことが日常に転がっていることが分かりますね。

  11. このような研究も非常に面白いですね。あなたから遊びに誘ったのだから最後まで一緒に遊んでよと瞬時に思うのでしょうか。それは確かに自己中心的ではなくしっかりと全体を捉えた反応であると感じます。全体を俯瞰的に見るというのに関して少し違うかもしれませんが、昨日保育参観で保護者と少し話す時間がありました。3歳児クラスの子の保護者なのですが、保育園の様子を見てて、「うちではたくさんお話しして、先生やおともだちのようにお話しするんです。しかも少し上から目線で。笑」と言っていました。確かに保育園ではそんなにお話しはしませんが、ずーっと違うおともだちを見ていますし、先生が話しているのもしっかり見ています。少し発達が遅いく、体が小さい子なので吸収しようとしていることがわかります。保育園で吸収したものをお家で出している感じとも保護者は言っていました。これもなんとなく全体を捉えているのかなぁという印象を受けました。協働活動とは違いますが、こういったところからも、相手の気持ちを理解することへと繋がっていくのかなとも感じます。かなり理解がズレていると思いますがこんなことを感じました。

  12. 「こんな幼い子ども・・・自分の役割をしながら、相手の役割も理解していた」とありましたが、自己中心的なだけではできない行動ですね。子どものこのような姿からどのようなことが「協働」するということなのかを無意識ながらも知っているような気がします。今回「俯瞰的視点」ということにも触れられていましたが、まさに多面的に広い視野を持ち、全体の流れをみるからこそ、個々の役割を理解し、その上で同じ目的へと向かった行動がとれるのでしょうね。私はこの「俯瞰的視点」というものが自分に欠けていると常々感じています。子どものように物事を俯瞰的、客観的に見れるようになれば、これまでとはまた違った自分の役割やとるべき行動にも気がつくかもしれませんね。

  13. チンパンジーとは違い、人の協働活動は、しっかりと他の人が何をしているか見ている。夏休みや、お手伝い保育などで、頼りになる5歳児がいなくなった時、4歳の子たちが目を輝かせながら、5歳児の役割をする。そうしたところも、普段周りがどう動いているかというところをしっかりとみているからなのでしょうね。自分の役割をこなしながら、周りの役割も見てサポートすること、コンピューター的には非常に高度なことでもあり、それが人は子供のころからできる。いっけん、人にとっては簡単なことと思いがちですが、実はそれはすごいことだという認識を持つのも面白いかもしれませんね。

  14. 様々な実験を行い、それによって子どもの新な能力が発見されたり、実証されることで驚きますが、それよりも子ども達の柔軟性には、もっと驚きます。自分の役割をしながら相手の役割も理解するという行動は藤森先生が言われるように自己中心的でありながら自分を客観視していることになりますね。これは大人でもなかなか難しい能力だと思います。いつしか人は幼い時に自分を客観視できていても気づけば自分しか見ていない、自己中心的にしか見えていないようになってい人も多いかもしれません。チーム保育ではもちろん役割は決まっていますが、いざという時には役割を交代するときもあります。その時には、それまでの雰囲気や流れを把握しておかないと役割を交代できません。こんな子どもたちの行動からも見守る保育へのヒントが見えてくるのですね。

  15. 研究者の実験や研究とはいろいろな方法があり、とても面白いですね。その研究結果を見るたびに、子どもは素直に自分の反応を示しているのだなと感じます。「大人から子どもに「いっしょに遊ぼう!」と誘って、子どもが「うん、いいよ!」と言って遊びだして、突然大人が理由もなしに遊ぶのをやめてしまう場合」には、「遊ぶことを続けるようにという子どもからの要求は強くなり」とありましたが、「自分から誘ったくせに」なんていう言葉が聞こえてきそうですね。また、生後18か月前後の子が「新たな役割に直ちに適応し、彼らが最初の協働活動中に大人の視点や展望を理解していたことが示された」「自分の役割をしながら、相手の役割も理解していた」とありましたが、とても驚きました。ヒトは「模倣する生き物」という事でしたが、こんな幼い子でも自分を客観視することができ、自分の役割を理解することができるのですね。乳児の能力に毎回驚かされています。

  16. 子どもたちが「俯瞰的視点」をもって客観視しているというのには、驚きです。しかし、確かに言われてみれば、知らず子どもたちはかかわりの中で、やってもらったことを他のこどもにしようとします。援助的な行為というだけではなく、それを客観視する視点も備わっているんですね。研究の中で、いろんなことがわかってきますね。「役割」というものをあまり今まで考えることがなかったのですが、自然のやり取りの中でこれほどのことが起きているというのを改めて感じました。まだまだ、自分のアンテナが短いのを考えてしまいます。

  17. 大人から誘っておいて、突然理由もなく遊びをやめるのを3歳児が、「自分から誘っておいて、やめるなよ」と言うようなやりとりが想像でき、とても面白いなと思いました。ちゃんと言ったことに責任を持つように大人を諭しているようですね。
    また子どももよく自分から誘っておいて、急に違うことに興味を持ち、そっちに行くことがありますが、これは遊びながらも、本文に出てる俯瞰的視点で周りを見ているということでしょうか。

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