共同ではなく協働

 「きょうどう」するというと、漢字に書くときに迷うことがあります。それは、「協働」と書くべきか、「共同」と書くべきか、「協同」「共働」などどれを使うかを迷います。わたしたちはかなりいい加減に使うことが多いのですが、実は、どの漢字を使うかは、かなり深い意味があるようです。たとえば、「共同」と使う場合は、その字のごとく、「共に同じ目的」「共に同じ条件」など、「複数の人や団体が、同じ目的のために一緒に事を行ったり、同じ条件・資格でかかわったりすること。」に使います。「―で経営する」「―で利用する」「三社が―する事業」それは、「協同」に同じとあります。と言うことは、「共」か「協」の違いよりも、「同」か「働」の違いになるようです。

 と言うわけで、「協働」とは、「複数の主体が、何らかの目標を共有し、ともに力を合わせて活動することをいう」とあるように、「ともに活動する」ということが込められています。そして、このときの「ともに」には、深い意味があります。単純に「共同して」というように力を合わせるということだけでなく、目的意識を共有し共通の目標に向かって達成に力を尽くすことや、お互いが対等の立場でそれぞれの特性を活かすことが重要なようです。

「協働」という言葉は、比較的新しい言葉のようです。協働の概念を最初に発案したのは、アメリカのインディアナ大学の政治学教授ヴィンセント・オストロムだといわれています。彼の著作の中で、「Coproduction」という造語が用いられています。「共同の、共通の…」という意味の「Co」に、「Production(生産、産出、成果)」を結びつけて作り出されました。1977年のことでした。これを訳すときに、「協働」と訳したのです。この「協働」は古くから日本社会において使われてきた概念ではありませんが、おおむね、次のような定義がされています。

まず、「目標の共有化」が必要です。そして、その目標に向かって、協働する各主体はお互いに自主・自律性を確保し、他の主体から支配されないことが必要になります。また、目標が効率・効果的に達成されるために、各主体は能力や資源を互いに補完し、相乗効果をはかる必要があります。ですから、関わる主体は成果に対してもそれ相応の責任をとらなければなりません。このようにそれぞれが主体であり、その能力や資源を補完し合うためには、考え方や取り組み方が異なっても、その異なる点をお互いが尊重していくことが大切です。そうすれば、共有目標の達成も効率的・効果的となるのです。

そこで、協働とは、「様々な主体が、主体的、自発的に、共通の活動領域において、相互の立場や特性を認識・尊重しながら共通の目的を達成するために協力することを言う」と定義されてもいいかもしれません。

 このような協働活動を行なうには、互いに行為を調整することが必要になりますが、同時に各個体は、注意状態も調整しあっていると言われています。乳幼児発達の文献には、「最初期の協働行為は、しばしば“注意接続的行為”と呼ばれているそうです。生後9ヶ月頃、乳児はボールを転がして大人とやりとりしたり、一緒にブロックを積んだりするようになります。そのときに、お互いに相手と相手における注意状態をモニターしていると言われています。それは、ゴールがまず共有されているからこそと言われています。

共同ではなく協働” への17件のコメント

  1. 音は同じでも漢字によって意味が異なる言葉が多い日本語は母国語でありながら難しいなと思います。しかし、その分の奥深さもあり、おもしろいですね。「協働」という言葉、今までの自分を振り返るとほとんど書いたことがないのではと思います。これから身近な言葉(漢字)になっていくかもしれません。この協働という考え方を教えてもらいました。協働からは柔軟性というものを感じます。「考え方や取り組み方が異なっても、その異なる点をお互いが尊重していくことが大切です」というのは見守る保育の中のチーム保育の考え方でも大切なことのように思いました。そして、「そうすれば、共有目標の達成も効率的・効果的となるのです」とあり、目標達成のためにはこの「協働」はとても大切なものになってくるのですね。そのためには目的の共有化をし、「その目標に向かって、協働する各主体はお互いに自主・自律性を確保し、他の主体から支配されないことが必要になります」ともありました。見守る保育という目的を共有し、その目的に向かって個々の職員が協働していくためには主体性を確保し、互いを尊重しあっていくことが大切ですね。協働はチーム保育にも繋がるものでもあるのかもしれません。協働が実践されていることで、個々が柔軟性を持ちながら、でも決してバラバラになることのない絶妙なバランスの集団ができあがっていくのかもしれません。この協働を理解し、実践できる存在に私もならなければです。

  2. 「協働活動を行なうには、互いに行為を調整することが必要になりますが、同時に各個体は、注意状態も調整しあっている」という言葉でピンと来たのですが、この「恊働」は同じ年齢や同じ発達の者同士に限って成り立つということではなく、両者が「お互いに自主・自律性を確保し、他の主体から支配されないこと」が保障されていれば、どのような関係であっても起こりえる活動であるということが感じられました。最近の私のテーマでもある「異年齢」について考えていると、この「調節力」が非常に大切であることに気づかされます。両者の「考え方や取り組み方が異なっても、その異なる点をお互いが尊重していくこと」で、この調整力は磨かれていくのかなと思いました。同時に、それらを可能にする前提として「ゴールがまず共有されているからこそ」があり、そのゴールをいかに指し示していくか、導いていくか、委ねていくか、といったところが課題にもなってきそうですね。そして、「恊働」に対する分かりやすい定義付け、ありがとうございます。「主体・自発・・特性・尊重・協力」などの言葉が入っていることから、藤森先生が提唱する「見守る保育」を、象徴する言葉の一つであるようにも感じました。

  3. 目的が共有されていて、互いに自主・自律性を確保した状態で、各主体は能力や資源を互いに補完し、相乗効果をはかるというのは、まさに保育でも目指しているところですね。「きょうどう」の漢字の意味はなんとなく違う気がするくらいにしか考えていませんでしたが、こうやって意味を知ると「協働」を使いたくなってきます。機械が作業する際は全く同じ能力で、しかも同じやり方で行います。人も何かを一緒に行うとき、「共同」の方で取り組むことが多いように思います。でも、様々な人が同じ目的に向かって動くとき、個々の違いを生かした方がいろいろなアイデアが生まれるでしょうし、思いもよらなかった力の発揮の仕方を思いつくかもしれません。これを目指すべきなんですよね。協働、いい言葉です。

  4.  〝協働とは、「様々な主体が、主体的、自発的に、共通の活動領域において、相互の立場や特性を認識・尊重しながら共通の目的を達成するために協力することを言う」と定義されてもいい〟とあり、日々チーム保育を進めながら見守る保育を全うしていく自分たちのことを言っているような気持ちになりました。共通の目的とは、子どもの成長と考えていいと思います。個性を尊重し、個人が主体的に活動できる、そんな職場が共通の目的の達成に必要不可欠です。言い換えれば、大人が協働することが、子どもの成長にとても重要な役割を果たすということでもあると思います。
     保育園が保育園として機能する上でとても大切なことの一つに〝理念〟が挙げられます。それはすなわち協働活動を行う為に必要な〝ゴールがまず共有されている〟ということであると思います。9ヶ月の子どもが行っていることを思うと、目の前の子ども達から学ばなければいけないことが本当にたくさんあることを強く感じます。

  5. 「協働は、目的意識を共有し共通の目標に向かって達成に力を尽くすことや、お互いが対等の立場でそれぞれの特性を活かすことが重要」とありました。自分自身何ができるのかを知らないと行動することさえできません。幼児で何かを作るとなった時に、「おれは〜する」「じゃあ、ぼくは〜する」と言う場面があります。それは同じゴールを持つ仲間同士、自分が何ができるのかを知っているからこそ行動ができるのですよね。見守る保育にもありますように、無理はしなくていい、自分の得意なこと、できることをするに繋がっていると実感します。

  6. 共同体に対して、藤森先生は、「共異体」という新概念をかれこれ15,6年前に保育界において提起しました。「共異体」をタイトルとする書籍も出されています。共と異とは反対概念です。その對概念を融合した新概念が共異体であることを改めて思った次第です。そして共異体における行為は、争いではなく、協働になるはずです。しかし、この「はず」を可能にするのが「目標」です。理念と言ってもいいでしょう、クレドと言ってもいいでしょう。この目標に向かった協働がなければ共異体は存在しないのだろうと思うのです。違いを違いのままに存在させるには共なる共通点が必要です。最近の私のコメントで「役割」ということに言及したかと思いますが、この「役割」が真に機能するのは「目標」の共有があって始めて可能なのでしょう。目標共有のない役割分担は他者を思いやることなく、とにかく自分の役割を果たせばそれでよい、という自己中心的な言動行動となって現れます。「役割」の誤解が実は非協働の雰囲気を醸し出しているのかもしれません。これは大人世界の話です。子どもたちの世界には阿吽の呼吸による共異体が存在しているようです。

  7. 共同という言葉はよく使うことがありましたが、改めて考えると協働という言葉はあまり、使ったことがないように思えました。そして、゛「協働」とは、「複数の主体が、何らかの目標を共有し、ともに力を合わせて活動することをいう゛゛共同は「複数の人や団体が、同じ目的のために一緒に事を行ったり、同じ条件・資格でかかわったりすること゛とあり、考えてみると私たちのチーム保育としての形は協働という形があてはまるような気がします。
    。各々が、目的に関わりそれぞれの資格などから、アプローチをかけていくのではなく、各それぞれの考えをもちより、そこで、お互いの考えを共有し、共感する中で、一つの目的へ活動していく、そして、共通の目的へとこのような形がチームのなかの個性を活かす環境だと思います。
    協働の定義づけは、チームとしての理念のようにも思えました。

  8. 「きょうどう」という言葉1つでも、漢字表記の違いから意味合いが異なってくるのですね。勉強になりました。外国人の方が「日本語は難しい。」とよく言っていると耳にしたことがありますが、このようなことから難しいと感じているのかもしれませんね。「わたしたちはかなりいい加減に使うことが多い」とありましたが、この適当さが日本人の良い特徴である気がしました。母国語からその国民の特徴を推測できるのは面白いです。
    「協働」の説明を読んで、チーム保育を連想できます。ゴールや目的を共有し、それぞれがリーダーになれば、ゴールや目的は同じでもアプローチは人それぞれ。それを全員でサポートし合いながら保育していく。自分と違うやり方から学びを得れたりと協働とチーム保育を照らし合わせて考えることでその意義を強く感じました。

  9. 「共同」「協働」については深く考えたことがなかったので勉強になりました。朝のテレビ番組で言葉についてクイズと解説をみながら、日本語は難しいと感じています。また、園だよりで使う感じにも気を使います。しっかり調べて書くといいのですが、ついついサボって間違ってると思うときにはひらがなにしています。乳児とのボールを転がす遊びのやりとりですが、今までこの行為が協働だとは考えたこともありませんでした。このような視点から子どもの行動を観察するするのも、新しい発見があるかもしれないと感じました。

  10. 日本には同じ読みでも意味の異なる単語というのがたくさんあり、自分もときどきその使い方を考える時があります。
    その中でも、今回の『きょうどう』は今まであまり考えなしに『共同』と書いていたように思います。
    ですが〝協働〟の深い意味を知り、保育に当てはまるのは〝協働〟と書くのがほとんどなのかもしれない、と感じました。
    〝様々な主体が主体的、自発的に共通の活動領域において、相互の立場や特性を認識、尊重しながら共通の目的を達成するために協力することをいう〟とありましたが、お互いが発達、成長していくための大人と子ども、子どもと子どもなどの関わりの根本だと思います。
    これから、多く使わせて頂くことになる言葉となりそうです。

  11. この協働という漢字に対して、共同とどう違うのかと思っていましたが、ここで納得がいきました。ありがとうございます。この協働についての説明を見る限り、見守る保育が先に頭に浮かんできますね。見守る保育という理念、目標というとのがありそれに向かって子どもと関わっていく。本文にあるように、「様々な主体が、主体的、自発的に、共通の活動領域において、相互の立場や特性を認識、尊重しながら共通の目的を達成するために協力することを言う」ということを実際にしているよう感じます。この実践はまさにチーム保育ということになりますね。それぞれの特性を生かし、補完していく作業ということは忘れてはいけませんし、再確認することができます。そして、この協働を子どもたちも行っているということをしっかりと把握しておく必要がありますね。1歳児で一緒にブロックを高く積み上げゲラゲラ笑っているところが頭に浮かびましたが、これも協働活動でしょうか。お互いにこれでいいかな?というように注意し合い、ゴールは共有しているような印象を受けました。そんな姿をより興味深く見ていこうと感じます。

  12. 「協働」と「共同」は同じ発音をし一見同じような意味合いを持つように感じますが、今回その違いについて理解することができました。この微妙なニュアンスの違いが日本語の難しいところであり、面白いところでもあるような気がします。目的意識を共有し共通の目標に向かって協力するという意味では同じですが、各自が主体となり、それぞれの役割に責任を持ち、互いの特性を活かすという部分が「協働」の大きなポイントでだと思います。そしてそれを踏まえると、見守る保育における「きょうどう」とは「協働」の方を指すのではないかと感じました。またこの協働は子どもだけでなく、保育者である私たち大人も大切にしなければならないことだと思います。チームで保育をするにあたり、この「協働」の捉え方はしっかりと押さえておきたいと思います。

  13. 「きょうどう」という言葉も日本語の場合だと、そこにあてる漢字によって、まったく意味の違うものになってしまうのですね。「協働」は何度かブログに出てきていましたが、あまりなじみがなく読み方すら危うかったのですが、今回定義されているように、「様々な主体が、主体的、自発的に、共通の活動領域において、相互の立場や特性を認識・尊重しながら共通の目的を達成するために協力すること」とその意味を考えると、とてもしっくりきますね。むしろ他の「共同」といった感じは、なじみがあるながらも、限られた使い方のように感じます。今回の「協働」のように、字をうまくあてると、その解釈も伝わりやすくなるのですね。

  14. 「目的意識を共有し共通の目標に向かって達成に力を尽くすことや、お互いが対等の立場でそれぞれの特性を活かすこと」まさにチーム保育の根本的は考え方だと思いました。「目標の共有化」私たちがまず考える必要があるのは「子どものこと」です。そこから個々に自分なりの考え方や取り組み方を行い、その中でお互いの職員が見合うことで自分の考えを広げていくことで、更に磨きがかかるはずです。しかし、目標が一緒でも、やり方を統一にし、そこから外れる者を非難するところもあるかもしれません。それでは主体性も個性も全て無にしてしまいます。ただ最後の方に「互いに行為を調整する必要がある」と書かれてあります。これは難しいですね、いくら主体的、自発的と言っても自分勝手とは意味が違ってきます。その辺りの絶妙なバランスを感じ取っていく能力も同時に必要ですね。

  15. 考えてみれば、かなりいいかげんに使っていたような気がします。確かに「共同」と「協働」もそうですが、コメントなど文章を打っていると、ひらがなを漢字に変換した時にどっちを使っていいかわからないことがありますね。読ませて頂いていて協働とは、「目的意識を共有し共通の目標に向かって達成に力を尽くすことや、お互いが対等の立場でそれぞれの特性を活かすことが重要」とありましたが、この文を読みながら「チーム保育」だなと感じました。さらに、「様々な主体が、主体的、自発的に、共通の活動領域において、相互の立場や特性を認識・尊重しながら共通の目的を達成するために協力することを言う」という文では、「見守る保育」を感じました。今回のブログで「きょうどう」の理解と「協働」の奥深さを感じました。

  16. 「きょうどう」と聞くと、「共同」という漢字しか出てきませんでしたが、これだけの漢字があるのですね。
    しかし、協働という言葉に共同という意味も含まれているようですね。そして目標を共有して、その目標に向けて力を尽くしたり、お互いが対等の立場でそれぞれの特性を活かすことが重要とあります。さらに、考え方や取り組み方が異なっても、その異なる点をお互いが尊重していくことが大切というのは、チーム保育、また見守る保育に通じるものがあると思いました。

  17. 「協働」することにおいて、「目標の共有化」とあります。それは、保育園や幼稚園などでいうところの「理念」に相当するものですね。また、「様々な主体が、主体的、自発的に、共通の活動領域において、相互の立場や特性を認識・尊重しながら共通の目的を達成するために協力すること」というのもチーム保育において、とても必要なことであるように思います。それは乳幼児発達の中でも、「注意説接続的行為」としてあるんですね。ある意味、「チーム保育」「乳幼児教育」というカテゴリー分けされるものではなく、「協働」というものは人が生きていく中や社会を作っていくために必要なことなのだと思います。確かになにげなく「共同」と「協働」という言葉を使っていますが、その意味合いを考えれば、漢字の使い方も変わってきますね。とりわけ、人々が生きていく中では「協働」というものがとても大切ということがよくわかります。

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