絆を確かめる

以前のブログでNHK取材班による、カラハリ砂漠に住むサンの人たちを取材した内容を紹介しました。彼らは、特に女性ですが、驚くほど大量の首飾りを身にまとっています。それは、私たちの祖先であるホモサピエンスの最古の遺跡で見つかっている大量の首飾りにしたであろう貝殻の意味を探ることになるかもしれないという取材でした。脳における社会脳の研究から見えてきた「乳児の生存にまず必要とされるのは、自分以外の他者との関係性欲求を満たすことだったのではないか」というある答えが、この取材からも見えてくる気がしますので、もう一度その内容を振り返ってみたいと思います。

この取材から分かったのは、彼らサン族では、食料を基本的にはみんなで分かち合うということでした。「彼らの社会で最も嫌われるのは、ケチと自慢です。生き残るためには分かち合うことがとても重要だったのだと思います。最悪なのは身勝手に村の生活の歩調を乱す人です。サンの人たちの生活スタイルを見ていると、一番根源的な人間の生き方、私たち人間に共通している特徴が見えてきます。」それは、今回のブログで見えてきた「「人の喜びや幸せは、個人の中にあるのではなく、むしろ他者との関係性の中にあるのではないか」ということにつながりますし、私たち先祖が、生存戦略として他者との関係性を構築することを獲得してきたことを表していることになるような気がします。

さらに、彼らは、なぜそこまで分かち合う必要があるのかということに、取材の中ではこう答えています。「自分勝手な人は自分の家族だけでしか分かち合いませんが、私たちはグループの中の誰とでもシェアしつづけます。一緒に住んでいるのに、私たちがもし分け合わずに自分勝手にやっていたら飢えて一族もろとも死んでしまったでしょう。」そして、この分かち合う社会に装飾具が登場します。それが、サン族学部にかけている何本もの首飾りなのです。この首飾りは、誰かからプレゼントされたものです。彼らは、こう言います。「祖先たちがずっと交換し続けてきたから私たちも交換するのです。その交換は続いていくのです。だから、首飾りをたくさんしていない人は、交友関係が少ない人です。私のようにたくさんしている人は、交友関係が多いのです。困ったときに助けてくれる人が多いのです。」まず、赤ちゃんが生まれると、親戚はビーズを乳児にプレゼントし、血族の証にするのです。「いつまでもあなたのことを助けにいきますよと」

そのために、必死に貝殻を拾い集めます。その貝殻は、砂の混じった水に何度も洗われながら光を持っていきます。その光は、反射して光るだけでなく、光を通して、美しい明かりとなります。この光の宝を絆の印として、首にかけてあげたのでしょう。

 500万年とも700万年ともいわれる前に隆起した地形の中から、kaihiroi貝殻を見つけそれを磨き、人との絆をつないでいる人がいます。館山に仕事場を持つ福田さんです。今週日曜日に、彼と貝を拾い、貝を磨く体験をさせていただきました。磨くといっても、無理矢理に凹凸をなくすというのではなく、砂と波になって、その中で貝を転がすというイメージです。自然が、長い年月行なってきた営みを、体験するというイメージです。kaikizuna (2)

装飾品は、人との関係性があるからこそ、価値が出るのかもしれません。本当にいわれは別として、私は、結婚指輪という装飾品は、相手との絆を確認しながら首に首飾りをかけてあげた人類の祖先のように、相手との絆を約束して指にはめる装飾品かもしれないと思いました。

 

絆を確かめる” への16件のコメント

  1. 少し視点が違うかもしれませんが、自分で買ったものより、人からもらった物の方が、なんとなく長く大切に使用しているイメージがあります。それは、それを身につけたり目にする度にその人を思い出し、その思いに感謝し、相手からの気持ちに応えようとする心理が自然と働いているようにも感じます。サン族に生まれた子どもも、物心がつく頃になれば、周囲の人々からもらった貝の首飾りの話を理解し、それを見て、きっと自らその社会に貢献しようとするでしょうね。その首飾りは、昨日のブログにも出ていた「無条件の存在肯定」を目に見える“形”とした、人との関係性欲求を満たす価値あるものなのではないでしょうか。そして、その目に見える形・物は、互いの関係性を忘れかけた時にでも、目で見えるため再確認することが可能です。そういった効果は、藤森先生が言われる「結婚指輪」でもみられると思います。分かってはいても、「相手との絆」というものを、様々な方法によって定期的に確認する必要があるのだなと思いました。

  2. 貝の意味がやっと分かりました。そういうことだったのですね。首飾りを送り合うサン族の話は興味深いですね。首飾りの装飾そのものも美しいものなのかもしれませんが、それよりも、他者と関わること、助け合うことがサン族にとっては一番大切なことであるということを表しているのが首飾りなのですね。「装飾品は、人との関係性があるからこそ、価値が出るのかもしれません」とありました。物に特別な感情を抱く時もこのような思いを抱くからということが多いですね。花燃ゆでの、吉田松蔭と金子重輔のあのボタンもそのようなものなのかもしれません。私も物に特別な思いを抱くことがあります。物そのものは、単なる物なのですが、誰かとの関係性の上でやりとりされた物は、単なる物ではなく、その人そのものに見えます。ですので、その物を大切にすることは、その人のことも大切に思っているということになります。「人の喜びや幸せは、個人の中にあるのではなく、むしろ他者との関係性の中にあるのではないか」ということをもっともっと大切にして、生きていきたいと思います。

  3. 様々な種族がテレビなどで、見ている中にも私たちは赤ちゃんが産まれると首飾りを渡します。これは家族の一員という意味を表しています、といっていたことを思い出しました。相手のことを思い、探し、集めたものを繋ぎ合わせて、プレゼントする、相手のことを考えることが見えてきますね。そして、プレゼントされた方は喜びを感じますし、喜んでいる姿を見てプレゼントをしたほうも嬉しい気持ちになります。これは他者という存在がいるからこそできる行為であって、決して一人ではできない経験だと思います。共存する力があるからこそ、互いを求め互いを大切にしようと思います。これは、ホモ・サピエンスの時から協力しあうなかで育まれてきたものだと思いますが、科学の進歩もあってか、生身の人間ではなく、作られた映像や人工知能、ロボットなどに対する方が自分の思い通りになるからと関わりをすることを避けているようにも感じてます。生身の人間だからこそ、協力ができ、共生するなかで絆が生まれていく、分かち合える、必要な過程だと感じています。

  4.  〝彼らの社会で最も嫌われるのは、ケチと自慢です〟という文章、とても印象的です。聖書の中にも〝先ず与えよ〟という言葉があるということですが、与えるものは与えられ、奪うものは奪われる。ケチと自慢によって人に与えた嫌な気持ちはそのまま自分に返ってくるという黄金律がカラハリ砂漠に住むサンの人たちの中にもあることを感じ、人はどこに生まれてどこに住んでいても、同じ人であり同じように社会を形成しているのであるということを改めて感じるような、そんな思いがしました。
     写真の貝、とても綺麗です。「タンスの中に指輪がありますっていう人があいるけど、タンスは指輪しないからね」と何かで聞き、最近は結婚指輪をつける機会を多くもとうとするようになりました。〝結婚指輪という装飾品は、相手との絆を確認しながら首に首飾りをかけてあげた人類の祖先のように、相手との絆を約束して指にはめる装飾品〟を読んで、改めて指輪の価値を感じました。

  5. サン族の「彼らの社会で最も嫌われるのはケチと自慢です」はとても心に残る言葉です。相手や周りのことを考えずに自分勝手にやりたいことをしていると、とてもこの様な言葉はでてきません。子ども園に移行するにあたり、藤森先生言葉を引用して、保育理念に「共生」という言葉を入れました。今回ブログの内容も参考にしていきたいと思います。結婚指輪については、私がいつもしていないので何も言えませんが、相手との絆を約束してはめる装飾品ときくと付ける機会を増やしていこうと少し反省しました。

  6. ひとりだけで生きた経験がないからわからないのですが、私たちは、ひとりぼっちでは生きられない存在だと思うのです。常に誰かと繋がっていたい。絆を結んでいたい。できれば、一人でも多くの人と、互いの存在の心地良さを味わいたい。そんな思いで生きて死んでいくのが私たちでしょう。そして、それは乳児から始まっている。母子関係は大切です。しかし、母子、母子と強調しすぎた結果が実母虐待のような気がします。母子、親子、家族、親せき関係を超えて、様々な人間関係を小さいころから結べる人は幸いです。人間関係のゆえに悲惨な結末を迎えることがないでしょう。関係の作り方が身に染みているからです。今回のブログで再び紹介されたサン族の首飾り。「困ったときに助けてくれる人が多いのです」という言葉は象徴的です。他者の存在とは、私たちが困った時に助けてくれる存在なのです。このことは同時に、他者存在とは、私たちを困らせるための存在ではない、ということです。私たち一人ひとりのたいていは、他者を助けたいと思っています。そして、他者に助けてもらいたいと思っています。私たちの生存の根底にある精神は互助の精神でしょう。牙もなければ、鋭い爪もない私たちが生き延びていくには、この互助精神が何よりも必要だ、と思うのです。

  7. サン族の風習はとても素敵ですね。現代でこのサン族の風習と似ている行為は、記念の日等にプレゼントを贈るという行為ですね。プレゼントとは不思議な物で、贈られた側が次の機会に贈り返し、また次にと何とも素敵な循環が生まれるものであると思います。それが今回のブログのタイトルにある「絆を確かめる」ということであると思いました。プレゼントを頂いても、返すことができない人はサン族で言う、「交友関係が少なく、困ったときに助けてくれる人が少ない人」となってしまうのでしょう。
    「装飾品は、人との関係性があるからこそ、価値が出るのかもしれません。」とありました。確かに、装飾品を自分で買って身に付ける人はあまり多くない印象です。そしてプレゼントとして贈られる品で人気が高いのが装飾品である気がします。これは私たち人類の祖先が、相手との絆を確認しながら首に首飾りをかけてあげていたことが現代にまでしっかり伝承されているということかもしれませんね。

  8. 人に与えるからこそ自分にも与えられる、喜びを他者と分かち合うことでまた違った喜びも自分のもとにやってくるといったことは、この貝の話から考えると人間の基本的なあり方なのかもしれません。少し種類の違うことですが、情報などもこちらから積極的に出していくことで多くの情報が集まってきます。独り占めしようとすると結局それ以上のことは得られないように思いますし、その質も決してよくなってはいかないと思います。私たちの周りにあるものは他者と共有するからこそ質が向上していき、そして他者との関係性にもいい影響を与えるということなんじゃないかと思わされました。

  9. 人に与えることからこそ、自分に与えられるというのは、まさに人間の基本的なあり方なのかもしれませんね。よく『自分を信じて欲しいなら、まずあなたが人を信じなさい』という言葉をテレビなどで耳にしますが、このサン族の例だと説得力があります。
    自分は結婚指輪をずっと指にしたまま放置しているのも同然の状態ですが、最後の文章を読み、妻と指輪を買いに行った時のことを思い出しました。
    今回のブログのタイトルの〝絆〟を自分の息子の名前につけています。その理由は『産まれる前もたくさんの人に支えられていて、産まれてからもたくさんの人に支えられて生きていく、その絆を大事にして欲しい』という願いをこめました。
    〝絆〟の字に反応し、どうしてもこのことを書きたくなったので書いちゃいました。

  10. 私の奥さんはとても物を大事にします。そのため、家には物がたくさんあります。よく見てみると思い出の地で買ったペットボトルまで残しています。更には何年も前に花火大会に行きたいというので私が新聞に載っていた花火大会の一覧の切り抜きを差し出すとずっと大切そうに持っていました。奥さんは人の「気持ち」というのを大切にする人だということがわかりました。ただ、断捨離ができないのは少し悩みどころですが…。話はズレましたが、「人の喜びや幸せは、個人の中にあるのではなく、むしろ他者との関係性の中にあるのではないか」ということと同じような感覚なのではないかと思えました。自分のためを思ってこれを買ってくれたこうしてくれたという「思い」というのを感じることで他者との関係性欲求というのが満たされ、幸せな気持ちになるということでしょうか。その証として目に見え、身につける貝があることでより思いが増すように思えますね。絆を確かめる貝、指輪というのは改めて考えると素敵ですね。

  11. 私も貝磨きに参加させて頂きましたが、夢中になって磨いていました。そんな感じで、貝は波に揉まれ、凹凸が無くなってきたのかな?などと想像しながら、磨きました。先生のおっしゃるように、貝を転がし、長年行ってきた営みを体験したような気がします。
    サン族の貝の首飾りの話は素敵ですね。「いつでもあなたのことを助けにいきます」という意味を込めて、乳児にビーズをプレゼントするのは、いいですね。サン族は、それをお互いにやっているからこそ、助け合いが生まれるのだと思います。

  12. 今の時代で絆を確かめる方法を考えるとどうでしょうか・・・おそらく若い人は携帯電話の電話帳にメモリーとして入っている人の数ではないでしょうか。サン族の話しは何度聞いても今の時代にお手本となるような生き方です。人同士の関わり方、関係、全てにおいて、現代社会で欠けていることを再確認をさせてくれます。特に「絆」という考え方は私が思っている以上に深い深い意味が込められているように感じます。「祖先たちがずっと交換し続けてきたから私たちも交換するのです。その交換は続いていくのです。だから、首飾りをたくさんしていない人は、交友関係が少ない人です。私のようにたくさんしている人は、交友関係が多いのです。困ったときに助けてくれる人が多いのです。」こういう言葉を堂々と言える事に尊敬します。そして装飾品というのも、一般ではファッションの一つとして捉えられていますが、サン族の視点からの装飾品は人との絆の証です。そう言えば新婚旅行でホノルルマラソンを完走した時に貝殻のネックレスをかけてくれました。コメントを書きながら壁に掛けてあるその貝殻のネックレスを見て、なんだか感慨深くなりました・・・。

  13. まさにホモサピエンスの遺跡から貝殻が出てきた理由という所を調べようとしていた時にこのブログを見て、日々ブログを読むことの大切さを痛感しました。集落の跡地に貝殻がたくさんあり、それが協力あってきたことの証明というのはこういった理由があったのですね。
    長い年月を過ごしてきてる貝殻は、大昔から色んな意味が込められていたのですね。私自身も改めて貝殻というものに接する機会があり、少し見方が変わった気がします。

  14. 今回のブログを拝見し、装飾品に対するイメージが大きく変わりました。現代において私たちが普段身に付けたりする装飾品はファションの意味合いが強く、相手との絆を感じるようなものは少ないように感じます。私は結婚指輪を常に身につけてはいますが、恥ずかしながらそれに絆を見出すという意識が薄れていました。結婚式の際に互いの絆を確認しあって指にはめたあの想いを忘れてはいけませんね。分かち合うこと、そして他者と繋がりや関係を何よりも大切にしているサン族の姿に心があたたかくなりました。

  15. やはり今回のブログからも「人の喜びや幸せは、個人の中にあるのではなく、他者との関係性の中にある」という事がサン族の生活の中から読み取れますね。「自分勝手な人は自分の家族だけでしか分かち合いませんが、私たちはグループの中の誰とでもシェアしつづけます。」とありましたが、今の日本では家族ですら分かち合うことができず、親や子が傷つけあうというようなことが多くなってきていると思います。確かに相手の為と思っていることもあるかもしれませんが、家族を越え、グループや地域のみんなが誰とでも何でもシェアできるようになれば幸せになっていくのかもしれないと感じました。そして装飾品とは本来人とのつながりから贈られていたものだったのだったのですね。現代ではファッション的な意味合いが多いと思いますが、今回のブログを読ませていただきとらえ方が変わりました。

  16. 「人の喜びや幸せは個人の中にあるのではなく、むしろ他者との関係性の中にあるのではないか」とありましたが、以前、ある本の中で「自分に自信をつける方法」というものがありました。その中にあったのが「人のためになることを進んでやってみる」という一文でした。まさに、ブログにあった内容と同じような言葉が書かれてあったので思い出しました。人と分かち合う事や人のためにすることというのは、「他人のため」というだけではなく、「自分のため」にもなるんですね。どの時代においても物を贈呈するということは外交の中でもとても重要だったそうです。装飾品を送る、それだけで人の関係する幅は広がっていきます。そして、そう考えると確かに装飾品というものは人との関係性があるからこそ価値があるものなのかもしれません。実際、自分自身も結婚し、指には結婚指輪をはめていますが、ここにははっきりと「絆」があります。そのことは忘れてはいけませんね。このブログを見て、結婚指輪を見てみると、いろんな絆や縁が見えてくるように思います、そして、確かめることになりますね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です