ヒトの文化にしか見られない特徴である、「生み出された物事の累積」と「社会制度」というものは、どのようなヒトという種独特のものが根底にあるのでしょうか?それは、「協力する技能」と「協力しようとするモティべーション」とがセットになっていると言うのは、マイケル・トマセロです。このことは、社会制度の場合を見れば特にはっきりすると彼は言います。非協力者への強制に関する規則も含めて、様々な社会制度はどれも、協力によって生み出され合意によって成り立つ相互行為と言えるからです。地位機能も、「夫、親、通過、首長といったものが存在し、それぞれがなすべき権利と義務とを果たす」という協力的な合意があってこそ成り立つものだからです。
こういったユニークな形態での協力を可能にしている心理的な基礎過程における知見は、様々な行動哲学者たちによって研究され、その知見によれば、「志向性の共有」と呼ぶことができると言います。このときの「志向性の共有」とは、他者と協力しようとする際に、意図やコミットメントを自他間で接続し合う能力のことを言います。これらの意図やコミットメントの接続は、注意の接続や相互知識といったプロセスから成り立ち、他者を助けよう、あるいは他者と分かち合いたいという強力への動機の基礎となっていると言います。
これらの考え方のなかには、私たちがブログでも何度も取り上げている、ホモサピエンスの生存戦略が功を奏し、誕生以来生き延び、遺伝子をつないできたキーワードが使われています。「協力」「共有」「助けよう」「分かち合いたい」これらが、ヒトという種が特徴ある文化を形成してきたことにつながるのです。
このようなものは、社会制度においてだけでなく、ヒトに見られる超協力的傾向は、文化的歯止めにおいても、重要な役目を果たしていると言います。文化的歯止めに関わる最も基礎的なプロセスが模倣による学習であることも、模倣による学習の本質は、協力的と言うよりは、むしろ搾取的であることも確かであるといいます。ヒトは、長い間、模倣による学習をきわめて忠実に採用してきたと言われています。しかし、これらに加えて、協力における二つの根本的なプロセスもまた、ヒトの文化的歯止めに不可欠であると言います。
これらの考察は、私たちは園で子どもたちの姿から感じることがあります。また、協力とか助け合うという姿だけでなく、教えよう、援助しようとする姿も観察することができます。それは、紹介した職員の観察ではありませんが、相手のためにしてあげるという意識は、本人は持っていない気がします。しかし、ヒトは、様々なことを積極的に教えようとします。しかも、その教える対象者は、近親者だけに限定しません。教えるとは、援助しようという動機に基づく利他的行動の一つであり、別の個体が使用するための情報を贈与することであるとマイケルは言います。
この教えようとしているような行為は、ヒト以外の数種でも、見ることができますが、その多くは、単一の行動を実子に対して行なう行為に限られるようです。ヒト以外の霊長類における積極的な教授行動を、体系的に、実例を重ねて確認した報告はないそうです。
ヒトの特徴として「教える」という行為も、「助けよう」「分かち合いたい」というヒト独特の文化であるようです。いろいろと考えていることとリンクしてきますね。