自他

 コメントにもありましたが、私たちは早くからミラーニューロンの発見に感動し、その働きに注目してきました。それは、現在の若者に見られる共感力のなさや、人の痛みを感じる力の欠如がこのミラーニューロンの発達に関係しているのではないかと思っていました。そして、そのミラーニューロンについてよく知ったのは、ミラーニューロンを発見したジャコモ・リゾラッティとも親交があり、リゾラッティがサルによって発見したことを、人間のミラーニューロンに関した共同研究を行っているマルコ・イアコボーニの著書である「ミラーニューロンの発見」という2009年に刊行された本によります。

 藤井さんは、この発見を賞賛し、支持しているとしつつ、リゾラッティらのグループのようにミラーニューロンをミラーシステムというブラックボックスに閉じ込めるのではなく、脳内に比較的普遍的にあるシステムの一断面ととらえようとしています。それは、ミラーニューロンの持つ、他者の行動意図を自動的に理解してくれるという特性を、ミラーモジュールという特別なモジュール機能が表現している特別な情報機能と考えるか、それとも単なるネットワークの中で共有される一つの情報に過ぎないと考えるかの違いだと言っています。彼は、高次機能のほとんどが、複数の脳領域がつながるネットワークの中で、柔軟かつ動的に実現されているという考え方であるというのです。

 すなわち、私が最近考えている対人スキルという機能は、相手の気持ちを読み取り、予測し、その動機を感じる力ですが、それは、超能力者や占い師のように自動的に分かってしまうものはないということのようです。と言うことで、他者の運動の認知と、意図の理解という二つの機能を一つのシステムとして理解せず、別の物としようと言います。

 他者もしくは他の生物を見つけられる感覚は、きわめて鋭敏で、機械でまねをしようとしても結構難しいことのようです。たとえば、伝統芸能の保存の目的で、日本舞踊や能の名人の動きを記録して、それをロボットが表面上の動きを完璧に再現しているようでも、名人の動きの本質は計測機械とロボットの性能を超えた、もっと微細な領域にあるのです。そして、私たちが、それを特に訓練なして違和感として感じ分けることができるのは面白いところだと藤井さんは言います。そして、この違和感というものが、私たちの生活の中で非常に大きな要素となっていることは、あまり神経科学では問題にされないようです。

 では、ヒトは、自分と他人の違いを普段から意識したことがあるでしょうか?その意識は、当たり前のようですが、脳にとっては本当に当たり前かと藤井さんは問うています。それは、そうでもないからです。私たちの脳は、自分自身の動きと他者の動きを区別することがあまり上手ではないそうです。もちろん、ほとんどの人は自分を間違えることはあルはずはないと思っていますが、実は、簡単な心理実験でそれは崩れてしまうそうです。

 人の身体感覚があまり当てにならないことを表す有名な実験に、ラバーハンド実験というものがあるそうです。ボトヴィニックとコーエンの実験とも呼ばれる実験ですが、この実験を実際にやってみると面白いかもしれません。まず、テーブルの上に実験参加者の左手を置き、スクリーンで遮蔽して見えないようにし、目の前の見える場所に実物大のラバーハンド(マネキンの腕)を置きます。参加者の視点をラバーハンド上に固定した状態で、左手とラバーハンドを10分間絵筆で同時になでます。すると、絵筆でなでられている感覚を、ラバーハンドのある位置に感じるのです。これは、「触覚の位置の錯覚」と呼ばれます。そのうちに、ラバーハンドが自分の手であると感じます。これを「身体保持感の錯覚」と言います。自分が自分であると感じる感じ方は非常に曖昧なようです。

自他” への16件のコメント

  1. 最近よく見かけるようになったアンドロイドロボットを科学未来館で実際に見る機会がありました。確かに見た目は本物の人間にそっくりなのですが、やはりすぐにロボットだと分かります。人間に似ているそのロボットから違和感を感じますし、ちょっとした怖さのようなものも感じました。ロボットと人の見分けは容易ですが、自分と他者ではそうでもないという話はなんだかまだよく分からないことも多いですが、おもしろいなと感じます。とある方が「自分なんてものはない」ということをよく仰られていますが、そんなこととつながるのかな?と想像して、ちょっとワクワクもしていたりします。相手と向き合った時の自分は自分が中心ではなく、相手によっていくらでも変化するということで、明確な自分というのは気にしないのかもしれませんね(まだ整理できていません)。身体感覚の実験はおもしろうですね。そういえばちょっと違うかもしれませんが、小さい頃によくやっていた遊びに両手の手のひらを上向きにして、両手の指を組ませて、絡ませて(いろいろな方向に向けて)、どれがどの指がよく分からないようにして、次は意識して「右手の中指を動かそう」と思うと、目でどれが自分の右手の中指かよく分からないので、うまく動かせないという遊びをしていました。子ども心に不思議だなと思っていたのですが、今やっても動かすまでに時間がかかるのでおもしろいです。

  2. ラバーハンド実験はなかなか面白そうなのでやってみたいと思ったのですが、ラバーハンドの代わりになりそうなものが見つかりません。要らなくなったマネキンがないか、アンテナを張り巡らせておこうと思います。
    いかにして他者の行動を読み取るかですが、言われてみれば自動的に読み取っているわけではないかもしれません。様々な認識を組み合わせることで理解につなげているという認識で、もう一度捉え直しをしてみます。そしてその理解を助けるものとして出てきた違和感についても同じです。違和感はいろんな場面で感じるものですが、あえてその違和感を取り上げることをしなければ、その感度は鈍ってしまう体験をしています。違和感を「そういうものだ」と流してしまうことを繰り返していると、些細な変化にも気づきにくくなってしまいます。気をつけなければいけないことだと思っています。

  3. ラバーハンド実験によって「自分が自分であると感じる感じ方は非常に曖昧なよう」であるということは、自分が自分であるという区別がつかないこともあるろいうことであり、他者が自分であると感じたり、自分が他者であると感じる機会が、生活のどこかに実は潜んでいるということでしょうか。しかし、他人の行動を見て、どこか違和感を感じる時というのは、“自分だったらこう動く”、“あの人だったらこう動く”などと想像しながら相手を見ている時ということであり、その想像と異なる動きをしたため、違和感を感じているのかもしれないとも感じました。ミラーニューロンのような「高次機能のほとんどが、複数の脳領域がつながるネットワークの中で、柔軟かつ動的に実現されているという考え方」があるとのことで、脳のこの場で起きているといった明確なものではなく、複数の機能同士が交わる過程において、そのような反応が現れると理解しています。私たちが感じる“違和感”も、一つの情報や経験によって感じるものではなく、複数の情報や多様な経験による蓄積があって初めて、感じることができるものなのかもしれないと思いました。

  4.  「触覚の位置の錯覚」や「身体保持感の錯覚」など、初めて触れるとても興味深い言葉が出てきました。精密さと曖昧さが人間の脳の中で同居している点など、ますます脳の仕組みの面白さは深まるばかりだなぁと、脳の力に感心してしまいます。
     先日街を歩いていて自分にすごくよく似た人影を見ました。結果それは自分だったのですが(笑)鏡が何枚か合わさって、まるで自分がその鏡に映っているとは思えず、自分が街の人混みの中にいることを客観的にみることができたるような、そんな映り方になっていました。瞬時に自分と似ているなと判断したのは、自分の顔よりも、着ている服や、歩いている雰囲気からでした。毎日自分の顔を鏡で見ますが、自分の顔を意識しているのは、家族や職場の人など、自分のことを見てくれている人よりも少ない時間かもしれません。〝私たちの脳は、自分自身の動きと他者の動きを区別することがあまり上手ではない〟ということを受けて、なるほどなぁと思います。

  5. ゛他者もしくは他の生物を見つけられる感覚゛というのは、気配を感じたり、嗅覚のようなものもあるのでしょうか。目には見ないもっと内面的なもの、機械でどんなに表面上の動きを完璧に真似できても、その本質にあるものまでは辿り着けない、やはり、他者との関係性が生きものという心をもっているものに関わってくるのだと思います。
    ラバーハンド実験、゛自分が自分であると感じる感じ方は非常に曖昧゛゛私たちの脳は、自分自身の動きと他者の動きを区別することがあまり上手ではない ゛というところから、自分自身の感覚を相手と同じように感じる、人の心がわかるなど、他者の痛みや感じているもの、痛そうにしていると何でか、自分自身も痛い気持ちになる、ということを文章を読んでいると感じ、共感できる能力というのを考え、他者と自分自身の動きを区別することができないことがかえって、他者理解へ繋がるような気がします。

  6. 「自分自身の動きと他者の動きを区別することがあまり上手ではない」という点から今回の「自他」ということを考えてみました。いつものごとく検討外れな見解かもしれませんが、他者の痛みに共感してしまうことがあります。あるいは、他者のことなのに恰も自分に起こったように感じてしまうことがあります。本を読んだり映画を観たりあるいは夢を見たりする中で、他者の心情や動きを自分のことと「錯覚」してしまうことがあります。こうして振り返ると、何だかおもしろいですね。自分の事ではないからほっとおけばいいのに、まるで自分の事のように思い込んでしまう。これも行きすぎるとおかしな精神状態を招いてしまいます。気をつけなければなりません。まぁ、我に返って、冷静に物事を観てみると、結局錯覚していることに気づきます。こうした感情移入、他者への思い入れがあるからこそ、私たちは他人のためにあれこれ考え、時に悩み、時に喜ぶのでしょう。私たちの存在とは実に不可思議ですね。ロボットはこの「不可思議」を真似できるのか?

  7. 人の身体感覚があまりあてにならないというのは意外でした。ラバーハンドの実験を想像してしてみて間違えることはないだろうと思ってしまいましたが、実際にはそうではないのでしょうね。人の動きを完全にコピーしているはずのロボットの動きに対して違和感をもつなど、様々なことを敏感に感じることができる能力を備えているのにもかかわらず、自分が自分であると感じる感じ方が曖昧だというのはある意味面白いことですね。もしかするとそれは身体的な感覚だけでなく、考え方や物事の捉え方に対しても同じようなことがいえるのではないでしょうか。自分の意思で行動しているはずなのに、実際には他者の考え方に乗っているだけだと気付かず、それがあたかも自分の意思だと錯覚してしまっていることもあるのではないでしょうか。身体だけでなく、考え方においても「自分」というものを感じ、持ち続けるということは案外難しいことなのかもしれないと感じました。

  8. ラバーハンド実験の実験は面白そうです。機会があったら是非やってみたいと思います。今回気になったのが「日本舞踊や能の名人の動きを記録して、それをロボットが表面上の動きを完璧に再現しているようでも、名人の動きの本質は計測機械とロボットの性能を超えた、もっと微細な領域」というところです。これだけ、ロボットの研究が進み、身近にロボットと触れ合う機会が増えている時代でも、人間の持つ動きを再現できないとは驚きます。それなに、実験のように間違った感覚をしてしまうとう人間の脳はとても不思議ですね。

  9. 自分と他者との区別が曖昧である、と書かれてありましたが、そのようなことをあまり意識せずにいたような気がしました。
    ですが、考えてみるとゲームの中の登場人物に自分を投影して一喜一憂したり、映画の登場人物に自分と重なる部分を見つけ、まるで自分のことのように思ってしまったりすることは今までの自分にもありました。
    ロボットの例がありましたが、例えば、同じ歌手がステージで歌っているのと、カラオケで歌っているのとでは聞いている人はどんな違いを感じることができるのでしょうか?多分、ロボットの例と同じように感じると思います。
    感じることができる違和感、この気持ちや感情が人間にとって生活の中でとても大切であるということ、うなづけますね。

  10. ラバーハンド実験は、自分も実験参加者として体験してみたいものです。「自分が自分であると感じる感じ方は非常に曖昧」とありましたが、逆に他人を自分に置き換えて感じることは、自分の感覚上ですが、長けているように感じました。私はサッカーが好きでよくテレビ越しに代表戦などの試合を観るのですが、いつの間にかカメラが追う選手を自分に置き換えて観てしまいます。チャージを受けたときや怪我がしてしまうシーンでは、恥ずかしながら「いてっ」と声が漏れたりも… ラバーハンド実験により発覚した「触覚の位置の錯覚」はこのことにも言えるのかなと勝手に考えています。
    名人の動きの本質は計測機械とロボットの性能を超えた、もっと微細な領域にあるとありました。ここからも科学がどれほど進歩しても越えられない人間独自の能力があると感じました。それは意図であったり、思いやりであったりと、ロボットにはなく、人間にはある「心の理論」が科学には越えられない壁を生み出せているとも思いました。

  11. 伝統芸能などをロボットが完璧にやったとしても人間の微細な動きまで表現できないあたりには人間の第六感的な所を感じます。名人の動きの本質というのは培ってきたものと人間の持つ気持ちというのも表現されるのではないかとも思えました。またそのロボットがやることでそれを違和感と感じられるのもそれは人間ならではなのでしょうね。違和感に対してこれには気持ちがこもっていないや、ドキドキ感のようなものが自然と伝わるのでしょうか。違和感を感じる人間の鋭さに驚きますね。ラバーハンド実験というのは実に試してみたい実験であります。両手の人差し指と中指を交差させて指同士を触れさせることで少し違和感を感じることがあります。こんな感じにも似ているのでしょうか…。自分が自分であると感じる感じ方の曖昧さというのになぜか面白さを感じます。ただ面白さを感じますがまだまだ理解が不十分であるように感じています。

  12. ラバーハンドの実験を試そうと思ったのですが、冷静に考えてゴムの手に代わるものなど、そうそうになくあきらめました。ですが、戦争を経験した人の話か何かで、失った腕の感覚がそのまま残っていたり、痛みを感じたりするということがあったので、やはり人の身体感覚はあやふやなところもあり、間違いもあるのですね。自分の感覚さえ間違えてしまうのに、他者の感覚をどう理解していくか。私は、他者の考えを考えるとき、やはり自分の考えをベース、鏡にして考えることが多く、そのあたりをどうするかが対人スキルの良しあしにもかかわってくるのでしょうね。自分の感覚も間違えがあること、まずはそこからしっかりと認識していきたいと思います。

  13. 先生のおっしゃる対人スキルとは、相手の気持ちを読み取り、予測し、その動機を感じる力で、それは、超能力や占い師のように自動的にわかってしまうものはないということは、その通りだと思います。その読み取る力はミラーニューロンの持つ特性なのだろうし、読み取ることの出来ない人はミラーニューロンの萎縮している人なのだと思います。
    伝統芸能を保存する目的で、ロボットに動きをインプットして再現させても、名人の動きの本質は超えることができないとあります。さらに、それを素人の私たちでも違和感を覚えるというのも驚きです。何か感じるものがあるのでしょうか。

  14. よく妻との会話で息子が鏡を見ながら一人で「ばぁ」と遊んでいる姿を見て「いつ頃、自分を理解するんでろうね」と話します。おそらく発達で見ると自分と他人を理解していると思いますが、最初の頃は不思議でならなかったでしょうね。大人になると自分と他人を区別するのは簡単なことかもしれませんが、ブログに書かれている「ラバーハンド実験」面白そうですね。ラバーハンド実験ではないですが、最近はホラー映画をあまり放送しなくなりましたが、私が小さい頃は「13日の金曜日」「エイリアン」などグロテスクな映像が流れる映画を見るのが怖かったのを今でも鮮明に覚えています。怖いというよりも、自分と重ねて見てしまい、当時の自分の頭の中では処理ができないほどの衝撃だったのでしょうね。ブログの内容と離れてしまいましたが、藤森先生が言われるように、私たちは自分と他人を理解するのはかなり簡単であり、当たり前のように思っていまっすが、その当たり前が大きな落とし穴なのかもしれません。ラバーハンド実験のように簡単な実験で簡単に自分という感覚と失ってしまいます。人間の脳の仕組み、改めて難しく、不思議でいっぱいですね。

  15. 「伝統芸能をロボットが表面上の動きを完璧に再現しているようでも、名人の動きの本質は計測機械とロボットの性能を超えた、もっと微細な領域」とありましたが、とてもわかりやすいですね。いくら完璧な動きをプログラムしてたとしても、私たちが観ているのは動きだけではなく、もっと感覚的なところがあるからこそ違和感を感じてしまうとすると、観ているときにダークセンス的な部分が働いているのかもしれませんね。ふと思ったのは、「料理」にも同じ事が言えるような気がします。特に懐石料理は、その空間や使う器一つ一つにもてなしの意味が込められていて、それを食べる側が感じることで素晴らしい料理となるのではないでしょうか。

  16. 確かにいくらロボットの行動を見ていても、どこかで違和感を感じることはありますね。最近携帯で「siri」という機能がありますが、その反応にとても驚くことがありました。普通に会話になります。しかし、どこか味気ないように思います。その「味気なさ」が人とロボットの差なのかもしれません。それは仮にしっかりと受け答えができたとしても、こういった微細な感覚や違和感でわかってしまうのかもしれません。また、ラバーハンド実験という実験があるんですね。目や感覚など人の持っている感覚というものは非常に曖昧というのは「錯覚」を体験すると感じます。自分ということを認識するのはどういったところから感じるんでしょうね。そう考えると不思議です。

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