模倣の進化4

チンパンジーもヒトも 新生児期にはある程度の模倣能力を持っているのに、ヒトだけが模倣能力をぐんと発達させていきます。それは、周囲の大人が無意識に子どもに模倣させるような育て方をしているからだと明和政子さんは言います。

それは、ヒトの大人、特にお母さんは、おせっ かいと言っていいくらい積極的に子どもに関わります。子どもの気持ちを勝手に解釈して声を掛け、「一緒にやってみようね」「こうするのよ」と同じことをやらせますよね。できたら「すごいすごい」「できたね」と大げさ に褒めます。このような行為を、私たちはこれを意識せずにやって見せているというのです。明和さんは、「これが実はすごく大事で、こうしたおせっかいな環境なしに模倣の能力は育たないだろうと思うのです。」と言っています。

明和さんは、「おせっかいな環境」と少し面白く表現していますが、実は、積極的な関わり方をヒトはするのです。それに対してチンパンジーは、しないようです。こんな例を挙げています。「大人のチンパンジーが硬い木の実を石で割っていると、子どものチンパンジーがやってみたそうに覗きこんできます。こういう場合、私達ならたぶん“やってみる?”と言ったり、手をとってやり方を教えたりするでしょう。しかし、チンパンジーの大人は子どもにそのような態度をみせません。“見ていてもいいよ、じゃましてもいいよ、でも一人でやってごらん”というのが、チンパンジーの育て方なんですね。」

大人から積極的に教育を受けずに、自分で試行錯誤することで学ぶのが、チンパンジーの子どもが育つ環境だというのです。しかし、これらの例を読むと心配になることがあります。たとえば、大人のやっていることをのぞき込んでいる子どもに、「やってみる?」と言わないで、「邪魔だから向こうに行ってなさい!」と言ったり、「危ないからあなたはやってはだめ!」と子どもにはやらせないとしたら、チンパンジーよりもひどい環境になってしまわないかと心配になります。しかも、チンパンジーは、自分で試行錯誤させることで学ぶように親は仕向けるのですが、それもさせないとしたら、どうなのでしょうか?発達を促す環境とは、なにも周りに用意するものであるだけではなく、関わり方も発達に影響する環境なのです。

ヒトは、他人の模倣をすることによってコミュニケーションを円滑に行うようになります。それは、生きていくために欠かせないものです。その模倣は、言語による情報伝達を獲得するまえに、自分の心と他者の心をしっかりと重ね合わせることによる情報伝達の手段だったようです。その模倣には、少し前のブログで取り上げた「同時性」という要素があるのです。では、最も同時性があるであろう、鏡に映る自分の顔に対する反応はどう作用するのでしょうか?鏡の中の自分が自分であると感じるのは、実は非常に高度な認知機能が必要であると、「ソーシャルブレイン入門」を書いた藤井直敬さんは言っています。そして、この自己認知能力を獲得するには、3~4歳まで待つ必要があるといっています。この考え方は、多くの研究者が述べているところですが、私は、この部分に疑問を持っているのです。

研究者たちの根拠に、有名な「口紅実験」とか「マークテスト」などがあります。そして、これらのテストは、ヒトの場合、ある程度の年齢以上でなければパスできないということから認知機能の獲得の年齢が考えられています。しかし、私は、実際に子どもを観察していると、認知しているかどうかではなく、認知しているという行動を起こすのが34歳頃だと思うのです。

模倣の進化4” への16件のコメント

  1. 無意識に子どもに模倣させるような育て方は、おせっかいな環境という積極的な関わり方からきているのですね。何かをしている時に子どもが近くにやってきてじっとその作業を見ているのを見ると、私たちは「きっと、やりたいんだろうな」とその子の思いを想像することがあると思います。自分だったらやってみたくなるだろうなとも思ったりしますが、その考え方もミラーニューロンの力でもあるのかもしれませんね。チンパンジーよりもひどい環境とありました。これは気をつけないといけませんね。興味を持ったことに関して、「邪魔だから向こうへ行ってなさい」というように関わるのではなく、少しでも何かできることがないか考え、子どもに提案できるような関わり方で常にいたいなと思いました。子どもからしたら、「やらしてくれないようなことを近くでしないでよ」とも言いたくなるかもしれませんね。鏡の実験における藤森先生の「認知しているかどうかではなく、認知しているという行動を起こすのが3~4歳頃だと思うのです」という考え方にはハッとさせられました。これに似たようなことはいろいろありそうです。実際の子どもたちの姿を見ずに、「◯◯だから」ということに当てはめて実際を見てしまうと誤った捉え方をしてしまいそうです。

  2. 「大きくなったら保育士さんになりたいです。」と卒園式の時に表明する卒園児は「保育士」のどういう姿に興味関心好奇心を抱き、将来の夢、自分が将来なりたい姿に設定したのでしょうか。もし保育士さんが子どもたちに大きな声で指示ばかりしていたり怒鳴ってばかりいたり、あるいは楽しくなさそうにしていたりしていたら、果たして将来自分がやってみたいことに選ぶでしょうか。子どもの興味関心はそのことによって何か楽しくなりそうな、あるいは生きがいやりがいに繋がると無意識に思えるような、そんな対象に向けられるのでしょう。卒園児が「保育士になりたい」と言う際「保育士って楽しいよ」と先生から言われたことがきっかけになっているのでしょうか。おそらくそう言われたからではなく先生の「関わり方」に魅力を感じたからでしょうね。教育だ指導だ、と言う前に私たちは子どもたちに魅力的なモデルとして存在することが大切なんだと思います。そして私たち大人は自分の喜怒哀楽をバランスよく意識しながらこどもの前に存在しなければならないのだろうと思いました。

  3. たしかに、ヒトの大人はおせっかいが多いですね。(笑)おせっかいと言うと、なんか良いイメージではないですが、明和さんの独自の言い回しで、積極的に関わる様子のことだというのは面白いです。
    何か大人がやっていると、子どもは必ずと言っていい程、何やってるの?と興味を抱きます。私も、保育園で作業していると、子どもが見に来ます。これを、寄せ付けなかったり、見せないと、先生がおっしゃるように、チンパンジーよりもひどい環境になってしまいますね。興味を持ったり、何してるのか聞いてきたりしたのを、しっかり受容して、見せたり、やらせてあげることが大切だというのを改めて感じました。
    明日から新年度です。これを機に、見直してみようと思います。

  4. ゛周囲の大人が無意識に子どもに模倣させるような育て方をしている゛と文章にあるのを見て、やはり、子どもへ関わりを持とうとしているのは大人であり、そして、より、深い関わりを持つのは母親ということは納得します。
    単なるおせっかいではなく、模倣をする一つの環境として、必要なものならば、これは重要なものだと思っておかなければならないと思います。この模倣から受ける刺激がミラーニューロンへの働きかけのような気がします。
    保育者は、配慮や援助、外的環境からの呼び掛けから保育をするのではなく、人的環境として、言葉かけや関わりを持つことは日々、忘れてはならないものだと思います。
    模倣を促せるような、自然に模倣できる場というものは、人から作っていくこの事は、職員間で、共有し、行動に移していかなければならないことだと思います。

  5. 正直、保育園にいて感じるのが、保育者や子どもの親、そして祖父母などが子どもと関わっている姿を見て「おおげさだなぁ」と感じることが多くあります。そこまでしなくても…と思ってしまうのですが、実はその行為が「模倣」に対して重要な役割を担っていたということが理解できました。本文では、それを「おせっかい」と表現していましたが、その「おせっかい」もまた、人間たらしめるものであるということだと思いました。むしろその「おせっかい」がなければ、「サル」と似たような感じでもあるわけで、人がいかに遺伝子レベルで「模倣」を行うように組み込まれ、そして、それに必要な「おせっかい」も、当たり前のようにできる人や環境が揃っているということのすごさを感じています。

  6. 人の大人の関わり方とチンパンジーの関わり方を比べてみて、人がコレをしてしまうと問題なのではないかという関わりを指摘されてハッとしました。このように子育てであるとか保育者の役割であるとかを見付けていくことができるんですね。何かの情報を得たとき、問題意識を持っているかどうかでそこから得られるものが大きく変わってくるんだと、あらためて学ばせてもらいました。子どもたちに必要な力は社会の中で他者とともに生きていく力です。模倣はそのためのものであると考えると、子どもたちが頻繁に見せる模倣する姿はとても大切で、それこそを私たちは促していかなければいけません。前にも書かれていましたが、真似ることに対してのネガティブな評価が一般的にはまだまだあると思います。その辺も評価を変えてもらえるくらいに模倣の重要性を伝えていくことも必要なのかもしれません。

  7. 「積極的な関わり方=おせっかい」言い方によってこれほど感じ方が変わるのですね。しかし、おせっかいも人間特有の関係づくりと考えると悪いイメージはなくなります。逆にそのことが模倣の能力を向上させるとなると人間は自然とそのような行動するものなのですね。それにしても、「邪魔だから向こうに行ってなさい!」「危ないからあなたはやってはだめ!」という関わりが当たり前になってしまうと怖いことです。もともと持っている能力をあえて封じ込めているような気がします。新年度、関わり方について改めて考えた部分でした。

  8. 自分でも『今のはちょっと大げさだったかな』と思うことが家でも保育園でもよくあります。
    しかし、子どもたちはそんな自分を見て喜んでくれたり、まねしたりしてくれているので『まぁいっか』と思っています。
    子どもたちにとっては人的環境である自分たち大人は、人らしいこの〝おせっかい〟な関わりを普通に行うことが子どもの発達に影響していくということを改めて考えました。
    言葉かけ一つで子どもの発達を阻害してしまわないよう気をつけなければなりませんね。

  9. 「おせっかいな環境」=積極的な関わり方という明和さん独特の面白い表現ですね。私自身、自分の親からの関わりで、何度も「おせっかいだな…」と思ったことがありましたが、それが模倣する環境を構成する上で大事なことであったのですね。人とチンパンジーの親子の関わり方の比較を読んで思ったのが、子どもが興味を抱いた事柄に関して、「一緒にやってみよう!」と発展させることが大切なのだと思いました。藤森先生のお話でも職員の提案に対して藤森先生が「一緒にやってみよう!」と逆提案してくださるお話を思い出しました。1人で取り組まなければいけない状況はもちろんありますが、出来るだけ仲間と一緒に取り組むことで、お互いの姿を模倣したりして、お互いの長所・短所に気付けたりと理解や学びを広げていけるのだと思いました。環境として、周りに用意するものであるだけではなく、関わり方も発達に影響する環境なのだということがよくわかりました。

  10. おせっかいという表現は割と良いイメージではありませんでしたが本文を読んでいくことでそのおせっかいという部分は人間ならではの行動で良いイメージを持てるようになりました。幼い頃感じていたのは祖母のおせっかいぶりです。あれこれ教えてくれる様はある意味伝統でもあるのではないかとも感じます。それが代々引き継がれ人間というヒトが存在しているのではないでしょうか。「関わり方も発達に影響する環境」というのはチンパンジーのように見れる環境さえも与えないことを想像するとチンパンジーよりも発達できないということになりますね。やってみる?と自然と模倣させる環境の大事さを改めて感じます。日々、子どもたちの前に立っている私たちですので、当然ではありますがそういった子どもたちの気持ちに寄り添い、関わり方の環境というのも意識する必要があることを再確認させてもらっています。

  11. 言われてみれば私も我が子にブログに書いてあるような言葉を掛けていますね。冷静になってみ自分の言動を振り替えると確かに模倣を促しています。「おせっかいな環境」面白い表現ですね、家庭環境によりますが、自宅では重要な言葉掛けになります。逆に保育園では大人ではなく目の前にいる自分よりも少し発達が進んでいる友人を見て模倣ができる環境が重要になってきます。それなのに保育園でも大人と一対一で過ごしていては1日大人と過ごすことになってしまい、逆にコミュニケーションが不足になる気がします。そう考えると保育園としての役割は自然と見えてきますね。よく私が掃除でも何でも子どもが普段見ないような作業や出来ない作業をしている時に「何やってんの??」と聞いてきます。危ない作業の場合はお部屋に入っていなさい。とつい言ってしまいます。そうではなく、子ども達に色々な姿をあえて見せる、このちょっとした自分の心の余裕が私にはまだ足りないところかもしれません。

  12. おせっかいな環境があるからこそ、人の模倣する能力が育つというのは面白いですね。度が過ぎるぐらいのおせっかいな人も時折見かけますが、そういった人が実は積極的に関わりを持とうとしていると思うと、見方も少し変わってきそうです。また「発達を促す環境とは、なにも周りに用意するものであるだけではなく、関わり方も発達に影響する環境なのです」という一文を読んでハッとさせられました。子どもが自ら働きかける環境を用意することも当然必要なことですが、人との関わり方次第で発達にも大きな影響を与えるということを意識しなければなりませんね。発達における環境がどのようなものなのか、再認識するきっかけとなりました。

  13. 〝おせっかいな環境〟という興味深い言葉が出てきました。以前、藤森先生の著書の中で、立って歩く赤ちゃんを「がんばれ!」と応援したり、褒めたり励ましたりする日本の保育者を見て、「あんなことをしたら赤ちゃんが立ったり歩いたりしなければいけないんだと思ってしまう」と見学に来ていたドイツの保育者が仰っていたということが書かれていたことを思い出します。子どもの自発性を尊重する為に、大人の介入をなるべく避けようとする心の表れなのかと思う部分があります。僕はそのことがずっと気になっていたのですが、この度のブログで少し解決したような気持ちになりました。
     国による独自性という言葉でくくれるものでもなく、ドイツの保育を批判したりすることでも全くないのですが、僕はこの〝おせっかいな環境〟が子どもの模倣を育んでいくのなら、子どもが歩く姿を見て応援したり、褒めたり励ましたりすることは良いことだと思います。藤森先生の仰るように〝「邪魔だから向こうに行ってなさい!」と言ったり、「危ないからあなたはやってはだめ!」と子どもにはやらせないとしたら、チンパンジーよりもひどい環境になってしまわないかと心配〟になると同時に、何かよくないと思われること、よくないとされていることを子どもがした時に、大人がそれを叱ったり怒ったりすることで、子どもが大人に褒められるようなことしかしなくなる、それがよくないのではないかと思うのです。
      〝親は子どもより20年遅れている〟と言います。大人は子どもの成長についていけない程に子どもは成長して、時代によって進化している、と思います。大人はその20年分の刷り込みをどんどんなくす努力=時代に合わせて自己を向上する努力、をして子どもの成長に追いついていかなくては、と思います。

  14. 「口紅実験」と「マークテスト」。どんなものかと思い調べてみたのですが面白いですね。確かに自己認知能力があれば、鏡に映っている自分ではなく、鏡を見て自分の異変に気づき、自分のほほを触ったりするでしょうね。
    パッと見ただけでは、人は子供におせっかいをやき、チンパンジーのほうが子どもに自由にやらせている印象を受けましたが、ただ自由にやらせているだけでは、放置放置といった感じにもなってしまうのでしょうね。おせっかいすぎず、何もやらせないわけでもなく、程よい子供との距離感が、子供の模倣する気持ちを育て、そこからの成長へとつながっていくのですね。

  15. 明和さんのいう「おせっかいな環境」イコール「積極的に関わる」という事はヒトにとってはとても大切な事だったのですね。保育園のお迎えの時によく「そこから出ちゃダメ」「走っちゃダメ」なんていうお母さんたちの声がて僕自身も一瞬ドキッとしていますが、確かに小さい子が階段付近でうろうろしたり、急に路上へ出るのは危ないですが、と書きながら疑問に思ったのは、お母さんの声はとてもよく聞くのにお父さんの声はそんなに聞こないのは、単にお迎えなどに来る割合的にお母さんの方が多いからなのでしょうか。と話がズレてしまいましたが、「おせっかいな環境なしに模倣の能力は育たない」という言葉は覚えておいた方がよさそうですね。また、「邪魔だから向こうに行ってなさい!」と言ったり、「危ないからあなたはやってはだめ!」という言葉はついつい言ってしまいそうな気もしますが、気を付けようと思います。

  16. 「おせっかい」の捉え方が変わりました。どうしても、「おせっかい」というと「過干渉」と同意義に感じていましたが、そうではなく、積極的な関わりというとその「おせっかい」といった関わりの意味合いが変わってきますね。よく保育をしていると保育者はきっかけ作りをすることが仕事といわれることがありました。そのきっかけは子どもたちに教えることではなく、やらせるものではなく、模倣したくなるように見せることなのではないかと思っていました。そして、それを子どもたちが模倣し、実験できるように環境を用意すること、その中でルールなどを伝えることも時には必要だと思います。そのため、「やってはいけないこと」や「あぶない」からといって止めるなど関わり方や環境構成のあり方も考えていかなければいけませんね。よく藤森先生の講演でも「危ないものを止めるのではなく、そんなものを置いている大人が悪い、子どもはやってみたい、さわってみたいと思うのだから」という話がたびたび出てきます。どう環境を作ったら良いのか、どう関わっていくことを考えたら良いのか。改めて環境のあり方を考えさせられます。

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