模倣の進化

 赤ちゃんがヒトのまねをするという発達についての研究があります。この研究の経緯を見ると、いつ頃からするようになるかということが最初はテーマだったような気がします。そして、その模倣は、人類にとってどのような意味を持っていたか、他の生き物でも模倣をするかなども併せて研究されてきました。

 そのなかで、最近分かってきていることは、生まれたばかりの赤ちゃんでも、すでに他人の表情を模倣する能力をもっているということです。自分には舌があり、どこをどう動かせば舌が出るのかということは分からないはずの赤ちゃんが、目の前でゆっくりと舌を出してみせると、同じように舌を出し、口を開けてみせればやはり口を開けるということが分かっています。しかも、その赤ちゃんは新生児頃から模倣をするのです。

 ただし、この模倣は「新生児模倣」と呼ばれ、生後6-8週ほどで消えてしまいます。その後、生後812ヵ月ぐらいから赤ちゃんは再びまねをし始めます。この頃になると、大人のまねをして「おつむてんてん」や「ちょちちょち あわわ」などをやり始めます。しかし、同じ模倣と言っても、新生児のころとはまったく質が違います。まねをしながら楽しそうに声を出し、笑顔が見られます。それは、お互いの気持ちが共感し合い、重なり合ったコミュニケーションになっているのです。こうした模倣が、自然発生的に出てくるのはヒトだけだそうです。

 たとえば、よく「猿真似」ということがありますが、サルの中で優れた知能を持ったチンパンジーでさえ、まったく真似をしないわけではありませんが、とても苦手です。とくに、意味のない行為の真似は、その行為が簡単なものであってもほとんどしません。京都大学霊長類研究所で言葉や数を憶えたボルボというチンパンジーは、瞬間的な記憶能力は人間より優れていますが、そのチンパンジーでさえ模倣するのは苦手だそうです。

 しかし、生まれたばかりのチンパンジーには、ヒトと同じように新生児模倣が見られることが分かっています。これは、自力で母親にしがみつくことができないヒトとチンパンジーの赤ちゃんが、母親の注意を引きつけておこうとして行う、生まれつき備わった能力ではないかと考えられています。母親と生まれてすぐの赤ちゃんのコミュニケーションにおいて、模倣は大切な役割を果たしているのです。しかし、チンパンジーにおける模倣は、ヒトと違って、その後再度行われることはほとんどないそうです。

 では、この模倣は、どのように進化してきたのでしょうか?サルと人類が同じ祖先を持ちながら、どこで分かれてきたのでしょうか?現在の研究では、模倣は、われわれヒトの祖先がチンパンジーの祖先と枝分かれした後、およそ500万年前に比較的に獲得してきた、ことばに匹敵するほど重要な能力であるということが分かっています。

 ではなぜヒトは身ぶりを模倣できるようになったのでしょうか。ヒトは、社会を形成し、そこで助け合い、協力して生きてきました。当然、そのためには他者とのコミュニケーションが大切になってきます。その際、言葉だけに頼るのでなく、他者の身ぶりを頻繁に模倣し、また同時に模倣されていることに気付きます。他者の身体の動きに注目した模倣は、他者と同じ経験を忠実に繰り返すことを可能になっていきます。その結果、自分の心と他者の心をしっかりと重ね合わせることができ、他者がなにを考えているのか、何を意図しているのか、といった心的状態を、他者の行為を観察するだけで読み取ることができるようになります。それが対人知性と呼ばれるスキルで、現在生きていく上で、最も大切な知性であるといわれています。これは、自分が属する社会のメンバーと円滑にコミュニケーションするうえで、欠くことのできない能力であるからです。

 

模倣の進化” への15件のコメント

  1. 模倣の話からは人と人とが繋がっているということを感じさせてくれるようでもあります。大人である私もやはり模倣をしています。憧れている人や尊敬する人の行動や考え方を自分も実践してみたくなりますし、実際にしています。そのようなこともやはり、模倣になるのでしょうか。そう考えると、私は多くの人のお陰で成り立っているように思えてきます。自分の行動はそんな周りの人からの影響であると思うと、人は本当の多くの人と繋がりながら、助けを受けながら生きているのだなと感じます。私と他者の境は紙一重であるようでもあります。「自分が属する社会のメンバーと円滑にコミュニケーションするうえで、欠くことのできない能力であるからです」とありました。同じ人間が集まった集団でも属する集団で考え方、価値観、行動が全く違うということがあると思います。それはもしかすると集団内で影響力のある人を自然と模倣するからかもしれません。その集団内での価値観に背いてしまうことは円滑なコミュニケーションに反することにもなります。だからこそ、模倣するのかもしれません。だとしたら、やはり大人である私たちはいい模倣の存在でなければならないと思います。

  2. 「対人知性」という単語が出てきました。共感力や心内知性とともに、「EQ(こころの知能指数)」を支える重要な部分であると認識しています。他者の心的状態を、他者の行動を観察しただけで読み取ることができる能力である「対人知性」には、まず相手の心と自分の心を重ね合わせることが必要とあったように、“相手を知ろう”とする動きがなくてはなりません。そのようなタイミングを見計らって、近くに子どもを置き、発達の異なる環境が観察できる、そんな環境を用意するべきであるということが読み取れます。また、そこでは相手を模倣するだけでなく、実は自分も模倣されているのだといったことを理解できる環境が重要であり、子ども同士が、互いに向かい合って模倣し合っている環境というのは、「現在生きていく上で、最も大切な知性」のもととなっているということで、私たちが重きを置かなくてはならない姿であることが感じられました。最近、0歳児クラスに入っています。そこでは、毎日「対人知性」が育まれているのですね。

  3. 模倣について、私自身も話を聞くなかで、とても興味があり、赤ちゃんの表情や目線をじっと見て、その時の目線の先には、笑ったり、表情がかわったときには、何が関係しているだろうと不思議に思うことがあります。模倣する方の反応を考えていましたが、模倣される側への影響はどのようなものがあるのでしょうか。やはり、文章にあるように、、゛お互いの気持ちが共感し合い、重なり合ったコミュニケーションになっている゛とあるように、相手との関係性、意思の疎通がより深まる、共感の真にある部分のようにも感じてしまいました。そして、生きる力として、助け合いや協力をするための、お互いの信頼関係にも必要な気がします。゛対人知性゛EQの大切さについては、私自身も日々、感じています。人との関わりの中で、育つ力、そして、他者との関わりがあってこそ育つもの、相手と関わることで相手の心を汲み取る力゛現在生きていく上で、最も大切な知性゛として、深めていかなければなりませんね。

  4. 社会集団の最小単位が夫婦あるいは家庭であるとするなら、この最小単位集団において最も顕著な行為の一つが「模倣」ということでしょう。私たち夫婦は何年一緒にいても違いばかりに注意を向けてしまうと私たちは思っていますが、傍から見るとどうも似たもの夫婦と捉えられるところがあります。家内が嫌なことは私もあまり好きにはなれなくなりました。そして何と言っても、息子、これはまさに模倣の産物、育てられたように育つ、ということで、結局、親の模倣により成長してきていることを考えると、何とも複雑な心境ですね。確かに、息子の仕草に自分との類似点を見出したり、家内とのそれを見つけ出したり、あぁ、模倣の産物、と思ってしまいます。ということで、社会の最小単位の家庭がこの通りですから、それよりも大きな集団においては、模倣し模倣される相関関係が存在し、その集団の色を決めているのかもしれません。「対人知性」は自利から利他への行動を生み出すための知性でしょう。相手を知って相手を打ち負かすという方向で用いられたくない知性です。

  5. 新生児の頃に持っていた力が一度消え、そして少し違った形で再び現れるという話をよく聞かせてもらっていますが、聞くたびにその不思議さを感じます。一度消すことは明らかに非効率だと思うのですが、でもそれが続いて来たということは結局それが効率的なんでしょう。人の社会に適応していくために、その社会で必要となる力をつけていくために、赤ちゃんは複雑な過程を経て成長していくんですね。そんな赤ちゃんの力を解明するのは大変な作業だと思いますが、同時にわくわくもしていきます。1つ疑問に思うことがあって、人の社会で必要な力が変わってきたとき、例えばコミュニケーションが苦手な人が一定数を超えてしまった場合、赤ちゃんもその力をつけることをやめてしまうのでしょうか。社会の変化と発達は無関係ではないと思うので心配にもなりますが、それは同時に私たち大人に向けられた課題でもあるんでしょう。

  6. コミュニケーションにおいて模倣は重要な役割を果たしているのですね。新生児期の模倣が母親の注意を引くためのものであるとありましたが、確かに模倣が人の注意を引くということは実感できます。そして注意をひくだけでなく、模倣することで学ぶことも多くあります。私の場合は特に模倣することで今持っている技術などを身につけてきたと実際に感じていますが、それは模倣する相手があってこそだということを今回のブログを拝見して感じました。私は「まねぶ」という言葉があるように模倣すること、真似をすることを大切にしています。しかし模倣することはただ単に技術を身につけることや学ぶといったことだけでなく、自分の心と他者の心を重ね合わせ、他者の考えや心を理解することにも繋がるということを今回学びました。相手の気持ちや考えを読み取るためにも、模倣は重要な役割を担っていますね。

  7. 模倣の話を聞くなかで、随分と考え方が変わってきました。当初赤ちゃんの研究を聞いたときには遊び半分で自分でも実験を行っていました。そのれが、人間の生存戦略に繋がっているとは考えもしていませんでした。他人の行為を読み取る力が必要でその力が生まれながらに秘められている、そのことがコミュニケーションの始まりだとすると、最近のコミュニケーションを嫌がるという風潮があるいうことはとても怖いことですね。集団を意識せずに人と比較することで満足するような環境が幼児期にあることは、様々な歪みを生むような気がしてきました。

  8. 模倣に関する人とチンパンジーの比較はとても興味深いものです。このことから単純な人とチンパンジーの比較をすると最も明らかな違いは、言葉を用いたコミュニケーション能力である気がします。乳児期の模倣は、言語と密接な関係性があるのでしょうか。また、一度消失した能力が再度現れるまでの間が非常に気になります。人間の、特に新生児の反射的な無意識な行動には、全て豊かな発達において意味があると思っています。そう考えていると、「新生児模倣」が消失して、再度模倣を開始するのにも必ず意味がありそうです。「新生児模倣」によって獲得した情報を擦り合わせているのか、新たな情報を獲得するためのものなのか、未知である分興味深いものです。
    現在生きていく上で、最も大切な知性であるといわれている「対人知性」も模倣によって、習得していく知性なのですね。この対人知性の習得の仕方から、人の共感しようとする意欲の高さを感じます。共感しようとする意欲の高さこそが、人間が他の動物よりも圧倒的に繁栄した1番の要因である気がします。そして最も共感する意欲を満たす行為が模倣なのかもしれませんね。

  9. 他者が何を考え、意図している行動なのかというのを、その行為を観察するだけで読み取ることができる能力である〝対人知性〟のはじまりは〝模倣〟からなんですね。
    今まで模倣は単に発達するために大切なものと思っていましたが、人と人とがコミュニケーションの内的部分である心と心をつないでいるもの、他者の心を読み取ろうとする行為なのかな、と思いました。
    自分が尊敬している人がいたとして、その人をよく観察し、何を考えているのか探ろうとする行為、そして、実際に同じようにしてみようとする行為は〝模倣〟となるということでしょうか。
    そうだとするなら、自分は日々〝模倣〟をしながら保育していることになります。

  10. 猿真似という言葉があるため、サルは模倣をするものだと思っていたら、むしろとても苦手だというのは驚きでした。
    身振りを模倣することが、コミュニケーションになるのですね。さらに、他者の動きに注目し、同じ経験を忠実に繰り返すため、自分の心と他者の心をしっかり重ね合わせる。すると、他者が何を考えているのか、何を意図しているのか、という心的状態を、他者の行為を観察することで読み取ることができるのですね。模倣が、対人知性の第一歩に繋がるというのは、とても勉強になりました。

  11. 「模倣」から「対人知性」が育まれていくのですね。正直なところ、模倣というのが人とコミュニケーションをとるために大事なことだとは思っていませんでした。確かに色々な真似をすることで時に、心が重なるような感覚になる時があります。模倣をして、これ楽しいなぁと思った時、これをしていたのは楽しいからか!と気づくことができますね。そういった経験をすることで相手の気持ちを少しづつ理解すると共に相手の気持ちを察するということへと自然と変化していくのでしょうね。相手の気持ちを理解することでこんな気持ちになるんだろうなという察する思考へと切り替わっていくようにも思います。模倣することで人の気持ちを察するということへと心が移っていくという対人知性というのは大人になったときに非常に重要であり、空気を読むということにも繋がるような気がします。保育園にいる子どもたちはこの「対人知性」を大いに育てている最中なのですね。

  12. 以前、テレビで本当に猿は猿真似をするのか?という実験をしていました。実験内容は目の前でフラフープを回して、それを見た猿は人間のように腰で回すか?という実験です。結果的にはブログに書いてあるように全くしなかったです。確かに模倣という行為、全く意味のない行動でも赤ちゃんは真似ようとします。それでも他人の行為を模倣するという事はブログに書いてあるように言葉と同じくらい重要な能力だとすると、かなり模倣という行為の見方が変わりますね。今までは発達として捉えていた事が、人間が社会を形成し今までは生き延びてきた大きな要因の一つ…驚きの一言です。さらには模倣は対人知性に大きく関係があり、現代で生きていく上で重要なスキルになります。そう考えると私たちの保育者ができる事は、子ども達が模倣をしやすいような、環境を設定してあげることが大切になってきますね。

  13. 猿まねというと模倣というより、同じことを繰り返す意味合いが強いように感じるのは、やはり人の模倣とは少し違うところもあるのでしょうか。ですが、サルの赤ちゃんにおいてはその行動が顕著でお母さんに 抱いてもらうために模倣するというのは、その時期にいかに関わること、助けてもらうことが生きることに関わっててくるかというのが大切かというのがわかります。人がその模倣を年齢や時期に関係なくできるようになったこと。それはまさに種としての生き残るための一つの能力ですね。そして、その模倣は、異なることを嫌う日本人にとってはとても長けた部類の力のような気がします。

  14. 「新生児模倣」や「対人知性」という言葉が出てきましたが、人類の祖先であるホモ・サピエンスが生きていくための生存戦略がこのような能力を残して行ったのでしょうか。「赤ちゃんが母親の注意を引きつけておくために生まれつき備わった能力ではないかと考えられています。母親と生まれてすぐの赤ちゃんのコミュニケーションにおいて、模倣は大切な役割を果たしているのです。」という例がありましたが、人類にとって模倣するというこはとても重要な事がわかります。と同時に、ホモ・サピエンスも同じように新生児模倣などが見られたのかが気になりました。

  15. 今までの人生の中で、どこかで「真似する」ということを避けていました。それは自分の一種のプライドを捨てるような気がして、良いとはわかっていても、それを素直に真似るというのにどこか抵抗がありました。しかし、最近、その大事さに気づいた気がします。というのも、模倣することで、今まで見えなかったことが見えるようになってきたのです。真似をしていく中で「だから、こうするのか」と気づくことがとても多かったです。その気で学びに繋がったと実感することがありました。当然そうなったのも自分の心と他者の心を重ね合わせるということができたからなのかもしれません。こういったプロセスは赤ちゃんだけではなく、ヒトというものの営みや成長において、大切なことなのだと思います。そして、それが対人知性にも繋がっているというのはとても考えさせられます。

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