科学のための準備

私の園で、大きなガマガエルを捕まえてきて子どもたちが飼っていたことがありました。その時のエサは、爬虫類ショップで購入した生きたコオロギです。カエルを飼っているときの醍醐味は、捕虫の瞬間を見るときです。じっと動かないカエルの目の前にコオロギを置くと、しばらく微動だにしないカエルが、ある瞬間、すばやく舌を出し、コオロギを捕まえて口の中に入れます。その素早さと、その虫の捕らえ方を見ることができた子どもたちは、大興奮です。それを見た興奮は、その行動だけでなく、めったに見ることができないものを見ることができたということもあり、それが見たくてじっと飼育水槽を眺めている子もいます。夕涼み会の日、それを広く子どもたちにライブで見せようと、カメラを釣りつけ、その映像をパソコンを経由してプロジェクターから大きなスクリーンに映るようにしました。その意図が成功して、見事当日にカエルが捕虫する姿を、大きな画面で実況中継することができました。それを見ていた、テレビ局に勤務している園児のおじいさんが、テレビの科学番組よりもいい出来だったと褒めてくれました。

 いま、いろいろなツールがそろっています。インターネットにアクセスして大画面のディスプレイに映すことによって、科学指導を広げていくためにとても役に立ちます。それは、もちろん、今回、園で行ったように、本物のカエルが本当にえさを捕る姿を放映することができれば一番いいのですが、それが身近なカエルであれば可能でも砂漠に生息する生き物の場合は不可能です。しかし、遠い砂漠で野生の生き物の生活をしている姿を、ネットを介してみることができます。しかも、その生き物の口の中、下から、様々な視点から観察することは可能ですし、子育てなどの生活をいつでも見ることは可能になります。

 また、小学生になれば、パソコンを使ってデータを記録し、図にすることもできるようになります。パソコンに多少慣れている子どもなら簡単な文字も打てるようになります。しかし、だからといって、あまりパソコンに入っている画像を多用するのは避けた方がいいと言われています。それは、これらの画像は型にはまっていることが多いようですし、子どもが自分で描画して説明しようとする気を失くしてしまうことが多いからです。現代の子どもたちは、上手にパソコンを使いこなすことがでいます。ですから、子どもたちは、コンピューターで文章を作成し、自分で観察したことを図にして書き入れることができるようになります。そこで、私の園では、まず、観察したことを簡単な絵と、場所と、その特徴を紙に書き込んでもらった、自分たちで作った図鑑が展示されています。

いまに、それをパソコンで作るようになるでしょう。musizukanhyosimusizukan

 レッジオ・エミリア市の園では、アトリエスタという美術担当職員が、世の中の様々なことを絵で描き表わすよう子どもたちに体系的に働きかけているそうです。そうすると、子どもたちはとてもうまく描き表わせるようになるようです。

  私は、科学活動ではありませんが、小学校の1年生を担任していた時、1学期の間は本の読み聞かせをした後の感想を絵で描き表わせていました。それは、想像力をつけることと、文字を使うことへの意欲を高めるためにしていました。園の子は、紙芝居やテレビで話は絵とともに見ているために、どうしてもイメージを持ってしまいます。自分で感じたこと、自分で直接見たことを絵で描き表わしていたのは、科学の基礎だったのかもしれません。

環境の準備

 子どもたちには、様々な環境が影響していきます。保育でも、子どもの発達は、子ども自ら環境に働きかけ、環境との相互作用により発達していきます。ですから、保育者は、保育室を子ども自ら働き変えるような環境を用意しなければなりませんし、大人は、子どもが育つための地域環境を用意する必要があるのです。しかし、それがどのような環境なのかということは難しいものです。それは、意図するものと、意図しないものも含めて、子どもの周りにある様々な環境が影響するからです。また、その環境も用意されていればいいのではなく、そこに働きかけるような働きかけや言葉がけも必要です。

 その環境には、物・人・場が大切であると言われていますが、実は時間の確保も大切です。どの時間帯に、また、いつ子どもたちが活動するかも準備をしないといけないのです。実験をしようと思っても、その時間をどう作るかも、それぞれの環境の中で考えていかなければなりません。その時間の準備は、人という環境と関係してきますし、場所も関係してきます。

 例えば、科学実験をする場合でも、学習センターなどを使えば、活動計画はより柔軟になります。また、アシスタントに手助けしてもらうと、もっと楽にできます。そのために、地域のボランティアや保護者に参加してもらってもいいですし、定年で退職した教師などにアシスタントをお願いすることも有効的です。また、もしかしたら、年長クラスの子どもたちにやってもらってもいいかもしれません。また、こんな提案もされています。それは、場合によっては、カードに簡単な指示を書いて子どもたちに渡したり、テープに録音して渡したりすることによって、子どもたちは自力で科学の体験活動を行うことができるようになります。

 また、科学体験活動を行う上では、特に場所を選ぶことが重要だと言われています。それは、場所が適切だと、子どもたちは学習に引き付けられますし、注意が散漫になることも防ぐことができます。そして、子どもたちの思考を促進することにもなると言われています。用具入れや掃除道具なども手近にあることも大切です。場所を変えて体験活動をすると、子どもの興味をそそります。テーブルを毛布で覆い、その中で科学の活動を行うとしたら、その日を子どもたちは心待ちにするでしょう。このように、場所の演出も子どもたちに影響していきます。

 こんな工夫も提案されています。「さわってみて」と書いた展示コーナーをつくって、内容をこまめに入れ替えてみます。そんな展示コーナーがあれば、子どもたちの注意を引くための凝った壁面掲示などは必要ありません。子どもたちが外で見つけたものなど、科学に関連したものを家から持ってくることも子どもたちはよくします。多くの教師は、それらを気持ちよく受け入れてあげようと年度の初めには思うものです。子どもたちが、小さな木の枝にかけられて鳥の巣、変わった石、脱皮したばかりの蛇の皮、このようなものからプロジェクトが始まることがあり、教師は、それを取り上げて、展示をしたり、子どもたちに紹介したりします。

しかし、その展示コーナーは、次第に色あせてき、子どもたちは見向きもしなくなります。教師たちは、展示コーナーの内容を入れ替えるという目標を忘れてしまうことが多く、そうなると、最初の努力も水の泡となってしまいかねません。見飽きたものは下げる方が賢明です。その代りに、発見活動で今使っている、壊れる心配のない素材を展示しておくことで、いま行っている活動にふさわしい展示コーナーを簡単に維持できるのです。

科学好きを作る環境

昨日のブログで紹介した「科学の甲子園ジュニア」での大会に必要な力が、「モノづくりやコミュニケーション能力」であるということは、目からうろこです。科学と言うと、ひとりで実験室の中で試験管を振っているというイメージがあるからで、コミュニケーション能力が必要というのは面白いですね。

 また、科学者と言うと、白衣を着て、室内に閉じこもって研究しているというイメージがあります。しかし、そのイメージとは逆で、今回大会で総合優勝したチームは、茨城県代表でしたが、県代表に選ばれた生徒の大半は運動部の所属だそうです。そこで、コミュニケーション能力を磨いたようです。

 また、科学は共同で行う活動であるため、そのメンバーには多様性が求められました。総合優勝したチームは、別々の得意分野を持つメンバーだそうです。サッカー部所属の一人のメンバーは、科学競技なので、理系かと思いきや、文系の科目が得意で、一番好きな科目は社会と答えています。彼は、大会では、実験のリポートを担当しました。「文章を書くのがめちゃうまい」と、他のメンバーから期待されたそうです。

 また、この結果についての考察で新聞に取り上げていなかったものに、指導の先生の影響と、地域の環境がある気がします。総合優勝した中学校がスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されていたということで、もともと理科系に興味を持つ生徒が多いこともあるでしょうが、大会への出場希望者が、全生徒の3分の一余いたということは、たぶん、この学校での科学の授業が面白いのだと思います。それは、指導教師の資質だと思います。触媒の役割が発揮されているのでしょう。触媒である教師は、子どもが正確な考えを言えばそれを取り上げ、子どもたちの考えに情報を少し付け加えて拡張し、ご概念が残っていればそれをきちんとしたものにします。教師は子どもたちが話し合いの中で出すいろいろな意見をまとめていきます。子どもたちから出された考えに、重要なポイントが含まれていないときには、教師は「科学者はこうも言っています。」と付け加えることをします。グループでの話し合いは、子どもの思考力と推論能力を刺激することを目標に行うと成功させることができると言われています。きっと、そんな教師なのでしょう。

 今回総合優勝した中学校の地域環境が、ずいぶんと影響させたのではないかと思っています。なぜなら、今回の優勝した中学校は、茨城県代表で、つくば市にある県立中学校でした。昨年、つくば市は、市のHPには、「世界最高水準の研究と教育を行う拠点「筑波研究学園都市」の持つ最先端の科学・技術,これら自然と科学が調和し,そして親しめる環境が整った街です。」と書かれてあります。

 ここには、様々な科学に関する施設が多く、イベントとしても科学に関するものがたくさん企画されています。例えば、来月211日には、「つくばロボットフェスティバル」が開催されます。この内容に、「ヒューマノイドロボット,モビリティロボット,生活支援ロボットなど,人を支え,助け,楽しませる,いろいろなロボットが大集合!つくば発のロボット関連企業も出展します。子どもから大人まで,たくさんのロボットたちと楽しい一日を過ごそう!」と書かれてあります。また、この中で、創造アイディアロボットコンテスト関東甲信越地区大会出場中学校による発表が予定されていますが、2校の発表者の中で、今回の総合優勝した中学校の名前があります。

 科学好きを作るには、指導する教師、街を含めた環境が大きく影響していることが分かります。

科学好き

今日の朝日新聞の教育欄に、理科離れの特集が掲載されていました。その内容は、今ブログで書いていることと全く同じことです。実態として2011年の国際調査が掲載されていますが、中学2年生で、「私は、理科が好きだ」に「強く思う」と答えた生徒の割合は、日本では18.2%。国際平均の42.5%を大きく下回っています。理数離れ小学生から中学生にかけて、理科への興味・関心が薄れる傾向がみられます。その理由について、埼玉大学の永澤明名誉教授は、中学の理科が「物理・化学」と「生物・地学」に分けられ、高度な計算や暗記などが中心になるからだとみています。「実際の研究では、分野ごとの垣根が低くなっている。最先端の研究から高校や中学の勉強につなげ、子どもの興味を引き出す教育が必要だ」と述べています。

 実は、文部科学省では08年度、理科の学習指導要領に、観察や実験の重視を盛り込んでいます。しかも、市町村に対して、実験器具を揃えたり、実験の補助員を配置したりするための補助もしているそうです。しかし、何よりも大切なのは、科学に関心を満つことだと永澤氏は言います。それには、保護者の役割が大きいと言います。小さいころから科学の絵本を読んだり、博物館に連れて行ったりするなどして、一緒に楽しむことが必要だと言います。そして、子どもの関心は移り変わりやすいが、「役に立たない」と邪魔するのではなく、見守ることが重要であると指摘します。さらに、「今の科学には、コミュニケーション力など多様な能力が求められている。幼いころから、興味の関心を広げることが大事です。」と話しています。

 永澤氏の話でも、幼いころからという幼児教育の大切さと、コミュニケーション力の必要性を指摘しています。それと、保護者の役割の大切さも話していますが、それは、保護者の役割と、保育園に通園している子どもにとっては、園での取り組みが重要です。また、同時に、何が大切であるかを述べるだけでなく、現場での具体的な取り組みを行っていく必要があります。

 埼玉大学の永澤明名誉教授は、「科学の甲子園ジュニア」の推進委員長を務めています。この大会は、独立技術振興機構が主催し、2013年に始まっています。この大会に「ジュニア」とついているのは、この大会のひと足先に開催された高校生が参加する「科学の甲子園」の中学生版だからです。科学の楽しさや面白さを知ってもらい、中学生の理科離れを食い止めるのがねらいです。内容は、「筆記競技」と「実技競技」で競うもので、筆記は6人で、理科や数学など複数分野で実生活に関する問題を解きます。実技は3人で、モノづくりやコミュニケーション能力などを使って問題を解決します。今年の参加は、各都道府県から選ばれた中学12年生で構成された47チームです。予選には、2万人以上が参加したそうです。

 文科省による、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)という事業があります。この指定を文科省から受けた学校では、科学技術系人材の育成のため、各学校で作成した計画に基づき、独自のカリキュラムによる授業や、大学・研究機関などとの連携、地域の特色を生かした課題研究など様々な取り組みを積極的に行っています。今回、大会で総合優勝したのは、この指定を受けている中高一貫校でした。この学校は、もちろん理科系に興味を持つ生徒が多いために、今回の大会に出場希望者は、320人いる中学2年生のうち115人もいたそうです。その中で、総合優勝したメンバーは、とても面白い特性を持っています。

話し合いでの役割

 話し合いと言うと、お互いが意見を交換し合うということですが、それを幼児に行ってもらうためには、いくつかのポイントがあります。まず、カギとなる情報をある子どもが言ったからといって、そこですぐに意見交換をやめてしまわないことが大切です。大人は、どのように話し合いの結果を持っていくかを意図することがあります。また、ある答えを用意することがあります。それに向かって話し合いを進めているときに、ある子どもが核心に迫るような発言とか考え方を言うことがあります。すると、「ヤッタァ!」と心の中で叫び、そこで話し合いを止めてしまおうとします。また、その一人の子どもが発言した時に止めることはなくても、同じ考えを何人かが、また何回か繰り返されるときにも意見交換をそこでやめてしまおうとします。しかし、参加している子ども全員が同じ考えを言うまで、話し合いを続けることが必要だと言われています。

 ここで、大人は気を付けなければいけないのは、子どもは質問の答えを言うまでに多少の時間がかかることがあるということを承知するということです。大人はとかく、質問への答えが即座に返ってこないと、うまく指導できていないと考える人が多いようです。アメリカにメリー・バッド・ローという人がこのような、指導がうまくいくと、答えが即座に返って来ることがあるかということを研究しました。それによると、その逆だったのです。彼女が調査したところ、教師たちが、子どもに与えていた回答の時間の平均は、1秒以下だったのです。そこで、その教師たちに3秒以上待つよう指導しました。そうすると、子どもたちからの回答数が増え、より長い回答や、より多様で正確な回答が得られたのです。さらに長く教師が待つと、子どもたちはお互いの意見を聞き、それに対して意見を言い始めるようになったのです。

 また、クラスで「優秀」と思われていない子どもたちもその話し合いに参加しはじめたのです。これは、何人かの子どもたちが答えただけでグループでの話し合いをやめてしまうと、多くの考え方が未開拓のまま打ち切られるかもしれないということを意味しています。これでは、多くの子どもが、考えることや学ぶことに自信を失ってしまいます。幼い子どもは、特に考えを練り、それを表現するための時間が必要なのです。

 この教師が待っている時間の平均は、アメリカでのデータですが、もしかしたら、日本ではもっと短いかもしれません。保育者の多く使う言葉に、「はやく!」とせかす言葉があげられます。幼児教育では、とにかく辛抱が大切だということ、見守っていることが大切であるということです。

 教師は、話し合いの中では触媒の役目を担うことが必要です。そして、子どもたちに考えさせ、自分の考えを表現させる権限を持たせます。これは、自分だけが教室で威圧的にしゃべることに慣れている教師にとっては特に難しい変化かもしれないと言います。そんな教師でも、練習を重ねると、「とても面白い考えね。他の人は違う考えかも知れないから、もっと聞いてみましょう。」というような橋渡しの言葉を使って、子どもたちの意見を支え、引き出すようになるのです。

 この考え方は、教師は、話し合いにおいては、ファシリテーターであり、その役割によって進められる話し合いによって、子どもへの教育が行われるということを表わしているのです。

ディベートとディスカッション

 話し合いは、とても大切なことです。少し前から、ディベート(debate)行うことは、論理的な思考力やコミュニケーション能力を身につけていくための有効な手段と言われ、教育にも取り入れられています。ディベートとは、ある公的な主題について異なる立場に分かれ議論することをいいます。それは、ゲームとして行われることが多く、ディベートの試合は、設定されたテーマの是非について、話し手(ディベーターと呼ぶ)が肯定側・否定側に分かれ、決められた持ち時間・順番にのっとり、第三者(ジャッジ、観客)を説得する形で議論を行います。そして、ディベートには必ず勝敗があります。議論された内容を基に第三者が勝ち負けを評価します。勝ち負けの基準は、肯定側・否定側のどちらが、第三者(ジャッジ、観客)をより「説得」できたかで決めます。

 この力が社会に出てから必要であるということで、最近の若者や子どもたちの中には、ディベート力がついてきているようです。しかし、科学研究の質を高めるためには、どうもその方法は意味がないように思います。もともと私はこのディベートにはあまり賛成派ではないのですが、特に幼児期においてはその方法はするべきではないと思っています。それは、基本的に、協力の姿勢がなく、勝敗があるからです。ですから、昨日のブログで提案した質の高い発見科学学習を支える「話し合い」とは、異なっているような気がします。ということで、ディベートは、厳密にはディスカッション(discussion)や単なる議論とは異なるものであると位置づけられることが多いようです。

 話し合いの意味を面白いたとえから子どもたちに説明するやり方が紹介されています。「二人の子どもに、それぞれがクレヨンを1本ずつ持ってくるように言い、そのクレヨンを交換させます。交換する前にそれぞれが1本のクレヨンを持っていたこと、交換したのちの1本のクレヨンが手元にあることを確認させます。次に、その日の天気など1つのトピックについて考えを交換させます。考えを交換したのち、今日の天気についての考えが自分の中で2つに増えていることを子どもたちに伝えます。“お互いの考えに耳を傾けて、それを交換し合うと、考えは増えていくのよ”と付け加えましょう。」

 まさに、これこそが話し合いのダイナミックな役割です。相手を打ち負かして、自分の考えを押し付けたところで、考えは膨らみません。これは、なにも子どもの話し合いに言えることだけでなく、私は「チーム保育」のあり方にも通じる考え方であり、新人とベテランの話し合いにも言えると思います。どうしても、ディベートを重視した教育の成果として、議論すると、自分の考えを主張し、自分の考え方を押し付けようとし、自分の考え方を豊かにするために相手の話を聞くという姿勢が見られないことがあるのが気になります。

 このような話し合いには、積極的に意見を言う子だけでなく、無口の人の存在も重要です。そこで、教師は、子どもどうしの話し合いを促すために、無口な子どもも、無理なく対話に引き入れることが必要です。無口の子が頷いたり、会話に反応して笑顔になるのを見つけたら、「ちゃんと言葉で言いなさい!」と話すことを強制するのではなく、その気持ちをくみ取って、「あなたも賛成みたいね」と、その子も話し合いに参加していることを認めてあげる必要があります。

話し合い

 先週、私の園で園内研修がありました。私の園の園内研修は、研修担当が企画し、みなに呼びかけます。先週の研修は、「ディスカッション」でした。参加は、希望者だけですが、集まったメンバーであるテーマに沿って話し合いをしていきます。

 今の若者、子どもたちは会話・対話が苦手だと言われています。今までの教育の成果として、みんなの前でプレゼンする能力は着いてきました。自己主張をする能力も身についてきました。しかし、相手の話を聞き、その内容に沿って自分の考えを述べるという対話能力とか、相手の話を聞くことによって、相手の考えていることを感じるというような能力は劣ってきてしまったと言われます。幼いうちから話し合う経験が少ないからのような気がします。それは、もしかしたら、親や大人が、子どもの考えをじっくり聞くこと、そして、きちんと言葉のキャッチボールをすることが少なくなってきたことも原因かもしれません。

 私たちホモ・サピエンスは、社会の中で分かち合い、助け合い、協力をすることで生存してきました。そのためには、人類は話し合うことをしてきたことでしょう。そして、お互いの話を調整して決めてきたことでしょう。もし、ある時期、一人の人の意見が強く、そのほかの人は黙ってその人の言うことを聞き、その人の言うとおりに動いたこともあったでしょうが、それは、人類を滅ぼすような結末を迎えることもありました。

 新しい概念を学習するときには、話し合いがいろいろな場面で様々な役割を果たします。話し合いの様々な場面での役割を、「Science Experiences for the Childhood Years」には、このように書かれてあります。まず、導入場面での話し合いです。そこでは、新しいトピックへの興味をかき立てると言われています。そのような場面では、教師は、子どもたちが個人的に出会った出来事を思い出したり、その課題について知っていることを出し合ったりするように促すことが必要になります。この時、子どもたちの個人的な理論に明らかな欠点があっても否定をしてはいけません。子どもたちがこれから行う活動で何を発見したいか、自分で問いを考え出すように促さなければなりません。

 次に、小グループでの話し合いの場面です。このときには、子どもたちの行った活動について話し合うことが必要になります。自分たちが調べた活動で何が起こったかを整理したり、自分たちの考えをはっきりさせたりするために話し合いをします。ひとつの活動から二つ以上の結論に達することもあるかもしれません。しかし、これが子どもの素朴理論を変えるきっかけにもなるのです。

 そして、クラス全体で行なうまとめの話し合いの場面です。それぞれのグループが体験活動で調べた概念を持ち寄ります。こうすると、子どもたちは新しい概念になじめるようになるのです。そして、持ち寄った中で話し合いをすることによって、関連した情報を取りまとめることもできます。個々の概念を結びつけることができるのです。

 子どもたちが自分の考えや体験を表現しようとするときには、まず教師が子どもたちの表現を尊重する手本を見せる必要があります。そうすることによって、子どもたち自身も、グループでの話し合いでお互いに学びあえるようになります。

間接的

 子どもにとっては、直接的な体験はとても大切なことですが、私たちが子どもを指導するときには、子どもを通して、間接的に行うことも必要になってきます。発見学習においては、子ども自ら発見するようにしていかなければならないからです。それは、何も発見学習だけでなく、様々なことを、大人が直接やった方が早く、楽であっても、子どもを通してやる方が、専門性が必要になってきます。直接的な指導の場合は、概念の手掛かりを与えたり、努力を促したりしますが、間接的な指導をする場合は、よく練られた発問をして、子どもの考えに耳を傾けたり、話し合いを丁寧にリードしたりする必要があります。

 耳を傾けることによって、子どもたちの発見学習への関心を引き出し、持続させることができます。特にじっくり耳を傾けることで、科学的な説明とは違う、子どもたちの誤った考えや個人的な論理にも気づくことができるのです。子どもの思考についての最近の研究では、こんなことが分かっています。幼児が自分の経験に基づいて、心理学とか生物学、物理学などの根本的な領域で、個人的で実用的な理論を発展させているということです。これは、子どもたちにとって、生きるための知恵のひとつだというのです。一般的に子どもたちは、自分が集めた情報に矛盾があっても、その矛盾は創造力で埋め、自分なりの理論をつくり上げるのです。

 さらに、子どもの素朴な信念を変えさせるには、体験的な学習だけでは不十分だという研究もされています。子どもたちは、自分の信念とは異なる説明を受け入れようとはなかなしないからです。何らかの指導で子どもの誤概念を問題にしない限り、子どもたちは新しい体験を自分の古い信念で解釈してしまうのです。そのため、体験活動を何度繰り返しても、概念転換は生じないと言われています。

 この子どもの特性を聞いて、同じようなことが大人にも見られることに思いあたります。若者や大人が、季節、電流、鏡などのありふれた現象について抱いている思考も、やはりその人特有で、しかも不十分なものなのです。すると、古い信念で解釈してしまいがちな大人が、古い信念で解釈してしまいがちな子どもと関わらないといけないために、二つの課題を抱えることになってしまいます。自分の科学概念についての理解を理にかなったものにするという課題があり、一方、子どもたちがよりよく理解できるように支援するという課題があるのです。

 しかし、これらの課題に取り組むときに、大人へと子どもへとが同じような取り組み方ではなく、子どもに対するときには慎重にしなければなりません。子どもの誤った概念に対して、簡単に「それは違う!」と否定をしたり、子どもたちが持っている素朴な概念を中傷したり、面白がったり、風変りと見下したり、全てを否定する概念と捉えないことです。子どもにとっての素朴な概念は、ものごとを理解しようとするときのものであり、それを尊重してあげることで、子どもたちは自信をつけていくことができるのです。

 子ども自身が、発見的な体験活動を行うと、より体系的で包括的なものの見方を身につけていきます。それを科学と呼ぶのだと言います。そうなると、直観的な理論はだんだんと理にかなったものになり、再構成されていくと言われています。目に見えない思考過程を子どもに見えるようにする重要な指導法は、教師は自分の考えていることを声に出し、自分の推論過程を子どもたちに示すことです。それによって、子どもたちの思考を間接的に導くことができるのです。

参考文献

 私は、かつて「さんすうのはじまり こくごのはじまり」という本を書きました。それは、決して算数や国語の教科書を書いたわけでもありませんし、算数や国語を指導するためのマニュアルを書いたわけでもありません。子どもたちの生活、遊びの中には、数の概念や言葉、文字、の基礎が入っていることを示し、子どもたちが数や文字を学習するためには、生活し、遊ぶことが大切であるということを伝えたかったからです。しかし、それは、どこの、どの場面が、小学校に入学してからの学習のどこにつながっているのかを保護者に説明することができないと、子どもたちの生活と遊びを守れないと思ったからです。

 または、昨日のブログで紹介したアメリカの事情と同じように、保育者自身が苦手意識を持っていることを、隠すかのように、子どもたちには、文字・数・科学などは必要ない、就学前学習などは子どもにとって良くない、子どもは遊んでいるだけで十分だという主張をします。しかし、文字・数・科学についての力量不足だと感じていると、それらを教えるうえで大きな制限となると言われています。科学と言う科目が嫌だと思ったいる気持ちが子どもたちに無言で伝わるからです。しかし、十分すぎるほどの科学の訓練を受けた教師の場合でも、幼い子どもたちに科学概念をうまく教えられるとは限りません。高度の知識を持っている科学者ですら、複雑な概念を幼い子どもたちが理解できるレベルに翻案するのは簡単ではないのです。

 では、苦手意識を持っている人はどうしたらいいのでしょうか?どのような勉強をしたらいいのでしょうか?実は、私たちは、自ら自覚している以上にたくさんの実用的な科学の知識を持っているのです。たとえ不足があったとしても、教えるための準備段階で知識を埋め合わせればよいと提案しています。不慣れな教師には、うわべだけの方法論ではなく、また、その内容を子どもに伝達すればいいというようなものではなく、科学概念、学習の狙い、具体的な活動内容を示すことが必要です。そうすることによって、基礎知識を補足することができ、また、子どもたちの前で実践する前には予備実験を行い、その結果や問題点、活動への感想などを書き留めておくことが大切なのです。

 こうすることで、自信もつき、技術的に困難な点がわかるようになります。このような理由から、今、私たちは、臥竜塾メンバーとドイツからもらった「小さな科学者たち」と言うファイルを訳し、そこで紹介されている実験、体験を自ら行い、その過程を見た人が自ら行うことができるように写真で手順を荒らし、日本版の「小さな科学者たち」を湯児教育を行っている皆さんにお配りできたらと思っています。実は、ドイツでは、このファイルを、企業が印刷し、無償で幼児施設に配っているようです。それは、科学離れは、将来企業にとっては人材不足になることがあるからでしょう。

 同時に、科学的活動を行う上でのより深めるために、参考文献が必要になります。その文献からは子どもの理解レベルで書かれた本を見つけることができるかもしれませんし、そこから教師の興味を高める突っ込んだ知識が得られます。また、子どもたちの突発的な好奇心への答えを得る手助けにもなります。

 概念を改めて学ぶことによる満足感が新鮮さをもたらし、子どもたちの興味を刺激することにもつながるのです。アメリカの教育心理学者であるジェローム・ブルーナーは、「すべての科学の根底になる基本的な考えは、強力であるとともに単純でもある」と言っています。

アプローチの準備

 子どもからの発想を広げていって科学活動を行うことはとても大切なことですが、偶然から始まった探究活動が、適切な科学概念につながるとは限りません。全米科学振興協会と全米科学教育スタンダード・評価評議会が出版した「全米科学教育スタンダード」には、子どもが獲得すべき科学概念と技能と思考習慣が、たがいに関連づけられながら書かれてあります。このような科学教育スタンダードを、現在アメリカでは各州が独自のものを持っています。このドイツ版が、ドイツ報告の中で紹介した「小さな科学者」というファイルで、科学概念と技能と思考習慣を具体的に提案したものです。

この内容は、アメリカの教育スタンダードと同じで、いくら教師が導くアプローチであっても、子どもたちの日常の出来事や興味、関心を中心においています。また、基本的な活動については、不慣れな教師でも利用できるよう、実践済みの具体例を示して詳細に説明しています。実際に、私も幼児期における科学の重要性を力説して、賛同してはもらえるものの、いざ取り組むとなると、幼児教育に携わっている保育者の多くは、どうも科学が苦手な人が多いような気がします。また、日本における科学教育を受けた人の多くは、科学の実験、体験、発見の面白さよりも、化学式を覚えるとか、暗記する科目として教わってきているために、なかなか子どもたちの科学活動の面白さに共感することは難しいと思ってしまうようです。

また、どうしても科学は学問として教室内で学習するもの、もしくは実験室内で体験するものというイメージが強いために、室内での取り組みが多いように思います。しかし、最近の子どもたちは屋内で過ごす時間が長いために、屋外の出の体験は子どもにとっては大切です。そこで、屋外での科学的な活動のアプローチも必要です。

科学学習では、先に書いたように、教科書とその解説で学習するよりも、活動的で発見的な学習をする方がはるかに効果が上がるということは、だれでもわかっているだろうと思っています。それは、教育者や研究者のなかでも意見は一致します。それなのに、アメリカでは、ほとんどの幼稚園や小学校の教師たちは、有効性が低いとされる指導法を実践し続けていると言います。体験的な学習活動をしない理由として教師からあげられるのは、子どもの質問に答えられるだけの科学的な素養がないということのようです。問題解決型の学習では、どんな疑問が出てくるのかわからないということが、教師を悩ませているというのです。彼らはいろいろな解決が可能だということに不安を感じるようです。科学へのこれらの不安がそのままにされてしまうと、「科学を行う」のではなく、科学に関するものを読むだけの指導方法に固執することになってしまうのです。

この事情は、日本でも同じように思います。苦手意識のある指導者が、子どもたちに苦手意識をつけてしまっているのです。それは、偏見かもしれませんが、幼児教育に携わる人たちにおおむねみられる傾向のような気がします。それは、大学の保育者養成校における幼児教育科や子ども科の多くは、文系の学問に位置づけられていることが多いからです。そして、子ども相手には、情緒的で、感情的に接することが大切であると思っていることが多いからかもしれません。