昼食の可能性

外食が増えることで、一家だんらんの場が少なくなりましたが、もう一つ、家族の昼食における共食の場を奪ってしまったものがありました。日本ではすでに少なくなっていると思いますが、昼食のために学校や職場にはお弁当を持って行っていました。私の子どもは、中学はお弁当でした。その時は、どうせ作るならと、旦那さんの弁当作りもあわせてしている家庭が多かったようです。それが、学校給食が始まると、旦那さんの弁当も作らなくなり、外食で昼食を済ませるようになりました。こうして、学校給食が昼食を手づくりの弁当から社会の側が用意する外食へと変化させるきっかけになったのです。以前のブログで取り上げましたが、確かに学校給食は子どもたちにある恩恵を与えましたが、失ったものもあるのです。

このように、家庭から昼食における一家だんらんの場を失くしていきました。いわゆる、家庭の共食の場という面では、「ひるめし」は影が薄い存在になってしまったと酒井さんは言います。しかし、食生活における変化はそれだけにとどまりません。それは、昼食はそうであっても、朝食と夕食は共食の形を長い間守ってきましたが、そこにも変化の波がやってきました。酒井さんは、このように指摘しています。「住宅地域が都心から郊外へと広がり、学校や勤め先などの時間に合わせて、家族の一人一人が自分の都合のよいときに朝食をとる、そのような生活パターンを持つ家庭が確実に増えてきているのである。社会の側への依存度の高い昼食とは異なって、朝食は家庭の側で準備する食事であるにもかかわらず、家族の共食の場という意味合いは薄れつつある。このようにして家庭では、家族の共食の場が目に見えて減ってきているのである。」

酒井さんの指摘以外に、最近朝食を抜く家庭も現れてきています。それは、朝の忙しさに、落ち着いて朝食をとる時間がなくなってきたという事もあるようです。また、女性の社会進出もあり、朝食を料理することが減ってきているようです。そして、この傾向は、夕食にも現れてきつつあります。

食事の場は、すでに昼食においては、主婦の管理の元から完全に切り離されてしまい、家族一人一人が別々の場で、別々のメニューで食べるようになってしまいました。昼食を家庭で食べているのは、幼児のいる家庭か、あるいは高齢者の家庭だけになってしまったと酒井さんは言います。その場でさえ、昼食には、インスタントの麺類や、パンにハムと牛乳といった加工食品がよく食べられており、社会側への依存度の高い昼食になっていると酒井さんは嘆きます。

このように、社会への依存度が大きくなれば、家庭内の仕事は当然減り、余暇の時間が増えてきます。主婦の義務であった料理を男女をとわず多くの人が参加できる趣味となる可能性が高いと酒井さんは言います。つまり、日常の食事はインスタントものなどの加工食品にちょっと手を加えるだけで済ませ、あるいはてんやものや持ち帰り弁当なども含めた外食で済ませておき、ときどき家族がそろうときにおおごちそうを作るといったことが、近い将来の食事の姿について描けるのではないだろうかと酒井さんは言っています。

そうして、こう提案しています。「休日の昼食には家族そろって庭や郊外でバーベキューを楽しんだり、親子が力を合わせて昼のご馳走を作ったり、あるいは日頃家庭サービスの十分でない父親が家族のために腕を振るったり、昼食はこのような要素を取り込んだ食事という側面を持つようになるであろう。昼食時に家族全員がそろって共食をすることによって、薄れつつあった家族の連帯感を取り戻すための格好の機会となるのではなかろうか。」

昼食の可能性” への15件のコメント

  1. 子どもと親が同じお弁当であれば、昼食をとる場所が離れた所であっても、帰宅した時には会話が生まれそうですね。「おかあさん、今日のあの玉子焼きはいつもより美味しかったよ」、「あ、僕もそんな気がした」なんて会話が生まれることもあったかもしれませんね。場所だけではなく、食べるものも全く違うものになれば、より昼食によるつながりはなくなってしまいますね。通勤距離や勤務時間が不規則な職業などでは朝食や夕食もなかなか家族一緒にというのが難しくなりますね。まさに奥さんの実家がそうで、一緒に揃ってご飯を食べることの方が珍しいくらいでした。このような傾向は今や当たり前になっている家庭もあると思うのですが、そんな中でも休日の昼食をみんなで作ったり、家族揃って食べる機会を作ることで連帯感が生まれるのではないかという提案がなされているのになんだかホッとしました。時間のある昼間に家族で一つのことを共有する機会を土日だけでも作るということを意識することは大切なことなのかもしれませんね。今日も手作りはなかったなや、今日も家族全員での食事ではなかったなということは忙しさの中だとついつい気がつかないということもあるのかもしれません。

  2. 学校給食の恩恵の裏にある現実をしっかり把握していないと、今後はますます共食の場がなくなってしまいます。昼食の現状が、思ったよりも悪化の道を辿っていることが感じられました。そのような中、酒井さんの提案でもある「休日の昼食には家族そろって庭や郊外でバーベキューを楽しんだり、親子が力を合わせて昼のご馳走を作ったり」など、楽しみになるようなイベントチックにすることは面白そうですね。大きなイベントではなくてもいいので、食べるだけという目的から少し離れて、昼食を通して家族で協力したり、共同作業する機会になればいいですね。同じく「主婦の義務であった料理を男女をとわず多くの人が参加できる趣味となる可能性が高い」とあります。いわゆる、その趣味的部分である“こだわり”を、家族で楽しめるようにする工夫が必要になってくるのでしょうね。

  3. 昼食はほとんどの人がバラバラに食べ、朝食も家を出る時間によっては一緒に食べることも難しい家庭は確かにあるでしょうね。では夜はどうかと考えると、こちらも仕事や習い事の都合によっては一緒に食べることが難しい家庭もありそうです。こういう状況を望んでいたわけではないのでしょうが、社会の変化が生んだことであるのは間違いなさそうです。何を重視するかの価値観が大きく変わったとも言えるんでしょうね。そんな状況で何ができるかを考えるのですが、この状況を困ったもんだと言っているだけでは何も変わりません。休日に共食の場を作るという提案が書かれていますが、例えば保育園で共食の場を作るとか、できることを見つけていくことがますます大事になりますね。できることをコツコツと、です。

  4. なかなか耳の痛い、といいますか、共食については、平日は実質夕食のみ、という我が家では、じゃあ、休日の昼食を「家族そろって庭や郊外でバーベキューを楽しんだり、親子が力を合わせて昼のご馳走を作ったり、あるいは日頃家庭サービスの十分でない父親が家族のために腕を振るったり、・・・」ができているか、といえば、残念ながら、これもできていません。現在、3食ほぼ共食ができるのは、夏のお盆の時期と冬の年末年始の時期、すなわち田舎に帰省して私の家族と母と共に食事を頂く時だけですね。職住接近あるいは学校と住まいが近ければ、平日の昼食も家族で頂くことが我が家では基本可能なのですが、親にも子にも「給食」があります。従って現状無理ということになります。「ひるめし」の酒井さんのご指摘は身につまされるところが多いですね。まぁ、無理をして一緒に食べることをするよりは、一緒に食べられるとき、その時を大切にすることが重要なのかもしれませんね。私が子ども頃は大勢で昼ごはんを食べることがよくありました。しかし、昔は女性の地位が低かったからでしょうね、祖母や母は皆と一緒に食べる、ということはありませんでした。しかも、みんな急いで食べていましたから、食事をゆっくり楽しんで、という雰囲気でもありませんでした。何はともあれ、食事はゆっくり、楽しく、食べたい、と思います。一人はやはり寂しいので誰かと一緒に、これが原則ですかね。

  5. 昼食もそうですが、朝食についても確かに家族でゆっくりと食べるという機会が減っていることを実感しています。子どもが産まれてからは尚更で、なるべく早く朝食を済ませ、出勤時間に合わせて家をでる、子どもを保育園に送ることばかりに必死になり、朝食に一家団欒という意識さえなかったように思えます。社会や人を取り巻く環境が変わってしまったと言えばしょうがなくも聞こえますが、なんだか寂しくもありますね。時代に合わせて人の生活がかわるのは必然であり、家族皆が揃う時間が限られてくるのも仕方がないことなのかもしれませんが、そうであるならば夕食などのわずかな時間でも、家族と過ごす一家団欒の場はより重要であり、大切にすべきですね。休日はもちろんのこと、忙し日々を送っている日常の中において、わずかな時間でも家族が集まる機会を大切にし、またあえてそういった機会を作り出すことで連帯感を深めていくことを、私自身も意識していく必要がありそうです。

  6.  本日のブログの後半に書かれていることは、正直なところ共感を超えて正にその通りな生活スタイルを築きつつあるところであります。少し恥ずかしい気持ちにもなるのですが、自分たちの努力不足もあり、やはり平日は慌ただしく過ぎていってしまいます。そこで休日の食事をとびっきりのイベントにと考える気持ちが湧いてきます。出かけた先で少し贅沢をしてみたり、とそこで外食になってしまうことに少し反省するところなのですが、著者の酒井さんが「昼食時に家族全員がそろって共食をすることによって、薄れつつあった家族の連帯感を取り戻すための格好の機会となるのではなかろうか」と前向きな見解を示して下さっています。
     先日、妻の職場の同僚の方々とバーベキューをしてきました。かなり経験豊富な方々で、その機材から調理方法に至るまでとても勉強になりました。子どもがもう少し大きくなれば、キャンプなどにも連れていってあげたいなと思いました。食事の内容としては栄養のバランスのとれたものではないのかもしれませんが、現代で言えば少なくなってしまっている〝火を自分で起こして調理をして皆で食べる〟ということのできるそういった機会を、意図的に体験できるものであると思いました。
     最近の食事をテーマとしたブログから、今まで食事をないがしろにしてきた部分があるということに気付きました。また、日々の食事の自分たちのやり方を見直していくきっかけをいただいているような気持ちになります。

  7. 今日の内容は自分にとっては痛いところをつかれたな、という印象です。まず、自分は朝食を食べません。そして昼食は保育園で、夜は間に合えば一緒に…と、ほとんどの食事を家族以外もしくは1人で食べています。夕食は自分が食べてる横で息子がつまみ食いしにきてくれたり、みかんなどのデザートを食べたりしていますので、大きな意味で捉えれば共食してることになるかもしれませんが、普段はなかなか家族みんなで食卓を囲むことなく過ごしています。ですので、保育園でのランチは自分にとっても楽しい共食の場となっています。
    頑張って家族に合わせるようにすればどこかに無理がくると思うので、できる限り一緒に、たまにの一家団欒の食事を大切にして楽しく食べたいです。

  8. 昼食というものは、職場で提供されたもの、飲食店、お弁当など、一般的なものであると思っていたことに勝手な昼食への形があったことを思いました。
    昼食は、家族で集まり食べる時間が揃うのなら、また、今までにない、家族同士の関係性の広がりがあるのではと思いました。現在においても、私が子どもの頃は、家族での食卓を囲むスタイルがあたり前でしたが、少しずつ減っていき、二十歳を過ぎた頃には一人での食事が多くなっていった気がします。
    、最近は、朝食を抜く家庭も現れてきてる。朝の忙しさに、落ち着いて朝食をとる時間がなくなってきたという事もあり、一つの要因として、女性の社会進出がある、
    朝食を料理する手間を省くため、食べても、ファーストフードなどになってしまっているという現状があることは、あたり前のようになっていますが、本来は…と考えないといけないなと思うことがあり、3食の一つ一つの意味合いを感じました。

  9. 子ども達が昼ごはんや食事を自分でできるようになることは、自立しつつあると思い嬉しいことですが、その分、一緒に食べる機会が減っていくのだと考えるとちょっと寂しい気がします。一家団欒という環境も時代とともに変化せざるおえないのかもしれません。しかし、最後に書いてあるように形は変わっても気持ちが同じであればいいのであろうと勝手に解釈しました。工夫次第で家族団欒の機会が作れそうです。

  10. 私は現在1人暮らし生活6年目に突入していて、お昼の給食以外ほとんどが1人での食事のためか、共食や一家団欒での食事に対する憧れを感じている今日この頃です。帰省した際には一家団欒の食事を楽しむことができているのですが、東京に戻り、1人に戻ったときの寂しさと言ったら…です。通常が1人だからこそ一家団欒が恋しくなるようにも感じます。実家暮らしのときには、一家団欒での食事が普通だったためか、1人暮らしや友達との食事(外食)に憧れていました。現在の境遇(普通)に慣れると、違った刺激を求め、真逆のスタイルを求めようとするということでしょうか。そう考えていると、どちらかに偏るのではなく、一家団欒での食事をベースに、以前のブログで「加工食品」の内容にあったように、加工食品も外食も食生活の中で上手に利用することが大切であるように思えました。
    酒井さんの提案には納得の一言です。現在の食事の在り方を無理に改善するのではなく、活かしていく手段はとても魅力的且つ現実的ですね。この提案を忘れずに、将来家庭を持てたら活かしていき、連帯感の濃い家族を目指していきたいと思えました。

  11. 私は中学校、高校とお弁当だったのでした。昼食を揃って食べるという機会は、平日、お休みを含めほとんどなかった記憶ですが、お弁当という身近なが作ってくれたものを食べるというのは、後でその味や、その時の様子を話したりと、団欒をもたらしてくれた気がします。
    自分が子どもを持つ家庭になった今、朝ごはんを抜くというのは考えられないのですが、今後どこかでそう思うようなきっかけがあるのでしょうか。いずれにしても、家族としての連帯感を忘れないよう心掛けていきたいと思います。

  12. 給食の普及からこういった背景を考えたことはなく、得るものもあれば失うものもあるのとを再確認できたように思います。給食のみならず家庭にいる人でさえ、社会側への依存度が高くなっていることも不安の1つではありますね。「主婦の義務であった料理を男女問わず多くの人が参加できる趣味となる可能性がある」とあります。その現れが最近の男性の料理番組が多いことではないかと思います。プロではなく趣味レベルでこなす人が多くなってきているのもそのせいではないかと思ってしまいます。そんな中の提案で「休日に家族揃ってバーベキュー、みんなで力を合わせて…」といったことは非常に魅力的ですね。食べる前にみんなで協力することでより食事がおいしくなる体験ができます。ハマってしまったら毎週の楽しみにもなりそうです。

  13. 給食というものが広まることによって、栄養管理がしっかりされ主婦も楽になる一方で、一家団欒でというものが失われてきているのですね。様々なものが発明され進化していき、今まで大変だったことが楽にできるようになったり、便利にはなっていってるのですが、何でも機械などに頼るようになると、伝統の技だったり、母から娘へなんていう料理のノウハウも消えていってしまうような気がしますね。・・・「休日の昼食には家族そろって庭や郊外でバーベキューを楽しんだり・・・」とありましたが、とても魅力的に感じました。私の子どもの頃の休日は、よく父親が卵焼きを作っていたのを思い出しました。やはり家族が一緒に食事をするというのは、とても大切な事なんだと改めて感じました。

  14. なるほど学校給食は救済措置の役割があり、子どもやその親たちにとってはありがたい制度ですが、その反面失ったものがあるとは盲点でした。確かに家族揃って昼食を食べる機会は日曜日くらいかもしれません。私の家庭も父は土曜日にも仕事があったので日曜日しか昼食を全員で食べる機会がありませんでした。しかし逆に、その一週間に一回しかない特別な日の昼食のせいか、よく父がキッチンに立って食事を作る姿を見ることが多かったです。また夏は庭でBBQをしたりと、それこそ家族で共食を必ずしていました。なんだか今回のブログを読んでいて、改めて自分の家庭環境が良かったことに家族に感謝します。

  15. 確かに昼食に限らず、朝食においてもこのことは言えますね。特にこの仕事をしているとシフト制です。つい団欒ということではなく、自分中心の考えになり、自ずと起きてくる時間もばらばらになり、自分で用意、またはすでに用意された物を食べ、出勤するといったような個々人のライフサイクルによってうごくことが多いようにおもいます。唯一、団欒の場として残っている夕食ですら、それぞれの時間を優先することによりばらばらで食べることも多い昨今では、休日くらいでしか、団欒というのは作れないようになってくるのかもしれません。「薄れつつあった家族の連帯感を取り戻すための格好の機会」のために休日があるというのも実際は当たり前になっていることでも、文字にすると寂しく感じますね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です