食育へ

 学校給食は、戦後の様々な紆余曲折がありながら、数年のあいだで日本中の子どもたちに広く食の安定とともに、食事における栄養バランスを与えることができるようになりました。戦後、給食実施児童数は年々増加し、その率は昭和21年に23%であったものが昭和25年には69%に達するなど、全国に普及拡大していきました。その後、昭和29年6月3日、学校給食法が制定されました。ここで注目すべきは、当時の文部大臣による学校給食法案の提案理由説明に「小学校等において、その教育の一環として学校給食が適正に実施されるということは、とりもなおさず、児童がみずからの体験を通して、望ましい日常の食生活の営みを学びとることであって、学校給食が児童の現在及び将来の生活を幸福にする所以であり、教育的に実施される学校給食の意義はまことに重要であると存ずるのであります」とあるとおり、まだ食料事情も十分でない状況の中でも、学校給食を単なる栄養補給のための食事と捉えるのではなく、教育活動の一環として明確に捉え、実際に同法第2条において、「小学校教育の目的を実現するため」と明記している点です。しかし、ここでの問題も、「教育」という捉え方です。決められた摂取量を無理やりに子どもの口の中に押し込むことが教育だと思ってしまう人がいることです。

この学校給食法は、学校給食の根拠法として戦後の学校給食の復興と発展の基盤となるとともに、その時々の状況に応じ、必要な改正を行ってきました。主な改正内容として、まず、「法律の目的(第1条)」があります。当然、学校給食の目的は時代によって変化をしてきます。まず、学校給食法において定める事項として、従来の「学校給食の実施」に加え、「学校給食を活用した食に関する指導の実施」を新たに規定しています。これは、学校給食が、教育の一環になったことに対する改正です。また、教育の一環というだけでなく、食の教育という事で、食育の考え方を示しています。それが、より具体的になったのが、平成17年6月に制定された食育基本法や、次の年の3月に策定された同法に基づく食育推進基本計画です。ここには、食育の推進が我が国の重要な課題となっていることや、学校における食育の推進に学校給食は大きな役割を果たしていることから、その改正では、法の目的として従来の「学校給食の普及充実」に加え、「学校における食育の推進」を新たに規定したのです。

 次に改訂されていったのが、学校給食の目標(第2条)です。昭和29年の学校給食法制定当初から、学校における教育の目的を実現するために学校給食の目標が規定されていたものの、そこに設定されていた事項は、当時の状況を色濃く反映したものでした。そこで、食育の観点を踏まえ、新たな目標も加えつつ改正が行われています。そこには、7項に整理・充実しています。

「適切な栄養の摂取による健康の保持増進を図ること」「日常生活における食事について正しい理解を深め、健全な食生活を営むことができる判断力を培い、及び望ましい食習慣を養うこと」「学校生活を豊かにし、明るい社交性及び協同の精神を養うこと」「食生活が自然の恩恵の上に成り立つものであることについての理解を深め、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと」「食生活が食にかかわる人々の様々な活動に支えられていることについての理解を深め、勤労を重んずる態度を養うこと」「我が国や各地域の優れた伝統的な食文化についての理解を深めること」「食料の生産、流通及び消費について、正しい理解に導くこと」

 これを読む限りでは、学校給食が単なる栄養補給のための食事にとどまらず、学校教育の一環であるという趣旨がより明確となっています。明らかに口の中に栄養のためと言って食べ物を押し込むことは間違いです。

食育へ” への17件のコメント

  1. 昭和29年制定の「学校給食法」の「児童がみずからの体験を通して、望ましい日常の食生活の営みを学びとること」という部分の、特に「食生活の営み」がのちに定められる「食育基本法」7項の最初の「適切な栄養の摂取」に重点が置かれ今日に至っている学校給食の現状をわが子の学校生活から感じます。食の営みから栄養摂取へ、という流れを、栄養摂取から食の営みへ、戻さなければならない現実が確実に存在するのです。そもそも食べることは楽しいこと、幸せなことのはずです。「口の中に栄養のためと言って食べ物を押し込むこと」から楽しさや幸せを感じることはできません。「決められた摂取量を無理やりに子どもの口の中に押し込むことが教育」であるはずはないのに、そう思い込まざるを得ない強制的な何かが教員に課せられているとするとおかしなことです。そして、その煽りを受けるのが、給食を享受するはずの子どもたちです。私たちの園の給食のしおりがあります。タイトルはずばり「たのしい食事」です。自分の好きな料理を皆といっしょにおいしく楽しく食べられる、これこそが食の営みだと思います。これをベースにしなければ、豊かな食育の実現は不可能であるような気がします。

  2. 食料事情が十分ではなかった時代に学校給食を栄養補給の食事として捉えるだけではなく、教育活動の一環としてきちんと示されていたというのには驚きました。どうしても食料事情があまりよくない時代という印象があるので、給食の目的もそこばかりが重視されていたのかなと勝手に思っていましたが、そんなことはなかったのですね。学校給食の目標を読みますと、改めてただ食べればいいのではないということを感じます。給食はただお腹がいっぱいになればいいというものではありませんね。どれの大切なことなのですが、「食生活が自然の恩恵の上に成り立つものであることについての理解を深め、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと」や「食生活が食にかかわる人々の様々な活動に支えられていることについての理解を深め、勤労を重んずる態度を養うこと」などは食を通じて自分は大きな輪の中の一員なんだということを感じることはとても大切なことであるように思います。コンビニに行けば食べ物があるではなく、そこに至までの多くの人の手があり、手間もかかっていること、土があり、雨が降り、太陽がある自然のなかで時間をかけて育っていることを感じてほしいと思います。学校教育=受験や学力ばかりに目がいくのではなく、もっと大切な部分があるということを多くの人に知ってもらいたいですし、なにより現場の人がそのことをしっかり理解していてほしいなと切に思います。大切なことの方向を間違えてはいけませんね。

  3. 学校給食を栄養補給の機会だけでなく、教育的要素を見出し、そこから食育という言葉が生まれたことによって、生きる上で“食”というのは非常に重要であるということが、すぐに理解できるようになったと感じます。その“食”にも、しっかりと「目的」と「目標」が決められているのですね。また、その目的と目標は、時代によって変化していくというのがいいですね。あくまでも、栄養や素材といったものが主体ではなく、それを食する人が主体であるという意識が伝わってきます。そして、7項にも及ぶ新たな学校給食の目標を読むと、食生活が大事であるというよりも、食生活を通して何を獲得し、どう生きていくかといったことが書かれているようにも感じました。まさに、食べることだけに留めず、社会の一員として必要な“人格形成”の、大きな手段の一つになったということでしょうか。この7項を呼んでいると、「口の中に栄養のためと言って食べ物を押し込むこと」が、単なる“いけないこと”というよりも、法に触れるような重大なことであることが感じ取れます。

  4. 豊かな時代になり、簡単に食糧を口に運べるようになっている現代の子どもたちに、この改定された7つの学校給食の目標は必要なことですよね。
    好き嫌いも豊かな世の中になり、食べ物を選べるようになってから現れたものだと思います。何でも手に入る時代の弊害というべきでしょうか。
    貧しい時代を経験してきた人からすれば、好き嫌いをして食べないのには疑問を感じてしまい、強要してしまっていたのかもしれません。その名残が現代に残ってしまったのかもしれませんが、そろそろ強要することの間違いに気づいてもいいのではないのでしょうか。

  5. このように整理してもらったものを読んでいると、学校給食に求められているものが大きく深いことが更によく理解できました。特に最後に書かれている7項を読むと給食に求められていることがよく分かります。でも、これを読んで実際に自分の目にしたことのある給食の時間を考えると、うーんと考えさせられることが多いですね。こうしたことを厳格に守って進めていくのは難しいことかもしれませんが、これを踏まえた上で1年の給食の時間を大事なことを伝えていくことはできるんじゃないかと思います。栄養のためだからと言って口の中に食べ物を押し込むようなことはあってはいけないですし、怒鳴り声を聞きながら食事をすることもあるべきではないと思います。

  6. 「教育」という捉え方、食の面だけではなく、様々なものへも、教育というものは、こういうものだという概念をもち、子どもたちへと関わりを持っている人は現代まで続いているような気がします。
    様々な施設・小学校では、残したらいけない、食べるまで、席から離れたらいけない、など、大人が決めたルールの中で、生活しているのではないでしょうか。
    この経験は、非常に辛いものがあるようで、無理に食べていたからなどの理由で、今は、食べたくないという話を聞いたことがあります。これは、子どもの人権にも影響してくる問題でもあると思います。
    7項に整理・充実された学校給食の目標は、子どもたちのお腹を満たすための給食から子どもたちが食から感じ、学び、成長に必要な要素を含みながら、様々な形で、食への関わりを持てる内容だと思いました。

  7. 学校給食法案の提案理由説明の中に「児童がみずからの体験を通して、望ましい日常の食生活の営みを学びとること」と記されています。口の中に食べ物を詰め込まれることは、自発的な行動でもないし、食生活の営みを学ぶことでもありません。どうして子どもにとって最善の環境であるべき保育園や小学校などの教育機関でこのようなことが行われてしまうのでしょうか。
    それには教育、保育というものが、近代日本においてしっかりとした定義が根付かないままに今に至っているからではないのでしょうか。指針や要録、第三者評価などの機関も含めて抜本的な改革なしに、このような行為は止められないような気がします。
    以前、ある居酒屋チェーンの社長がテレビで売り上げの悪い支店を査察した際に、そのお店の店長を含め従業員の態度が悪いことに気付き、対策をとった話をしていました。その対策とは、ずばりそのお店を潰したということでした。一度腐敗してしまったお店は回復するのに研修や面接など相当な苦労を要するとのことで、時間も経費もかかるなら潰してしまう方が早いということでした。
    組織である以上、保育園も小学校も然るべき対策が必要なのかもしれません。

  8. その昔、わたくしの次男は食がやや細くて好き嫌いが多く、食べるのが遅い子だったのですが、1年生の時、わたしの職業柄、子供の学校の教室まで備品を据え付けに行きましたら、教室の机は全部後ろに下げられて、ほかの子は濛々と埃を立てて掃除を始めている中、うちの子ともうひとり女の子が半べそで食べきれない給食を食べさせられているところに出くわしてしまって、怒りとも悲しみともつかないとても複雑な気持ちになって子供に見つからないようにそそくさとその場を離れたことがありました。
    本当にわたしの職業柄、仕事上は無謀なことなのですが子供のために一大決心をして、担任の若い先生にやんわりと言葉に気を付けながら抗議のようなお願いのようなお話をしに伺ったことがありました。
    今回の藤森先生の内容に対して書き込まれた皆様のご意見を拝見してとてもうれしい気持ち、清々した気持ちになれました。

  9. 教育や考え方など、捉え方によってその意味合いや理解がことなることはあると思います。しかしながら、学校給食の目標のように、補給のための食事にとどまらず、学校教育の一環であるという趣旨が明確となっているのにもかかわらず、口の中に栄養のためと言って食べ物を押し込むことが何故行われているのか不思議です。給食を教育の一環としてとらえるのであれば、様々な掘り下げ方や展開のしかたがあると思うのですが、ただ単に栄養摂取を目的としているのであれば、もったいないですね。

  10. ブログ内にも書かれていましたが、ただ単に栄養を摂るだけの給食ではなく、教育の一環としての給食になっていっていますね。学校給食法案の提案理由説明でもあったように「教育的に実施される学校給食の意義はまことに重要である」と言っている事からその重要性が見えてくるのと同時に、やはり教育の「教」の字によって誤解が生じてしまうのですね。給食法というものがその時々で改正されて来たことで、その当時の重要点や何よ目指しているかが読み取れそうですね。

  11. 給食が単なる栄養摂取から教育の一環に捉えられたことにより、ただ食べるだけではなく、その食べ物から学びととっていく大切さが意図されていたことが伺えます。しかし、ブログにもありましたが単に「教育」と言うと、決められた摂取量を無理やりに子どもの口の中に押し込むなどといったことと勘違いしてしまう人もいるでしょうね。それが前回のブログにあった、現代の小学校の給食実態を知ると良い面も悪い面も伝承していると感じます。食も給食も時代の流れによって様々な形に変化していく。現代でも、現代に合った食や給食の形態が試行錯誤されていることでしょう。ただ、それをその場しのぎにするのではなく、改正された7項の意図をしっかりと理解した上で先を見据えて、アクションを起こしていく必要性と、万が一に備えたアフターケアの充実も必要になってくると思えます。それが「教育」を間違った捉え方で解釈してしまっている人から「決められた摂取量を無理やりに子どもの口の中に押し込む」等の悪い伝承を途絶えさせることに繋がっていくと思えました。

  12. 栄養補給から食育へ時代ととともに随分と意味合いが変わってきたことがわかります。教育の一環としてとらえられたにも拘らず、栄養を口のなかに押し込むとう考え方が今現在でもあることに驚きます。「学校生活を豊かにし、明るい社交性及び協同の精神を養う」という言葉とは全く反対の行動です。また、このことが幼児教育へ影響していると考えると怖くなります。

  13. 栄養摂取が重要視されていた中でここまで教育の一環として、考えられていたのですね。ただ、食べてお腹を満たすだけではなく今この食材を食べられている背景を存分に考えられることが大切かがよくわかります。学校給食法や食育推進基本計画、新たな目標である7項の整理、充実など背景まず子どもたちから近い私たちから理解をしていく必要がありますね。そうでなければ伝えることができません。ただなぜ、こういったしっかりしたものがある中で「栄養のためといって口の中に押し込む」といったことが続いてしまうのか。このことを知らない人が多いということでしょうか。私も含めこういったことをしっかりと理解していく人を増やしていかなければいけないのでしょうね。まずは子どもと一緒に楽しく食べることから始めて深めていきたいものです。

  14. 「決められた摂取量を無理やりに子どもの口の中に押し込むことが教育だと思ってしまう人がいる」というところが、「教育」そして物事を、正しく理解できているかというところがとても大切に感じました。
    その後の学校給食法の改定は、今の時代から見ても正しく理解すれば、「食育」という意識が感じられるのに、いまだに口の中に栄養のためと言って食べ物を押し込むことに重きをおいている人がいるというのはとても悲しくも感じます。

  15. 学校給食が栄養補給のための食事という観点から教育活動の一環へと変わったのですね。決められた摂取量を無理やりに子供の口に押し込むことは間違っているとあります。私もそう思いますが、小学生の頃は無理やり食べさせられていました。給食を全部食べるまで、昼休み遊びに行けませんでした。
    また、学校給食の目標について7項についてまとめてありますが、これらは本当に大切なことだと思います。例えば、「食生活が自然の恩恵の上に成り立つものである」とあります。これは、自然の命を頂いていることを忘れてはならないということだと思います。魚や動物、野菜にしてもその命を頂いていることを忘れてはなりません。また、「我が国や各地域の優れた伝統的な食文化についての理解を深めること」「食料の生産、流通及び消費について正しく理解に導くこと」とありますが、これは以前のブログにもあった地産地消や行事の食事にも繋がると思います。これらを子供たちに教えていくことは本当に大切なことだと考えます。

  16. 給食を「教育」として捉えることで単なる栄養補給ではなく学校給食法案の「児童がみずからの体験を通して、望ましい日常の食生活の営みを学びとること」と書いてあるように、しっかりと子ども主体と位置付けされていますが、逆に教育ということで、無理矢理に食べさせているのは問題ですね。昭和29年に「食育」として7つの項目にまとめられていますが、どの項目も今でも大切にしていきたい項目だと思います。最終的には大人になった時に自分で栄養のバランスを考えた食生活が出来るようにならないといけないと思います。その時から為にも、給食というよりも、食事というものが、一体どういう物なのか?そして安心して食事が出来ることはどういうことなのか?など、食事の背景を知ることも大切ですね。

  17. 最後の7項目を見ると決して「栄養補給」のためだけではないということを強く感じます。しかし、現実この項目だけに非常に視点が向かっているのはとても残念な事ですね。なにをもって「食育」とするのか、教育現場において「食」とはどう考えていかなければいけないのか、今回の内容を読むことで少し整理されたように思います。まだまだ、栄養重視の意識が高い人は少なくありません。本来の考えをどう取り入れていくことが必要かもっと考えていこうと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です