古代の食べ物

みょうがは古くからあったようで、魏志倭人伝にはすでに記述があります。
 「日本人のひるめし」(酒井伸雄著)のなかで紹介されています。魏志倭人伝には、食に関する記述が何か所かあるようですが、1日に何食食べていたかはないようです。しかし、邪馬台国の食に関して、こんな記述があるようです。「イネや麻を植えており、カイコを飼っている」「土地は温暖であって冬でも生野菜を食べている」「食事の際には高床(食べ物を盛る脚付きの台)を使うが、箸や匙を使わず手づかみで食べている」「葬式の折には、棺をとめておく間は肉を食べないし、葬式に行った者は酒を出されて、飲みかつ歌う」「ショウガ、タチバナ、サンショウ、ミョウガなどがあるが、これらを使って料理をおいしくすることは知らない」

 この魏志倭人伝には、邪馬台国のこと以外の地域の食についても書かれてある個所があるようです。対馬国では、良田はなく、海物を食して自活し、船に乗りて南北に市てきす(米を買う)と書かれてあり、米が取れないので、買い付けてきたようです。佐賀にあった末ら国では、好んで魚やアワビを捕らえていたようです。

 古い時代の料理や食べ物について書かれた本にしばしば引用されるのが、奈良時代の末期に作られた「万葉集」です。たとえば、「醤と酢を混ぜたもの(現在の酢味噌?)にノビルの漬物を添えて、鯛を食べたいと思っているのだから、ミズアオイの吸い物などは見せないでくれ」というような意味の歌があります。この漬物は「搗漬」(つきつけ)というもので、江戸時代までには完全に姿を消してしまった漬物だそうで、野菜を塩とともに臼で搗いたもののようです。

 最近、うなぎの漁獲量の制限が話題になっていますが、ウナギを食べるのは日本人くらいと言われますが、万葉集の中で大伴家持が、やせた老人に向かって「石麻呂に 吾もの申す 夏痩せに よしと云うものぞ 鰻とりめせ」夏バテにはやはり鰻が昔からいと言われていたのですね。

 このほか、「古事記」や「日本書紀」や各国の風土記をはじめとする古い文書にも、当時の様々な食生活の模様が描かれてあるようです。「正倉院文書」には、給食の記述があるそうです。東大寺で青銅の鏡を作る仕事をしている雑工と雑役夫に給食をしていたようです。内容は、雑工には、米8合、塩0.4合のほか4種類の調味料と2種類の海藻が支給されています。それより1ランク下の雑役夫には、米、塩は同じですが、他にワカメが支給されているそうです。これを見ると、海藻がずいぶんと重要な食べ物であるようですね。

 時代によって、いろいろなものが変化してきますが、それは食においても同様です。しかし、食はまた宗教行事に関連するものがあるために、古来からの食をそのまま残していることが多いようです。酒井さんも、古く方伝わる儀式や芸能からも多くの手掛かりを得ることができますが、それを見ると、信仰の世界では、人間は保守的になる傾向があるらしく、世界中の多くの民族では1000年も2000年も昔の作法やしきたりが、現在まで昔のままの形で伝わっていることが多いと言います。そこで、現在まで伝わっている神事の中に、昔の食を推し量ることができると考えています。