1日3食

 私は、いろいろなことに興味を持つと同時に好奇心が強いため、常に「なぜだろう?」「どうしてだろう?」と考えることが習慣になっています。ですから、よく言われる常識に、まず心の中で反論してしまうのです。そして、その常識は、人類がこの地球で生存するうえで、必要なことなのだろうかと考えるのです。その常識は、人類にとって、普遍的なことなのだろうかとも思うのです。

 日本では、「早寝、早起き、朝ごはん」が運動として展開しています。また、最近、朝食を食べてこない子どもが多くなり、午前中の活動に支障をきたし始めているということも言われ始めています。しかし、以前、ブログでも紹介しましたが、ドイツでは園で朝食を食べることが多いようです。それは、あくまでも希望の子だけが、家から持ってきて、好きな時に軽食程度食べています。そんな保育に対して、「朝食を親と食べることについてどう思うか?」を聞いたところ、もともと人類は、朝食は食べていなかったと言いました。大体、起きてすぐ何か食べられますか?」と逆に問いただされました。

 現在、基本的にどの地域に行っても、1日3食というのは共通しています。その中でどこを重視しているかは別として、文明社会では1日に三回の食事をするというのは常識になっています。

 しかし、人類が地球上に現れた時から3回に分けて食べていたとは思えません。それは、都合のいい時間に食物が手に入るとは思えないからです。また、現在のチンパンジーやゴリラなどの食事を見ても、そう思えません。

 地球上には、現在なお1日に3回の食事をしない民族があるそうです。「極限の民族」(本多勝一 著)の中で、カナダイヌイットたちの食事についてこう書かれてあります。「“食事”とは、いったいなんだろう。我々はすぐに、食卓をかこむ情景を思い浮かべる。あるいは、朝食、夕食といった一定の食事時間を連想する。好きな料理もまぶたに浮かべる。だが、エスキモーにとっては、こうした意味の食事は存在しない。食事とはただ“食うこと”。腹が減った時、食い物を胃袋に詰め込むだけだ。一家そろって食べる時もなければ、食事時間もない。(略)そのうちに腹の減った者が、片隅の食糧置き場で勝手に生肉を食べる。腹の減る時間は、各人各様。食糧置き場にラッシュはない。食糧置き場へは、隣の食糧貯蔵室から、ときどき肉の塊が小出しにされる。(略)室内は暖かいから凍ったのが溶けてべとべとし、中には腐りかけたのもある。」

 また、ニューギニア高地で暮らすウギンバ部族の食事の様子をこう書いています。「午後の2時か3時ころになると、畑仕事を終えた一家がそろって食事を始める。ただし、一家がそろうような食事は、たいてい1日1回。あとは、室内の囲炉裏の灰で焼いたイモの弁当を持ち歩いて、腹が減ったら勝手に食べる。」

 カナダイヌイットの社会では人々が集まって一緒に食事をする習慣は全く存在しません。一方、ニューギニア高地人の社会でも、蒸し焼きにした野菜を食べるために1日に1回集まって食事をするほかは、一人一人が勝手に焼いたイモを食べているそうです。このニューギニア高地人の調理は、器などなくても火と水さえあればできるのです。ですから「無土器文化」と呼ばれています。

 では、人類は、どうして1日3食みんなで食事をするようになったのでしょうか?