実施基準

 学校給食は、どうしても栄養摂取が目的の中に入ってしまうのは、仕方ないようです。それは、栄養に無頓着な家庭もあるからです。先日も、ある家庭では、子どもにはジュースとお菓子だけ与えていると聞きました。また、私が教員をしていた時のクラスには、毎日学校給食しか食べさせてもらえない子がいました。その子は、土、日は大変で、近所の人たちがかわいそうだと言って、食べさせてあげていました。その子にとっては、給食が命綱でした。これらは、何も戦後すぐの話ではないのです。

 そこで、学校給食には「学校給食実施基準(第8条)」が定められています。そこには、学校給食法の趣旨にのっとり、学校給食が適正に実施されるよう、学校給食の実施回数、児童又は生徒の平均栄養所要量等について規定されています。この基準は、学校給食法が制定された昭和29年に既に定められていましたが、学校給食法の条文上には規定されていませんでした。それが改正されたものでは、第8条において、文部科学大臣が策定する旨を明記し、学校の設置者は同基準に照らして適切な学校給食の実施に努める旨を規定しています。

 平成21年に出された「学校給食実施基準の施行について」の通知では、学校給食における摂取基準について、基準が書かれてあります。まず、「学校給食摂取基準については厚生労働省が定める「日本人の食事摂取基準(2005年版)」(以下「食事摂取基準」という。)を参考とし、その考え方を踏まえるとともに、文部科学省が平成19年度に行った「児童生徒の食生活等の実態調査」(以下「食生活等実態調査」という。)結果を勘案し、児童生徒の健康の増進及び食育の推進を図るために望ましい栄養量を算出したものである。」と書かれてありますが、留意点として、「児童生徒の1人1回当たりの全国的な平均値を示したものであるから、適用に当たっては、個々の児童生徒の健康状態及び生活活動の実態並びに地域の実情等に十分配慮し、弾力的に適用すること。」とされています。

 しかし、具体的な数値が示されると、どうもそれが義務と捉えられてしまうのは、保育の世界でもよくある話ですね。学校給食摂取基準についての基本的な考え方が例えばこのようにしまされています。「エネルギーについては、学校保健統計調査から児童生徒の標準体重を求め、食生活等実態調査結果を参考として、身体活動レベル1.75を用いて算出した1日の必要量の33%とした」また、「たんぱく質の推奨量が“第6次改定日本人の栄養所要量”より低い値となっている。しかし、主菜の量、児童生徒の嗜好及び学校給食においてカルシウムの供給源としての牛乳が通常毎日提供されていること及び食生活等実態調査結果などを勘案すると、基準値は現行程度が適切と考えられる。よって、食事摂取基準の推奨量(1日)の50%を基準値とした。また、高たんぱく質・高脂質の食事嗜好を助長しないよう食事摂取基準の推奨量(1日)の33%から食生活等実態調査結果の摂取量1日分の40%を範囲とした。」他にも、「脂質」「ナトリウム(食塩相当量)」「カルシウム」「鉄」「ビタミン類」「マグネシウム及び亜鉛」などの食事摂取基準の推奨量(1日)が示されています。

 とは言え、日本人は、「弾力的」とか、「柔軟に」とか、「創意工夫」とか、「実情に合わせて」というような対応は苦手なようですね。それは、「一斉、画一」の教育をされてきた影響でしょうか?

実施基準” への16件のコメント

  1. 給食が命綱と聞いて、先日放送されたクローズアップ現代の内容を思い出しました。子どもの貧困ということがテーマで食事が満足にとれない子どもの様子や給食を無償にした取り組みなどが紹介されていました。この事実をどう整理したらいいのか分からない、なんともいえない気持ちになりました。給食が命綱というのは現代での話でもあるというのは事実としてあるということを忘れてはいけないと思いました。摂取基準の推奨量はこのように示されているのですね。イメージが難しかったので、読んでいくのに時間がかかりましたが、これを計算しておられる方がいるのですね。あくまでも推奨なのかもしれませんが、数字が示されてしまうとなかなか日本人には柔軟にや弾力的には難しいのですかね。「適用に当たっては、個々の児童生徒の健康状態及び生活活動の実態並びに地域の実情等に十分配慮し、弾力的に適用する」とここまで書いてあることは知りませんでした。提示ことされたものをやっておけば無難だろという考え方は日本人にはありますね。それは全体の輪から外れたくないからでしょうか。怒られたり、責任を負いたくないのでしょうか。いや、言われたことをするのがもう得意になってしまっているのかもしれません。自分で考えては苦手なのかもしれませんね。やはり、画一、一斉というところに戻っていくのかもしれませんね。

  2. 子どもたちの好き嫌いは別にしても、提供する側は確かに「児童生徒の健康の増進及び食育の推進」の観点から算出された栄養量を保障することは大切な気がします。しかし、必要とされる「栄養量」を摂取させるため無理に食べ物を口に入れさせられたどうでしょう。私なら、おそらく、飲み込んでも嘔吐してしまうでしょうね。嘔吐してしまうと栄養摂取どころのお話ではなくなります。保健の観点から体調不良を疑われることもあるでしょう。「推奨量」が具体的な数値で示されると、栄養の専門家はその数値を守ろうと頑張るのでしょう。そのこと自体はいいと思うのですが、数値を死守しようとして「一斉、画一」的な給食となると果たしてどうなのでしょうか。「身体活動レベル1.75を用いて算出した1日の必要量の33%」。私たち人間には遺伝子による違いがあると思います。大きかったり小さかったり重かったり軽かったりします。それでも「身体活動レベル1.75を用いて算出した1日の必要量の33%」!このことは人類の歴史上どのような意味を持つのでしょうか。この数値によって如何なる日本人の形成を企図しているのでしょうか。メタボなオジサンたちが多い昨今、この数値による栄養量管理は若者よりもメタボおじさんたちに必要な気がします。

  3. 給食の摂取基準が、こんなにも具体的な数字によって決められているものだとは思ってもいませんでした。「身体レベル1.75」という言葉も知りませんでした。調べてみると、日常活動の内容が「座位中心の仕事で、移動や立位の作業・接客、あるいは通勤・買い物・軽スポーツなどを含む場合」にあたる人のことを言うそうですね。人の活動内容の平均値を算出し、それに見合った量、朝食と夕食を除いた一日に必要な量、ということを考慮したものが「33%」ということであり、カルシウムの「50%」という数字になるのですね。それらは、あくまで実施基準であるにも関わらず、「そうしなくてはいけない」と捉えてしまう日本人の傾向を考慮した、新しい基準が必要であるということでしょうか。時代によって、給食に関する基準も変わってきたように、人の数字に対する価値観というものも、変わなければいけない時なのかもしれません。

  4. 最後に書かれている『「弾力的」とか、「柔軟に」とか、「創意工夫」とか、「実情に合わせて」というような対応は苦手なようです』ですが、まさにそうだと思います。自分で考えることに慣れていないとどう判断していいのかわからなくなってしまうということはあるんじゃないでしょうか。ましてや栄養に関しては行政の指導というかアドバイスまで届きます。そんなときに守るべきことは守った上で、自分たちが大事にしていることを自信を持って続けていくことができるか。そうしたことが試されていて、考え続けなければいいものを作っていくことはできないと思っています。一斉画一の教育の影響は長い間人々を縛ってしまうモノなんでしょうね。

  5. 数値化されてしまうと、それをノルマや義務のように達成しなければならないと感じてしまうのも、ある意味国民性だからでしょうか。「個々に応じて、弾力的に」と柔軟な対応を求められていてもそれが出来ないのは、個々で考えることや対応することが苦手ということもあると思いますが、一斉のほうが安心だという考えもあってのことだと思います。足並みを揃え、みんなで同じように進んでいくことを良しとするのは、実は個人の違いや個性というものを見て見ぬふりをしているだけなのかもしれませんね。

  6.  栄養に無頓着な家庭もあるというのは確かに納得です。コンビニや外食などが手軽に出来る現代で、カロリー表示には目がいくものの、必要な栄養をとそこまで考えて食事をしている家庭は少ないかもしれません。巷には大盛りやメガ盛りなど、とてつもない量を食べる流行もあり、必要以上のカロリーを摂ってしまえるという点からも、栄養についてのきちんとした知識が乏しい結果であるのかもしれません。
     具体的な数値が示されると、どうもそれが義務と捉えられてしまうのは、保育の世界でも本当によくある話です。右向け右の精神ではない世界で育つことができたなら、もしかしたらその具体的な数字に対しても「弾力的」に「柔軟」に「創意工夫」を凝らして、「実情に合わせて」取り組むことができるのかもしれません。権利と義務の話を藤森先生の過去のブログで取り上げられていますが、数値を守ることは義務である部分もあるかと思うのですが、どのようにその数値にアプローチをしていくかは権利の部分であると思います。今の日本においては、自由度の高い部分に大して創意工夫を自由に出来る環境を配慮することや、その人自身の意欲を高めることが必要になってくるのかもしれません。

  7. 学校給食が栄養を摂取するためのもののように考えてしまわなければ、ならない家庭、文章にも書かれているような家庭での食事はジュースとお菓子のみというのは、育ち盛りの子どもにとって非常に辛いもので、給食というものが、命綱になっているとがうなづけます。
    そして、学校給食法の趣旨にのっとり、学校給食が適正に実施されるよう、学校給食の実施回数、児童又は生徒の平均栄養所要量等について規定されているとありますが、ここの日々、家庭のなかで摂取できている量は異なるものだと思います。やはり、平均値があればだいだいの子どもたちに提供できる量というのはわかりますが、さらに工夫をして、一人一人の食生活というものをもっと考慮し、取り組む必要性を感じました。
    保育のなかでも、食べる量というのは、様々で朝早く来た子どもは、よく食べるし、朝御飯を食べていない子どもは、昼まで我慢をし、それからご飯を食べる(補食などはありますが)、など、一人一人違う家庭のなかで生活しているのが、現状です。

  8. 給食が命綱である子どもがいるなんて悲しい現状ですね。給食費未納の保護者やお菓子やジュースだけ与えている保護者は、自分たちが子供の頃はどんな食生活を送っていたんでしょう。
    給食が命綱の子どもがいるということを事実として受けとめて日々の生活をしていかなければいけないな、と思いました。
    最後の『創意工夫や実情に合わせて、が苦手なひとが日本人は多い』というのはなんか自分に言われている気がしました。一斉、画一の教育を受けてきたせいにしてしまってはいけないと思いますが、自分もこの一斉、画一教育の影響からなかなか抜け出せないのかもしれませんね。

  9. 子ども達の健康の増進と、食育の推進を図るために望ましい栄養量を算出されることは確かに大切な事です。しかし、そこではっきりとした数字を出されてしまうと、留意点が書かれていてもどうしてもそこの数字を気にしてしまいその通りに与えようとしてしまいますね。さすがに毎回大幅に誤差があるというのも問題ですが・・・。藤森先生がよく講演の中で、「哺乳瓶でミルクを飲ませるときに、おおよその量が〇か月ならどれくらいと書かれているあまり、その通りにやろうとしてしまうが、赤ちゃんはもともと自分で決められる能力を持っている」と話されています。私も子ども達と一緒に食事をしていますが、自分の体調によって食べたい量を選択するということは、やはり食べきるという自己責任であったり、午後のおやつまでや帰ってからの夕食までなどの見通しも含め、自分で選択するということの大切さを改めて思いました。

  10. 食事摂取基準の1日の推奨量の内容は今年の保育士試験の「小児栄養」で勉強したところなのでまだ記憶に新しいです。しかし、試験に追われると暗記することばかりに頭がいってしまい、細かい内容は触れず終いになってしまっていたのでとても勉強になりました。また、今日の内容から1日に「何を」「どれだけ」食べれば良いかを示す「食事バランスガイド」を思い出しました。食事摂取基準の1日の推奨量と似ている箇所が多いですが、食事摂取基準と比べてそこまで細かくないので、こちらをベースに考えれば今回の内容で指摘されていた「具体的な数値が示されると、どうもそれが義務と捉えられてしまう」ことも減るのでは思いました。
    「一斉、画一」の教育が日本人の柔軟性の豊かな育みを妨害しているのかもしれませんね。私たち保育者は子どもたちが選択権・コントロール権を有効に使えるように、そしてそれを通して柔軟性を養っていく手助けをしていかなければならないと感じました。

  11. 「具体的な数値が示されると、どうもそれが義務と捉えられてしまう」というのは、個人的には嫌なことですが、場合によってはそれを使う場合があるので悔しいところです。また、このような数値が提示され「弾力的」「柔軟に」「創意工夫」「実情に合わせて柔軟に使う」というのは確かに苦手のような気がします。もう少しこの点を考えることができると、説明するときに説得力が増すのだと思っているのですがなかなか上手くいきません。

  12. 以前に会った子どもがいる友だちに会った際にこどもにお菓子を絶えず与えているのを目にしました。更に子どもがせがむあまりに毎日のようにスターバックスの甘い飲み物を飲んでいるようでした。少々唖然としてしまいましたが、現代ではなんでも手に入りますが、食育がうまくできず色々と与えてしまうという親も少なくないのでは、思ってしまいました。自分が親になった時のことを考えてしまいます。話はそれましたが、こういったこともあると思うとある程度は栄養摂取基準があることによると助かる親も多いのでしょうね。しかし、決められた数値があることによって守らなければという頭が働き、無理に口に入れるというケースが生まれてくるですね。一斉、画一を食育に持ってくるというのも酷ですね。子ども一人一人を尊重するのではあれば、そういった所も柔軟に対応していきたいところですね。そこには決められた数値はあるけれども現場の柔軟性が試されているのでしょうか。

  13. 給食の栄養摂取が目的というのは、戦後に限った話だと思ってましたが、意外と最近もある話だったのですね。
    学校給食摂取基準など、具体的な数字が出てきて、それを義務と捉えてしまうという話がでました。そして、それに対して、例えば児童の健康状態などを配慮して、柔軟に対応するとあります。日本人はそのような対応が苦手で、私も例外ではないような気がします。私も昔から、応用がきかないと言われてきました。このような基準値を示されるとキチッとその基準通りにやらないといけないと思ってしまうのです。これはいいとこもあるとは思いますが、直したい部分でもあったりします。

  14. 学校給食摂取基準が「身体活動レベル1.75を用いて算出した1日の必要量の33%」となっているのは知りませんでした。身体活動レベルとなると、今の時代の子どもと昔では必要とされている給食摂取基準が大きく異なりそうですね。しかしながら、毎日学校給食しか食べさせてもらえない子が、土、日は、近所の人たちがかわいそうだとご飯を食べさせてくれるというのは、その当時のコミュニティーの凄さに驚かされますね。今はないその感じが、日本人の「柔軟に」、「創意工夫」、「実情に合わせて」を失わせている要因にもなっているのでしょうか。

  15. おそらく、私自身が子ども達の給食を考えなければいけないという立場になった時に、まず考えるのは栄養のバランスだと思います。そして1日に必要な栄養素を出して、その数値に値する献立を考えます。しかし実際に保育現場に入ってみると、あまり栄養のバランスを強く押し出すのも、どうかな?と思いました。更に藤森先生のドイツ報告からドイツの給食を聞いて更に驚きました。確かに「弾力的」「柔軟に」「創意工夫」「実情に合わせて」という考え方は日本人は苦手かもしれません。私も今でこそ少しは柔軟に考えられるようになったと思いますが、就職してからは苦手な分野でした。日本は一斉、画一、そして答えを一つしか出さない教え方のため苦手かもしれません。

  16. 『日本人は、「弾力的」とか、「柔軟に」とか、「創意工夫」とか、「実情に合わせて」というような対応は苦手なようですね。』この言葉にドキッとしました。確かに私がもっとも苦手とするところです。なにかモデルや前例がないと始められないことが多いですし、どうしても「基準」というものに弱く「厳守すれば、とりあえずは安心」というように考えてしまいます。しかし、そう基準を当てにしてしまうと自分で考えることをしなくなります。そこが一番怖いところですね。なぜ「弾力化」や「実情に合わせて」といった言葉が使われているのか、本来の目的はなんなのかをしっかりと洞察することが求められてくるように思います。

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