共通認識

 セリグマンは、現代社会において自己評価の増大の問題点を指摘していますが、それに対して、私たちを取り巻く大きな存在を「共通認識」と呼んでいます。自分以外にコミットするもののない人生はむなしく、人間は生きがいと希望がなければ生きてはいけません。かつて、挫折したとき心を休め、自分を取り戻すための精神的支えを持っていました。それが、セリグマンの言う「共通認識」であり、国、神、家族、そして私たちの生命を超えた大きな目標への信頼感であると言います。

 アメリカでは、様々な事件、戦争、暗殺などが頻発し、将来への展望がかき消され、社会が人間の悪を矯正してくれるはずだという希望を失いました。セリグマンらの世代の人々の多くが恐れと絶望によって、公職に生きがいを見出すよりも、少なくとも自分を幸せにすることのできる職業を選ぶようになったという見方もあります。これは平凡かもしれませんが、当たっているとセリグマンは考えています。公共の安寧から個人の幸せへの移行が行われているのです。

 こうして、不幸にして人々が国に信頼感を失った時期は、家庭の崩壊、神への信仰の衰退と時を同じくしています。高い離婚率、増大する社会的流動性、20年におよぶ低い出生率のいずれもが家庭の崩壊を引き起こしたとセリグマンは考えています。離婚が頻繁になったため、家庭はもはや傷を癒したいときいつでも戻れる永遠の憩いの場ではなくなってしまったのです。容易に遠くまで移動できるようになったことも、家族のきずなを弱める要因となりました。そして、兄弟がいないか、大多数のアメリカの家庭がそうなように、いても一人だけであることが人々を孤立させています。一人か二人の子どもに両親の関心が集中するため、短期的にはIQも平均0.5ポイント上がるなど一見子どもに良い影響が出るかのように思えますが、長い目で見れば自分中心の人間が増えることにもなってしまっています。

 セリグマンは、現在の状況をこう問いかけています。「私たちは今、どこにアイデンティティや目標や希望を求めたらいいのか?精神的支えが欲しくて回りを見回しても、心地よいソファーもゆったり座る椅子もなく、小さく危なげな折りたたみの椅子、つまり自己しかないのだ。より大きな存在にコミットするというクッションに包まれていない丸裸の自己は、うつ病にかかるお膳立ての中にいるようなものだ。」

 セリグマンは、個人主義の拡大と、共通の認識の衰退は、どちらか一つだけでもうつ病の要因となるのですが、アメリカでは、近年この二つが同時に起こったために、うつ病が蔓延しているのだと分析しています。うつ病は人々が身につける無力感を通して起きるのです。この分析は、何もアメリカに限ることではなく、日本でも全く同じ状況です。以前のブログでも紹介しましたが、個人は自分ではどうしようもない挫折に遭遇すると、無力感に陥ります。無力感はその人が挫折の原因を永続的、普遍的、個人的なものとして説明すると、絶望感となって、やがて全面的なうつ病にまでエスカレートするのです。

 人生は失敗だらけで、欲しいものがすべて手に入ることはまずなく、日々挫折の連続です。そんな時、原始的な社会では、どのような対応がされたのでしょうか?そんな時代にはうつ病があったのでしょうか?

自己の範囲

 セリグマンは、現在のアメリカでは、物質面の欲求がエスカレートしてきていると指摘しています。それに伴って、仕事や愛情に対する欲求もエスカレートしてきたとも指摘します。食べるだけの給料さいもらえればよしとされていた仕事も、今日では、やりがいがあって、昇進のチャンスがあって、退職後の生活を保障するものでなければ満足できなくなっています。同僚は気の合う人でなければいけないし、企業努力は環境保護に合致したものでなければならないのです。最近の日本における人材難について思い当たる節があります。

 結婚生活にも以前よりもずっと多くのことが要求されるようになりました。家庭は子どもを育てるだけの場所ではなくなりました。配偶者は永遠にセクシーでほっそりしていて、話が面白く、テニスがうまくなければいけないのです。このように期待が過度に膨らむのは、選択の幅が広がったことにその原因があるとセリグマンは考えています。この指摘も、日本で離婚が増えていることに思い当たる節があります。

 このような傾向について、セリグマンはこう考えています。「選ぶのは誰かというと、個人だ。現代の個人は、将来を運命づけられていた昔の小作農とは違う。現代人は男も女も株式の立会場さながらに、ヒステリックに次々と選択を下さなければならない。その結果、新しい自己、つまり、“最大限”の自己が生まれた。」

 この分析は、常々思っていたことを的確に言い表しています。どうも最近、イライラしていて、いつも何かに不満を持っているかのような、そんな人を多く見かけるようになりました。私は、人類が長い間生存し、遺伝子を子孫につないできたのは、生きていることに満足し、生きることに前向きであったからだろうと思っています。それは、もしかしたら、人類は楽観主義を持つことで生き延びてきたのかもしれません。それは、社会と自己のバランスかもしれません。セリグマンは、自己の範囲は時代と文化によって異なると言います。中世からルネッサンス後期までは、自己は最小限の重要性しかなかったところ、ルネッサンス末期になって自己は拡大し始め、現代にいたるまで増大しつづけてきたと言います。

 そして、いま、良くも悪くも私たちは最大限の自己の文化を生きていると言います。豊富な品物やサービスを自由に選ぶことができます。この拡大された自己がもたらす自由には、危険が伴うと言います。その中の主なものに、大規模なうつ病の発生があるとセリグマンは指摘します。彼は、うつ病の蔓延を自己が拡大された結果だと見ています。もし、単独に起こったのであれば、自己重視の傾向はさらに充実した生活という肯定的な効果を生んでいたかもしれないというのです。しかし、生憎、そうはいきませんでした。現代における自己の拡大は、地域社会の観念や、より崇高な存在に対する信念の衰退と時を同じくして起こったからだと考えています。これら両者が相まって、うつ病の土壌が築かれたのだと言います。

 なかなか難しいですね。自己の確立とか、自尊感情を高めるということは、危険も伴うということは、このテーマの最初の頃のブログでも書きました。しかし、時代は遡ることはできません。新しい時代に向けて、新しい考え方、新しい地域社会を構築していく必要がありそうです。

自己評価の増大

 日本では、少子社会がなかなか回復しません。しかし、アメリカでは1990年代に入って既婚女性は突然子どもを持ちたがるようになり、出産を計画している人は、10年前の2倍にもなっているそうです。セリグマンは、著書の最後の方にこう書いています。「新たな世代の誕生は私たちが将来を肯定的に見ていることを証明するものだ。しかし、この世代を待ち受けているのは、核兵器や政治や環境問題だけでなく、精神的・心理的危機の時代だ。」

 日本では、少子社会は回復してはいないもののこの世代における問題は同様なものがあります。それどころか、もしかしたら、この心の病は、日本の若者が世界で最も深刻かもしれません。この危機を解決する方法はきっとあるとセリグマンは言います。もしかしたら、その解決法の一つに楽観主義を身につけることもあるかもしれません。

 セリグマンは、第2次世界大戦以来、増加の一途をたどり、今日の若い人々は祖父母の世代よりも10倍の確率で重症のうつ病にかかり、特に女性や若い世代に患者が多く、その蔓延は収まっているという兆しもないことに対して、次の世代にとってますます深刻な問題になっていくであろうと危惧しています。そして、なぜ、うつ病が先進国でこれほどありふれた病気になったのかということについて二つの警戒すべき風潮を考えています。それは、自己評価の増大と、社会共通の認識、国、神、家族や私たちの人生を超えた大きな存在に対する信頼のようなものの喪失にあると考えています。

 彼の言う自己評価の増大という分析は興味深いものがあります。その傾向は、よくテレビなどで放映される最近の園の保護者や地域住民の苦情や要求になるほどと思うものがあります。「私たちの住んでいる社会は自己を高く評価し、個人の喜び、苦しみ、成功、挫折をかつてなかったほど真剣に考慮する。この国も経済は、移り気な個人の好みに合わせることによってますます繁栄している。私たちの社会は今までになかったほどの力を個人に与え、自己を変えることも、自己の考え方を変えることさえ可能にした。現代は自己コントロールの時代なのだ。自己の力の拡大によって、個人の無力さは運命として受け入れられるのではなく、治すことのできるものと考えられるようになった。」

 このような時代は、豊かになったともいえます。セリグマンは、かつては冷蔵庫と言えばすべて白、それは、すべて白の方が都合よく、利益も大きかったため選択の余地はなったと言います。それが、1950年代に入ると、製品が多様化し、選択を迫られるようになりました。需要さえあれば、何十通りの色、何百通りのデザインがなされ、何千万台もの新型車に何種類ものオプションを組み合わせることもできるようになりました。何百種類のアスピリン、何十種類のビールもあります。

 個人に判断、選択を迫ることで、大きな利益が生じました。個人がたくさんの金を使うことができるようになると、利益を生む強い個人主義的な生き方が一般的になりました。平均的に見ると過去のどの歴史においてよりも現代は購買力を持っています。多くの食べ物、衣類、教育、コンサート、本、知識があふれ、多くの中から選んで手に入れることができるようになりました。

 このような物質面での欲求のエスカレートは、どのようなことを生んでいくのでしょうか。

職場における楽観主義

 セリグマンは、こんなことを言っています。「自分の否定的な考えに反論する方法は、どんな子どもでも覚えることができ、一度身につければ一生忘れない。どんな方法も最初は少しぎこちなく感じるものだ。テニスのバックハンドグリップだって、初めはずいぶん不自然に思えただろう。自分自身の意見に反論するのも同じようなものだ。練習次第でバックハンドも反論も自然にできるようになる。幼いうちにこの方法を覚えれば覚えるほど、悲しい目に遭わずに済むわけだ」

 このように彼が言うように、楽観主義は早く身につけるほど、基本的な習慣になります。清潔に保つことや人に親切にすることと同じように、この習慣は重荷ではなく、ごく当たり前のことになるのだとセリグマンは言います。うつ度テストやCASQの点が良くなかった子や、両親の中が悪い子はうつ病の危険が高く、成績も落ちることが多いのです。しかし、これらの方法をマスターすることによって、長期にわたる無力感や希望のない状態に陥らずに済むようになると言います。

 また、楽観主義は仕事も支えます。競争の激しい仕事だけではなく、どんな仕事でも、つらいときの支えになってくれます。良い仕事をするか、粗末な仕事をするか、全然仕事ができないかの分かれ目にさえなります。誰でももうこれ以上は前に進めないという壁にぶち当たることがあります。この壁にぶつかった時どうするかで、成功か失敗かが決まることもあります。壁を乗り越えられないのは怠惰のせいにされることが多いのですが、これは間違いであるとセリグマンは言います。才能がないからでも、想像力が欠けているせいでもないのです。それは、方法を知らないからです。この方法はどんな学校でも教えてくれません。

 仕事上でいろいろな壁にぶつかります。意気消沈してしまうような状況はたくさんあります。顧客に電話すること、対話を書くこと、顧客と請求書について口論すること、学生たちの無気力な目つきを見ること、同僚がもたもた仕事をしているのを我慢すること、やる気のない従業員を奮い立たせようとすること等々、意気消沈してしまうそうになります。しかし、これらも、楽観主義を身につければ、乗り越えることができるとセリグマンは言います。以前のブログでも書いたように、壁を乗り越えるのは、個人としてだけではなく、チーム全体の説明スタイルも勝利や敗北を生みます。そして、組織もその大小にかかわらず、楽観主義を必要としています。

 この楽観主義は職場でも身につけることができると言います。職場で楽観主義を身につける必要がないのは、生まれついてのオプティミストである幸運な人々と、競争の少ない仕事についている人たちだけです。他の人たちは楽観主義を学ぶことで大なり小なり得をするはずだと言います。では、保育の仕事をしている人たちは、どうでしょうか?仕事上では、比較的競争がありません。比較的悲観主義が長所になると言われている、プレッシャーの少ない状況での専門的な技術が必要な職業です。では、楽観主義の必要ないのでしょうか?私は、保育という仕事は、その仕事自体というよりも、子どもに影響を及ぼす仕事であるという認識が必要です。子どもの楽観主義への母親の影響の大きさから、私たちの仕事の重要性を痛感します。

子どもに反論方法を教える

 子どもに反論方法を教えるには、大人と同様、A(困った状況)、B(思い込み)、C(結果)の因果関係を把握したところで、D(反論)、E(元気づけ)の関連を説明します。それには、こんな方法があると例を出しています。

 最初に子ども自身の例からどれかを選んでABCの因果関係の復讐をします。自分がそう考えているからといって、その考えが本当であるとは限らないのだと子どもに説明します。仲の悪い子に悪口を言われた時と同じように、これらの考えには反論することができるのだと教えます。

 子ども自身の例を一つ取り出して、「大嫌いな子に自分のことをこう言われたのだと想像してごらん」と言います。子どもはどうこたえるだろうか?子どもが一つでもよい答えを示したら、さらにできるだけたくさんの例を挙げるように促します。もう例が浮かばなくなったらこう説明します。ほかの人の批判に反論するのと同じように、自分の否定的な考えにも反論することができ、ほかの人に反論するよりももっと良い効果を上げることができます。自分の否定的な考えに反論できれば、もうそれを信じることはなくなり、もっと楽しく、たくさんのことができるようになるのだとセリグマンは言います。

 反論の訓練の仕上げは、大人と同様パートナーとのやり取りから学びます。このときのパートナーは、もちろん親が批判する役になります。それに子どもが答えていくのです。その時に、親からの反論は、決して本気で言っているわけでもなく、子ども自身が心の中でよく考えていることを代わりに言っているだけでと説明します。反論は、自分と他人とのやり取りではなく、自分の心の中でのやり取りなのです。

 ただ、気を付けなければならないのは、親は子どものことをよく知っているだけに、あまりに的確な批判をしてしまいがちです。シリアスな批判をして、子どもの心を傷つけることだけは避けるように気を遣うことを助言しています。また、幼い子であれば、指人形を使って厳しい批判は指人形に言わせるのもよい方法であると提案しています。

そして、次のように話を始めます。「他の子の悪口を言う子がよくいるよね。他の子に意地悪われて本当じゃないことを言われたら、君は言いかえすだろう?当たり前だよね。でも今までABC記録で一緒に見てきたように、自分自身のことを悪く言う人もいるんだ。それどころか、自分について本当じゃないことを言うことだってあることが分かったよね。だから自分が自分自身について正しくないことを言った場合、どう言い返したらいいか勉強しなければいけないだろう?じゃあ、指人形さんを使って自分に言い返す方法を練習しよう。指人形さんは、君のABC記録を読んだから、君が自分にどんなことを言うか知っている。でも指人形さんは意地悪ないじめっ子でもあるんだ。だから君は指人形さんに言い返して、指人形さんの言うことは間違っているよ、って教えてあげなければならないんだ」

オランダに保育を見に行った時に、「スハットキスト(Schatkist)」という人形を使ったテーマ学習を行っていました。他にも、見学園では3か所で人形を使って保育をしていました。それは、メソッドとしてではなく、人形を使う保育をしているという感じでした。ここでも、人形を使って子どもに言い聞かせるようです。

子どものABC

セリグマンは、自分の子どもに楽観的に自分を説明する方法を学ぶ必要があるかどうかを判断するためのガイドラインは、三つあるとしています。その1は、8月26日のブログで紹介した「子どもの楽観度テスト」という子どもの説明スタイルはどのようなものであるかを判定することができるCASQという特性診断テストで、得点の低かった子どもであると言っています。それは、得点の低い子は、最も楽観度の高かった子どもたちよりも、うつ病にかかる率が2倍ですので、この方法を学ぶことで得ることが多いだろうと言っています。

第2に、やはり9月初めのころにブログで取り上げたうつ病度テストでの得点が高かった場合はこの方法が役に立つだろうと言っています。最後に、もし子どもの両親がけんかをよくしたり、別居や離婚をしていたりしている場合は、大至急子どもにこの方法を身につけさせる必要があるとセリグマンは助言しています。このような場合、子どもたちはしばしば非常に落ち込み、何年も立ち直れないことがあるからです。学校の成績も振るわず、説明スタイルも半永久的に悲観的なものに変わってしまいます。今何らかの手を打つことが絶対に必要になると言います。

では、大人に行ったABCを子どものために応用した方法をセリグマンは考えました。まず、子どもたちにA(困った状況)、B(思い込み)、C(結果)モデルを説明します。何かがうまくいかないときにどう考えるかで、自分の気持ちがいろいろに変化するということをはっきり理解させることが重要です。つまり、突然悲しくなったり、腹が立ったり、恥ずかしくなったりするのは、自分の考え方のせいなのだから、自分がどんな考え方をしているのかを学ぶ方法を見つけられれば、それを変えることができるのだと説明します。

子どもがだいたいの趣旨を理解したら、次にあげる例を一緒にやってみます。困った状況が、「担任の先生にクラス全員の前で怒鳴られて、みんなに笑われた」とき、思い込みは、「先生は僕が嫌いなんだ。これでクラスの人みんなが僕をバカだと思っただろう。」その結果、「僕はとても悲しくて、机の下に隠れてしまいたかった」

このようなあとに、思い込みと結果に重点を置いて、子どもに自分の言葉で説明させます。そのために、子どもにこのような質問をします。「なぜ、この男の子は悲しかったのだろう?なぜ、隠れてしまいたかったのだろう?もしこの子が先生について違う考え―例えば“先生が公平ではないことはみんなが知っている”―を持っていたとしたら、結果はどう違っていただろう?クラスのみんなはこの子がバカだと思っただろうか?」

このような例をいくつかやってみて、子どもがABC方式を把握したと思われたところで、その日のレッスンはやめにします。翌日は、子どもが自分の生活にABCをあてはめる練習をします。このような困った状況、思い込み、結果の因果関係を復讐して、子どもに毎日一つ見つけて記録をしてもらいます。それについて親子で話し合います。悲しみ、怒り、恐れ、あきらめなどはすべて思い込みによって起こるものだということを強調し、これらの思い込みは決して避けられないものでも、変えられないものでもないことをほのめかしておきます。これが5例をろったところで、次の段階である反論に入ります。

子どもを守る

 セリグマンは、自信を持ってこう言います。「ダイエットなどと違って、楽観主義は一度覚えれば、簡単に守ることができる。否定的考えに反論する習慣を身につければ、日常生活もスムーズに運ぶようになり、もっとずっと幸せな気持ちで毎日を過ごせるのだ。」

 いよいよ、セリグマンは、私たちに最も興味のある「子どもを悲観主義から守るには」ということについて、第13章で触れています。セリグマンが、「まだ大人のような責任のない子ども時代は、温室のように心地良い安全な時期であるべきだ」と言うように、子ども時代に対して、大人は責任をもって大切にしなければならないのです。しかし、本来、心地良い安全な時期であるべき子ども時代も、最近子どもも悲観主義やうつ病と無縁ではない時代になっています。多くの子どもが悲観主義のために、楽しいはずの学校生活や子ども時代を台無しにしてしまっているのです。そして、何よりも問題は、悲観主義がものの見方という形で子どもの中に深くとどまり、成人してからの悲観主義のもとになってしまうのです。子どもを相手にしている人は心しておかなければなりません。

 日本では、今世紀になってから、国民全体の自殺率は低下しています。それに反して、若年層の自殺率は上昇しているのです。その傾向は、国際的に見ると非常に特異な傾向なのです。若者ほど未来に希望があり、現在においてもそれほどストレスのない時期であるために、成年期、老年期に比べて自殺率が低いのが特徴なのです。ですから、日本では、90年代初頭では、米、英、独、仏の中で15歳~24歳までの自殺率は最下位でした。それが、この20年間で急激に悪化し、平成10年くらいからトップに躍り出て、その後各国が減少しているにもかかわらず、日本では年々増加しています。日本は、若者にとって最も「生きづらい」社会になりつつあるのです。
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 現代の若者には様々な困難が襲ってきます。就職失敗、雇用の非正規化、使うつぶすブラック企業など、困難な状況は起きてきます。もちろん、それらの条件を取り除き、若者が希望を持てる社会を構築することが最も大切なことですが、若者自身にも、ただ学力向上だけでなく、それらの困難を乗り越える力をつけていかなければなりません。その一つが、悲観主義から守ることなのです。

 子どもたちは、以前のブログで触れましたが、悲観主義の多くは母親から学ぶことが研究によって明らかになっています。また、子どもは大人に言われた批判からも悲観主義を学びます。しかし、生まれつきでなく、習得した悲観主義は捨てることもできるはずだとセリグマンは言います。子どもも大人と同じように、挫折をもっと楽観的に自分に説明する方法を身につけることによって、より楽しい生活を送ることができるようになるのです。ABC方式は大人に関しては数多くの実績があり、子どもについてもまだそれほど多くの研究はされていませんが、すでにその有効性は知られているようです。

 子どもにとって楽観主義は、本来は必要ありません。それは、もともと子どもは楽観主義で、常に前向きだからです。ですから、子どもの自然な情緒発達は、そのまま保障をしてあげればいいのであって、いろいろと干渉する必要はありません。そこで、セリグマンは、自分の子どもに楽観的に自分を説明する方法を学ぶ必要があるかどうかを判断するためのガイドラインを作成しています。そこには、三つの視点が示されています。

反論の練習

 困難に出会ってときに反射的に頭に浮かぶ考え方に反論することは、その困難さを乗り越えるだけでなく、次の行動へのエネルギーに変えることができるのです。しかし、その反論とは、他人に対して反論するのではなく、自分の心の中で自分の考えに反論するのです。その反論の方法を学んでいく一つの方法をセリグマンは、「反論の記録をつけよう!」と提案しています。その方法は、ABCDEモデルを使います。

 実際に経験した5件の困った状況(A)について、自分の思い込み(B)に注意深く耳を傾け、その結果(C)をよく見定め、思い込みに対して激しく反論(D)し、否定的な思い込みに対してどのような元気づけ(E)を使ったらうまくいったか、それらすべてを記録します。

 しかし、もし何か困ったことがすぐに思い当たらない場合でも、反論の練習はできます。それは、まず友達とか配偶者にパートナーになってもらいます。このパートナーには、自分を批判する役目をしてもらうわけですから、この人からであれば批判されてもかまわないと思うような、信頼できる人を選ばなければなりません。そして、これは自分自身を批判した場合に反論する力をつけるための練習なので、いくら批判されても気を悪くしないようにとよく説明をしておく必要があります。そして、なぜこのような練習をするかということを説明するために、自分のABC記録を見せて、自分が繰り返し悩まされている批判的な思い込みを示し、どのような批判をしたらいいかヒントを与えます。このような理解が得られていれば、パートナーの批判の言葉も気にならないし、実際この練習によって、二人の信頼関係が増すことになるだろうとセリグマンは言っています。

まず、パートナーに否定的な考えを声に出していってもらいます。その批判に対してあらゆる手段を使って大声を出して反論するのです。ありったけの反証を並べ、別の観点からの説明をしてみせ、パートナーが非難するほどの重大な意味はないのだから、大騒ぎすることはないと主張します。もし、現在のところは非難が当たっていると思えば、状況を変えるためにどのようなことができるか、列挙してみせます。パートナーにはその反論に対する反論をしてもらいます。それに対してさらに反論します。

この練習は、毎日の生活で楽観主義を身につけるには、一番効果がある方法のようです。最初に示した方法は、ABCの因果関係でした。それは、ある特定の思い込みが落胆とあきらめを生んでいるということでした。困ったことが起きたとき、普通はそのことが直接感情や行動を引き起こすわけではなく、その困った出来事に対する自分の思い込みが落胆やあきらめを生んでいるのです。つまり、困ったことに対する自分の反応を変えれば、挫折にももっと上手に対処できることになるのです。

困った状況に対する解釈を変えるには、反論が最も有効な手段なのです。これからは自分の習慣的な解釈に常に反論する練習をしようとセリグマンは呼び掛けています。落ち込んだり、心配したり、腹を立てているときはいつも、自分は自分に対してどんな説明をしているか問うてみようとも呼びかけます。

しかし、ときには思い込みが本当である場合もあるかもしれません。そういうときはどうやったら状況を変えられるかに力を集中し、困った状況が大きな災難に発展しないように努めることだと助言します。しかし、たいていの場合、否定的な思い込みは事実をゆがめたものだと言います。思い込みに負けてはならないのです。

四つのポイント

 何かが起きたときには、その原因はひとつだけということはありません。たいていの出来事は、たくさんの原因があります。よく後でそれを悔いる時に、あの時こうすればよかった、あれさえなければ、あの時こんなことが起きなかったらとさまざまな部分を後悔することがあります。その原因と思われるなかで、ペシミストはなかでも最も永続的で、普遍的で、個人的な理由に執着する癖があると言います。しかし、原因はいくつもあるのだから、何も一番厳しいものに執着することはないとセリグマンは言います。「もっと希望の持てる見方はないだろうか?」と自問してみることだと提案します。事実は自分に見方をしてくれることが多いのです。

 自分の思い込みに反論するには、あらゆる原因を探り、変えることのできる理由に焦点を当てることだと言います。今までの信念に代わる考え方を見つけ、十分に納得できない原因を信じようとするのはなかなか大変かもしれません。しかし、ほとんどの悲劇的な考え方は、最悪の思い込みに固執しているから起きるのだということを思い出してほしいとセリグマンは言います。この自滅的な習慣を捨て、別の考え方を見つける方法を身につけることだと提案しているのです。

 しかし、事実が自分にいつも味方になってくれるとは限りません。自分に対して抱いている否定的な考え方が、本当であることもあるかもしれないのです。こういう場合は、どうすればいいのでしょうか?セリグマンは、“破滅を取り除く”という手法を用いるといいと助言します。たとえ、自分の思い込みが本当であるとしても、それがどういう意味があるのだ、と自分に問うてみることだと言います。冷静に考えてみると、それは、どれほどのひどい意味を持っているだろうかと思えてきます。

 何かを頑なに信じていることの方が、それが事実かどうかよりも大きな影響力を持つことがあります。世の中が不公正に思えることが起きると、非常に心を乱される人がいます。その気持ちには同情はできるとはいうものの、世の中は公正であるべきだと思っていると、必要以上に悲しい目に遭うこともあるとセリグマンは警告します。時には自分の思い込みが正しいかどうかをしらべて反論するよりも、そのまま1日の仕事をつづけた方が有効な場合もあるのです。

 こんな例をセリグマンは挙げています。「爆弾解体処理の技術者はふと、これが爆発して、自分は死ぬかもしれない、と思うことがあるだろう。そのために手が震えだす。こういう場合は反論よりも気をそらす方法がいいと思う。こういうとき自分に問うべきことは、“自分の思い込みは正しいのだろうか?”ではなく、“今考えることが自分にとって役に立つだろうか?”なのだ。もし答えがノーだったら、気をそらす方法を使うのが良い。(ストップ!後で考える時間を決める。思ったことを書いていく。)

 自分の思い込みが今は正しいとしても、状況は変えることができるのでしょうか?どうしたら、変えることができるのでしょうか?

 記録するときに、心理学のパイオニアであるアルバート・エリスが開発したA(困った状況)B(思い込み)C(結果)の記録を取ることを提案しました。その続きとしてD(反論disputation)、E(元気づけenergization)モデルを使って反論の記録をつけることを提案します。

反論

 困難に出会った時、反射的に頭に浮かぶ考え方に反論することによって、いつもの落胆とあきらめの反応を、エネルギッシュな行動へと変えることができます。そのために一番大事なことは、自分の信念は思い込みであって、事実ではないかもしれないと気付くことです。セリグマンは、このような例を提示しています。「もし、家庭も仕事も上手にこなしているあなたに嫉妬した競争相手が“あなたってひどい母親だわ。自分勝手で、思いやりがなくて”と叫んだとしたら、あなたはどう反応するだろう?非難されたことについて、深刻には考えないだろう。もし、うるさく言われれば、面と向かってでも心の中でも反論するだろう。“子どもたちは私を愛しているわ。私は子どもたちに代数やソフトボールや、厳しい世の中にわたり方を教えてやって、できるだけ一緒の時間を作っている。あの人は自分の子どもの出来が悪いものだから嫉妬しているんだわ」

 これは、他人からのいわれのない批判に対しての、心の中で起きている反論です。このような心の動きは、よくすることですが、それは、比較的距離を置いて立ち向かうことができるからです。しかし、自分が日常自分自身に対してする非難についてはそうはいきません。自分がそう思うのだから、そうに違いないと思うからではないかとセリグマンは言います。

 前に出した例のように嫉妬したライバルから根拠のないことを言われるのと同じくらい、人は挫折したときに自分自身に言うことが本当は多いのです。これらは、子ども時代の葛藤や、厳格な両親、批判ばかりするリトルリーグのコーチ、姉の嫉妬などの様な過去の不快な経験によって出来上がった悪い説明習慣にすぎないことが多いのです。しかし、これらの説明は、一見自分の意見のように見えるので、私たちは絶対的な真実だと思ってしまうのだとセリグマンは言います。

 しかし、誰も自分を採用してくれない、愛してくれない、自分には能力がない、と思い込んでいるからと言って、それが真実だということにはなりません。一歩後ろに下がってこの思い込みを一時保留して、自分の考えが正しいかどうか確かめる間だけでも、悲観的な説明から少し距離を置いてみることが大切であると言います。これが、第一ステップです。

 では、反論の次のステップです。それは、自分自身に対する根拠のない批判に反論していきます。その時に納得のいく反論をするために四つの重要なポイントをセリグマンは挙げています。「証拠はあるか?」「別の考え方はできるか?」「思い込みが不当だった場合、それはどんな意味を持つか?」「その考え方は有効か?」の四つです。

 否定的な思い込みに反論するのに最も効果的な方法は、それが正しくないことを、事実を持って証明することだと言います。何か問題が起きたときは過剰に悲観的な反応をすることが多いのですが、事実はそれほどひどくないことが多いものだと言います。「この思い込みの根拠となっている証拠は何か?」と問うてみることです。楽観主義を身につけるということは、世の中をむやみに明るく見ることではなく、否定的でない考え方を学ぶことなのです。

 では、次のポイントである「別の考え方はできるか?」です。