俳優の死

 先日の11日に、米オスカー俳優のロビン・ウィリアムズさんが、亡くなりました。死因は、窒息死で、自殺の可能性が濃厚だといいます。最初のニュースでは、最近、鬱に悩まされていたらしいと流れたので、ちょうどうつ病患者についてブログを書いているところでしたので、医者がどのような治療をしていたかが気になるところでした。しかし、どうも今回の死は、長年のアルコールや薬物中毒が遠因にあるとみられています。

 彼の死にあたって、異例の大統領が追悼談話をしました。その中で、「彼はパイロット、医師、ベビーシッター、大統領、教授、そしてそれらの間にいる全てだった。最初は宇宙人として登場し、やがて、全ての人の琴線に触れる存在となった」と言っていますが、つい最近は、彼がビーシッター役を演じた「ミセス・ダウト2」をクリス・コロンバス監督と撮る企画が発表されたばかりでした。この一作目「「ミセス・ダウト」について、ある雑誌に原稿を書いたことがあります。彼への追悼のつもりで、その原稿を掲載します。

 「ダニエルは三人の子の父親ですが、子どもと遊ぶしか能力がなく、なかなか仕事につけず、妻から離婚を宣告されます。従って養育権は妻のものになりますが、子どもと離れて暮らすことが耐えられないダニエルは、妻が家政婦を募集しているのを知ると女装して家に入りこみます。父親とわからない子どもたちと妻は、しだいに心を許すようになっていきます。ここで子どもたちが心を許していく過程に興味深いものがあります。まず、五歳の末っ子の女の子はいつも父親に本を読んでもらうのが好きだったのに、父親がいなくなって初めて、まるで父親のように本を読んでくれる人に心を許していくのです。十二歳の長男は一緒にサッカーをしたりサイクリングに行ったりと、十分に遊んでくれることから心を許していきます。思春期の長女は父親が大好きなあまり、初めは反抗的で反発しますが、つつみ込むような愛情と、自分たちに共感してくれる気持ちに心を開いていくのです。妻までも深い信頼を寄せるようになり本心まで話すようになります。

 よく考えてみると、それぞれ父親がいなくなって、心の中に生まれた父親的愛情に飢え、それを埋めてくれる人に心を許すのです。父親であるので当然ですが、それと知らなくてもそんな感情は感じるのでしょう。家庭では、父親の存在、母親の存在がそれぞれの役目を持って子どもたちの心を包み込んでいるのです。子どもたちはそれを意識せずとも欲しているのです。本の読み方にしても、母親が読むのと父親が読むのと違うのです。それと同じような感情、愛情は夫婦の間にもあります。そしてその関係を持つことによって、自分の立場、子どもへの思いに気付いていくことにもなるのです。これが、古い言い方かも知れませんが「家族のきずな」というものなのでしょう。

 しかし、ここでおもしろいというか新しい傾向なのは、こんなに子どもも妻も父親を必要としているのに最後によりは戻さないところです。父親は子どもたちと過ごすために迎えに来るけれど、決して妻の家には入りません。お互いに敬意を持ち、愛情は持っているけれど形だけの夫婦には戻らないのです。監督がこう言っています。「愛がある限り家族は存在する。お互いを愛している集合体が家族というものだ。たとえ、シングルマザーと子ども、シングルファザーと子ども、両親のいる子どもたちという組み合わせでも。離婚した親の99%は復縁しないのだから、親も新しい人生を生き、子どもたちもそれに順応していく必要がある。」

 園でも確かに母子家庭、父子家庭の増えていく中、その観点で家族を考え、子どもを見守っていく必要があるのかもしれません。」