過去の見解

 セリグマンは、うつ病に関する伝統的な見解から最近の見解への変化を訴えていますが、同時に成功と失敗に関する考え方を同じく改めた方がいいと言います。職場でも学校でも、成功は才能と意欲の結果であり、失敗するのは才能化意欲が欠けているからだと考えられていますが、実際は、いくら才能と意欲があっても、楽観的なものの見方が欠けていれば、失敗に終わることもあるのだと言います。

 以前のブログでも取り上げましたが、アメリカでも、IQテストとか、SATと呼ばれる大学進学適性試験や、MCATと呼ばれる医大入学試験などの才能をはかる試験はしょっちゅう行われ、多くの親たちはこれらの試験が子どもの将来に重要だと考え、受験技術を身につけさせるためにお金を使います。保育園に始まり、人生におけるあらゆる段階で、これらの試験は有能なものをそれほど有能でない者からより分けることになっているとセリグマンは言います。大まかな才能の測定が可能であることは実証済みですが、才能を高めることは至難の業だと言います。SATのための予備校は生徒の点数をいくらか上げることはできますが、真の才能のレベルには踏み込めないと言います。

 しかし、才能に比べて、意欲は簡単に高めることはできると言います。伝道師は、ものの1時間か2時間で世の中をすくいたいという意欲を極端なまでに煽ることができるというのです。上手な宣伝は今まで少しも欲しいと思っていなかったものを、一瞬にして買いたいと思わせてしまいます。研修は、従業員たちの意欲を高め、やる気満々にすることはできると言います。しかし、熱意は長続きしません。世の中を救いたいという燃えるような意欲も常に煽り続けなければ冷めてしまいます。確かに、テレビショッピングで買いたいと思う意欲をあおられ、その商品にあこがれますが、買ってみるけどすぐに冷めてしまい、もう別の憧れに代わってしまいます。士気を高めるための研修も、2~3日は効果がありますが、じきにまた鼓舞する必要が出てきます。

 そんなときに、成功とはどういう要素から成り立っているのか、というこれまでの考え方が間違っているとしたらどうだろうかとセリグマンは問いかけます。「もし、楽観主義または悲観主義が、才能や意欲と同じくらい需要な第3の要素だとしたらどうだろう?」「もし、私たちが必要な才能も意欲もすべて持っているのに、ペシミストだから失敗するとしたら、どうだろう?」「もし、オプティミストのほうが学校でも職場でもスポーツでもよい成績を上げるとしたらどうだろう?」「もし、楽観主義が学習で身につけられるテクニックで、一度身につければなくならないものだったらどうだろう?」「もし、私たちがこの技術を子どもたちに教えられるとしたらどうだろう?」

 さらに、セリグマンは、こんなことも言います。健康についてのこれまでの考え方にも、才能に対する見解と同じように欠陥があると言うのです。楽観主義と悲観主義は、肉体的要素と同じくらい健康そのものにも影響を与えると言います。たいていの人は、肉体的な健康は、体質や健康習慣、それをいかにばい菌を防ぐかによって決まると思っています。そして体質は、正しい食習慣を守り、運動をし、悪玉コレステロールを避け、定期検診を受け、シートベルトを付ければ強化することはできるものの、大部分は遺伝的なものだと信じています。そして、健康を保つために、それらを避けようとしてきています。しかし、本当にそうでしょうか?