タイムマシン

 いろいろな人生において、それが小さいころにどのような境遇だったのかを知ることはとても困難なことです。現在の境遇から、その後の人生をどう送ったかという追跡調査であれば可能なのですが、過去にさかのぼることはできないのです。しかも、それまでの境遇を調べることはできますが、それまでどのような考え方をしてきたかとか、子どものころにどのよぅな説明スタイルを持っていたかを調べることは、客観的に調べることはできないために、ほぼ不可能だと思われます。ですから、グレンの推論を証明するためには、タイムマシンにのって過去に戻らないといけないのです。

 そんな時、若い優秀な社会心理学者のクリス・ピーターソンから、非常に創造的なアイデアの提案があります。それは、説明スタイルのアンケートに答えてくれない人々、それは、過去の人だけでなく、スポーツの花形選手、大統領、映画スターなどの人たちがいますが、彼らの説明スタイルを診断する方法を考え出します。クリスは、選手が答えて過去の質問事項のように扱った、つまり、もし選手が「向かい風だったので、ゴールをミスしてしまった」と言ったとすると、その言葉を1から7までの段階に採点します。「向かい風だった」というのは、風ほど永続的なものはないから、永続性は1、向かい風が影響を与えるのはボールをキックする時だけで、恋愛問題の邪魔をするわけではないから、普遍性も1、風は選手のせいではないから、個人度も1、「向かい風だった」というのは悪い出来事の説明としては非常に楽天的だということになるのです。

 面白いことを考えるものです。ちょっとした発言を分析するだけで、このような診断ができるのですね。さらに、クリスはこの選手の発言をすべて採点して平均点を出すことによって、アンケートなしでも説明スタイルを得ることができたのです。そして、このようにして得たこの選手の特徴が、アンケートをしていれば得られたであろう特徴とほぼ同じであることを示したのです。この分析方法を、「説明スタイルの逐語的内容分析」と呼ぶそうです。

これこそタイムマシンであるとセリグマンはグレンに説明します。これは、アンケートに答えてくれない現代人に使えるだけでなく、答えることのできない、つまりすでに死んでいる人たちにも使えることを発見します。そうすれば、1930年代に紅蓮の前任者たちが行ったバークレーとオークランドの子どもたちの面接記録の原本を使えば、50年前の一人一人の説明スタイルがどうだったのかを分析することが可能になるのです。そこで、公式記録保管庫をあたってみると、初期の面接から、その後少女たちが母になり、祖母になるまでのいろいろな段階で行われた面接が、完全な形で記録に残されていたのです。セリグマンたちは、これらの記録から、一人一人の女性について説明スタイルを出していくと、グレンの推測は大部分正しかったことがわかったのです。

それは、上手に年を取った中流層の女性たちは楽天的な傾向にあり、みじめな晩年を送った貧困層の女性たちは悲観的傾向にあったのです。そのほかに、この方法によって、様々な人たちの楽観度を測れるようになりました。幼すぎる子どもの話から原因説明に関する発言を抜き出して採点することもできるし、ずっと昔になくなった歴代の大統領の楽観度も知ることもできるし、国民の楽観度が時代とともに増したか、減ったか、またある文化や宗教が他よりも悲観的であるかどうかも分かるかもしれないのです。

グレンの推論

 キャロル・ドゥエックは、4年生の女子に、言葉のつづり換えゲームで絶対に解けない問題を与え、各自が自分の失敗をどう説明するかを試しました。子どもたちは全員一生懸命やったのですが、つづり換えができないうちに「やめ!」と言われます。「なぜできなかったの?」と実験者は質問してみます。

 すると、女の子たちは「私、言葉のゲームは苦手なの」「頭がよくないから」などと答えます。同じテストをされた男の子たちはこう言ったそうです。「よく聞いてなかった」「一生懸命やらなかったから」「こんなパズルなんかやってどうするの?」

 テストで女の子たちは自分の失敗に関して、永続的で普遍的な説明をしました。一方、男の子たちはもっとずっと希望のある説明をしました。子どもが失敗した時、大人がどんな批判をするかは、子どもの説明スタイルに重大な影響を与えているのです。

 ドイツの家族問題の世界的権威で社会学者のグレン・エルダーは、逆境の中で育った子どもの研究をします。世界恐慌の前、グレンの前任者たちはカリフォルニア州の2都市バークレーとオークランドの子どもたちに、心理的長所と短所に関する詳細な面接とテストを行いました。これら実験対象となった子どもたちは、70代、80代になっても、この画期的な研究のずっと協力しつづけてきたそうです。また、これらの人々の子どもや孫たちも調査に参加しました。

 グレンは、大恐慌に打ちのめされることなく生き続けた人々と、立ち直れなかった人々についての研究をします。恐慌で全財産を失った中流層の少女たちは、中年初期には精神的に立ち直り、その後は肉体的にも心理的にも上手に年を取っていきました。1930年代、同じように恵まれない生活を送った貧困層の少女たちはついに立ち直ることができませんでした。これらの少女たちは中年後期にすさんだ生活を送り、晩年は肉体的にも精神的にも悲惨な状態でした。

 グレンはその原因についてこう推論します。「上手に年を取った女性たちは大恐慌下の子ども時代に、苦境は克服できるものだと学んだのだと思います。大部分の中流層は1930年代の終わりか、1940年代の初めまでには経済的に立ち直ったのですから。これによって彼女たちは悪いことは一時的で特定の分野に限られていて、外的な要因でよるものだ、という説明スタイルを身につけたのです。だから、年を取って、友だちが亡くなった時も“誰かほかに友達を見つけよう”という気持ちになれたのでしょう。この楽観的なものの考え方が健康を維持し、上手に年を取る助けになったのです。

 一方、貧困層の少女たちの家庭は、大多数が大恐慌のあとも立ち直れませんでした。恐慌の前も、最中も、あともずっと貧しいままでした。苦しいことはずっとそのままなので、少女たちは希望のない説明スタイルを身につけました。ずっとのちに親友が亡くなると、“もう友達を見つけることはできないだろう”と考えたと思います。子ども時代に身につけた悲観主義が新たな危機を迎えるたびに災いして、健康にも、成績や業績にも、幸福感にも悪い影響を及ぼしていたのです。」

 しかし、このときのグレンの考え方は推論に過ぎなかったのです。その推論が正しいかどうかは証明できなかったのです。それをセリグマンが証明していったのです。

男女の説明スタイル

 最近の研究で、別々に育てられた一卵性双生児の政治観、宗教心の有無、IQが異様なほど似ていることから、知能、政治観、宗教心などの多くを昇進から引き継いでいることが明らかになっています。これらの心理的特徴と異なり、家族に見る説明スタイルのパターンは、母親のスタイルは息子と娘の両方に似ており、父親のは誰にも似ていないことから、これが遺伝でないことを思わせます。これは、普通の遺伝のパターンには当てはまらないものだとセリグマンは考えています。

 それを確かめるために、彼らは、現在、ごく幼い時に養子に出された子どもたちの生みの親と養父母の楽観度の調査を試みているそうです。子どもの楽観度が養父母のパターンに似ていて、生みの親に似ていなければ、楽観主義の源は学習したものだという彼らの見解を立証することになるのです。もし、一度も会ったことがない生みの親のパターンに似ていれば、楽観主義は少なくとも一部は遺伝であることになります。そうでなければ、より保育者の影響を受けることがわかります。

 情緒発達研究の世界的権威であるキャロル・ドゥエックは、楽観主義がどのように発達するかを示しました。子ども時代の女性に何が起こるのかを研究することは、成人してから女性の方が男性よりもずっとうつ病にかかりやすい理由を解くカギも解明されるかもしれないのです。

 小学3年生の教室をのぞいてみて最初に気づくのは、男生徒と女生徒の態度の違いだったそうです。女の子たちはおとなしく座り、注意深く聞いている様子で、先生にとって喜ばしい存在です。ふざける時もひそひそおしゃべりしたり、くすくす笑う程度です。それに引き換え、男の子たちはじっと座っていることさえできず、話は聞かないし、決まりにも従いません。始終ふざけて叫んだり、走り回ったりします。この男女による様子の違いは、私は、男脳と女脳の違いの説明で以前聞いたことがありますが、セリグマンたちの研究だったのですね。

 また、こんな違いがあります。分数のテストの後、テストで悪い点を取った子どもに先生は何と言うのでしょうか?落第点を取った男の子に先生が決まって言うセリフは、「注意して聞いていなかったのね」「一生懸命やらなかったんでしょ」「先生が分数を教えていた時に暴れていたからよ」などです。これらのセリフは、一時的で、特定の分野に限られた説明です。もっと努力することもできるし、もっと気を入れて聞くことも可能だし、暴れるのもやめることができるからです。

 しかし、セリグマンたちの研究によると、女の子は日常的にかなり違った小言を聞かせれます。女の子たちは暴れないし、注意して聞いているようなので、こういう点で叱ることはできません。そこで先生は、「あなたは算数は得意ではないわね」「いつもいい加減な答案を出すのね」「答えをチェックしたことがないんでしょ」と、永続的で普遍的な叱責を次々と女の子は浴びせられることになります。セリグマンらは、その時の経験が、女生徒にどのような影響を与えるのかを研究します。

 このように説明スタイルを分類されると、不用意に子どもに言葉がけをしていること、その言葉がけが子ども人生に影響させているかと思うと、もっと気を付けなければいけないことを思います。

大きな影響

 セリグマンは、説明スタイルの源は母親であるという実例を、母親が8歳の娘の前で悪い出来事に対してどんな反応するかで説明しています。

 その母親は悪い出来事に対して、娘の前で自分のことを相当悪く言います。それを娘はじっと聞いています。悲観的なのは内容だけでなく、形式もです。娘は、母親の話から母親が大変困った状態にあり、ばかで、怠け者で、いつもついていないことを知ることになります。それは、母親がかなり無意識に魂不幸な出来事に対して「私っていつもこういう目に遭うんだから、私、怠け者だから、食料品をなるべく遠くまで運ばずにすむようにしたいのよ。本当にばかだわ」という言葉には4つの説明をしています。

「私はいつもこういう目に遭う」という言葉には、「いつも」という「永続的」な言葉があり、出来事をそのまま表現しないで「普遍的」な言葉の「こういう目」という言葉を使い、誰でも遭うのではなく、「個人的」に「自分が遭う」と言っています。そして、「永続的」な性格という言い方をしています。それは、「怠け心が出て」と言わずに「私、怠け者だから」と言っています。そして、怠け者であるといろいろな面で悪影響が出るという「普遍的」なことを、自分であるという「個人的」のせいにしています。そして、「食料品を遠くまで運びたくないから」という個人的なことを、「運びたくなかった」という言い方でない「永続的」な言い方をしています。また、「私はばかだ」という言葉には、「永続的」「普遍的」「個人的」な説明が入っています。

この言葉を聞いていた娘は、悪いことはずっと続き、広範囲にわたり、自分のせいであるという母親の考えを聞いて、世の中とはこういうものだと学びます。娘は、毎日家の中で起こった出来事について、母親がこういう分析をするのを聞いて育ちます。子どものアンテナはいつも両親、特に母親に向けられます。「なぜ?」というのが、子どもの最初の、そしてもっとも多くする質問であるのも偶然ではないとセリグマンは言います。身の回りの世界について説明を得ることは、成長過程でもっとも重要な知的作業のひとつです。両親が果てしない「なぜ?」攻めにいら立って答えてくれなくなると、子どもたちは別の方法で答えを得ようとします。何か起こったとき、親たちが自然に口にする説明にじっと耳を傾けるのだと言います。特に何か悪いことが起こった時、親たちの言うことを一言ももらさず聞こうとします。親の発言の詳細だけでなく、その原因が永続的か一時的か、特定か普遍的か、自分のせいか、他人のせいかも鋭く聞き分けているのです。
このように、子どものとき、母親が世の中の出来事をどう話していたかは、子どもの説明スタイルに非常に大きな影響を及ぼすとセリグマンは、100人の子どもたちとその両親を対象にしたアンケートで発見しました。母親の楽観度と子どもの楽観度は非常に似通っていたのです。これは、娘にも息子にも言えることだったのです。

そして、この調査で彼らがびっくりしたのは、子ども説明スタイルも母親の説明スタイルも、父親のスタイルとは全然共通点がないのを知った時だったと言います。それよりも、幼い子どもは主に自分の世話をしている人が物事の原因について話すのを聞き、その人のスタイルを真似ることがわかったのです。それは、もちろん母親からが一番ですが、その次は、父親からではなく、保育者からの影響を大きく受けていたのです。特に保育園では、保育者のスタイルは、母親よりも子どもに影響しているかもしれないのです。

子どもと両親

 どのような説明スタイルを持っているかというテストを8歳から13歳まで行った結果、いろいろな特徴がみられました。男女によって得点の傾向には差があったそうです。女の子は少なくとも思春期までは男の子よりもかなり楽観的な得点をしました。また、全般に思春期前の子どもたちは希望にあふれ、無力ということを知らず、極端なほど楽観的です。思春期以降は、決してこのような状態になることはないと言います。子どもの説明スタイルは、大人よりもはるかに偏っています。良いことはずっと続き、すべての面でうまくいき、それは自分が偉いからだ、悪いことはすぐに終わり、それは誰かほかの人のせいだからだと考えるのです。

 どうも子どもの基準は、全体的に楽観的傾向にあるようです。このテスト結果から見ると、平均的な子どもの平均点は、以前のブログで紹介した生命会社の腕利きの外交員の得点と似ていて、非常に楽観的な方に傾いていたそうです。うつ状態の子どもの得点でさえ、うつ状態でない大人の平均と似通っていたそうです。子どもは、大人がとてもかなわないほど楽観的なのが普通であるために、子どもの重度のうつ病は余計に悲劇だと言います。

 セリグマンは、こう言っています。「実際は子どもも大人と同じくらいの頻度で同じくらいひどいうつ状態になるのだが、思春期の少年少女や大人とは決定的な違いがある。子どもは希望を失わないし、自殺もしない。毎年2万人から5万人のアメリカ人成人が、ほとんど全員うつ状態の果てに自殺する。自殺をはかる可能性が高いのは、自分の現在のみじめな状態は永久に続き、何をしてもだめで、死だけがこの苦しみを終わらせてくれると固く信じている人だ。」

 不幸なことに最近、日本では若者による自殺が急増しています。その研修は世界一だそうです。アメリカでは、日本ほどではないにしても、やはり子どもの自殺が増加傾向にあるようです。しかし、7歳以下の子どもは決して自殺しないそうです。この年齢の子どもも死についての理解はあり、死が最終的なものであることもわかるし、誰かを殺したいと思うこともあり得ます。しかし、希望のない状態を長い間保つことはできないとセリグマンは言います。

 しかし、悲観主義やうつ病になりやすいといえる子どもたちもいるようです。テストで楽観度が上位半分にいた子どもたちは将来楽観的である傾向が強く、快半分にいた子どもたちよりもうつ状態になりにくくて、よい成績や業績を達成し、より健康的な人生を送れる可能性が高いと言います。

 説明スタイルの形成は早い時期に始まり、8歳ですでにかなりはっきりした形で見られると言います。もし小学1年生までに子どもの楽観的、また悲観的なものの見方が定まっているとして、それが将来の成績や健康に大きな影響力を持つとしたら、それは、どこから来たのか、それを変えるにはどうすればいいのかを知りたくなります。セリグマンは、説明スタイルの源と思われるものは主に三つあると言います。

 その第1は、「母親」です。子どもは母親の言うことを注意深く聞いています。悪いことはずっと続き、広範囲にわたり、自分のせいであるという母親の考えを聞いて、世の中とはこういうものだと学びます。まだまだ母親の影響がほかにもあります。

子どもの楽観度測定

セリグマンは、「私たちは約100万年前に始まった更新世(氷河期)の動物だ。私たちの感情は、ここ10万年の間の気象の大変動、寒波と熱波、干ばつと洪水、突然の大飢饉、によって形成されてきた。私たちの祖先は、暖かな日和を厳しい冬の前触れととり、将来のことを絶えず心配する能力があったからこそ、更新世を生き抜くことができたのかもしれない。私たちはこれら先祖の脳を受け継いでいるのだ。」と言っています。人ルにとっての存在は、企業にも必要かもしれないということです。

成功している企業にはオプティミストもペシミストも必要だと彼は言います。それは、企業のトップには、両者のバランスを取るだけでの知恵と柔軟性のある最高経営責任者がいなければならないことなのです。これは、私が以前のブログで取り上げた易経における陰陽のバランスの問題である気がします。職場には、陰と陽の職員がいる人的環境の中で、管理職はそれぞれの職員を補うことによってそれぞれの良さを生かしうることができるということではないかと思うのです。

また、このバランスは、社会、企業においてだけでなく、人生をうまく生きるためには、ときには悲観主義が必要かもしれないとセリグマンは言っています。柔軟な楽観主義を思うままに使いこなす最高経営責任者のような能力が、個人の中にも要求されるのではないかと言っています。

セリグマンは、これらの説明スタイルは子ども時代に発達すると考えています。そして、このころに身につけた楽観主義または悲観主義は基本的なもので、失敗も成功もこれらを通して考えられ、強固な思考習慣となると言います。彼らは、子どもの説明スタイルはどのようなものであるかを判定することができるCASQという特性診断テストを開発しました。すでに、8歳から13歳までの子どもたちを対象に、このテストを何千人も受けているそうです。

このテストは子どもたちにこういう場合どのように考えるかを聞くものです。例えば、「テストで100点取った」場合、「A.僕(私)は頭がいい」「B.この科目は得意なんだ」どちらを考えるかというものです。質問が面白いですね。「友達とゲームをして勝った」場合、「A.相手が下手だったからだ」「B.僕が強いからだ」このような質問が50近く並びます。これらの質問が、今までのブログを読んでいると何を聞こうとしているかわかると思います。例にした最初の質問は、「普遍的なよい出来事」であり、二つ目は、「よい出来事の個人度」を図る問題です。

「永続的な良い出来事」として「友達はみんな風邪を引いたのに、君だけひかなかった」場合、「A.僕はこのごろ丈夫だ」「B.僕は丈夫な子どもだ」、悪い出来事の個人度」として「君のペットが車にひかれてしまう」ばあい、「A.僕がちゃんと見ていてやらなかったからだ」「B.運転している人がちゃんと気を付けないからだ」と、どちらを考えるかです。「普遍的な悪い出来事」として、「授業が分からなかった」場合、「A.僕はあの日、どんなことにも身が入らなかった」「B.先生が話しているとき、ちゃんと聞いていなかった」とどちらを考えるか、「永続的な悪い出来事」として、「テストに落第する」場合、「A.先生が難しいテストをするからだ」と考えるか、「先生はこのごろ難しいテストをする」と考えるかです。
これらの質問から、子どもの説明スタイルを測定していきます。

自己認識

 いくら楽観主義といっても、セリグマンは航空機の操縦席では、厳しい現実的な見方が必要な状況もあるし、投資で損をしたら、いつまでも希望的観測をしていないで手を引き、別のところへ資金を回すことも時には必要ではないかと言います。そのようなことから、セリグマンは、楽観的な人々が現実を自分に都合よく解釈して夢見がちなのに対して、悲観的な人々の方が現実を正しくみるのではないかということが頭をめぐります。彼は、セラピストとして、うつ状態にある患者をより幸せに、そして世の中を正しくみられるようにするのが務めだと信じてきたと言います。

 そんな時に彼は、患者に対して幸せと真実の両方を教えようとしていたのですが、もしかしたら幸せと真実は両立しないのではないかと不安になります。それは、彼のうつ病患者に施してきた治療法は、患者に自分の世界が実際よりもすばらしいという幻想を起こさせただけだったのではないかと考えます。しかも、うつ状態にある人は、そうでない人よりも悲しみに沈んでいるけれど、より賢いという証拠もあるのですから。また、常に自分の力を正確に判断していることもわかっているのです。

 逆に考えると、悲観主義の人たちが持っている力もありそうだということです。10年前に行ったペンシルバニア大学の大学院生の行った実験では、うつ状態の人々は、常に自分の力を正確に判断していたのです。その結果は、その後の研究でも繰り返し同じようでした。例えば、数年前にニューズウィークに、アメリカ人男性の80%は社会性や社交術において自分が上位半分までに入っていると考えているという報告がされたことがありました。これらの男性はうつ病状態にない人々だと思われ、うつ病状態にある人は自分の力をより正確に判断しているという研究もされています。

 オレゴン大学の心理学者ピーター・ルーイソンらの研究によると、うつ状態の人々とそうでない人々にパネルディスカッションをさせた後、自分の説得力と好感度を自己評価させてみました。すると、うつ病患者は、説得力がなく、感じもよくありませんでした。それに対してうつ状態にない人々は自分を過大評価し、審判の評価よりもずっと自分は説得力があり、魅力的だと考えていたのです。

 記憶の面においてもそれは言えることがわかりました。一般的にうつ状態にある人はよい出来事よりも悪い出来事の方をよく覚えています。そうでない人は逆のパタンを示します。このように、うつ病患者が現実を正確に判断しているという事実は、悲観主義の核心に迫る問題だとセリグマンは言います。私たちの祖先は、暖かな日和を厳しい冬の前触れととり、将来のことを絶えず心配する能力があったからこそ、更新世を生き抜くことができたのかもしれないと考えます。そして、私たちはこれらの先祖の脳を受け継いでいるのです。

 現代生活でも、悲観主義が役に立つ場合もあります。こんな例をセリグマンは挙げています。経営が順調な大企業では、オプティミストたちが、研究開発、企画、市場での売買、これらの仕事に携わる人々は夢を追うタイプでなければなりません。しかし、全員が将来の可能性ばかりを追求するオプティミストだったら、会社は破産すると言います。

 会社には現在の状況をしっかり把握しているペンミストも必要だとセリグマンは言います。経理係、公認会計士、財務部長、経営学士、安全管理技士、これらは皆、会社がどれだけ資金を出せるか、危険はどれくらいかをしっかり認識している必要のある部署なのです。

人類の宿命

 人は進化の中で、生存のために必要なものを残し、それをより進化させてきました。昨年、NHKスペシャル 「病の起源」という番組が放映されていました。その場bb組の趣旨にはこう書かれてあります。

 「およそ700万年前にアフリカで誕生した人類。その起源は、四足歩行していた霊長類と別れ、二本の足で歩き始めたことにあります。その後、人類は自由な手を器用に使いこなすことで、脳を巨大化させ、高度な文明を築き上げてきました。ところが、皮肉なことにこの進化の過程で、私たちの体には“負の宿命”とも言うべき“病の種”が埋め込まれていたのです。」

 人類は進化の過程でさまざまなものを獲得してきました。しかし、その中で負の物も受け入れざるを得ませんでした。その一つが「病気」です。このシリーズは、2008年にも放送され、そこで取り上げられた「病」には「睡眠時無呼吸症」「骨と皮膚の病」「腰痛」「読字障害」「糖尿病」「アレルギー」が取り上げられていました。これらの病は、人類の進化の過程では宿命的に取り組まざるを得ない者のようです。

 昨年のシリーズでは、いま世界の多くの人々が苦しんでいる病「がん」「脳卒中」「心臓病」「うつ病」を取り上げていました。これらの病は、前回のシリーズ同様、人類が700万年前チンパンジーとの共通の祖先と別れ二本足でアフリカの大地に立った時から、あるいはもっと以前からの進化の過程の中にあるとして、番組の中で悠久の人類進化の過程と、そこに埋め込まれてきたさまざまな病の起源をひもとこうとしていました。

 このシリーズの中に「うつ病」があります。なぜ、取り上げたかというと、現在、働き盛りを襲い自殺に追い込むなど、深刻な社会問題になっているからで、世界の患者数は3億5千万人に達し、日本でもこの10年あまりで2倍に急増しているそうです。しかし、のうつ病も、進化の過程での宿命でもあるのですが、逆に病に至らないとしたら、ある程度のその原因となるものは人類には必要なものなのかもしれないのです。番組の中では、なぜ、うつ病になるかというと、その秘密は、意外にも5億2千万年前に誕生した魚の研究から明らかになってきているそうです。魚でも、「ある条件」を作ると、天敵から身を守るために備わった脳の扁桃体が暴走し、うつ状態になることがわかってきたのです。更に2億2千万年前に誕生した哺乳類は、扁桃体を暴走させる新たな要因を生みだしていました。群れを作り、外敵から身を守る社会性を発達させたことが、孤独には弱くなり、うつ病になりやすくなっていたのです。

 これを読むだけで、何となく悲観主義も人類にとっては必要だったわけがわかります。それは、扁桃体の働きであう、外敵から身を守るために必要な社会性だったのではないかということです。それが、脳が進化したことで高度な知性が生まれ、文明社会への道を切り開いてきた繁栄は、見方を変えれば、文明社会によって社会が複雑化し、人間関係が一変したことで、扁桃体を暴走させ始めたからのようです。

 セリグマンは、悲観主義は、私たちがしばしば必要とする現実主義を支えているのではないだろうかと考えます。人生には楽観主義では正しく対処できない場面があります。それは、外敵に匹敵するような失敗かもしれません。この敵に出会った時に、ただ楽観的に考えているのではなく、きちんと厳しい現実的な見方が必要なのです。そのためにもしかしたら悲観主義が必要なのかもしれません。

成功の要素

 人の才能を見るためのテストが様々あります。全般的にどんな職業でも、経験と理論をベースにした2種類のアンケートでその人の可能性が予測できると言います。経験をベースにしたテストでは、実際にその仕事で成功した人と失敗した人の特徴をもとに、人生のあらゆる面に関する質問を無作為にします。その結果から、その仕事に成功している人たちと同じプロフィールを持っている人が、その仕事に向いていると判断するものです。

 しかし、経験をベースにしたテストは、なぜその人がその職業で成功したのかは完全な謎であることを最初から認めていることになります。たまたま優秀な人材とそうでない人材を分けるのに役に立った質問を使っているにすぎず、理論は全く介在しないとセリグマンは言います。

 それに対して、IQテスト、SATテストは理論をベースにしていますが、能力を図るための質問でしかありません。SATのもとになっている理論は、知能は言語能力と数学的分析力からなるというもので、これらは学業の基礎であるから、このテストで高得点を得た者は大学でもよい成績を上げるはずだというものです。この予測はかなり正確ではあります。

しかし、経験ベースのテストでも理論ベースのテストでも多くの間違いを犯すことが知られていると言います。SATの点が悪くても大学で優秀な成績を上げるものもたくさんいますし、SATの点が良くでも落第するものもかなりいます。また、キャリアプロフィールの高得点者でも業績の伸びない者が多数います。

これまでの考え方は、成功には二つの要素があり、その両方がなければ成功しないというものです。その一つが能力または適正で、これはIQテストやSATによってはなることができます。もう一つは、意欲、または動機です。どれほど適性があろうとも、意欲がなければ失敗すると以前から言われてきました。意欲が十分であれば、乏しい才能を補うことができるという考え方です。それに対して、今までの考え方を修正したASQとい理論ベースのテストがあります。このテストは、従来の成功の概念とはかなり違った理論に基づくものです。

セリグマンはこう考えます。モーツァルトのような才能と成功への熱い意欲を持った作曲家も、自分にはうまく作曲できないと思い込んでいれば、結局成功しません。思うようなメロディが浮かばないとき、簡単にあきらめてしまうからです。成功には、失敗してもあきらめないでいられる粘り強さが必要だとセリグマンは考えます。すなわち、楽観的スタイルが粘り強さの鍵になると考えるのです。セリグマンが考える説明スタイル理論では、次の三つの特性をもとに成功する人材を選ぶことであると提案します。「適性」「動機」「楽観主義」の三つです。今度、保育者を採用しようとするときに、この三つの特性から選んでいてはどうでしょうか?離職率はかなり減るかもしれませんし、ある業績を上げる可能性があるかもしれません。

そんな取り組みの中で、セリグマンは、どうして悲観主義は生き残ってきたかを考えます。なぜ、悲観主義とうつ状態は、人間の進化の過程で消滅しなかったのだろうか?もし悲観主義がうつ病と自殺の根底にあり、その人の業績や免疫機能を低く抑え、さらに健康さえ損なうとすれば、なぜ、とっくの昔に死に絶えなかったのだろう?悲観主義には人類に役立つような働きがあるのだろうか?そんなことをセリグマンは考えます。

保険の外交員

 保険の外交員とか、電話での勧誘などでは、何回も断られ、私はよほどのオプティミストでなければ勤まらないと思いましたが、逆にセリグマンは、「底抜けの楽天家の価値は今まで見過ごされてきましたが、こういう人たちが、生命保険の外交員のような仕事で成功するのではないでしょうか」と助言をしています。すると、会社のトップは、こう質問します。「楽天主義はどういうふうに役に立つんですか?例えば、生命保険の売り込みで一番大事な電話での勧誘について考えてみますとね、町中の新生児を持つ親たちのリストなど、保険に入ってくれそうな人たちの名簿を見て、片っ端から電話をして、直接会って話を聞いてもらう約束を取り付けようとするわけです。ほとんどの人は、“興味ありません”と言うし、黙って切ってしまう人さえいます。」

 その時に、セリグマンはこう説明します。「楽観的説明スタイルが影響力を発揮するのは、外交員が勧誘するときに相手に何と言うかではなく、ノーと言われた時です」と言います。「その時に悲観的な外交員は、“僕は能無しだ”とか“僕の勧誘では誰も保険に入ってくれるはずがない”とか“1塁までだって行けやしない”などと、永続的で普遍的で個人的な説明をするだろう?こういう考え方をすると、次のダイヤルを回すのがますます辛くなる。このような思いを何度かすると、悲観的な外交員はその晩はもう電話しない。そしていずれ完全にやめてしまうことになる。」

 「一方、楽天的な外交員はもっと建設的な考え方をする。“きっと、ちょうど忙しいところへかけてしまったんだろう”とか“もう保険に入っていても、10人のうち8人までが目いっぱいには保険をかけてはいない”とか“夕食中に電話してしまったんだ”などと解釈する。だから次のダイヤルを回すのが苦にならず、数分のうちに面会の約束をしてくれる人にあたる。これに勇気づけられて、どんどん電話をかけ、また予約を取りつける。この外交員はこうして持ち前のセールスの才能を発揮する。」

 このセリグマンの助言は、私たちは今までの説明から容易に想像することはできます。しかし、それを測る方法が必要なのです。そこで、セリグマンは、すでに成功を収めている人たちが非常に楽観主義的かどうか、その相関関係を調べてみます。もしそうであれば、段階を踏んで研究を進め、最終的にはセールス要員を選ぶまったく新しい方法を編み出すことが目的でした。

 そのテストは、まず、悪い出来事と良い出来事が自分に起こったと想像して、その出来事が起きた理由を書き込みます。次に、自分の書いた理由について、ほかの人やその時の状況のせいか、自分自身のせいか、また、その出来事はもう起きそうにないか、いつも問題になるか、次に、この理由は、今回のケースだけに影響するか、別の面でも影響があるのかを問います。
 このテストは、外的か内的か、永続的か一時的か、特定か普遍的かを調査するものです。このテストを、半分は優秀な外交員と半分は成績の良くない外交員に行ったところ、優秀な人々はそうでない人々よりもずっと楽天的な得点を取りました。得点と実際の売り上げとも突き合せてみても同じ結果が出ました。

 それは、うつ病患者だけでなく、ビジネスの世界でもこの考え方が有効であることがわかったのです。