コントロール可能領域

 「どうせ、何をやってもダメなんだ。」「どうせ自分なんて」悲観的になるのは、自分が無力であることに気がついた時です。無力とは、自分がどんな選択をしようと、これから起こることに影響を与えることはないという状態です。

 しかし、セリグマンは、人の一生は無力のところから始まり、無力で終わると言います。生まれたばかりの赤ん坊は自分では何もできません。それと同じように、人生最後の数年間も、歩くこともできなくなるかもしれませんし、悲しいことに腸や膀胱をコントロールする力を失いかもしれません。言いたい言葉が出なくなるかもしれません。話す能力を失い、考えることさえできなくなるかもしれません。無力な状態に戻ってしまう場合が、人生の終末を迎えるころにやってくるかもしれないのです。

 だからと言って、悲観的になる必要がありません。セリグマンは、もともと人生には自分でコントロールできないことがたくさんあると言うのです、目の色も人種もそうだと言います。しかし、自分でコンロロールできないところだけを見ていても仕方ありません。実は、コントロール可能でありながら、いまだ手の付けられていない広大な領域が残されているというのです。これらの領域を自分の支配下にいれるか、他の人々や運命の手に委ねるかは、自分次第だと言います。それは、私たちがどのような人生を送るか、他の人々とどう付き合うか、どうやって生計を立てるかというような、私たちがある程度選択の余地を持っているすべての分野に、私たちの行動にかかっているのです。

 自分がこれらの領域に関してどのような考えを持っているかによって、実際にその領域をコントロールする能力が減りもすれば、増えもするのです。私たちは、様々な事柄に反応してものを考えるだけでなく、考え方によって結果を変えることもできるのです。セリグマンは、こんな例を挙げています。例えば、もし私たちが子どもの将来に何の影響力も持てないだろうと考えていると、何かしなければならないときにやる気が起きません。「どうせ自分が何をしても状況は変わらない」という考えが行動を起こすことを阻みます。そして自分が子どもに対して持っているはずの影響力を、子どもの仲間や、先生や、その時々の状況に委ねてしまうことになってしまうのです。

 適度の悲観主義はうまく使えばメリットもありますが、セリグマンは25年の研究で確信を持ちます。それは、「不幸は自分の責任であり、永続的で、運が悪いから自分は何をしてもうまくいかない、と常に信じている人は、そう思っていない人よりもさらに不運に見舞われることが多い。」ということです。また、こういう見方にとらわれていると、うつ状態に陥りやすく、能力以下の業績しか上げられず、病気もかかりやすいのです。悲観的な予測はその通りの結果を招くことになるのです。

 セリグマンは、過去20年間における心理学の最も目覚ましい発見の一つは、個人は自分の考え方を選べるということだろうと言っています。それまでは、人々はそれぞれの環境の産物だと考えられていました。人間の行動は内部からの動因に、“押し出される”ものか、あるいは外部の出来事によって“引き出される”ものだという考え方が一般的でした。“押し出し”と“引き出し”の詳細はそれぞれの信じる理論によって異なっていましたが、当時流行していた理論はすべて原則的にはこの考えを採用していたのです。

 いまだに、保育の世界では、この時代の心理学の考え方を適用していることが多い気がします。