明治

 数日前のブログで、焼津に行った時の話を書きました。その時、焼津とは結びつかなかった小泉八雲との関係を、記念館を訪れて初めて知りました。小泉八雲は水泳が好きで、焼津の深くて荒い海が気に入って、海岸通りの魚商人・山口乙吉の家の2階を借り、以後、亡くなるまでほとんどの夏を焼津で過ごしたということを知りました。今回、講演先で立ち寄った場所に、なんとその焼津の家が移築されてそのまま残っていました。そこは、犬山にある明治村です。
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 茶室ほど洗練されていませんが、その地域の気候風土の中で、生活に密着したつくりになっています。この村の中では、現在、駄菓子屋を開いてますが、やはり質素ながら無駄のないつくりをしています。明治初年に建てられたこの家は、間口5.5m、奥行13.2mの町屋で、木造二階建桟瓦葺、両側面には和風のたて板を全面に張ってあります。本屋は軒の低い二階建、前面に一間程の庇を出して店構えとし、内部片側に通り土間を通す形式は、当時の町屋の典型的な形で、この家も、右側は通り土間で、左に店、座敷が並ぶ。通り土間のほぼ中央、壁寄りには、屋根裏まで抜ける換気用の吹き抜きがあります。この店の部分で、現在この村の中では、駄菓子屋を商売としています。
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二階では壁に囲まれて煙突状になっていて、厨子二階とも呼ばれた屋根裏部屋が発展した形で、広い座敷二部屋と納戸になっています。天井が一部傾斜しており、屋根裏部屋の名残をとどめています。二階の窓は戸袋を片側に寄せ、低い軒下を開け放って障子をいれています。

 明治村は、明治時代の建物を保存している屋外博物館ですが、明治時代は、我が国が門戸を世界に開いて欧米の文物と制度を取り入れ、それを同化して近代日本の基盤を築いた時代です。長く築き上げられてきた日本の文化が、江戸時代に花開き、優れた木造建築が生まれました。その伝統の蓄積の上に、開国によって急速に取り入れ、欧米の文化に追い付け追い越せということで、新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れ、石造・煉瓦造の洋風建築を導入し、産業革命の進行に伴って鉄・セメント・ガラスを用いる近代建築の素地を築いていきました。ですから、飛鳥・奈良と並んで、我が国の文化史上極めて重要な位置であると言われ、芸術上、歴史上価値あるものが多いのですが、震災・戦災などで多く失われ、ことに戦後の産業の高度成長によって生じた、大小の公私開発事業により、少なからず姿を消していく状況を見て、その保存を計るため、旧制第四高等学校同窓生であった谷口吉郎博士(博物館明治村初代館長)と土川元夫氏(元名古屋鉄道株式会社会長)とが共に語り合い、二人の協力のもとに明治村が創設されたのです。
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その保存された建物は、たとえば、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計された帝国ホテル中央玄関などのような近代化を感じる建物のほか、小泉八雲の避暑として使われた漁師の家のほか、東京で森鴎外と夏目漱石の両文豪が奇しくも相前後して住み数々の名作を残した由緒ある住宅や、石川啄木が東京ではじめて家族生活をした新居である新井家経営の理髪店喜之床などの建物のような、民家なども残されています。

また、ここの展示は、建物だけでなく、ほとんどが中に入ることができ、そこには生活備品も展示されています。民家には、夏の風物としての風鈴や釣り偲ぶ、蚊帳などもつりさげられていました。
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