自尊心

 マーティン・セリグマン教授は、ポジティブ心理学の創始者の一人として知られています。1998年、この新分野の提唱により、彼を心理学の第一人者に押し上げ、全米心理学会会長になり、現在では、米・ペンシルベニア大学大学院教授でいながら、ポジティブ心理学分野の研究の支援・発展と次世代のポジティブ心理学者の育成にあたっています。

彼が、なぜこのような分野を提唱するようになったのかというと、病が原因で肉体的にも精神的にも無力になった父親を見たときのショック体験が動機だったのです。この動機により、彼は「学習性無力感」の研究をします。その研究をしているうちに、彼は、対象者の中にどれほど失敗やストレスに直面しても、立ち直りが早い人がいることに気付きます。失職・失恋・病気・離別などつらい経験をした後、絶望に打ちひしがれるのではなく、めげずに再起し幸せに生きていく人がいるのです。どうしてなのかという疑問が彼を「楽観性」の研究へと導いていきます。そして、無力感の研究から楽観性へ、そしてさらに包括的なポジティブ心理学へと、研究領域を拡大し続けます。

彼は、TED会議に招かれ、講演しますが、その講演の中で、「心理学は人の短所と同じように強みにも関心を向けるべきである」と語ります。そして「通常の人々の人生をより充実させること」にポジティブ心理学の研究は貢献出来るとしました。そのような考え方の詳細が書かれてあるのが、「オプティミストはなぜ成功するか」という本なのです。
その本の再販のための序論の中で、彼は、「私は自尊心には反対ではないが、自尊心は心身の状態を示すメーターにすぎないと思っている。それ自体が目標ではない。学校や職場でうまくやっていて、愛する人々との関係が良好で、遊びが上手にできていればメーターは高い値を示すだろう。うまくいっていなければ値は低いだろう。」

彼は、自尊心に関する様々な文献、研究を調べ、若者の間で自尊心の高いものが好成績を挙げ、人望を集め、10代の妊娠や生活保護依存をしないという証拠を見つけようとしましたが、そのような現象は見つかりませんでした。自尊心はその人が世の中でどれほどうまくやっているかの相関現象にすぎないことに気がつきます。彼は、自尊心はメーターに過ぎず、何かを引き起こす原因になることはほとんどないだろうと信じますが、それはある事件のレポートによって覆されます。

このレポートは、違う意味で私にとってはショックでした。日本人は自尊感情が低い、どうやって自尊心を高めるかといった課題が保育の中で多く語られているからです。このレポートとは、1996年、ロイ・バウマイスターと彼の同僚による研究で、大量殺戮、殺人者、ギャングの親分、暴力犯罪の犯人たちに関する文献を精査した結果、これらの犯罪者が高い自尊心を持ち、彼らの不当な自尊心が暴力を引き起こすのだという論文です。

この研究は、子どもたちに不適切に高い自尊心を教えると問題が起きることを示唆していることにセリグマンは気がつきます。さらに、これらの子どもたちの中には、利己的な性格を持つものも現れ、そんな子どもたちが実社会と対決した時、自分が教えられていたほどにはえらくないことを思い知らされると、暴力で襲いかかるようになるというのです。

 一方、このころのアメリカにおける心理学における課題は、うつ病患者の増加です。アメリカの若者たちの課題は、「双子の流行病」と言われている「うつ病」と「暴力」ですが、どうもこれらの問題は、間違った心遣いからきているかもしれないとということに気がつき始めるのです。

自尊心” への11件のコメント

  1. 自尊感情や自己肯定感、が今の保育界で大いにもてはやされています。このことの背景には、青年期にさしかかった日本人の若者が自分に自信が持てず、従って、将来に対しても肯定的な見通しを持てない、そうしたことがあるような気がします。保育園で暮らす当の子どもたちにとっては「自尊感情」も「自己肯定感」も本来どうでもいいことなのでしょうが、少子化時代の大人たちが「ため」を思って殊更喧伝します。自分はできるのだ、自分は優秀なのだ、と思い込まされて育っていく子の将来に待っているものはおそらく「うつ病」と「暴力」なのでしょう。我が国においてもこの二つはこれからますます大きな問題となっていくことでしょう。「自分が教えられていたほどにはえらくないことを思い知らされる」ことによって引き起こされた悲惨な事件が秋葉原における無差別殺傷事件だったのでしょう。子どもを貶す必要は全くないのですが、同程度に、子どもを褒めることもさほど意味があることとは思えません。「貶す」と「褒める」という両極端を廃した、子どもへの接し方が必要なのでしょう。

  2. セリングマン氏の研究が誰かへの貢献のためにあるという話をされているのは素晴らしいですね。科学の発展が誰かのためにということを中心に広がっていくのだとすれば私たちの生活もまた「誰かのために」ということを忘れてはいけないのかもしれません。その誰かもひっくるめると自分ということなのかもしれませんね。自尊心の話がこのような展開になるとは思ってもいませんでした。驚いています。自尊感情が高いということでイメージされることに関連性がなかったのですね。高い自尊感情が利己的な性格に繋がっていき、社会とのギャップを埋められなくなるということですが、確かに、社会に出て、挫折することはたくさんあります。自分よりずっとしっかりした人、優れた人がいることに気がつきます。そんな時に、自分はどうするのかということが大切になってくるのですね。それが楽観性やポジティブ心理学につながっていくのですね。高く高く積み上げられた自尊感情は自らの手で積み上げられたものではないのでしょうか。誰かの手によって積み上げられたのであれば、それが崩れた時にどうにかしようと思うことは難しくなるということなのでしょうか。

  3. 自尊心にも、種類があるということで、少々難しいですね。理解が及んでいないというのが、正直なところです。セリグマン氏の「自尊心は心身の状態を示すメーターにすぎないと思っている。それ自体が目標ではない」という言葉から読み取れることは、自尊心とは、あくまでも人が人として生きていくうえでの過程にあるもので、それを目指したり求めたりするものではないということでしょうか。よく、自分の中にある小さなプライドが、成長の邪魔をすることがあります。その度に、自分の自尊心を見直し、よき学びをするためには何が必要かを自分に問いかけるようにしています。不適切な自尊心が、結果的に自分の身を滅ぼすことになってしまうことを、理解していなければ大変ですね。そこで、不適切な自尊心を与えてしまわぬよう、どうすればよいかということになりますが、それが「学校や職場でうまくやっていて、愛する人々との関係が良好で、遊びが上手にできていればメーターは高い値を示すだろう」ということだと思います。「うまくやる」「関係が良好」「遊びが上手にできる」という言葉の中には、自尊心と依存心とのバランスを図っているようにも感じます。不適切な自尊心を与えないように配慮するというよりも、両者のバランスの取り方や調整の仕方を自ら学んでいけるような環境を、用意するということが必要だということでしょうか。

  4. 自尊心や自己肯定感が、犯罪を犯した人の心の正当性を培ってしまっているとは、驚きました。正義のものさしは人それぞれ違うことに改めて気付かされた思いです。その為に、自尊心は心身の状態を示すメーターにすぎないという見解が必要なようです。何でもかんでも肯定すればいいわけではなく、また、自尊心を高めることに終始すればいいことではないのです。
    ですが、不当な自尊心が暴力を引き起こすという事実を知った上で改めて考えてみても、自分を肯定する気持ち、自分を尊敬する気持ちは大切なことだと思います。その中で、問題なことは、他者を傷つけてまで、自分の正当性を主張しようとする行為がその人の中で肯定されることだと考えます。高い自尊感情の中にいて、自分の正義を主張する為に、犯罪を犯す人がいます。例えば宗教間の争い、正義の名の下に戦争を行うことなども、同じことだと思います。その中でも、人を傷つけることを良しとする気持ちや暴力を肯定する気持ちというのは、一体どこで芽生えてしまうものなのでしょうか。
    怒ることやキレること、人のせいにすること、憎むこと、恨むこと。一見すれば、どれも他者から与えられた受身な感情のようです。ですが、それは本当は、とても能動的で、自発的な、自分の内部で起きている感情の受け取り方です。その時に湧き起こった感情を、どう捉え、どう昇華していくのかに加えて、いかに幸せに向かって捉え、幸せに向かって昇華して生きていけるようになるのかが、セリグマンの考える今後の心理学の在り方です。
    他者を傷つけて幸せな気持ちになれる人はいない、と、人の良心を信じるしかないような気持ちになります。間違った心遣いが、その人の自尊心を間違った方向に向かわせる力をもっています。他者を傷つけることなく幸せになる為に、社会に貢献しながら幸せになっていく為に、どのような心遣いをしてあげることが正しいのでしょうか。

  5. 自尊心にも様々な問題があるのは、ちょっとショックな内容だと感じたと同時に、何か難しい問題のような気がしてきました。自尊心は必要だからと、ただ教えるのではなく、きちんとした理解が必要だということは理解できました。また、考えることが一つ増えました。

  6. 自尊心を教えるにも仕方によっては高く不当な自尊心を持ち合わせてしまう結果に陥るケースもあるのですね。それが「うつ病」や「暴力」にリンクしてしまうことを認識しつつ、正当な自尊心をどうすれば正しく育んでいけるかを大人はしっかり考えてから行動に移さなければなりませんね。
    「日本人は自尊感情が低い、どうやって自尊心を高めるかといった課題が保育の中で多く語られている。」これはショックですね。しかし、逆に自尊心が不当に高い割合もそれに比例して少ないのではと考えられますね。今回のブログは保育者の役割をまた一つ感じることができた内容でした。自分の欠点をしっかり把握し、その上で自分自身を好きでいれることこそ正当な自尊心なのかなと思いました。自尊心を教える上でその子の得意分野を活かして自信を向上させるだけでなく、しっかりその子の欠点、逆境とも向き合わせてあげることが大切であると思えました。

  7. 不適切に高い自尊心を教えると問題が起きるというレポートは、さすがに驚きました。いくらいいものでも高ければいいのではなく、それがどのような意味でどうやって身につけていくのかが重要であることがわかります。できるだけ早く、できるだけ多く身につけてようとする間違った早期教育のあり方なんかも同じだと思いますが、そうした考え方に飛びついてしまうのはやはり怖いことでもありますね。一つの答えのように自尊心の高さを求めるのではなく、その自尊心が育っていく過程を大切にするといった、道筋に対してもきちんと目を向ける必要があると思いました。

  8. 自尊心からまさか暴力を引き起こすという問題に繋がるというのは驚きです。日本ではヤンキーなどでしょうか。プライドが高いが故に「なに見てんだよ」という自分の生き方を変な風に見られている感じになるのでしょうか。なんとなくですがそんなことを想像しました。自分の自尊心といえばプライドを連想させ、自分のプライドが邪魔をし、他者の意見を受け入れることが難しくなることです。これだけはしたくないと自分で思っていたことですが、時に邪魔をします。その時に感じる自分の小ささと学びの少なさを真摯に受け止め、更なる学びをしていかなくてはならないと最近思っています。話はズレましたが、「不適切に高い自尊心を教えると問題が起きる」とありますが一体どんなことが不適切に高い自尊心なのかが気になりますね。最後にあるような間違った心遣いとはなんでしょう。

  9. 朝のニュースで日本人は海外の人に比べて自己紹介が下手というのを実験で行っていました。確かに海外の人は自分をアピールする能力は長けているので、劣って見えるのは仕方ないですが、中には日本人の「謙虚さ」という部分も多少は影響しているような気がします。とは言っても自尊感情を高めることは大切なことです。少なくとも子ども達を見ていて、自分の事を嫌いにならないで欲しいと思いますし、そう思って生きて欲しくはありません。自分は社会にとって必要な存在というのを分かって欲しいですが、ブログにも書いてあるように、あまりにも強い自尊感情は暴力に走ってしまうというデータは何となく理解できます。自分を強く正当化してしまい、自分を否定する存在を認めたくないあまり、暴力になってしまうのですね。日本人の自尊感情を育てることを保育でも語られているそうですが、しっかりと、こうしたデータをもとにした議論を展開しないと、ますます間違った方向に進んでしまいます。

  10. 「楽観性」の強さを「大きな失敗やストレスに直面しても、立ち直りが早い人」という文章で、改めてその存在を実感しました。そして、そういった感覚だと結果、いろんな経験をすることができ、次第に良い環境になっていく。「楽観主義」であることの大切さを感じます。
    「自尊心」とはとても難しいものなのですね。強すぎても、弱すぎてもいけない。そして「双子の流行病」と言われている「うつ病」と「暴力」との関係。いずれもお世話にはなりたくないものですね。

  11. なるほど、自尊感情が高いからといって、すべてがプラスに向くというわけでもないですね。大量殺戮、殺人者、ギャングの親分、暴力犯罪の犯人も高い自尊感情があるということは最近の事件を見ていても感じるところがあります。そう考えてみると自尊感情を育てるということはそれだけではいけないのかもしれない。あくまで自尊感情というのはひとつのバロメーターでしかないというのは納得いきます。そうではなく、いかに満足した環境にいるか、良い環境を作っていくかが問題なのかもしれません。まだまだ、難しい所ですが、考えていかなければ行けないですね。

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