ドイツ報告2014-15

現在、日本でも5歳児の義務教育化が検討されています。しかし、保育所は規制緩和されているため、認証保育所など小規模保育所が特に都会では多くなっている中、5歳児だけ義務教育にするのは困難という意見もあります。また、小学校での教育の一部を、就学前教育の中に組み入れようという見当もされています。現在、小学校での教育内容が多くなり、子どもたちに1年生から負担をかけているということで、少し分散しようというのでしょうか。
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このような検討は、ドイツでも行われました。ドイツでは、キンダーガーデンという3歳から6歳までの施設は、すべての子どもが通う「正規の施設」として認められるようになり、1965年から1980年の間に、幼稚園の就園率は32%から80%に上昇しました。それは、このキンダーガーデンが、学校教育システムの第一段階、「基礎領域」として認知されたということです。しかし、その際、専門家たちの間でとりわけ議論が集中したのは、5歳児問題でした。5歳児の教育は就学前施設で行われるべきなのか、学校においてか、あるいはそれとも移行クラスにおいてなのかという議論でした。
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5歳児論争の背後に、日本では、子どもにとっての議論よりも、各省庁間、各施設間の綱引きの部分が影響しているような気がします。ドイツでも同じような綱引きの議論が起きるのですが、ドイツでは、学校教育的文化を支持する勢力と社会教育的文化とを支持する勢力の間の相互の綱引きがあったのです。つまり、5歳児の教育を学校教育の領域に取り込むのかそれとも、これまで通り社会教育領域において行うのかという論争です。それは、就学前教育を、義務教育、つまり学校教育の準備期として捉えず、社会教育の一つとして捉えていたからです。
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 この議論を検討するために、1970年から1975年にかけて、5歳児にはどの設定での教育がもっとも効率的なのかをめぐって連邦政府主導で実験が行われ、結果的には社会教育を支持する勢力に軍配があがったのです。つまり、従来通り5歳児の教育はキンダーガーデンで行われることになったのです。それは、小学校に入学してから将来にかけて伸びていくのは、早く小学校教育を行うことではなく、十分に5歳まで幼児教育を行う方が効果的であるという件かを導き出したのです。
 この議論は、単に5歳児をどちらの見るかということだけでなく、では、幼児教育とはどうあるべきか、という幼児期にふさわしい教育という問題を議論することになったのです。そして、最終的な解決として提案され、専門家たちの合意を得たのが、「状況的アプローチ」だったのです。そのアプローチは、幼児期の子どもを学習の主体として捉えることを基本にするものだったのです。それは、幼児期では、子どもたちの生活を大切にし、その生活の中の体験から学習していくという考え方なのです。
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 これで、幼児教育のあり方が確立したかのように思えましたが、出生率は低下し、就学前教育の量的な拡大は優先的な政策課題ではなくなってきました。さらに経済危機により、予算的にもきつくなり始め、就学前教育を推進する基礎的条件は失い始め、就学前教育に対する政策的、社会的風土は変化していきました。そのような状況の中では、質の議論は、理論的にも実践的にも十分に展開されることのないまま、いつのまにか議論の中心ではなくなり始めたのです。

 しかし、1990年代に入ると状況は再び変化します。このときに要請されたのが、「幼児期の陶冶」の大切さであり、その考え方が本格化していき、バイエルン州では、「陶冶プログラム バイエルン」の誕生をみるのです。

ドイツ報告2014-15” への10件のコメント

  1. 学校教育の勢力と、社会教育の勢力のどちらが5歳児にはいいのかということを政府主導の実験の結果で決定したというプロセスがあったのですね。実験の結果を踏まえているというところで子ども中心の考え方で議論されているように思えました。これが日本だとどうなるのでしょうか。なんだか子どものことが置いていかれそうな気もしますが、そんな悲観的になってもいけませんね。バイエルン州では「陶冶プログラム バイエルン」が完成され、教育のあり方の基本のようなものができあがった訳ですが、日本ではどうでしょうか。勝手なイメージですが、日本では様々な人が独自の教育論を持っているような印象を受けます。そして、それは自分の生い立ちから反映されるものがほとんどのようで主観的な部分が強いように思えます。そんな教育論を多くの人が独自に持っているとなかなか教育の方向性を一本化するのは難しいのですかね。国民全体を巻き込む議論になるためには実験の結果というかその教育の有効性が反映されたデータが必要なのでしょうか。なんだか話が膨らみ過ぎてまとめることができなくなってしまいました。

  2. わが国では来年度から子ども子育てに関する新制度が始まります。認定こども園、幼稚園、保育所、小規模保育所や家庭的保育所などなど、様々な施設の給付一体化を実施する、ということです。しかし、この「新制度」の施行も、従来から存在する既得権益団体の調整によって初めてなった、すなわち、保育についても教育についても、あるいはそれらを行う施設の在り方についても、議論が掘り下げられないまま既得権益が守られてまま「新制度」の始まり、始まり、といった感じです。幼保一体となってやっと我が国の乳幼児を取り巻く保育システムが世界と肩を並べられるかと思いきや、「認定こども園」の登場及び各種子ども集団施設への給付型補助システムで精一杯。折り合いに折り合いをつけて、結果、来年度からも「今までとほとんど変わりません」と説明会にてご説明を受ける次第です。藤森先生の見守る保育及びGT活動は来年からも精力的かつ一所懸命全国津々浦々で実施して頂けるよう頑張らないといけませんね。

  3. 「5歳児をどちらの見るかということだけでなく、では、幼児教育とはどうあるべきか、という幼児期にふさわしい教育という問題を議論することになった」ことから、あくまでも子どもにとって何がよいのかといった点を、見失わなかった経緯が伝わってきます。今目の前にある課題を見つめた時、現状からその答えを探っていくことが必要なだけでなく、大本に立ち返ったり、少々先の未来を視野に入れるといった思考が大切であるように感じました。また、それと同時に考えられた「状況的アプローチ」ですが、まさに日本でいう“個別の対応”にも似た感じがします。子ども一人一人、生活環境・家庭環境は変わってきます。そのような状況下のもと、子どもの姿を無視した保育は、効率が悪いだけでなく、子どもにとって無意味な活動にもなってしまうかと思います。そこで、子どもを取り巻く環境を通して、こちらが意図する体験学習をどう組み込んでいくかを、一人一人の姿を把握しながら個別にアプローチしていくことが必要であると理解してみました。

  4. 日本で5歳児の義務教育化が検討されていることを、恥ずかしながら初めて知りました。全く賛成できません。学校で教える教科そのものを5歳児のレベルで行うといった内容に、保育に従事する人間の誰が賛成をするのでしょうか。ドイツのような、就学前教育を、学校教育の準備期として捉えず、社会教育の一つとして捉えるような過程を経て初めて検討できるものであるということを知ってもらいたいです。何より、そのような有意義な話し合いが行われるとするならば、早く小学校教育を行うことに結論は向かわないはずです。大人の都合に子どもが巻き込まれていくことの典型のような話です。
    しかし、出生率の低下や経済危機によって、ドイツのような国でも、保育や教育が停滞してしまう状況を知ると、上記の問題は子ども達にとても影響を及ぼすものであることを改めて感じます。日本は今まさにその真っ只中にいますが、ドイツのような明るみのある状況の変化が訪れるのでしょうか。
    スティーブン・R・コヴィーの名著『7つの習慣』では、緊急でないが重要な事柄に主体性を発揮して取り組むことに、人生を豊かにする鍵があることを説いています。緊急であり、重要である事柄に追われ、あたかもそれが人生の全てであるかのように生きれば、なんとも切迫した状況を生き抜くだけの人生となります。
    日本で言えば、保育や教育、福祉の分野での取り組みは正に、緊急であり、重要な事柄であると思いますが、そうなだけに十分な議論がなされないまま、矢継ぎ早にその場しのぎの政策や施策が生み出されてしまいます。それよりもまず、質の議論、子ども達にとって何が大切かということを、ゆっくりと腰を据えて、世界の成功例を見ながらたくさんの意見を交換し合うべきです。そんな時間はない、というようなことにこそ、本当の豊かさに繋がる鍵があるように思います。

  5. ドイツでもどちらに進んでいくかという異論が揺れていたんですね。でもそれが陶冶に戻ってくるところは見習わなければいけません。日本の場合はまだまだそこに至っていないため、就学前教育は単に学校教育を早く始めることと受け止められているように感じることが多く、残念に思っています。また、小学校でしなければいけないことが増えた→スタートで無駄に時間を使っているわけにはいかない→早い段階から授業を成り立たせるために座り続けることや嫌なことでもガマンして取り組む体験をさせておいてほしいといった要望が上からやってくるのは仕方のないことなんでしょうか。子どもの発達を上から見ていくのは無理があると思うんですが。

  6. 「陶冶プログラム バイエルン」の誕生の過程には5歳児の義務教育化が検討されたことがあったのですね。では日本もこの5歳児の義務教育化が検討されている機に「陶冶プログラム バイエルン」のような質のスタンダード化を図るチャンスなのではと思ってしまいます。そのためにも「状況的アプローチ」の説明にあった、幼児期の子どもを学習の主体として捉えることを基本としていかなければなりませんね。では、どういった幼児教育や保育を浸透させていくべきか日本は子どもを主体としてしっかり捉え、考え、導き出していかなければなりません。そのためにも自園に限らず他園や世界の園にまで視野を拡げ、参考にしつつ、試行錯誤していくことで自然と見守る保育と出会えるのにと思えてなりません。
    ドイツと言えど一度は質を見失った。しかし、今では「陶冶プログラム バイエルン」の誕生により正しい道へと戻っている。根の深さに違いがあるかもしれませんが、ドイツの「陶冶プログラム バイエルン」の誕生の過程を知ると日本でも…と期待してしまいます。そのためにもできることから尽力していかなければいけませんね。

  7. ドイツでもそのような議論が行われていたのですね。単に5歳をどちらでみるかということだけでなく、幼児教育とはどうあるべきかという幼児教育にふさわしい教育という問題を議論することになったのです。とあるように元を見失わないあたりの柔軟な考えが見えますね。そういった考えからドイツの陶冶プログラム バイエルンが生まれたのですね。それはしっかりとした根があるように思います。やはり、こういったドイツの動きを知ると日本とは少し違うように思えてしまいますね。というのも国の考えが子どもにとって何がいいのか、大元に返ってしっかりと考えられている印象を受けるからです。一方日本は私の勝手な見解ですが、少々目先のことしか考えていないように思えてしまいます。以前の安部首相の3歳まで抱っこし放題という発言などは本当に子どもにとってなにがいいかを考えているのか、違和感を感じてしまいます。

  8. 今回のブログを読んだ瞬間に感じたことは、日本はドイツ、海外には追いつくのはまだまだ先のような気がしました。5歳児だけ義務教育にする、1年生から負担をかけているから分散させるという考えの前に、よく藤森先生の講演の中で脳の臨界期は8歳までと聞きます。ドイツの小学校を見ても小学校1年生の教室はまだ幼児施設を似ている環境になっており、学年が上がるごとに少しずつ変化しています。それを見ると日本は確かに1年生に負担をかけすぎかもしれません。ドイツが学校教育的文化と社会教育的文化でどちらが5歳児の教育にとって重要か?という議論に5年の歳月をかけ、結果は社会教育が幼児期にとって重要であるという見解になりましたが、こうした議論が幼児教育を考える上で大切のように思います。修正率の低下により議論の中心が離れていったとしても、この時の議論があったからこそ、現在の「陶冶プログラム バイエルン」が存在しているのかもしれません。

  9. 日本での5歳児の義務教育化の話は、私が子どもの頃からよく父から聞かされました。ですが、何十年もたった今もまだ実現がされていないということは、ブログにあるように色々な困難があるのでしょうね。

    ドイツにおいて、自分が生まれる前、それほど昔からそんな議論がなされているとは、驚きともに、改めて日本の保育の遅れを感じました。
    しかし、それだけ長い期間をかけて、「幼児教育とはどうあるべきか」という問いに対して出た、幼児期の子どもを学習の主体として捉えることという「状況的アプローチ」。それほどまでのものがうまくいかなかったこということを活かし、できたのが、「陶冶プログラム バイエルン」だったのですね。

  10. 5歳から義務教育化は特に最近言われていますね。二元化においても、義務教育化においても、「そもそもなんのためにそれらのことをすることが必要なのか」ということを考えていけなければいけないと思います。ブログにもあるように、各省庁の利権であったり、1年生の教育内容が多いので5歳に分散といったように、子どもの目先の成績や利権のためにやるようであるならば、反対です。一方、ドイツでは学校教育の準備期として捉えるのか、社会教育として捉えるのかで論点を持ってきたことはすばらしいことだと思います。どうも、日本とドイツとを比べると、日本の方が目先の成績や大人の先入観がきつく、ドイツのように、子どもに取って人格形成をするためにはどうしたらいいのか、国家にとって必要な人材にするためにはといった長いスパンでの判断をしているようには思えません。
    こういった視点を持たない限り、なかなか教育というものは変わってはいかないでしょうね。

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